閑話 招き猫のおはなし
閑話 招き猫のおはなし
週末の児童館は、平日の放課後とは少し違う賑わいに包まれていた。
いつもの子どもたちだけでなく、保護者や地域のボランティアも出入りしている。則人も朝から遊びに来ていて、友達と遊んでは職員に頼まれた小さな手伝いをし、また遊びに戻る、という具合に忙しく動き回っていた。
そして今日は、子どもたちが楽しみにしている昔話の会の日でもある。
話をしてくれるのは、何度か児童館を訪れているボランティアのおじいちゃんだった。柔らかな物腰で、昔話を語り始めると子どもたちをあっという間に引き込んでしまう。
開始時間が近づくにつれ、子どもたちは用意された場所へ次々と集まってきた。
「今日は何の話ー?」
「鬼がいい!」
「天狗!」
「天狗はこの前聞いたじゃん!」
まだ始まってもいないのに、あちこちから好き勝手な希望が飛ぶ。
則人も前の方へ座り、
「ぼく、妖怪のお話がいい!」
と勢いよく手を上げた。
「則人くん、本当にそういうお話好きだよね」
近くにいた職員が笑うと、則人は当然だと言わんばかりに頷いた。
そんな子どもたちの少し後ろでは、中学生くらいの男女が会場の準備を手伝っていた。
小さな子が通りやすいよう椅子の間を空けたり、端へ寄りすぎた椅子を直したり。二人とも今日は児童館の手伝いに来ているらしい。
「そこ、もう少し空けた方がよくない?」
女子が言うと、男子が足元を確認した。
「あ、ほんとだ。じゃあ、こっちずらす」
「持つよ」
「ありがと」
二人で同じ椅子を動かし、自然に顔を見合わせる。
恋人同士、と言い切ってしまうにはまだ少し早いのかもしれない。
けれど、以前より二人の距離が近くなっていることは、傍から見ても分かった。
そして、女子中学生の足元には、もう一匹。
多くの人には気づかれていない猫が、前足をそろえてのんびり座っていた。
女子中学生が周囲を気にしながら、ほんの少し視線を下げる。
「今日は何するの?」
小声で聞くと、猫は尻尾をゆっくり揺らした。
「僕は何もしないよ。君が手伝いに来るっていうから、ついてきただけ」
「またそう言って」
「本当だよ。僕、今日は見てるだけ」
そこへ男子が振り向いた。
「何か言った?」
「え? ううん、何でもない」
女子中学生が慌ててごまかすと、猫は面白そうに目を細めた。
準備が終わる頃には、子どもたちもほとんど座り終えていた。
おじいちゃんは皆の顔をゆっくり見渡し、ざわめきが少し落ち着いたところで口を開いた。
「さてさて。今日は猫のお話でもしようかの」
「猫!」
「かわいいやつ?」
「怖いやつじゃない?」
「さて。かわいい猫かどうかは、最後まで聞いてみんと分からんのう」
子どもたちが笑う。
おじいちゃんは少し間を取り、昔話を始めた。
「昔々――まだお侍さんがおって、お城にはお殿様が住んでおった頃のことじゃ」
昔々、ある貧しい農家に、一人の男の子が暮らしていた。
家は決して裕福ではなかった。
食べ物が足りない日もあり、男の子も幼い頃から畑仕事や家の手伝いをして暮らしていた。
ある日のこと。
男の子が畑仕事を終えて家へ帰る途中、道ばたに一匹の猫がいるのを見つけた。
ずいぶん痩せた猫だった。
毛並みも少し汚れ、見るからに腹を空かせている。
男の子は足を止めた。
自分の家にだって、食べ物の余裕などほとんどない。
それでも、その日の夕飯からほんの少しだけ取り分けると、猫の前へ置いてやった。
「少しだけだぞ。うちだって、いっぱいあるわけじゃないんだからな」
猫は男の子を一度見上げてから、その食べ物をきれいに食べた。
次の日も、猫はやって来た。
その次の日も来た。
毎日ではない。
何日も姿を見せないこともあった。
けれど忘れた頃になると、いつの間にか男の子の近くへ現れる。
男の子も、だんだん猫が来るのを楽しみにするようになった。
そんな日々がしばらく続いた、ある朝のことだった。
男の子が仕事へ向かおうとすると、道の分かれ目に猫が座っていた。
男の子がいつもの道へ進もうとしたところで、猫が片方の前足を上げる。
ちょい、ちょい。
自分の方へ曲げるような仕草だった。
まるで、
「こっちへおいで」
と招いているように見える。
「なんだよ。そっちへ行けっていうのか?」
男の子が冗談半分に言うと、
「今日は、いつもの道じゃなくてこっちを通ってみたら?」
猫が答えた。
男の子はしばらく固まった。
「……お前、しゃべれるのか!?」
「今さらそこ?」
「今まで一度もしゃべらなかったじゃないか!」
「別に、しゃべることがなかったから」
猫は何でもないことのように答えた。
男の子はしばらく猫を見つめ、それから自分の頬をつねった。
痛い。
夢ではないらしい。
「変な猫だなあ……」
「行かないの?」
「分かったよ。行けばいいんだろ」
男の子は、その日だけ猫が招いた方の道を歩いてみることにした。
すると途中で、大きな荷物を前に困っている老人に出会った。
一人ではどうしても運べないらしい。
男の子は放っておけず、仕事へ向かう途中だったにもかかわらず、一緒に荷物を運ぶことにした。
老人はとても喜んだ。
後日、その老人が町で商いをしている知人へ男の子の話をしたことで、男の子は新しい仕事を手伝う機会を得ることになった。
また別の日。
猫は道ばたに座り、前足をちょいちょいと動かした。
「ほら。こっち」
「今度はなんだよ」
「あの人、困ってるみたいだよ」
猫が視線を向けた先には、立ち止まって辺りを見回している人がいた。
「声をかけてみたら?」
男の子が行ってみると、本当にその人は困っていた。
また別の日には、男の子が新しい仕事を任されるかどうか迷っていた。
「でも、僕なんかじゃ無理かもしれないし……」
そう言う男の子に、猫はまた片方の前足を上げた。
「だったら、まず一歩だけこっちに来てみれば?」
「猫のくせに簡単に言うなあ」
「僕は言うだけだよ」
猫は平然とした顔で答えた。
「やるかどうかは君が決めればいいじゃない」
男の子は悩んだ。
それでも最後には、自分でやってみることを選んだ。
もちろん、猫の言葉を聞いたからといって、何もかも上手くいったわけではない。
失敗することもあった。
叱られたこともある。
やらなければよかったと後悔した夜もあった。
それでも男の子は、そのたびに自分で考えた。
次はどうするか。
どこがいけなかったのか。
もう一度やってみるか。
そうして少しずつ、男の子を知る人が増えていった。
真面目に働く少年がいる。
困っている人を放っておけない少年がいる。
失敗しても、もう一度立ち上がる少年がいる。
そんな評判が、人から人へ伝わっていった。
そして、もう一つ。
町の人たちの間では、いつしか妙な噂が広まっていた。
「あの子、またあの猫に呼ばれて行ったぞ」
「前もそうだったじゃないか。あの猫が手招きした先で、人と知り合ったんだろう?」
「あの猫に招かれて行くと、良い縁があるらしいぞ」
男の子にとって、猫はただの友達だった。
猫にとっても、男の子は自分へ食べ物を分けてくれた、ちょっと気になる友達だった。
けれど周りの人たちには違って見えた。
猫が片方の前足を上げ、ちょいちょいと手招きをする。
男の子が、その方へ歩いていく。
すると誰かと出会う。
新しい仕事につながる。
助けた人から、また別の人へ縁がつながる。
少しずつ、男の子の世界が広がっていく。
やがて男の子は町で働くようになり、その働きぶりを認められて、今度は武家に仕える機会を得た。
それでも猫との付き合いは変わらなかった。
男の子が迷っていれば、猫は言う。
「それは、ちゃんと言った方がいいと思うよ」
「今日は黙ってるより、自分の考えを話してみたら?」
「失敗したなら、次は違うやり方を試せばいいんじゃない?」
そして最後には、いつものように前足を上げる。
「ほら、こっち」
男の子はいつからか、その仕草を見ると笑うようになった。
「また招いてるのか?」
「別に。こっちに来たらって言ってるだけ」
「それを招いてるって言うんだよ」
「そうなの?」
猫本人は、やはりよく分かっていないらしかった。
やがて、農家の少年だった男の子も立派な若者になった。
そしてある日、お城で一人のお姫様と出会った。
最初は、ただ言葉を交わすだけだった。
それが二度、三度と続くうち、若者は姫と話す時間を楽しみにするようになった。
ところが本人は、自分の気持ちになかなか気づかない。
ある日、そんな若者を見ていた猫が言った。
「君さ」
「なんだ?」
「あのお姫様と話してるときだけ、ずいぶん楽しそうだね」
若者の顔がわずかに赤くなった。
「そ、そんなことない」
「そう?」
「ない」
「じゃあ、僕の勘違いかな」
猫はそれ以上何も言わなかった。
ただ、去り際にいつもの前足を上げる。
ちょい、ちょい。
「ほら。行ってきたら?」
「どこに?」
猫は黙ってお城の方を見る。
若者もしばらくその方を見た。
そして、さらに顔を赤くする。
「……余計なお世話だ」
「そう?」
猫は尻尾を揺らして去っていった。
その日の夜、若者はなかなか眠れなかった。
結局、自分で考え、自分の気持ちに気づいた。
だからといって、すぐに恋が実ったわけではない。
勇気を出して話すことも、相手の気持ちを知ることも、互いを理解することも、全部若者自身がやらなければならなかった。
それでも長い時間をかけ、やがて若者と姫は夫婦になった。
若者はその後も多くの人から信頼され、働きを認められ、ついには一つの国を任されるほどの人物になった。
貧しい農家で生まれた少年は、ついにお殿様になったのである。
「ええーっ!」
児童館に、子どもたちの声が響いた。
「すごい!」
「猫のおかげじゃん!」
「猫さん、めちゃくちゃすごい!」
則人も目を輝かせながら身を乗り出した。
「猫さんが幸せにしてくれたんだ!」
ところが、おじいちゃんは楽しそうに笑うと、ゆっくり首を横に振った。
「いやいや。猫は何もしとらんよ」
「えー?」
子どもたちが一斉に不満そうな声を上げる。
「だって、いろいろ教えてたじゃん!」
「そうじゃな。教えはした。じゃが、それだけじゃ」
おじいちゃんは、子どもたちを順番に見回した。
「いつもと違う道を歩いたのは誰じゃ?」
「男の子!」
「困っている人を助けたのは?」
「男の子!」
「仕事を頑張ったのは?」
「男の子!」
「失敗したあと、もう一度やってみたのは?」
「男の子!」
「お姫様と向き合ったのは?」
「男の子!」
「そうじゃ」
おじいちゃんは満足そうに頷いた。
「猫がしたのは、ほんの少しだけじゃ。『こっちを見たらどうじゃ』『あの人に声をかけてみたらどうじゃ』と教えただけ。歩いたのも、働いたのも、勇気を出したのも、全部その男の子じゃよ」
則人は少しだけ考え込んだ。
「じゃあ……猫さんが、お殿様にしてくれたんじゃないの?」
「そうじゃな」
おじいちゃんは柔らかく笑った。
「猫本人も、そんな大それたことをしておるつもりはなかったじゃろう。自分を大切にしてくれた友達じゃから、気づいたことを少し教えただけじゃ」
一度。
二度。
三度。
ほんの小さな助言が積み重なっていく。
そのたびに少年は自分で考え、自分で選び、自分で動いた。
けれど周りの人々の目には、別のものが見えていた。
猫が前足を上げる。
少年を招く。
少年がそこへ行く。
すると、良い出会いがある。
新しい縁が生まれる。
人生が少しずつ良い方へ動いていく。
いつしか人々は言い始めた。
「あの猫が手招きをすると、良い縁がやって来る」
「あの猫の前足は、幸せを呼び寄せているんじゃないか」
もちろん、猫はそんなことを考えてはいない。
ただ友達へ、
「こっちだよ」
と教えていただけだった。
やがて少年がお殿様になったあと、その国では猫の姿をかたどった置物が作られるようになった。
片方の前足を上げ、
「おいで、おいで」
と招いている猫の姿。
家に置く者は、
「良い縁が訪れますように」
と願った。
店先へ置く者は、
「良いお客さんとの縁がありますように」
と願った。
誰かは仕事との縁を願い、誰かは人との縁を願った。
そんな猫の置物は少しずつ広がっていった。
そしていつしか、本物の猫も、その猫をかたどった置物も、
「良いものを招いてくれる猫」
――招き猫。
そう呼ばれるようになったという。
おじいちゃんが、ぱん、と手を叩いた。
「これで、おしまい」
子どもたちから大きな拍手が起こった。
則人も一生懸命手を叩いている。
ところが拍手が終わるや否や、則人はすぐに立ち上がり、おじいちゃんのところへ駆け寄った。
「ねえねえ、おじいちゃん!」
「なんじゃ?」
「あの猫さん、本当にいたの?」
「さて、どうだったかのう」
「おじいちゃん、会ったことある?」
「わしか?」
「うん!」
おじいちゃんは、いかにも考えていますという顔をする。
「会ったことがあったような、なかったような」
「どっちなの!」
則人が身を乗り出した。
おじいちゃんはしばらく考えるふりを続け、やがて大きく頷いた。
「少なくとも、わしのおじいちゃんのおじいちゃんの、そのまたおじいちゃんくらいなら、会ったことがあったかもしれんのう」
「遠すぎるよ!」
則人の声に、近くにいた子どもたちまで笑い出した。
「絶対知ってるでしょ!」
「さてさて。昔のことじゃからのう」
「怪しい!」
「年寄りは昔のことを忘れるもんじゃ」
「都合いい!」
則人が頬を膨らませる。
けれど、おじいちゃんは楽しそうに笑うばかりで、それ以上は何も教えてくれなかった。
その頃。
少し離れた場所では、中学生たちが会場の片づけを始めていた。
男子が使い終わった椅子を重ね、女子もその隣で手伝っている。
彼女の足元では、猫妖怪が退屈そうに大きなあくびをした。
女子中学生は椅子を一脚運び終え、男子が少し離れた隙に猫のそばへしゃがみ込んだ。
「ねえ」
「なに?」
猫が顔を上げる。
女子中学生は声を落とした。
「今のお話さ」
「うん」
「……あなたのことじゃないの?」
猫は目を丸くした。
「僕?」
「うん」
「なんで?」
「なんでって……やってること、ほとんど同じじゃん」
猫が首をかしげる。
女子中学生は指を折りながら数え始めた。
「『今日はあっちに行ってみたら』とか、『今なら話しかけた方がいいよ』とか、『あそこで待ってるよ』とか」
「言ったっけ?」
「言ったよ!」
「そんなに?」
「言ってるって。それに……」
女子中学生は、猫の前足へ視線を落とした。
「あなたも、たまにやるじゃん。『こっち』って」
猫は自分の前足を見た。
試しに片方を持ち上げ、
ちょい、ちょい。
と動かしてみる。
「これ?」
「それ!」
「普通に呼んでるだけだけど」
「だから、それが招き猫なんじゃないの?」
猫は前足を下ろした。
そして、本気で考え込んだ。
しばらく黙っていたあと、
「……僕、そんな昔のことしたかなあ」
と呟いた。
女子中学生は、数秒ぽかんとした。
それから吹き出す。
「何それ」
「だって、昔のことでしょ?」
「否定しないんだ」
「覚えてないものは仕方ないよ」
「やっぱり怪しい」
女子中学生は笑いながら猫を見る。
本当に覚えていないのか。
そもそも昔話の猫とは別の猫なのか。
それとも、本人だけが気にしていないだけなのか。
考えてみても、答えは出そうになかった。
そこへ男子が戻ってくる。
「何笑ってるの?」
「え?」
女子中学生が顔を上げた。
「なんか楽しそうだったから」
「ううん。さっきの猫の話、面白かったなって思って」
「ああ、あれ。俺も結構好きかも」
「ほんと?」
「うん。猫は何もしてないってところ、ちょっといいなって思った」
女子中学生が、少しだけ驚いたように男子を見る。
その横で猫妖怪が片方の前足を上げた。
ちょい、ちょい。
今度は、男子の方を示すように。
「ほら。せっかく話しかけてくれてるよ」
女子中学生が横目で猫を睨む。
「分かってるって」
「え?」
男子が聞き返した。
「何でもない!」
「?」
「ほら、まだ椅子残ってるよ。一緒に運ぼ」
「あ、うん」
二人は並んで、残っていた椅子の方へ歩いていった。
猫妖怪も、その後ろをのんびりとついていく。
一方、少し離れたところでは、則人がまだおじいちゃんに食い下がっていた。
「ねえ。本当に知らないの?」
「何のことじゃったかのう」
「招き猫さん!」
「さてのう」
「絶対知ってるって!」
おじいちゃんは、どれだけ聞かれても笑ってはぐらかすばかりだった。
昔々、本当にそんな猫がいたのか。
今も同じ猫がどこかを歩いているのか。
それとも、ただよく似た猫がいるだけなのか。
誰も答えを教えてはくれない。
けれど。
少し離れた場所では、二人の中学生が並んで椅子を運んでいる。
その後ろを、一匹の猫がついて歩いていた。
誰かの人生を大きく変えてやろうなんて、たぶん少しも考えていない。
ただ、仲良くなった相手が迷っているとき。
ほんの少しだけ前足を上げて。
ちょい、ちょい。
「こっちだよ」
と教えるだけ。
その先へ進むのは、いつだって本人なのだから。
――つづく。
本作品を含む、凛監修×生成AI合作作品は、同じ世界観の中でつながるシリーズ作品です。
それぞれ単独でもお楽しみいただけますが、同じ出来事が別作品では異なる視点から描かれたり、一方で起きた出来事が、もう一方の物語へつながったりすることがあります。
一つの作品だけでも楽しめる。
けれど、複数の作品を読むことで、初めて見えてくるものもある。
ぜひ、それぞれの物語をあわせてお楽しみください。
【人間×生成AIによる合作作品】
企画・原案・設定・ストーリー構成:時根脱才
文章制作・構成補助:ChatGPT(OpenAI)
本作品の世界観、キャラクター、各エピソードの原案・展開は作者が制作し、それをもとにAIと相談・推敲を重ねながら、小説として文章化しています。
本作品は「小説家になろう」「カクヨム」の両サイトに掲載しています。




