閑話「あとでね」
閑話「あとでね」
内田紀人 作
セミスピーカの騒ぎから、数日が過ぎた。
◇
「お母さん、あのさ――」
夕方。
さとるが台所へ顔を出すと、お母さんは夕飯の支度をしていた。
その向こうでは、兄弟たちの声が飛び交っている。
「あれどこー?」
「お母さーん!」
「ねえ、これ見てー!」
いつもの家だった。
五人兄弟の真ん中にいる、さとるにとって。
ずっと前から変わらない。
いつもの家。
「お母さん!」
「ちょっと待って!」
さとるより先に、別の声が飛んできた。
お母さんが振り返る。
「あ、ごめん。さとる、何か言った?」
「……うん」
さとるは口を開いた。
今日、学校であったことを話したかった。
でも。
「ごめんね。今ちょっと手が離せないから、あとでね」
「…………」
その言葉を聞いた瞬間。
さとるの胸の奥が、もやっとした。
――あとでね。
前にも聞いた。
その前にも。
あとで。
あとで。
そう言われているうちに。
話すタイミングがなくなって。
誰にも聞いてもらえないような気がして。
もっと大きな声なら。
聞いてもらえるんじゃないかと思った。
「…………」
さとるは、ぎゅっと口を結んだ。
「……さとる?」
お母さんが不思議そうに見る。
さとるは少し迷った。
前なら。
そのまま黙っていたかもしれない。
でも。
「あのさ」
「うん?」
「あとでって言ったけど……」
「うん」
「……ほんとに、あとで聞いてね」
お母さんが目を丸くした。
言ってしまうと。
なんだか少し恥ずかしくなった。
さとるは顔をそらす。
「忘れないでよ」
「うん」
お母さんは。
今度はちゃんと、さとるを見てうなずいた。
「分かった。あとで聞く」
「……約束ね」
「約束」
「…………」
それでも。
さとるは、ほんの少しだけ疑っていた。
だって。
お母さんは忙しい。
兄弟は五人もいる。
誰かが呼べば。
そっちへ行く。
また忘れるかもしれない。
そう思いながら。
さとるは自分の部屋へ戻った。
◇
夕飯が終わった。
お風呂にも入った。
兄弟たちは、それぞれ好きなことを始めている。
さとるは床に座って。
本を眺めていた。
「…………」
今日の話は。
もう明日でもいいかな。
そんなことを考え始めた時。
「さとる」
「え?」
顔を上げる。
お母さんがいた。
「さっきの話、なに?」
「…………」
さとるは。
しばらく何も言わなかった。
「……覚えてたの?」
「約束したでしょ」
お母さんが笑った。
「それとね」
「なに?」
「この前も、学校の話してたよね」
「…………」
「図工で褒められたって」
さとるの目が。
大きくなった。
「……覚えてたの?」
「覚えてたよ」
「…………」
「ちゃんと聞けてなかったけど」
お母さんは。
少し申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんね」
「…………」
さとるは。
何も言えなくなった。
聞いてなかったんじゃない。
忘れてたわけでもなかった。
ただ。
忙しかったんだ。
「……何作ったの?」
「え?」
「図工。先生に褒められたんでしょ?」
「…………」
聞かれた。
あの時。
一番、聞いてほしかったことを。
「えっとね――」
さとるは話し始めた。
最初は。
普通の声で。
「紙とね、箱を使って作ったんだけど――」
「うん」
「最初、全然うまくできなくてさ」
「へえ」
「でも、ここをこうしたらいいかなって思って――」
話しているうちに。
だんだん楽しくなってきた。
「それで先生が、すごくいいって言ってくれて! それで――!」
声が。
少しだけ大きくなった。
「…………あ」
さとるは、自分で気づいた。
お母さんが首を傾ける。
「どうしたの?」
「……なんでもない」
一度。
息を吸う。
そして。
さっきより少し小さな声で。
「それでね――」
続きを話す。
お母さんは聞いていた。
途中で口を挟まず。
さとるの顔を見ながら。
けれど。
「お母さーん!」
別の部屋から。
声が飛んできた。
さとるの顔が止まる。
お母さんも振り返った。
「なにー?」
「ちょっと来てー!」
「…………」
さとるの胸の奥に。
また。
小さなもやもやが生まれた。
――ほら。
やっぱり。
また途中だ。
お母さんが立ち上がる。
さとるは下を向いた。
すると。
「さとる」
「……なに?」
「ちょっと行ってくるね」
「……うん」
「続き、そこからだからね」
「え?」
「先生が褒めてくれた、そのあと」
「…………」
お母さんはそう言って。
部屋を出ていった。
さとるは。
一人になった。
「…………」
少しして。
口元が。
ほんの少しだけ緩んだ。
「……ちゃんと聞いてたじゃん」
小さな声だった。
それで十分。
聞こえる声だった。
◇
翌日。
学校の廊下で。
さとるは、見覚えのある顔を見つけた。
隣のクラスの。
内田則人。
「あ」
則人も。
さとるに気づいた。
二人は少しだけ立ち止まる。
「…………」
「…………」
友達になったわけじゃない。
一緒に遊ぶ約束もしていない。
何を話せばいいのかも。
よく分からない。
則人が。
軽く手を上げた。
「よっ」
「…………」
さとるも。
少し迷ってから。
手を上げた。
「……よっ」
それだけ。
則人はそのまま。
自分の教室へ入っていった。
さとるも歩き出す。
すると。
近くでクラスメイトたちが話していた。
「昨日さ――」
「あ、それならぼくも!」
さとるは。
思わず声を上げた。
みんなが振り返る。
「なに?」
「…………」
さとるは一瞬。
止まった。
前なら。
そのまま話し始めていたかもしれない。
もっと大きな声で。
聞いて。
聞いて。
ぼくの話を聞いて。
そう思って。
でも今は。
「……あのさ」
さとるは。
普通の声で言った。
「ぼくも話していい?」
「いいよ。なに?」
「…………!」
返事が返ってきた。
さとるは笑った。
「昨日ね――」
話し始める。
普通の声で。
まだ。
全部が変わったわけじゃない。
聞いてほしいと思う気持ちも。
我慢するのが嫌になる時も。
きっと。
これから何度もある。
誰かが忙しくて。
「あとでね」
と言うことだって。
きっと、またある。
それでも。
今度は。
ちゃんと。
「あとで聞いてね」
と言える。
誰かが話していたら。
「ぼくも話していい?」
と聞ける。
そして。
普通の声でも。
ちゃんと届くことを。
さとるは。
もう知っていた。
――閑話「あとでね」 おわり
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企画・原案・設定・ストーリー構成:時根脱才
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本作品は「小説家になろう」「カクヨム」の両サイトに掲載しています。




