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着ぐるみモンスター  作者: 内田紀人
フレイムピジョン編

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第8話 何のために走ってるの?



第8話 何のために走ってるの?


「今度は、ちゃんと話したいんだ」


則人がそう言うと、ターボババアは、これ見よがしに深いため息をついた。


「……ほんっとに面倒くさい小僧だねえ」


文句は言う。顔にも思いきり出ている。


それでも、背負った則人を降ろそうとはしなかった。


「今度『もっと速く』なんて言ったら、本当に置いてくからね」


「言わない!」


「本当だろうね?」


「……たぶん!」


「たぶんをつけるな!」


怒鳴り声と一緒に、風が巻き起こった。


ターボババアが地面を蹴る。


ただし、今度はいきなり全速力ではない。


さっきまで二人は、追いついては追い越し、曲がられては行き過ぎ、戻ってはまた追い越す、という追跡とは呼びづらい追跡を散々繰り返してきた。


さすがに、少しは学習している。


「もうちょっとだけ速く!」


「これくらいかい!」


「うん! でも速すぎないで!」


「どっちなんだい!」


「ちょうどいい速さ!」


「それが一番難しいって言ってるんだよ!」


相変わらず言い合いは続いていたが、走りそのものは先ほどまでよりずっと安定していた。


やがて、前方に見覚えのある着ぐるみ姿が見えてくる。


「あっ、いた!」


「見えてるよ!」


「今度は追い越さないでね!」


「何回言うんだい!」


ターボババアは速度を上げながらも、一気には詰めない。少しずつ、少しずつ距離を縮めていく。


コヨーテライダーも、後ろから迫る気配に気づいたらしい。


走りながら、ちらりと横を見る。


「……また来たのか」


「うん!」


「君も暇だな」


「暇じゃないよ!」


即座に言い返したものの、則人はそこで少し考えた。


これまで自分は、ずっと同じことを言っていた。


危ないから止まって。


ちょっと話したいから止まって。


けれど、この青年にとっては、その「止まる」こと自体が無駄なのだ。


止まっている時間が惜しい。


少しでも予定から遅れることが嫌だ。


だから、いくら「止まって」と言っても聞かない。


だったら――。


「ねえ、お兄さん!」


「なんだ!」


「T大に入りたいんだよね?」


青年は前を向いたまま、迷いなく答えた。


「そうだ」


「絶対に?」


「絶対に入りたい。そのために今、やるべきことをやってる」


「ふうん」


則人はしばらく青年の横顔を見ていた。


そして、ごく普通の調子で尋ねた。


「じゃあ、T大に入ったら何するの?」


青年の足取りが、ほんのわずかに乱れた。


「……何?」


「だから、T大に入ったあと」


則人には、本当に分からなかっただけだ。


「大学って、入ったら終わりじゃないんでしょ?」


「当たり前だ」


「じゃあ、お兄さんは大学で何するの?」


「それは……」


返事が途切れた。


ターボババアが、ちらりと青年を見る。


則人も、何も言わずに待った。


三人分の足音と、風を切る音だけがしばらく続いた。


やがて青年が答えた。


「勉強する」


「何の?」


「何って……」


また言葉が詰まる。


則人は不思議そうに首を傾げた。


「お兄さん、大学で勉強したいことがあるから、T大に行きたいんじゃないの?」


「ある」


今度はすぐに返事があった。


「ちゃんとある。だから目指してるんだ」


「じゃあ、それって何?」


青年は口を開いた。


けれど、言葉はすぐには出てこなかった。


忘れたわけではない。


もともと、興味を持ったことがあった。


もっと知りたいと思った。


深く学びたいと思った。


その先を、自分でも研究してみたいと思った。


だから大学へ行こうと考えた。


大学を調べた。


その中でT大を知り、そこを目標にした。


最初は、そうだった。


では最近、自分は毎日何を考えていただろう。


今日は問題集を何ページ進める。


この時間までに、ここまで終わらせる。


模試で何点取る。


判定を上げる。


苦手科目に何時間使う。


いつまでに参考書を終わらせる。


一日でも、一時間でも、一分でも無駄にしない。


そして――T大に合格する。


いつの間にか、そればかりになっていた。


「……お兄さん?」


則人の声で、青年は我に返った。


「今、考えてる」


「走りながら?」


「止まって考える時間はない」


「でも、考えられてないじゃん」


「……」


あまりにもまっすぐな一言だった。


責めたわけでも、からかったわけでもない。


ただ、則人にはそう見えただけだ。


だから青年も、言い返す言葉が見つからなかった。


いつの間にか、コヨーテライダーの速度が少しずつ落ちていた。


ターボババアも、それに合わせる。


則人は、もう一つだけ聞いた。


「ねえ。T大に入ることと、お兄さんがやりたいことって、同じなの?」


「同じ……」


青年はそう言いかけて、黙った。


T大へ行きたい。


それは本当だった。


そこを目指して努力してきたことまで、間違いだったとは思わない。


けれど――。


いつからだろう。


「何を学びたいか」よりも、「T大へ受かるかどうか」の方が大きくなったのは。


大学を調べるとき、そこで何を学べるかではなく、偏差値や判定ばかり見るようになったのは。


他の大学を、「自分に合うかもしれない場所」ではなく、「T大に落ちたときに行く場所」としか考えなくなったのは。


青年の足が、さらに遅くなっていく。


走る。


歩く。


そして――。


ついに、止まった。


数歩先まで進んだターボババアも、それに気づいて足を止める。


則人は背中から降り、青年を振り返った。


自分たちが捕まえたからではない。


行く手を塞いだからでもない。


青年が、自分から立ち止まっていた。


「……止まったね」


則人が言う。


青年は返事をせず、しばらく足元の道路を見つめていた。


ターボババアは腰に手を当て、ぜえ、と息を吐いた。


「最初からそうやって止まってくれりゃ、あたしもこんなに走らなくて済んだんだけどねえ」


「ぼくだって、最初から思いつかなかったんだもん」


「こっちは何往復したと思ってるんだい」


「覚えてる?」


「覚えてないよ!」


「じゃあ同じじゃん」


「そういう話じゃない!」


二人が言い合う声を聞きながら、青年は小さく息を吐いた。


「……T大には行きたい」


則人が振り返る。


青年はゆっくりと顔を上げた。


「それは変わらない。第一志望を変えるつもりもない」


「うん」


則人は、あっさり頷いた。


青年の方が少し意外そうな顔をする。


「……止めないのか?」


「なんで?」


「いや……君は、てっきり」


「行きたいなら目指せばいいじゃん」


則人にとっては、本当にそれだけだった。


青年はしばらく黙ったあと、少し苦笑した。


「君は簡単に言うな」


「だって、お兄さんが行きたいんでしょ?」


「そうだ」


「じゃあ、行けばいいよ」


それから則人は、もう一つ、ずっと引っかかっていたことを尋ねた。


「でもさ。お兄さんがやりたい勉強って、T大じゃないとできないの?」


青年の表情が止まった。


「……それは」


答えられない。


正確には、答えられるほど調べていなかった。


以前なら、他の大学についてももっと中身を見ていた気がする。


何を学べるのか。


どんな研究をしているのか。


自分が興味を持っていることに近いものはあるのか。


けれど最近は、そんな見方をしていなかった。


T大より偏差値が低い。


T大より判定がいい。


滑り止めにできる。


安全圏かどうか。


それだけだった。


「他の大学は……一応、受けるつもりではいた」


「そこでは、お兄さんのやりたい勉強できないの?」


「……分からない」


青年は、少し迷ってから正直に答えた。


「ちゃんと調べてなかった」


その言葉を自分で口にした瞬間、青年は妙な気持ちになった。


合格のためなら、一分も無駄にできないと思っていた。


だから毎日の予定を細かく決め、少し遅れただけでも取り返そうとした。


けれど、自分がこれから何年も過ごすかもしれない場所については、まともに見る時間すら取っていなかった。


「……何やってたんだろうな、僕」


青年がぽつりと呟く。


則人は首を傾げた。


「勉強してたんじゃないの?」


「そうなんだけど……そういう意味じゃない」


青年は思わず笑った。


ほんの少しだけだった。


それでも、則人には、この青年がこんなふうに笑ったのを初めて見たような気がした。


「もう一度、調べてみる」


「T大を?」


「それも。他の大学も」


青年は少し考えながら言葉を続ける。


「滑り止めだから、とか。T大より上か下か、とか。それだけじゃなくて……僕がやりたいことを、本当にできる場所なのかどうか」


「うん」


「その上で、やっぱりT大へ行きたいと思ったら、そこを目指す」


「うん」


青年は一度息を吐いた。


「……たぶん、それでいいんだよな」


則人は少し考えてから答えた。


「ぼくに聞かれても分かんない」


「分からないのかよ」


思わず青年が突っ込む。


「だって、ぼくまだ小学生だもん」


則人は堂々としていた。


青年は一瞬ぽかんとしたあと、今度はさっきよりはっきり笑った。


ターボババアも呆れた顔になる。


「散々偉そうに質問しといて、最後はそれかい」


「でも、ぼくが決めることじゃないし」


「それはまあ……そうだけどね」


則人はもう一度、青年を見る。


さっきまで彼の身体を包んでいた、今すぐ走り出さなければならないという張り詰めた感じは、少し薄れているように見えた。


「じゃあ、お兄さん。もう大丈夫かな?」


「何が?」


「その格好」


言われて、青年はようやく思い出したように自分の身体を見下ろした。


コヨーテライダーの着ぐるみ姿は、まだそのままだ。


「……そういえば、これもどうにかしないとな」


「うん。戻してもらえると思う」


「もらえる?」


青年が聞き返した瞬間、則人の動きが止まった。


「あ」


「どうした?」


則人は右を見た。


左を見る。


後ろも確認する。


道路。


家。


塀。


曲がり角。


知らない景色ばかりだった。


少なくとも、ぬらりひょんがござを敷いてお茶を飲んでいた場所ではない。


「……ぬらりひょん、いない」


ターボババアが眉をひそめる。


「そりゃそうだろ」


「え?」


「あれから、どれだけ走ったと思ってんだい」


そう言われて、則人は改めて周囲を見回した。


「……ここ、どこ?」


「知らないよ」


「えっ」


「知らないって言ってるだろ」


「おばあちゃんが走ってきたんでしょ!」


「誰がおばあちゃんだい! それに、あたしは道なんか覚えながら走っちゃいないよ!」


「じゃあ、どうやって戻るの!?」


「歩けばいいだろ」


あまりにも雑な答えだった。


青年も周囲を見る。


「僕も分からないな」


「お兄さんまで!?」


「走ってる間は、次に行く場所しか見てなかったから」


ターボババアが則人と青年を交互に見る。


「……似た者同士じゃないかい」


則人と青年が同時に彼女を見た。


「何だい、その顔は」


結局、三人は歩くことになった。


とりあえず大きな道まで出れば、どこにいるのか分かるかもしれない。


「こっちかな」


則人が歩き出す。


「本当にそっちかい?」


「知らない」


「自信満々に歩き出したじゃないか!」


「じゃあ、おばあちゃん分かる?」


「知らないよ」


「じゃあ同じじゃん!」


「誰がおばあちゃんだ!」


さっきまで大学や将来について真面目な話をしていたとは思えない言い合いをしながら、三人は角を曲がった。


そして。


「……あれ?」


則人が足を止めた。


向こうから、一人の少年が歩いてくる。


相手も則人を見つけたらしく、同じように足を止めた。


「……則ちゃん?」


「さとる君?」


悟だった。


二人は数秒、無言で顔を見合わせた。


先に口を開いたのは悟だった。


「何やってんの?」


「何って……」


則人は周囲を見る。


さっきまでは知らない場所にしか見えなかった。


けれど、ここに悟がいると思ってもう一度よく見れば、少し先の角も、向こう側に見える建物も、なんとなく見覚えがある。


「……あれ?」


則人は小走りで先へ進み、角から顔を出した。


数秒後。


そのまま固まった。


「ここ……いつも図書館に行く道じゃん!」


「そうだよ?」


悟は不思議そうな顔をしている。


「一本裏の道だけど」


「……え?」


則人はもう一度辺りを見る。


確かにそうだった。


あれだけ走った。


追い越した。


戻った。


曲がれなかった。


また戻った。


同じようなことを何度も繰り返した。


すっかり遠くまで来たと思っていた。


なのに。


「……近っ!」


思わず声が出た。


ターボババアも角の向こうを覗き込む。


「なんだ。近いじゃないか」


「おばあちゃんが言う!?」


「誰がおばあちゃんだい!」


悟は、則人とターボババアのいる辺りを交互に見ながら首を傾げた。


「則ちゃん、ずっとこの辺走ってたの?」


「……たぶん」


「さっきから、すごい勢いで何回か何か通ってたけど」


「それ、ぼくたち……」


則人は、がっくり肩を落とした。


自分としては、とんでもない距離を追いかけ回した気分だった。


ところが実際には、いつもの図書館へ行く道のすぐ裏を中心に、何度も行ったり来たりしていただけらしい。


青年まで、少し呆れた顔で辺りを見ている。


「僕も、かなり遠くまで走ったつもりだったんだけどな……」


「距離じゃなくて、同じ辺りを何回も行ったり来たりしてたんだよ」


ターボババアが言う。


則人はすぐに振り返った。


「誰のせいだと思ってるの!」


「急に曲がる奴が悪い」


「追い越す方も悪いよ!」


「そもそも小僧を背負ってなきゃ――」


また言い合いが始まりかけた、そのときだった。


則人がふと口を閉じる。


「……あ」


「今度は何だい」


「ここが近いってことは……」


則人の顔がぱっと明るくなった。


「ぬらりひょんも、そんなに遠くないよね!」


ターボババアは露骨に嫌そうな顔をする。


悟は何の話か分からないまま、則人を見る。


青年も首を傾げている。


けれど、則人は気にしなかった。


大きく息を吸う。


今日、これをするのは何度目だろう。


そんなことを少しだけ思いながら。


いつもの街へ向かって、思いきり叫んだ。


「ぬらりひょーーーーーん!」


則人の声が、辺り一帯に響き渡った。


――つづく。

本作品を含む、凛監修×生成AI合作作品は、同じ世界観の中でつながるシリーズ作品です。

それぞれ単独でもお楽しみいただけますが、同じ出来事が別作品では異なる視点から描かれたり、一方で起きた出来事が、もう一方の物語へつながったりすることがあります。

一つの作品だけでも楽しめる。

けれど、複数の作品を読むことで、初めて見えてくるものもある。

ぜひ、それぞれの物語をあわせてお楽しみください。

【人間×生成AIによる合作作品】

企画・原案・設定・ストーリー構成:時根脱才

文章制作・構成補助:ChatGPT(OpenAI)

本作品の世界観、キャラクター、各エピソードの原案・展開は作者が制作し、それをもとにAIと相談・推敲を重ねながら、小説として文章化しています。

本作品は「小説家になろう」「カクヨム」の両サイトに掲載しています。

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