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蒼龍と龍王は、無言で碁を打ち続けていた。指先から離れた碁石が、乾いた音を立てる。
まるで、互いの心の距離を測りかねるように、白と黒が盤上に並んでいく。
しかし、いつまでもそうしている訳にはいかない。蒼龍は一歩踏み込むように、黒石を白石の前に打ち込んだ。
「…そう来るか」
大胆な蒼龍の一手に、龍王は思わず感嘆の息を漏らす。
「其方の豪胆さは母譲りか」
龍王はお返しとばかりに、黒石に並べるようにして白石を打つ。蒼龍の眉が僅かに上がった。
「…俺の母は、どんな人物だった」
蒼龍は黒石を摘み、盤上に置く。視線は盤面に落としたままだ。
「華國の皇帝の娘――姫君と聞けば、温婉淑雅、楚々とした美姫を想像するであろう。
其方の母は違った。容姿端麗なのは間違いないが、勇猛にして果敢、剛毅不屈の烈女であった。我が息子と初めて邂逅した時も、容赦なく弓矢を向けられて大変だったと聞く。まるで、手負いの獣のような苛烈さだった、とな」
龍王は語りながら盤面を一瞥すると、盤上の一点を見据え、白石を置いた。静かな音を立てて、白石が指から離れる。まるで、黒石を誘い込むような一手。
「我が息子――其方の父は、全く逆だ。温厚篤実、誰に対しても分け隔てなく接する、優しくて聡明な男であった。
種族はおろか、性格も陰陽の如き二人。不自由な環境で育った若者が惹かれ合うのは、不思議な話ではなかったのかも知れぬな」
龍王の声を静かに聞きながら、蒼龍は白石に寄り添うように、次の黒石を打つ。
「其方の父は温厚だったが、一度決めたら梃子でも動かぬ頑なさがあった。だから、其方の母と共に、この谷を去った。その後は…話した通りだ」
龍王は白石を静かに打ち、絞り出すように呟いた。
「我は、どうして間違えたのか……我が息子を失い、其方から父のみならず母までも奪った。我が手元には、後悔のみが残される」
龍王は目を閉じ、眉を強く寄せた。
龍王の自責の念を断ち切るように、碁石を打つ乾いた音が響く。龍王は目を開けた。
蒼龍が黒石を碁盤に打ち込んでいた。
「後悔など誰にでもある」
蒼龍の指が碁石から離れ、ゆっくりと盤上へと上がる。
「だが、後悔に囚われていては何の意味もない。その後にどう生きていくべきか――その事を考えた方が良い。老い先短いならば、尚更だ」
蒼龍は龍王を真っ直ぐ見据えた。龍王も顔を上げ、蒼龍を見る。
二対の藍色の瞳が、静かに交わった。
「お前は残り少ない時間を、王ではなく祖父として俺と過ごしたいのだろう。血縁で家族を語ろうとは思わんが、祖父と分かった以上、俺は最期まで付き合う。
だから…それ以上後悔ばかりするな。祖父と孫として、互いに知らない事を知っていこう」
龍王の瞳が、大きく見開かれた。
盤上の白と黒は、二人の心の距離を示すが如く、いつの間にか混じり合っていた。
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紅達は、シャクティの口利きで「龍の谷」の書架を訪れていた。
「ここには龍人族の歴史書が集まっている!好きに見ていいとの事だ!」
シャクティが馬鹿でかい声を上げる。閲覧室で静かに本を読んでいた龍人達の視線が、一斉に向けられた。
「ここってどう考えても、静かに過ごさなきゃいけない場所だよね」
アオイが呆れた顔でシャクティを見た。
少年が言うには、紅に瓜二つの少女が「龍の谷」を訪れた事は、二百年前の歴史書に書かれていたという。その年代の書物を探し出し、閲覧室へ持ち込む。
両手で抱えるのがやっとといった巨大な書物の頁をアオイが捲り、右から紅が、斜め後ろからアンバーが覗く。卓は紅の隣で、複雑な表情を浮かべて書物を眺めていた。
「何だこれ」
「……全く読めない」
アンバーが呆気に取られ、アオイが眉を顰める。紅も、卓さえも思わず困惑した顔になる。
本には、見た事もない形の文字が並んでいた。
「…ああ、古代龍語で書かれているな!そりゃ読めんだろう!」
机を挟んで向かい側から、シャクティが書物を覗き込んで言った。アオイの背後に回り込むと、腕を伸ばして該当する頁を開く。アンバーが感心したようにシャクティを見る。
「お前龍語も読めんだな」
「ユピテルたる者、知識だけは豊富だからな!」
シャクティは少し得意げに鼻の下を擦ると、相変わらず落雷のような声量で音読を始めた。
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「『第八代龍王御代記
――八代目龍王は、剛毅にして仁慈、威厳にして慈愛たる女王であった。全ての者の母の如く、常に民を想い、民を愛し、民を護る事に尽力していた』」
「先代龍王さんは、女の人だったんだ!蒼龍のお爺ちゃんのお母さんって事だね!」
紅は謎の文字が踊る歴史書を覗き込み、嬉しそうに言った。
「『龍人族は世界各地に散らばり繁栄した結果、数を増やし、他種を蔑み、支配するようになった。
力ある者が弱き者を蹂躙してはならない。強者が台頭しては世界が滅びる――女王は龍人の暴挙を許さず、やがて「龍の谷」へと一族を呼び戻した。従わない者は、自らの手で屠った。世界の均衡を崩さぬ為の、苦渋の決断であった。
しかしながら、龍人の驕りは止まらず、狭い谷に押し込められた一族の不満は燻るばかりだった。
現状を憂い、護るべき民に追い詰められた女王は、「滅びの隣人」と出会った』」
「…何だか随分と物騒な名前が出てきたね」
アオイが眉をひそめ、片眼鏡を押し上げた。
「『「滅びの隣人」は、女王に告げた。
「世界の脅威となり得る危険な種族など、自らの手で終わらせてしまえばいい」
疲れ切っていた女王は、「滅びの隣人」の言葉に身を委ねようとしていた』」
「おいおい女王様、それはねえだろ…」
アンバーは不快感を露わに、顔を思いっきり顰めた。
「『しかしそこに、一人の少女が現れた。炎の民、名を緋夕深緋と云った』」
突然出て来た、緋夕の名――紅と同じ、炎帯人の象徴である姓。
「…え?」
紅は驚きのあまり、目を大きく見開いた。アオイとアンバーも、思わず紅を見る。
卓は何かを悟ったように目を閉じ、掌を握り締めた。
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今より二百年前。
龍人族の行く末について、深く思い悩んでいた八代目龍王である女王の元に、一人の人物が現れる。
「自分の子供達の愚かしさに絶望しているんだね…可哀想に」
その人物は自らを「滅びの隣人」と名乗り、女王の耳元で囁いた。
「民の愚行の責任を負うのは、王の役目…自然界の理を理解しない愚かな民など、いっそ自らの手で滅ぼしてしまえばいい。何より、貴女が楽になれる」
女王の中で、破滅的な衝動が膨れ上がっていく。女王の顔色を見て取り、その人物は満足そうに口元を歪め、音もなく去っていった。
時を同じくして、「龍の谷」にふらりと一人の炎帯人が現れる。柘榴色の瞳と燃えるような赤い髪、小さな身体に飄々とした雰囲気を纏い、それでいて龍人にも臆さず、どこか威圧感すら漂わせる、何とも不思議な少女であった。
「炎の民が、どうしてここへ?」
女王が問うと、少女は首を傾げ、にべもなく告げた。
「何となく。滅びの気配を感じたから」
少女の言葉に、女王は目を細める。
「…それならば、ここは其方の来る場所ではない。我らが求めるものは『破滅』であり、『再生』ではない」
「それ、何であんたが勝手に一人で決めてんの?」
少女は真っ赤な目を炎のように揺らめかせ、女王を睨み付けた。迸る圧に、女王は僅かに眉を寄せる。
「人類なんてもんはね、人間、龍人に限らずみんな馬鹿なんだよ。争いながら、間違えながら、迷いながら、それでも生きて、過ちを繰り返さないように次の世代へ繋げていく。
――それが、命の循環ってもんでしょうが。その循環を、王であるあんたが止めてどうすんの」
少女の真っ直ぐな言葉に、女王は息を呑んだ。
女王の反応を一瞥すると、少女は肩を竦める。
「…ま、とりあえず私はしばらくこの谷に居させてもらおうかな。あんたが変な気起こさないように見ておきたいし、龍人族がどんな連中かも知りたいし」
そう言い残し、あっさり踵を返して玉座の間から去ろうとする少女に、女王は慌てて声を掛けた。
「其方!…名は何という?」
少女は顔だけを振り向かせ、ふ、と笑って答えた。
「緋夕深緋」




