2
落雷の音に流石に目が覚めたのだろう、宿の二階の一室の窓が開いた。
「蒼龍どうしたの!?」
アオイが音もなく窓から飛び降りて駆け寄ってくる。夜着にも着替えず、やたら重たい白衣のみを脱ぎ旅装のまま眠る暗殺者は、こういう時の行動も神速だ。
「朝ご飯…?」
紅が眠そうに目を擦りながら、窓から顔を覗かせる。髪はボサボサだ。
「まだ夜じゃねえか…」
アンバーも半分寝ぼけた状態で窓際に寄ってきた。何故か下着一丁なのはいつもの事で、もはや見慣れた姿である。
「アンタ、外見るならせめて何か羽織りなさいよ…」
ピンクのネグリジェが妙に乙女チックな卓も、窓から外を眺めた。そして、蒼龍の傍に倒れるシャクティの姿に気付く。
「あら?その子…」
「知り合いか」
蒼龍が卓を見上げる。卓は窓枠に腕を付き顎を乗せて、溜息と共に答えた。
「知り合いっていうより、この前話した『とんでもないコ』よ。そのユピテルに関わると、碌な事がないわ」
卓の顔からは、うんざりした様子がありありと窺えた。
-----
翌朝、五人は宿の食堂で、いつものように二十人前の朝食を囲む。
「変な時間に目覚めたから、お腹空いちゃった!」
「紅ちゃんはいつでも腹ペコよねえ?」
「だからって何でオレの皿からチーズ取ってくんだよ!?」
「アンバーがお酒ばっかり飲んで隙だらけだからだよ」
「紅、足りないなら追加を頼め」
朝から戦場のような食卓に、宿の亭主は半泣きになっている。
そして食堂の隅には、縄でぐるぐる巻きにされて放り出されている青年が一人。
「あの…こちらの方は…?」
「そのうち目覚めるでしょうから、放っといてちょうだい」
遠慮がちに尋ねてくる亭主に、卓は目玉焼きの黄身を白身に絡めて口へ運びながら答えた。
やがて、ぐううう…という妙な音が食堂に響き渡る。
「嬢ちゃん、食い意地張り過ぎだろ」
「私じゃないよ!」
ジト目で睨んでくるアンバーに、紅は思わず抗議の声を上げる。
音の出所は、縛り上げられたシャクティの腹だった。目をゆっくり開くと、目の前に広がる食事の山に表情を輝かせる。
「…朝飯か!いいな!オレにも食わせろ!」
芋虫のようにじたばたするシャクティに、アオイは冷たい視線を送る。
「勝手に攻撃を仕掛けてきた人間が、厚かましい事この上ないね」
「アオイ、構わん。食べさせてやれ」
蒼龍はシャクティからすっかり戦意が消えている事を察し、アオイに縄を解いてやるように促す。隣のテーブルから椅子を引くと、一人分のスペースを作った。アオイはしぶしぶ、シャクティの縄をナイフで切る。
「お前いい奴だな!」
シャクティは解放されたと同時に、放電の音と共に椅子に飛び移る。間髪入れずにナイフとフォークを掴むと、朝食に食らいついた。ハム、チーズ、サラダにパン、並んでいた料理が、吸い込まれるようにして消えていく。
「『能力者』ってのは食欲全開モンスターなのかよ」
アンバーが心底呆れたように見つめ、ビールを煽った。
「で、シャクティちゃんは何でロンロンに喧嘩売ってたのよ?」
卓が既に何個目か分からないパンにバターを塗りながら、シャクティに尋ねる。シャクティは顔を上げ、ようやく卓の存在に気が付いた。
「…妙に迫力がある性別不明の人間がいると思ったら、卓じゃないか!久しいな!」
「アンタの言い方も大概失礼ね!」
機嫌を損ねる卓を無視して、シャクティは蒼龍に向かって告げた。
「簡潔に言うぞ!蒼龍、お前は龍人の王――龍王の孫だから、跡を継いで龍人達の長になる資格がある!だからオレは、お前を龍の谷へ連れて来いとの命を受けた!」
「……………」
突然降って湧いた話に、五人は揃って困惑顔になる。念の為、アオイが蒼龍に確認する。
「…蒼龍は自分が龍王の孫だって事、知ってたの?」
「知らん」
「でしょうねえ」
表情一つ変えずに首を振る蒼龍に、卓は肘を付き溜息を吐いた。
今度はシャクティが困惑顔になる。
「お前まさか、自分が龍王の血を引いてるって知らないのか?」
「俺の両親が人間と龍人だったという事は知っているが、龍王など聞いた事もない。誰だ」
「マジかよ…」
シャクティは絶句し頭を抱える。しばらく沈黙した後、顔を上げた。
「…仕方ない!説明するから聞いてくれ!」
「面倒だな」
「いいから聞け!」
身も蓋もない蒼龍の態度に、シャクティは思わず叫んでから語り出した。
-----
ここより北東へ進んだ先に、華國という国がある。国土には峰々が連なり、その中でも一際大きな峰は蓬莱山といい、古来より「霊山」と呼ばれ、人々の畏敬の対象とされた。
そしてその奥深く、人間ではとても踏破出来ない場所に、「龍の谷」と呼ばれる地があるという。名の通り龍人達の故郷であり、龍人に招かれない限り、辿り着く事はおろか、その存在を確かめる事さえ出来ない。正に秘境であった。
今より二十年ほど前の話。
華國には濡羽色の髪の、大変見目麗しい姫がいた。その美しい容姿に似合わず、性格は苛烈であり、一人で蓬莱山へと出向いては狩りを楽しむ程であった。
ある日、姫は大変珍しい白い鹿を深追いする余り、道に迷ってしまった。途方に暮れていたところ、一人の青年と出会う。青年は群青色の艶やかな髪と夜空のような藍色の目を持ち、顔以外は全身を真っ青な鱗で覆われている――龍人の王子であった。
偶然なのか必然なのか、二人は互いに惹かれ合い、やがて愛し合うようになった。
この世界は人間と亜人が交わる事に、基本的に寛容だ。しかし、人間の姫と龍人の王子となれば、話は別である。
二人は理解を得られず双方の種族から猛反対に遭い、遂には国を捨て、失踪した。その時には既に、姫の胎には子が宿っていたという。
-----
「…で、その子供というのがお前だ!」
シャクティは皿に残っていた最後のハムをぺろりと平らげながら言った。
「その後、お前の両親は嶺國へ流れてひっそり暮らしていたようだが、龍人達に見つかってしまってな!龍人の王子はそのまま龍の谷へと連れ戻されてしまった!」
「じゃあ、ロンロンのお父さんである王子サマが龍王になるのが順当じゃなくて?」
「それがそうもいかなくてな!」
卓の疑問に、シャクティが僅かに顔を曇らせて答える。
「王子はその後すぐ、亡くなってしまったんだ!恐らく、愛する者達と引き離された事が原因じゃないかとオレは思っている!」
「…胸糞悪りぃ話だな」
アンバーが顔を思い切り顰めて、酒の入ったグラスを煽った。
「その点はオレも同意だ!だがな…」
シャクティは雷のように馬鹿でかかった声のトーンを、一段落とした。
「今、龍王自身が余命いくばくなんだ。ユピテルは龍人とは繋がりが深いし、オレ自身龍王には世話になった。だから…」
シャクティはそこで言葉を切り、蒼龍に向かって勢いよく頭を下げる。額がテーブルにぶつかり、激しく音を立てた。
「…龍王に会ってやって欲しい。頼む」
蒼龍はシャクティの姿を、複雑な表情で眺めた。
蒼龍は自らを異形のものとして卑下していたが、両親に怨みなど抱いてはいない。むしろ微かに残る記憶の中の両親の姿には、優しい温もりがあった。僅かな時間であるにしろ、愛してくれた事は間違いなかった。
その両親の正体が、思いがけない形で判明した。しかも自分にはまだ血縁が居て、尚且つ死の淵にいるという。
一度に押し寄せた情報に戸惑い、思わず横に座る紅を見る。紅はシャクティの話を気にする様子もなくひたすらパンを頬張っていたが、蒼龍の視線に気付くとパンを千切る手を止めた。
「蒼龍がちょっとでも気になるなら、会ってみない?お爺ちゃん死にそうなんでしょ?
いい人だったら会えて良かったで終わるし、もし嫌な奴なら一発ぶん殴って帰ればいいし!」
紅の物騒な発言に、アンバーが思わず口に含んでいた酒を吹き出す。アオイが汚い、と言った風に顔を顰めた。
「紅ちゃん、その解決法好きねえ…」
卓が呆れた様子で笑った。
龍王がどうの、自分の出自がどうのという話ではなく、単純に「行ってみて、嫌なら帰ればいい」という発想。
蒼龍の口元が少し緩んだ。
「…そうだな」
蒼龍はシャクティに視線を移した。深い藍色の瞳が、シャクティを見据える。
「行こう。龍の谷へ案内しろ」




