その男、過保護につき
亡霊騒動からひと月近くが経ち、五人は東の国を目指して旅を続けていた。
今日は満月が空に昇る夜。街道沿いの森の中、人目に付かないところで野営を組む。蒼龍の作る豪華な野営飯で腹を満たし、アオイが淹れるお茶を飲み一息付いた頃、空の一番高いところに満月が近付いていた。
それを見て、蒼龍は立ち上がった。
「行く?」
「ああ」
短いやり取りだけで紅も立ち上がる。二人は焚き火から距離を置いた。
満月が天頂に輝いた。
月光を浴びた蒼龍から鱗が噴き出し、あっという間にその身を包む。その身体はみるみるうちに大きくなり――青く美しい龍へと変貌を遂げた。抜け落ちた鱗が、天から降ってきた星のようにきらきらと舞う。
龍が紅に向かってその首を垂れる。紅は鬣に捕まってよじ登ると、大きな金色の双角の間に収まった。
「いいよ蒼龍。行こう!」
紅の掛け声と共に龍は首をもたげると、その大きな翼を広げ、月が照らす夜空へと向かって羽ばたいた。
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一瞬の突風を残して舞い上がっていく龍の姿を、地上に残った三人は見守った。
「今月もありがたくいただくぜ」
今や月に一度の大事な収入源だ。アンバーは地面に散った鱗をくまなく拾い集めると、皮袋に大切に仕舞い込む。そして焚き火の前に座り込みスキットルを手に取ると、蓋を開けてぐびりと飲み出した。
「初めて見た時は腰抜かしたけど、今じゃすっかり見慣れちゃったわね」
卓は初めて龍化を見た時、驚きのあまり卒倒した。だが、すぐに「アタシも乗せてちょうだい!」と強請り、蒼龍に断られていた。今ではもう諦めて、地上での月見酒を決め込んでいる。ビール瓶を直飲みし、龍が泳ぐ夜空を眺めた。
「月見酒には贅沢過ぎる景色だな」
「毎回、乙な光景よねえ」
アンバーと卓は、スキットルとビール瓶をかちり、と合わせた。
アオイはしばらく龍を見上げていたが、ふいに首を傾げる。
「…あれ?」
「アオちゃんどうしたの?」
卓が尋ねると、アオイは片眼鏡に指を添えて、目を凝らすようにして龍を見る。
「蒼龍、紅に結界を張ってるかも」
「え?」
アオイの言葉に、卓は立ち上がってまじまじと龍を見る。アンバーも眉を寄せて眺めた。
「…あら、確かに張ってるわねえ」
卓は思わず口に手を添える。
龍の上に跨る紅。
空高く飛ぶ龍の速度は恐らく飛空艇よりも速いだろう。しかし、その髪の毛も服の裾も、風にはためく様子はほとんど見られない。紅の周りだけ、空気の流れが明らかに違う。
「…確かによく考えりゃ、あの高度で生身ってのは無理があるよな」
アンバーはやれやれといった風に、大きく息を吐く。
「てっきり炎帯人だから大丈夫なのかと思ってたけど…」
「炎帯人も流石にそこまで丈夫じゃないわよ」
アオイの言葉に、卓は思わず苦笑いして再び座り込んだ。
「まあ、無意識だろうな。理性がなくても、嬢ちゃんを護るのを忘れてねえってこった」
「…凄いね」
「重いわねえ」
アンバーが呆れたように笑う。アオイと卓も、顔を見合わせて困ったように吹き出した。その笑いは、どこか優しさを含んでいた。
そもそも、蒼龍の保護精神は今に始まった事ではない。
どこへ行くのも、その巨体で四人を庇うように歩く。
ひとたび戦いが起これば、何も言わず前線に出て皆を護る。
腹が空けば飯を作り、金銭をしっかり管理し、喧嘩が起これば仲裁に入り、体調が悪ければ看病する。
知らず知らずどころか、はじめから蒼龍は四人にとって「保護者」であった。
そんな中でも、小さくて人一倍お人好しで、無鉄砲で危なっかしい少女に対する蒼龍の保護者っぷりは、誰が見ても明白だ。
危なければ迷わず腕を引く。
抱きついて来る身体を自然に受け止める。
飯の支度をし、遅くならないように「もう寝ろ」と声を掛け、常にその傍に居る。
その光景は、二人の旅に順番に加わっていった三人にとっては、当たり前のように繰り広げられていたものだった。
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そんな地上の様子を知る由もなく、紅と龍は月夜の空中散歩を満喫していた。
「蒼龍!今日も綺麗だね!」
目の前に広がる空と大地、そして海を眺めながら紅が嬉しそうに喋り掛ける。龍には答える術はないが、どこかしら嬉しそうに喉を鳴らす。
紅がふいに鬣に強くしがみ付く。
「ねえ蒼龍…こうやって、ずっと一緒に空を飛べたらいいね」
その言葉に、龍の翼の動きが少しだけ柔らかくなり、深い藍色の双眸がゆっくり細められる。
その眼差しは、どこまでも優しかった。
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やがて紅は龍の背で眠りにつき、龍は音もなく静かに地に降り立つ。
小さな寝息を起こさぬよう翼を静かに閉じて首を下ろすと、双角の間から鬣を伝って、ゆっくりと紅の身体が滑り落ちた。
龍はそのまま首と尾で紅の身体を優しく包み込み、自らも躯を丸める。
紅を護るように、囲むようにして、龍も眠りについた。
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翌朝、小鳥達のさえずりにアンバーは目を覚ます。日の昇り具合からまだ時間は早い。二度寝を決め込もうと寝返りを打った。
「…あー……」
目に入った光景に、思わず声が漏れる。
「…何よ」
隣で寝ていた卓が不機嫌そうに目を開ける。アンバーは無言で顎をしゃくる。卓はアンバーが示す先に目を向けると、ゆっくりと口元に手を持っていった。
アオイも二人の気配に目を覚まし身体を起こすと、二人と同じ方向に目をやる。
「…へえ」
アオイの口から、感心したような呆れたような声が出た。
三人の視線の先には、紅と、龍の姿から戻った蒼龍が眠っている。
蒼龍は腕の中に、紅をしっかりと抱え込んでいる。
紅は蒼龍の腕の中で、道着の合わせを握り締めて丸くなっている。
卓が微かに笑った。
「…戻っても離さないのねえ」
アンバーも笑うと、目覚めの一杯とばかりに、傍のスキットルに手を伸ばす。
「理性が戻っても本能は継続中ってか」
アオイは肩を竦め、小さく微笑んだ。
「…呆れた過保護だね」
三人が見守る中、紅と蒼龍は安心しきった様子で静かに眠る。
目覚めるまではまだ少し、時間がかかりそうだ。




