卓ちゃんの華麗な一日・後
鐘楼が正午の鐘を鳴り響かせる頃、卓は既に疲れ切った顔でビストロのテラス席に座っていた。向かいにはやたらニコニコした青年、シャクティが座っている。
「さっきはなかなか面白かったな!」
「アタシはもうクタクタよ…」
二人は鴨肉のコンフィを十人前ずつ注文し(ウェイターの唖然とした顔は無視した)、卓はピッチャーからグラスへ水を注ぐと、一気に飲み干す。冷たい水が心地良く身体に染み渡る。
午前中あれだけ騒がしかったのだ。午後からは流石にゆっくり過ごせるだろう。いや過ごしたい。心の底から過ごせる事を願っている。
しかし、神はこの男に平穏などお与えにならないのである。
「ここの鴨肉美味いな!」
そもそも、目の前ですごい勢いでコンフィを貪り食う青年がついて回る限り、平穏など絶対に訪れる訳がない。卓はコンフィを頬張りながら、深々と溜息を吐いた。
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無事に腹も満たされ、午後の街を並んで歩く二人。街の中心地に近いこの周辺は、市庁舎などと並んで劇場が併設されていて、一層賑わいを見せている。
「あら、なかなか珍しい演目ね」
劇場前を通り、垂れ幕に掲げられた題を見て卓は興味を示す。芸術に造詣の深い卓は、気に入った演目の内容はほぼ完璧に覚えていた。シャクティは垂れ幕を読む。
「『魔弾の』…?不思議な題材だな!」
「二百年前の伝承を基にしたものよ。今じゃ魔弾鋳造は禁術だし、あまり上演機会はないわね」
まあ、身近に作って使ってる奴はいるけど。卓は心の中で呟いた。
突然、背後から卓の肩ががっちりと掴まれる。
「……渡りに船」
声を掛けられ振り向いた卓は、肩を掴む人物の姿を認めると、さあっと顔色を変えた。
いつぞやの劇団の団長の姿が、そこにはあった。
「嫌よ」
「まだ何も言ってません!!」
劇団長は即座に拒否する卓の肩を掴んだまま、早くもこめかみに青筋を立てて血走った目を向けてくる。
「男優の一人が昨夜、酔っ払って階段を踏み外して骨折してしまったんです!重要な悪役を演じていて、抜けてしまったら劇が成り立ちません!」
「代役はどうしたのよ?」
「そいつも一緒に酔っ払って転落して骨折しました!」
「どうなってんのよアンタんとこの劇団員!?」
「あと一時間ほどで開演なんです!今のところ興行は順調なので、このまま千秋楽まで何とか穴を空ける事なく続けたいんです!!いや続けないといけないんですうぅ!!!」
恐らく大パニックなのであろう、幕を開けることに執着した劇団長の顔はもはや正気ではなく狂気である。その迫力に抗う事は出来ない。
「分かった、分かったわよ!!やるわ!」
「ありがとうございますうぅ!!!」
開演まであと一時間、卓は引き摺られるようにして楽屋へと連行された。
「なあ!オレも何か手伝えないか!?」
一緒に楽屋へ押し掛けながら、シャクティが余計な一言を言う。
「ちょうど照明班が一人欠けているのでお願いします!!」
「ソイツはどうしたのよ?」
「昨日一緒に酔っ払って階段からダイブしました!!」
「アンタの劇団今すぐ全員禁酒しなさい!!」
シャクティは照明室へ連れて行かれ、卓はそのまま楽屋でメイクを施される。
「どうして毎回こうなっちゃうのかしら…」
パフで思い切り顔を叩かれながら、渡された台本に目を通しつつ卓は呟いた。
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舞台の幕が開き、ピットよりオーケストラの緊迫感溢れる演奏が流れる。
とある青年は、恋人と結婚する為に射撃大会で優勝しなければならないが、絶賛スランプに陥っている。そこへ仲間の男が、狙った的は百発百中になる「魔弾」を作ろうと青年を唆す。誘惑に負けた青年は男と共に魔弾を作るが、それこそが男の狙い。魔弾を利用して青年と恋人を葬り去ろうと目論んでいた――
舞台に立った卓は、悪役の男として完璧に役に入り込んでいた。言葉巧みに青年を誘惑し、悪魔と取引をし、自らの企みを仄めかしていく。悪役とは思えない妖艶さ、そして美しさ。観客はおろか、劇団員の目をも釘付けにする。ただの民間伝承劇がいつの間にかピカレスク・ロマンに路線変更していた。
夜更けに青年を誘い出し、荒れ果てた谷間で共に魔弾を作る男。
「鉛、教会の割れた窓ガラス、少しの水銀、既に命中した銃弾が三発――」
材料を述べながら、男は小鍋に材料を落としていく。
「ブッポウソウの右の目玉に、オオヤマネコの左の目玉…?」
ここで男――卓は、疑問を抱く。
何日かに一度、実際に魔弾を鋳造している狼のような髪をした男。
(アイツ、こんなエグい材料使ってたかしら?)
しかし今は公演中、すぐに役に戻ると演技を続ける。
鋳型に流し込んだ魔弾を取り出す。一つずつ鋳型から落としていく度に、周囲には嵐の気配が立ち込めていく。
ここで卓は再び、疑問を抱く。
最後、七つ目の魔弾を取り出そうとする瞬間、演出上は稲妻と雷鳴が炸裂するはずである。
(雷の演出って多分……照明がやるのよね?)
同じ頃、照明室ではシャクティが場面に合わせて魔道具の照明を操作していた。同じ雷系統とだけあり、やたらと上手い。
「あんた凄いな、説明もなしに器用に操作してくれる」
照明班の班長はご満悦だ。シャクティは台本のト書きを読みながら、とある一文を見つける。
『ここで稲妻の閃光とともに、雷鳴が轟く』
「稲妻か!どうやるんだ!?」
「え?そりゃ、照明器具を最大限に発光させて目潰しを…」
「そんなんじゃ物足りないだろう!オレに任せておけ!」
全く意図が読めない班長を放置して、シャクティは照明室を飛び出すと舞台上の梁へと向かう。ちょうど卓の真上に到着すると、その場にしゃがみ込む。
「…よし!」
何も知らない卓を見下ろしながら、今か今かとその場面を待ち侘びた。
そして、この幕最大の見せ場、七つ目の魔弾を取り出す瞬間が訪れる。
「ここだ!!」
シャクティは舞台上の小鍋へ向かって指を振り下ろした!
シャクティの指から眩いばかりの稲妻が迸る!稲妻は目を焼くように光り、舞台上の小鍋を正確に撃ち抜く!と同時に、劇場を破壊せんとばかりに雷鳴が轟いた!オーケストラの音楽は最高潮に達し、客席から悲鳴が上がる!
卓は目を剥いて天井を仰ぐ!梁の上から、シャクティがニコニコと呑気に手を振っているのが見えた。
(…あんのバカあぁぁぁぁあ!!!)
「『さあ悪魔よ!!俺を呪うがいい!!!』」
卓は怒りに身を任せながら、しっかりと台詞を叫ぶ!迫真の演技(?)に、劇中にも関わらず万雷の拍手とブラボーの嵐が巻き起こる!
「素晴らしい……!大成功だ……!!」
舞台袖では劇団長が感動の余り大号泣していた。
迫力のある演出と鬼気迫る名演に、劇場は大興奮に包まれた!卓は舞台上でぼやく。
「結果オーライなのが腹立つ」
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鐘楼から夜七時を告げる鐘が鳴る。日はすっかり暮れ、町は魔道具の光で溢れ返る。
「……疲れた」
卓は酒場のカウンターで、ワイングラスを片手に突っ伏す。その隣では、シャクティがご機嫌な様子でワインをかっぱかっぱ飲んでいる。
せっかく一人でゆっくり過ごそうと思ったのに、全然ゆっくり出来なかった。流石にもう何も起こるんじゃないわよと思いながら、グラスを傾ける。
だがしかし、酒場で乱闘騒ぎが勃発する。至るところでテーブルや椅子がひっくり返り、皿やグラスが割れる音が響く。
「喧嘩か!止めるぞ!」
乱闘騒ぎに突っ込んでいくシャクティ。
「悪魔、実際アタシを呪わなくていいのよ?」
卓は天を仰いで呟く。
居合わせてしまったなら仕方がない。グラスをカウンターに置くと、指一本で静電気入りのデコピンを打ちまくるシャクティに続いて卓も乱入した!ワインを引っ掛けて目を潰し、ワイン瓶で殴り、足を引っ掛け必要とあれば金的をかます。あっという間に乱闘を制圧した。
「他の客に迷惑をかけない事!いいわね!!」
「はあい……」
乱闘騒ぎを起こしていた面子をボコボコにした挙句正座させ説教する。何故かシャクティも正座している。全員から大人しい返事が返って来た事を確認して、卓は自分の席へ戻った。
「いやあ、お前といると飽きなくていいな!」
「誰のせいだと思ってんのよ…」
半分以上目の前の青年のせいな気がする。豪快に笑いながら乾杯してくるシャクティに、卓はジト目を返した。
「お前は美しいし強いし、何よりも生命力に溢れている!だから…」
シャクティは一旦言葉を切り、真剣な眼差しになる。雷鳴のような大声から一転し、しっとりとした声で続けた。
「オレのパートナーにならないか?」
「え?」
卓は予想だにしなかったシャクティの言葉に、思わずワインを煽る手を止める。
「…アタシ、男よ?」
「知っている。ユピテルには男女の垣根など存在しない。共に笑い、泣き、愛し合い、老いていきたいと思った相手がパートナーだ。
オレはお前の事が心底気に入った。理由は充分だろう?」
シャクティの真っ直ぐな言葉に、卓は一瞬瞠目すると、少し照れたように目を伏せた。
「……ありがと。本当に嬉しいわ。
でも、ごめんなさい。アタシにはもう、とびきり騒がしい家族がいるの。今はその子達の隣に居たいのよ」
卓は四人の顔を思い浮かべる。
明るくて人一倍お人好しの少女、無愛想を顔面に貼り付けた青年、壊れそうで放っておけない少年、大人なんだか子供なんだか分からないおっさん。
いつの間にか、卓にとって大事な家族になっていた。
シャクティは卓の顔を少し名残惜しそうに見ると、再び破顔した。
「そうか!なら仕方ない!家族には勝てないからな!」
そう言うとグラスを置き立ち上がり、居住まいを正す。卓も立ち上がり、ショールを羽織り直した。
「卓、また会おう!今度は友として!」
「ええ…またね」
二人は固く握手を交わし、そして酒場を出る。そのまま振り返る事なく、別々の方向へと歩き出した。
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「卓お帰り!」
宿に戻った卓を、紅が満面の笑みで出迎えた。既に夕飯を済ませているのだろう、テーブルの上には空っぽの皿が山のように積み上がり、宿の亭主が半泣きになっているのが見えた。
「随分遅かったな」
蒼龍が席を空け、一人分のスペースを作る。
「次の目的地も目星付けておいたよ」
アオイが閉じかけていた地図を広げる。
「飯残してあるけど食うか?」
アンバーが卓の前に、取り分けておいた皿を押しやる。
その光景に、卓は小さく笑った。
帰る場所があるっていうのは、やはりいい。
「…ありがと。いただくわ」
卓は席に着く。
「卓、今日は何してたの?」
身を乗り出して聞いてくる紅に、卓は苦笑を返した。
「それがねえ、とんでもないコに逢っちゃって大変だったのよ。朝から…」
卓の話に興味津々で耳を傾ける四人。
いつもの五人の姿が、そこにはあった。
「ところでアンバー、魔弾作る時に動物の目玉とか使ってないわよね?」
「は?んな気味悪りぃモン使う訳ねえだろ」
「やっぱりそうよねえ」
「何の話だよ」
劇団の演目は、オペラ「魔弾の射手」がモチーフというか、ほぼそのまんまです。




