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満月を背に空へ向かって咆哮を上げる、蒼龍だった龍。
月の光を受けて鈍く輝く群青色の鱗は幾重にも重なり、その体躯が容易に貫けない事を物語っていた。しなやかな肢体は岩どころか山をも容易く砕かんとばかりに筋骨隆々とし、手足の先端には大地など簡単に切り裂いてしまえそうな大きく鋭い鉤爪が凶暴に光る。背に背負うは、一振りすれば暴風を巻き起こさんとする、張りのある皮膜に覆われた大きな翼。
頭頂には天に向かって伸びる一対の黄金の角、その下から背、そして長く太い尾にかけて流れる青い鬣。口元から覗くのは、鉤爪同様に尖った獰猛な牙。深い藍色の双眸は眼光鋭く、全てを射抜くような光を湛える。
あまりにも神々しく、あまりにも圧倒的。
紅はその姿を見上げ、感嘆の息と共に呟く。
「綺麗…!」
龍は周囲を一瞥すると、前脚を振り上げ、狐狸精の群れへ向かって振り下ろした!衝撃波と共に切り裂かれる狐狸精達。周囲の樹々も薙ぎ倒される!
「うわ…!」
紅は狐狸精と一緒に吹き飛ばされるかと、目を閉じて身構える!が、衝撃どころか風圧すら来ない。恐る恐る目を開くと、龍の尾が紅の身体をしっかりと支えていた。
「護ってくれてるの?」
紅の言葉に、龍が答える事はない。ただ、目の前の狐狸精の群れにひたすら爪を振り下ろし、顎で噛み砕き、攻撃を加え、蹂躙していくだけ。樹々は折れ、大地は砕ける。
更に龍は天に向かって吠える。すると、みるみるうちに雷雲が集まり、空に光が走り――
「わ!それは流石に…!!」
やりすぎたら麓の里にも被害が…!と紅が叫ぶ間もなく、幾本もの雷が狐狸精達に向かって降り注いだ!狐狸精達は眩い光にその身を焼かれ、耳をつんざくような落雷の音と共に地面へ倒れ伏していった。
雷雲は一瞬の内に霧散し、再び満月が顔を出す。先ほどまで森の中に溢れていた禍々しい気配はすっかり消え去り、残されたのはおびただしい数の狐狸精達の遺骸。
「……すごい」
紅は龍の尾に巻かれたまま、呆気に取られていた。
龍は天を仰ぐと、おもむろに翼を広げ飛び立とうとする。紅は急いで納刀すると咄嗟に尾に生えた鬣を掴み、そのまま器用に背中を伝って龍の頭頂部にある角の間にすっぽりと入り込んだ。
龍は紅を振り落とす事なく、そのまま地を蹴り、空へと舞い上がった。
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「わあっ……!」
夜空の中、紅が目を輝かせる。
地上より遥かに近くなった満月。眼下には、月明かりに照らされた森が、先ほどまでの闘いなど嘘のように静かに横たわっている。崑崙山脈の麓には、点在する里や村の小さな光、そして山脈が切れる先にはまだ見た事のない海、水平線。
空から眺める世界がこんなに美しいとは、想像だにしなかった。
「すごいね!月も、森も山も海も綺麗!蒼龍もとても綺麗!」
野営の辺りを見下ろして、紅はふと気付く。ちょうど野営地を起点に山脈方面へ向かって、半円状に樹々が薙ぎ倒され地表が剥き出しになっていた。
まるで麓に生きる人々を背に護っているようだった。
「蒼龍、ちゃんと里の事も護ってたんだね」
紅は嬉しそうに龍の頭に抱き付き、鬣を優しく撫でた。龍も静かに喉を鳴らす。その瞳からは、先程までの鋭い眼光は消え去り、温かい月の光を宿していた。
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同じ頃、桔梗の里では、満月の夜に合わせて地上から皆で祈りを捧げていた。里長が祝詞を読み上げる。
三年前より突如、満月の夜になると龍が来るようになった。それまで狐狸精の襲撃に怯える日々だったが、龍のお陰か狐狸精が里まで降りて来る事はなくなり、そればかりか畑では豊作、年中花が咲き乱れる美しい里になった。
「今月も龍神様が里を護って下さった」
水仙も、満月を背景に空を泳ぐ龍に向かって感謝の意を込めて手を合わせていた。
「龍神様、ありがとうございます」
水仙は静かに呟く。
そこに含まれるのは、敬いと畏れ。
里の者は知らない。
里を護っている青く美しい「龍神様」の正体が、蒼龍だという事を。
そして今、龍の背に、一人の少女が乗って大喜びしている事を。
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崑崙山脈の合間から朝日が昇り、森を明るく照らしていく。鳥の声に、地面に横たわった蒼龍はゆっくりと目を覚ました。
目に映るのは、満月の夜が明けた後、毎度変わらぬ光景。薙ぎ倒された樹々、地割れを起こした地表、原型を留めていない狐狸精達の死体。
そして――自分の胸元に潜り込むようにして倒れている、紅の姿。
「……!?」
まさか、遂に人を殺してしまったのか――蒼龍の顔から血の気が一気に引いていく。恐る恐る紅の肩に手を掛けようとした、その時。
「むにゃむにゃ…蒼龍ご飯……」
紅が涎を垂らしながら、寝言を呟いた。
固まる蒼龍。
ややあって、肩に掛けようとしていた手をそのまま自らの眉間に持っていき、深く安堵の溜息を吐いた。
「生きていたか……良かった……」
しばらくして紅が目を覚ます。
「目が覚めたか」
寝ぼけ眼を擦って起き上がると、新たに薪を集め、火を焚いて湯を沸かす蒼龍の姿があった。蒼龍が土遁で片付けたのであろう、あれだけたくさん積み上がっていた狐狸精の死体は跡形もない。薙ぎ倒された樹々も薪として使えるよう丁寧に纏められ、割れた地表も塞がっている。点在する紅花翁草だけが、朝露を湛えて揺れていた。
「蒼龍流石だね…後片付けも完璧」
「褒め言葉として受け取っておく」
欠伸をしながら居住まいを正す紅に、蒼龍は入れたばかりの茶を渡した。紅はそれを受け取り、静かに啜る。今朝はどうやら少し牛乳が足されているようだ。まろやかな味わいが優しい。
「蒼龍、昨日楽しかったよ」
「!?」
紅の言葉に、蒼龍は思わず口に含んだ茶を吹き出す。何を言っているんだという顔で紅を見ると、紅は嬉しそうな顔をしている。
「蒼龍、昨日龍になったよね?空飛ぶ時に乗せてもらって、すっごく楽しかった!」
「…怖くないのか?」
「何が?」
「俺だ。俺は人ではない。龍の血が混ざった、満月の夜にだけ龍に変貌する異形の者だ。そして…」
蒼龍はそこで言葉を切り、目を伏せると両手で飲杯を強く握り締める。
「森を荒らし狐狸精を蹂躙する、恐ろしい化け物だ」
「でも、私の事も里の事も護ってくれたよ?」
紅の言葉に、蒼龍は顔を上げて紅を見直す。紅は心の底から嬉しそうな、楽しそうな笑顔だった。
「蒼龍は人間の時も優しいけど、龍の時も優しかったよ。それに…化け物なんかじゃない。龍になった蒼龍はとても綺麗だった」
龍になった自分を「化け物」ではなく「綺麗」とは、予想だにしなかった言葉。呆気にとられる蒼龍に、紅は首を傾げた。
「覚えてないの?」
「ああ、龍になった時の記憶は残らない」
答える蒼龍に、紅は少し考えてから再び破顔した。
「それなら、私が蒼龍の分までちゃんと覚えてるからいいよ!」
その言葉に、蒼龍の胸の奥で何かが変わる音がした。
その音は、柔らかく優しく、どこまでも温かいものだった。




