3
蒼龍の庵から少し山を降りた辺りで、紅達は野営の支度を始める。薪を集めたところに、蒼龍が懐から取り出した符を一枚投げ入れ短く「敕」と唱えると、火遁――薪が赤く染まり、やがて温かな炎となった。
その火で湯を沸かし茶を淹れる。蒼龍から飲杯を受け取り、紅は啜る。良い香りと共に、柔らかな味が満腹の胃に沁みた。
「蒼龍って何でも器用に出来るんだね。ご飯もお茶も美味しいし、火の起こし方も上手だし」
「火を起こすのは道術を使えば簡単だ。使えなくとも、一度火が点けば、そこから火を育てるのはさほど難しくはない」
「火を育てる?」
「植物と同じようなものだ。小さいうちは消えないように守り、大きくなってきたらこちらが無理に手を加えたりせずに見守る。大きくなり過ぎたら少し手を加える。そうすれば火自身が自然と燃える」
「なるほど。私、火を起こすのは得意なんだけど、火力を調整するのは苦手なんだよね。薪に火を付けたら、大体火柱が上がって一瞬で燃え尽きちゃう」
「……」
どんな火の起こし方なんだ、火力の強い魔道具でも使っているのかと疑問に思ったが、蒼龍は敢えて突っ込まなかった。
紅は明々と燃える焚き火を見つめながら、蒼龍に尋ねた。
「蒼龍は料理とか道術とか、誰かに教えてもらったの?」
「ああ、この山に棲む仙人に教わった」
「どんな人?」
「一言で言えば『鬼』だな」
首を傾げる紅に、蒼龍は紅と同じように焚き火を見つめながら語る。
「修行に関しては容赦なしだった。棘だらけの谷底に放り込まれたり、氷のように冷たい滝壺に放り込まれたり、棍一本で狐狸精を倒して来いと言われたり」
「うわあ…」
ドン引きの紅に、蒼龍は燃える炎から目を離さずに言葉を続けた。
「だが、どうしようもなく危険な時は必ず救ってくれたし、病気の時は面倒を見てくれた。食事の時間などは他愛もない話を交わして楽しかった。俺にとっては、かけがえのない『祖父』だ」
しかし、そんな「祖父」を自分は傷付けてしまった。
蒼龍は目を伏せる。燈照仙人の庵を出て以来、もう三年も会っていない。自分には会う資格がないとすら思っている。
「蒼龍は仙人に愛されてるんだね」
その言葉に、蒼龍が顔を上げる。紅は蒼龍の顔を覗き込んで、微笑んだ。
「だってこんなに色んな事教えてもらって、困っている時は助けてくれて。愛がないと出来ない事だよ」
羨ましい、と紅が呟く。
「私ね、一年くらい前からの記憶しかないし、家では『何もしなくていい』って本当に何もさせてもらえなくて。大切にされてたんだろうけど、それって何か違うと思うんだ。自分で色々出来るように導いてあげるのが、本当の愛なんじゃないかなあって。
だから蒼龍は、仙人からたくさんの愛をもらったんだね」
蒼龍は瞠目した。
なぜ忘れていたのか。
初めて龍と化して以来、異形の者ゆえ誰からも愛されないと思い込んでいたが、そうではなかった。蒼龍は既に、数多くの愛を受け取り、その愛はこうして今も生活の中に息づいていたのだ。
遠い記憶、今はもう顔も思い出せない父と母。
そして厳しくも優しく導いてくれた、怪我させられようとも決して自分を責める事のなかった、燈照仙人。
蒼龍は眉間に手を当て、深く息を吐く。目元は少し、潤んでいた。
「……ああ、そうだな」
「…そうだ。蒼龍、私に火の育て方教えて?」
紅は良い事を思い付いたと手を打ち、蒼龍に乞う。蒼龍は軽く口角を上げて応えた。
「まずは一瞬で燃え尽きるという、火の起こし方から見せてもらおうか」
その時、獣の遠吠えが森に響き渡った。
-----
紅は傍に置いた刀を手に取り、隙なく周囲に気を配る。既に鯉口を切り、いつでも抜刀出来る様子だ。
「何匹だ」
焚き火に砂を掛け火を消しながら、蒼龍が問う。
「…斥候が四匹、森の奥には…少なくとも二十匹以上」
「そのようだな」
自分と全く同じ紅の見立てに、蒼龍は感心する。「強い」と自負するのは、あながち嘘ではないようだ。
しかし。
(いつもより数が多い)
蒼龍は少し焦る。既に月は天頂に近づきつつある。月が昇り切る前に何としても狐狸精を退治し、この場を去らなければならない。
「来る!」
紅が叫んだ、と同時に、真っ白い大きな獣が四匹、不気味な唸り声を上げながら飛び出してきた!
蒼龍は印を組み、予め野営地の周囲に仕込んでおいた水遁の力を解放する!
「敕!」
地中の水分が凝縮され、何本もの水柱となり地表へと突き出す!地面より水の矛で貫かれた狐狸精が叫び声を残して絶命する。
しかし、一匹がその攻撃から逃れ、紅へと襲い掛かった!
「はっ!」
気合い一閃、紅は居合術で狐狸精を一刀両断に斬り伏せた!そのまま肩越しに構えると、隙なく次の攻撃に備える。
「また来る!」
再び森の中から狐狸精が、今度は三匹固まって飛び出して来る!
「うーん、面倒!」
紅が両手で柄を力強く握ると、身体中から蒸気が上がり、炎の刃が生まれる!炎を纏った刀で横一文字に薙ぐと、狐狸精達は一気に焼かれ、灰となって散っていく。その灰が地に落ち、紅花翁草が花開く。
「炎帯人か」
「びっくりした?」
「いや、便利な能力だ」
言いながら、蒼龍は続いて出て来た狐狸精の爪を土遁で防ぐ。炎帯人である事に動揺しない蒼龍の態度に、紅は嬉しくなって思わずにんまりしてしまう。
「こんな時に何を笑っている」
「…何でもない!」
蒼龍は紅が戦いやすいように、攻撃を水遁から木遁に切り替えた。樹々の枝が槍となり狐狸精を地に縫い留めると、紅の炎が木の槍ごと燃やし尽くす!仕留め損ねた狐狸精は、蒼龍が土遁で押し潰していく。
地面には狐狸精の死体が幾つも転がり、その間に紅花翁草が次々と咲き誇っていった。
-----
どの位の時間が経っただろうか。狐狸精の死体の山はどんどん嵩を増し、紅花翁草は生い茂っていくが、狐狸精は森の中から次々と湧いて出て来る。その度に紅が炎で薙ぎ払い、蒼龍が土遁で地中に閉じ込めていくが、それでもその勢いは衰えない。
森中の狐狸精が集まっているのではないかという猛攻が続いていた。
突然、蒼龍がその場にがくりと膝を付く。
「蒼龍!?」
紅が駆け寄るが、蒼龍は目を剥き、肩で荒い息を繰り返す。ちらりと空を見上げると、いつの間にか満月が空の一番高い所に昇っていた。
(しまった……!)
全身が粟立ち、血が逆流を始める。
「紅……なるべく遠くへ…離れろ!!」
その言葉を最後に、蒼龍の全身から群青色の鱗が湧き出し、その身体をあっという間に包み込む!
「え!?」
唖然とする紅を他所に、鱗に包まれた蒼龍の身体はみるみるうちに大きくなり――
その姿は、巨大な龍へと変貌を遂げた!
※焚き火に砂を掛けて消していますが、キャンプ等で実際に行うのは危険ですのでお控え下さい。




