医者の不養生・後
アオイは寝台の中で完全に弱っていた。頬だけが赤くなり、息は若干上がっている。
「昨日ずぶ濡れだったからな」
蒼龍は厨房から貰ってきた氷で氷嚢を作ると、アオイの額に乗せてやる。
「アオイごめん…私の事庇ったからだよね」
紅が眉を寄せて悲しそうな顔をする。アオイは薄目を開けて、弱々しい声を出す。
「…泳げない君が落ちた方が危険だった。だから、気にしなくていい」
「……でも、アオイ死んじゃうんでしょ?」
「……え?」
アオイは思わずぽかんとする。紅の大きな目に涙が溜まり、ぽろぽろと溢れ落ちた。
「だって…臙脂が『風邪ひいたら死にますよ』って…!すっごい怖いものだって……!!」
完全に飛躍した発想で泣きじゃくる紅を、四人は困惑顔で見つめる。アンバーが何か聞きたそうな顔で卓を見ると、卓はこめかみを押さえて溜息を吐いた。
「炎帯人は体温が高いから、菌が身体に入ってもすぐ死滅するの。だからよっぽど運が悪くないと風邪なんかひかないし、ひいたらひいたで死ぬだの何だの大騒ぎなのよ」
「風邪菌すら燃やすくせに面倒臭え奴らだな」
アオイが布団から手を伸ばし、紅の頭を撫でる。
「紅…この程度の風邪で死ぬ事はないよ。少し休めば大丈夫だから」
「本当に?」
「本当。僕は治癒師だから、自分の体調くらい分かる」
「…良かったあ」
紅は安心したように、ふにゃりと笑った。
「分かったら大人しくしておけ」
「うん!」
蒼龍に言われ、紅はアオイの寝台の近くに椅子を持って来ると腰掛けた。
「……」
「……そんなに見られたら落ち着かないんだけど…」
にこにこしながら凝視してくる紅に、アオイは居た堪れなくなり口元まで布団を被って呟く。
「せめて隅の方に座っていろ」
「はい」
蒼龍の言葉に素直に従うと、紅は椅子を持って大人しく隅っこに移動した。
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アンバーの中の記憶が蘇る。七回目の人生、幼い息子が熱を出して寝込んでいる時、妻と交代で必死に看病した。早く熱が下がるように、早く元気になるように祈った。
そして今、弱りきったアオイを目の前にして、何とも言えない気持ちになる。
「アオイ、大丈夫か?」
「…大丈夫じゃないから寝てるんだけど」
「水は要るか?」
「…さっき蒼龍が飲ませてくれた」
「腹減ってねえか?」
「…食欲ない」
「じゃあ何か甘いもんは?」
「……?」
明らかに様子のおかしいアンバーに、アオイは怪訝な顔になる。
どうやら「父性」という妙なスイッチが入ってしまったようだ。声と目元がいつもより圧倒的に優しい。
アンバーは止まらない。
「後で厨房借りて、甘いもん作って持ってきてやる。それから――」
そう言って自分の荷物から、いつものスキットルを取り出す。
「酒だ。アルコール消毒すりゃあ」
「アンバー」
栓を開け飲ませようとするアンバーの手を、蒼龍が鷲掴みにする。
「何だよ」
「お前も隅の方で大人しくしていろ」
「はい」
アンバーも蒼龍の言葉に従うと、紅の隣に椅子を並べて両足を抱えて座り込んだ。
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卓はいつもと違うアオイの様子を、眉を八の字にして見つめていた。自分も炎帯人の端くれ、当然風邪などひいた事がないし、見た事もない。ただ、当人が辛そうなのは分かる。
目の前のアオイの姿と、先程の紅の涙もあって、言いようのない不思議な気持ちがむくむくと膨れ上がる。
「アオちゃん、可哀想に…お姉ちゃんが今、汗拭いてあげるからね」
「……え?」
濡れた布で顔と首周りの汗を拭いてやりながら、謎の言葉を漏らす卓に、アオイは眉をひそめる。
「…僕、身内にオネエさんはいないけど」
「あらやだ忘れちゃったの?アンタがこんなに小さい頃から面倒見てきてあげたじゃない」
「…知り合ってまだ一年も経ってないよ」
アオイの弱々しいツッコミなどどこ吹く風、卓は止まらない。
「アンタのオムツまで変えた事あるのよアタシ」
「…初めて会った時、僕もう17歳だったんだけど」
「アンタが初めて歩いた時の事もよく覚えてるわ」
「……」
アオイの頬を撫でながら、卓は遠い目をする。アオイの顔に恐怖の色が浮かんだ。
卓は心配を通り越して、「母性」という名の記憶の捏造を行っている。もはや狂気でしかない。
卓は止まらない。
「アンタってホント我慢強いんだから。初めて転んだ日だって――」
「卓」
完全にイってしまった目で次々とありもしない思い出話を語る卓の肩を、蒼龍が掴む。
「何よ」
「それ以上病人を追い詰めるな。隅の方で大人しくしていろ」
「はい」
卓も蒼龍の言葉に従うと、紅の隣に椅子を並べて足を組み座った。
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蒼龍は手際良くアオイの看病をする。
汗をこまめに拭いてやり、溶けた氷嚢を替える。水を求めれば水差しから飲ませてやる。宿の亭主が持って来たお粥を食べさせてやる。
窓を少し開けて換気をし、寒そうにしていれば毛布を掛ける。
「随分慣れてんな」
アンバーがその様子を眺めて感心した。蒼龍は驕る事なく、淡々としている。
「師匠の二日酔いの介抱で慣れている」
「…それは看病とは違うんじゃないかしら」
「さして変わらん。しかも師匠は、頭痛、吐き気、脱水症状、食欲不振、寝汗、不機嫌に加えて、隙を見て迎え酒をしようとしていたから、下手な病人より質が悪かった」
「だいぶ訳が違うだろ」
師匠の二日酔いから身に付いた妙に高度な介抱スキルに、卓とアンバーは思わずツッコミを入れた。
だが、献身的な看病のお陰で、いつもなら「自分で出来る」というスタンスのアオイが、無防備に蒼龍に頼りきっている。
「蒼龍…喉渇いた…」
アオイが呟けば、蒼龍は上半身を起こしてやり、水を飲ませる。
「ちょっとシーツが捻れて気持ち悪い…」
身体を支えて敷具を整えて、寝苦しくないように調整してやる。
「お粥熱いから冷まして…」
一口ずつ冷まして、ゆっくり口に運んでやる。
熱でほんのり上気した赤い頬も相まって、普段のアオイからは想像出来ないような、破壊力満点の姿だった。
「…アオイ可愛いね」
「可愛いな」
「可愛いわね」
三人はアオイの顔を覗きながら、思わず漏らす。
「……出てって……」
アオイは掠れた声で言うと、恥ずかしそうに布団を頭から被る。蒼龍は三人の方へ向くと問答無用で告げた。
「出ていけ」
「はい」
三人はすごすごと部屋を後にした。
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部屋の窓から真っ赤な夕焼けの光が差し込み、しばらく眠っていたアオイは目を覚ます。傍では相変わらず蒼龍が椅子に座っていた。目を閉じて瞑想をしているようだ。
「……蒼龍」
すっかり掠れてしまった声で呼びかけると、蒼龍は目を開き、深い藍色の目でアオイを見た。額に手を当て、熱があるか伺う。まだ少し熱い。
「まだ熱はあるな」
「そうみたい…」
蒼龍の冷たい手が心地良い。アオイはぽつり、と呟くように言う。
「…蒼龍」
「何だ」
「まだここに…居てくれる?」
「ああ」
蒼龍は頷くと、手早く氷嚢を取り替えた。アオイは安心したように一息付き、目を閉じた。
「…可愛いね」
「あいつ弱ったらあんななるんだな」
「やっぱアタシが近くで看病した方が」
薄く開いた扉から、三人の顔が覗き込んでいる。
「……見ないで……」
アオイは布団に潜り込み、恥ずかしそうに声を絞り出す。蒼龍は眉間に手を当てて溜息を吐く。
「見てないで飯でも食べてこい」
「はい」
三人の頭が引っ込み、扉が静かに閉じられた。
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翌朝、カーテンの隙間から差し込む柔らかな朝の光に、アオイは再び目を覚ました。
どうやら熱は下がり、まだ少し怠さは残るものの身体は動きそうだ。起き上がると、寝台の横に誂えられた小さなテーブルに、温かいお粥と共に紙片が添えられている事に気付く。
『目が覚めたら食べろ』
達筆な蒼龍の字。
『早く元気になってね!』
紅らしい軽快な文字。
『死ぬなよ』
アンバーの雑な殴り書き。
『無理しちゃダメよ♡』
やたら美文字な卓。ハートマークまで付いている。
そして階下の食堂から、いつも通りの騒がしい声。
「どれも美味しいねえ!」
「嬢ちゃん、オレのハム取るんじゃねえ!」
「アンタが酒ばっか飲んでボサっとしてるから取られんのよ!」
「パンとハムと茹で卵を追加で30個ほど頼む」
「勘弁してくれえぇぇぇえ!!」
宿の亭主の悲痛な叫び声が上がった。
相変わらずの四人の様子に、アオイは紙片を手にしながら思わず笑みを零す。
「勘弁してくれ、か…」
紙片を持つ指に力が入り、その顔が歪む。
「勘弁してくれよ……」
壁に掛けられた自らの白衣、その右ポケットに入るもう一枚の紙片。
『暗殺対象 コウ・ヒユウ
対象者となるべく長い時間、共に過ごす事』
温かい。居心地が良い。そして大事な人。
長い時間共に過ごすからこそ、その想いは大きく膨らみ――自らの心を壊していく。
それでも今はまだ、この心地良さに浸っていたい。
アオイは軽く首を振る。
何となく一人で食べるのが嫌で、お粥を手に持つと、騒々しい四人が居る食堂へと向かった。




