賭博場・後
バーカウンターに並んだ色とりどりのチケッティに、紅の目は釘付けになる。
「ここからここまで全部ください!」
本来であれば酒と共に少量を頼むものであるが、この少女は食に全振りしているらしい。バーテンダーは困惑しつつも、小皿に盛り付ける。
「そんな小さいお皿じゃなくて、もっと大きなお皿で貰えるかな?」
バーテンダーは更に困惑する。大皿に二人前ほどを盛る。
「ああもう、そうじゃなくて…あのお皿に山盛りにしてくれないかな?」
紅が指差したのは皿ではなく、給仕が使っている巨大な銅製のトレンチだった。バーテンダーは困惑に顔を歪めながら、トレンチに十人前を盛り付ける。紅は嬉しそうに受け取った。
「いただきます!」
目の前でみるみるうちになくなっていくチケッティ。あっという間にトレンチの上は空になっていた。
紅は物足りないようにお腹をさすると、再び口を開く。
「…同じ量、おかわりしていいかな?」
用意していたチケッティが、たった一人の少女に食い尽くされるかもしれない危機。バーテンダーの顔は真っ青になった。
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蒼龍は隅のソファに腰掛け、目を閉じていた。寡黙な性格通り、賑やかな場は苦手である。
眉根を寄せて難しい顔をしていると、隣から声を掛けられる。
「お疲れですかな?」
目を開き声の方を向くと、そこには上品な身なりの、いかにも人の良さそうな老人が笑顔を浮かべていた。
「いや、場に慣れていないだけだ」
「そうでしたか。まあ、この様に人々の欲望が渦巻く場所、慣れろという方が難しいでしょうな」
真っ当な老人の言葉に、蒼龍は瞠目する。
真っ白な髪に真っ白な髭を蓄えた好々爺然とした風貌。どこかしら燈照仙人を思い起こさせる。老人は煙管をふかし、蒼龍に微笑みかける。
「若い方。せっかくですし、少し老人の世間話に付き合っては貰えないかな?」
「…いいだろう」
蒼龍は懐かしい思いも相まって、自然と頷いていた。
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アオイはポーカーのテーブルで、人々を観察する。
最初の数戦は普通に勝つ。だが、相手の顔色を読み、ここぞというところで――敢えて負ける。
「残念だったわね」
負けが続いていた御婦人が、嬉しそうに微笑む。これで相手には「自分の方が強い」という自尊心が生まれる。
「うーん、やはりなかなか上手くいかないですね…」
アオイは情けない表情を作り、再び勝負に挑むフリをする。御婦人も同じように賭けてくる。
「奥様は随分この辺の事情に詳しいようですが、何か面白い話をご存知なのでは?」
「あら、そう見える?面白い話といえば、ここから東の国で妙な研究が流行っているようねえ」
自尊心が強い人間は、面白いくらいよく喋ってくれる。少しきっかけを掴んでしまえば、後は簡単。
アオイはポーカーに負けているのではない。ポーカーを使って情報を買っているのだ。
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「さあ、今度こそ決めるわよ!」
ブラックジャックに興じる卓は、鼻息荒くカードを捲る。
「18…いける!」
ディーラーが伏せ札を捲る。
「ブラックジャック」
「……」
再び賭け金を置く。ディーラーがカードを配る。卓の手元には合計20のカード。
ディーラーが伏せ札を捲る。合計は10。
「よし…今度こそ…!」
ディーラーがカードを引くと、スペードのエースが出る。
「21」
「……」
卓の顔が真っ赤になる。ここで引いたらオネエが廃るとばかりに、賭け金を置く。手札は11。
「ダブルダウンよ!」
賭け金を倍にして、カードを一枚引く。ハートの10。合計21。
「勝ったあぁぁ!!」
卓は思わず立ち上がり、ガッツポーズを決める。しかし。
「ブラックジャック」
ディーラーのカードは、スペードの10とジャック。
「…………」
卓はゆっくり座り直すと、テーブルに肘を付いて項垂れた。
「……ねえ。このテーブル、アタシに対して何か恨みでもあんの?」
「卓だけに」
「上手い事言ってんじゃないわよ!」
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アンバーはルーレットの前に座り込んで、ひたすら賭け続ける。
二百年近く人生を繰り返してきたアンバーにとって、賭け事は趣味の一つと言っても過言ではない。モンク僧だった三度目の人生でさえ、師匠の目を盗んで賭場に通っていたほどである。勝てば金が手に入る単純さと、命を張らなくても出来る人間同士の駆け引きが、何ともたまらない。
今のところ順調に勝ち続け、手元の資金は潤っていた。
「今日はオレはツイてる」
勝ち分を眺め、アンバーは満足そうに頷いて笑った。一気に勝負を仕掛けようと、賭け金を倍に増やす。
「黒だ!」
ボールは黒に落ちる。
「おっしゃ!」
アンバーは調子に乗って、賭け金を吊り上げていった。
だが、二百年近く経験値を積んでも一向に学習しない事がある。
調子の良い時ほど、引き返す勇気を持つ事。
そして、勝つ確率以上に、負ける確率が存在するという事である。
「…………」
赤に落ちたボールを眺めて、アンバーは呆然としていた。
つい半刻前まで勝っていたはずである。だが、彼の前にあれだけ積まれていた賭け金は影も形もなく、綺麗さっぱり消え去っていた。
アンバーは口をぱくぱくさせながら、すっからかんになった目の前とディーラーの顔を交互に見る。ディーラーは静かに首を振った。
「……終わった…」
アンバーはふらふらと椅子から立ち上がり、おぼつかない足取りで歩き出す。直後、同じようによろよろと歩く卓とぶつかった。
「お前…」
「……」
完全に死んだ目でアンバーを睨む卓の顔に、アンバーは全てを察する。
「…まあ聞かなくても、てめぇの運のなさは分かる」
「うるさいわね」
賭博場に着いた時、あれだけ元気だったダメな大人二人は、全てを搾り尽くされて完全に打ちのめされていた。
どよんとした空気を撒き散らしながら歩く二人に、音もなくアオイが合流してきた。もはや驚く元気もない。
「その顔は順調に負けてきた、で合ってる?」
「うるせえな」
悪気なさそうに尋ねてくるアオイに、アンバーはジト目を返した。卓もジロリと睨みながら口を開く。
「アオちゃんはどうなのよ」
「僕はわざと負けた」
「え?」
「その代わり、面白い話はたくさん仕入れたよ」
「お前はギャンブルを何だと思ってんだ」
「情報収集の手段」
「目的が間違ってるでしょうが」
卓が呆れたように肩を落とした。
その後ろから、紅が飛び付いてきた。蒼龍も一緒だ。
「卓どうしたの?元気ないね!」
アンバーは元気の良い紅の様子に、一筋の希望を見出す。
「嬢ちゃんはしっかり強運発揮出来たんじゃねえか?」
「何が?」
紅はきょとんとした顔を返す。
「アンバーの言ってた通り、酒場のご飯は美味しかったよ」
「…どれくらい食べたのかしら?」
「お金使い切っちゃうくらい!」
賭博場で賭博をする事なく、全財産を失う少女が爆誕していた。アンバーと卓は思わず両手で顔を覆う。アオイは溜息を吐いて、蒼龍を見た。
「結局、蒼龍以外はお金を使い切ったって事だね」
「……」
「蒼龍?」
「…実は俺も使い切った」
「……は?」
全員が固まる。蒼龍は申し訳なさそうに口を開いた。
「老人に誘われるまま、麻雀に興じてしまった。師匠に雰囲気が似ていたので油断した。
そもそも、師匠も博打癖が悪かったのをすっかり忘れていた」
「見事にカモられてんじゃねえか」
アンバーは肩をがっくりと落とし、全員を見渡した。豪華な衣装に身を包んでいるが、中身はただの文無し集団だ。その懐には誰一人、一銭も残っていない。
「オレら結局、全員すっからかんかよ」
五人は項垂れたまま、賭博場を後にする。
迫力満点だった到着した時とは正反対の様子に、コンシェルジュの二人は心配そうに後ろ姿を見送った。
「賭博場って怖いですね…」
一人がぽつり、と呟いた。
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五人はそのまま街を後にすると、一瞬で無駄遣いをした反省の意味も込めて、その夜は野営をする事にした。
翌朝、蒼龍はいつも通り誰よりも早く目を覚まし、焚き火に火を入れようと身体を起こす。ふと枕元に、小さな革袋が置かれている事に気が付いた。中身はちょうど、昨日卓が払った衣装代と同じくらいの金銭。
蒼龍が目覚めた気配を察したのか、革袋を置いた張本人が寝返りを打つ。
「……あー…」
薄目を開けたアンバーが、革袋を持つ蒼龍の顔を見て気まずそうに目を逸らす。
「これはお前の金か」
「まあな。昨日最初に勝った分だけ取っといた。卓に渡しといてくれ」
「本人に渡せばいいだろう」
「…んな恥ずかしい事出来るかよ」
アンバーは寝っ転がった状態のまま、右手で首筋を掴んだ。そして再び寝返りを打つと、蒼龍に背を向ける。
「まあ、聞かなかった事にしてくれ」
「分かった」
蒼龍はそれ以上何も言わない。焚き火に火を付けると、川魚でも釣りに行くのか、立ち上がる気配がした。
アンバーはその気配を感じながら、二度寝しようと目を閉じ、息を吐いた。
「……ったく」




