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レジデンツの回廊を、テオドールは二人の侍女に半ば引き摺られるようにして走る。応接室では敵味方入り乱れての混戦だったのに、回廊は不自然なまでに静まり返っている。そして、響くのはテオドールの足音だけ。
「……!!」
テオドールは漸く違和感に気付き、二人の手を力一杯振り払い拘束から逃れる。掴まれていた手首には、手の跡が残っていた。
「お前達、何者だ!?」
「…王子様もなかなか鋭いねえ」
侍女の一人がにやり、と笑うと、胸元から短剣を取り出して振り被る!テオドールの顔に絶望の色が浮かぶ。
「死ねえっ!!」
短剣が振り下ろされようとした瞬間、侍女の身体が不自然に傾ぐ!侍女は白目を剥くと、口元から軽く泡を吹いて倒れた。首筋には恐らく毒物が入っていたであろう、注入器が刺さっている。
「ひっ…!?」
テオドールは思わず腰を抜かし、その場に尻餅を付く。もう一人の侍女が、冷たい目をして見下ろしていた。
「子供に苦痛を与えようとするなんて最低ね…私の流儀じゃない」
凍り付くような声で独り言ちると、一瞬の内に制服を脱ぎ捨て、自らの顎元に手を掛けて仮面を剥ぎ取る。
その下から出て来たのは、黒一色の衣装に身を包んだ細い肢体と、白銀色の髪と薄いビリジアングリーンの瞳――ヴェルデ。
へたり込むテオドールの前にしゃがみ込むと、左手を伸ばしテオドールの頬に添える。黒いグローブ越しに伝わってくる冷たい感触に、テオドールは震えた。逃げなければいけないのに、恐怖で身体が動かない。
「ごめんなさいね…苦しまないように、一瞬で葬ってあげる」
ヴェルデはそう言うと、恐らく先程侍女の首筋に刺したものと同じであろう、腰に下げていた注入器を右手に取る。首筋に充てがう為、その手をゆっくり持ち上げ――ほんの一瞬、宙で止まった。
その瞬間を逃すまいと、細く鋭い光が空気を切り裂く!ヴェルデの手から注入器が弾き飛ばされ、ガラスが割れる小さな音を立てて床に落ちた。ヴェルデは手を押さえ、視線のみを動かす。
視線の先には、アオイの姿があった。ヴェルデは表情こそそのまま、忌々しげに呟く。
「…邪魔しないで」
「無理。僕の仕事は殿下の護衛だから」
アオイは臆せず二人に歩み寄る。ヴェルデは立ち上がり、目を細める。
「殿下を殺すのは、僕を倒した後にして…姉さん」
アオイは片眼鏡を外し、胸ポケットに仕舞う。そのまま白衣を脱ぎ、庇うようにテオドールの頭に被せた。テオドールはその重さに絶句する。ベルトに下げたシリンダーや内ポケットに仕込まれたあらゆる薬品が相まって、普段は軽く見えていた白衣は、信じられない程の重量があった。
アオイとヴェルデは目と鼻の先ほどの僅かな距離を残し、対峙する。エメラルドのような、二対の美しく昏い瞳が静かに見つめ合う。
「…じゃあ、姉弟喧嘩ね」
ヴェルデの一言を残して、二人の姿はテオドールの前から、消えた。
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アオイのワイヤーとヴェルデの毒針が宙を舞い、互いにぶつかる。銀色の光が燭台の光に反射して煌めく。
テオドールは回廊の柱の陰で二人の戦いを呆然と見守る――いや、何が起きているのか全く見えない。
二人の動きは、目にも止まらぬ神速。
ヴェルデがアオイの間合いに踏み込み、太腿のナイフを抜く!アオイは操っていたワイヤーを投げ捨てると、同じくナイフを抜いて逆手に構える!
軽い金属音を立てて噛み合うナイフ。その刃には、同じ紋章が刻まれている。
「私達は暗殺者、奪う側の人間よ。それなのに、何かを守れるなんて本気で思ってるの?」
刃を押し合わせたまま、ヴェルデが静かに問い掛ける。アオイも静かな声で答える。
「確かに、絶対に守るなんて言えない…でも」
アオイがヴェルデのナイフを押し返すと、横薙ぎに振り抜く!ヴェルデは飛び退るが、ナイフが髪の一房を掠め、銀糸がぱらりと舞う。同時に、いつの間に斬り付けられたのか、アオイの頬に一筋の血が滲む。
「僕には『大事な人』が出来た…だからもう、奪うだけなのは嫌なんだ」
アオイは背中のワイヤーリールからワイヤーを手繰り、両手に構える。
「守る為に戦う…あなた、弱くなったのね」
ヴェルデは腰から毒針を複数本取り出し、両手に携える。
「そうかもしれない…けどね、姉さん」
アオイとヴェルデ、二人が左足に重心を置く。
「僕は、今の僕の方がいい」
二人は同時に床を蹴り、再び銀色の火花を散らす!
ヴェルデの視線が一瞬、テオドールの方へと向く。テオドールの身体が強張り、拳をぎゅっと握り締める。
ヴェルデがテオドールに向けて、複数の毒針を放つ!
「!!」
アオイは咄嗟にテオドールを庇おうと、その身体を傾ける!
だが、ヴェルデの狙いはテオドールではない。
狙いはテオドールを庇う、アオイ自身!テオドールの前に立ちはだかるであろう、アオイの身体を毒針が貫く!――はずだった。
アオイはそのままテオドールの前をすり抜ける!ヴェルデの毒針はテオドール――ではない、その場に残されたアオイの白衣を虚しく貫く!
「なっ!?」
一瞬動揺するヴェルデ!それだけで、アオイにとっては充分だった。
「殿下、お見事です!」
アオイの声が響く!白衣を捨て、柱の陰に身を潜めていたテオドールは恐怖に震えながら、誇らしげな笑みを返した。
アオイに白衣を被せられ、二人が戦闘に入った直後、テオドールは白衣の下から抜け出してその身を器用に隠していたのだ。城下町での襲撃の際、卓に教わった撹乱をしっかり覚えていた。
神速でヴェルデの懐に潜り込んだアオイの拳が、鳩尾にめり込む!
「うっ…!!」
ヴェルデの身体がくの字に折れ、苦痛に顔が歪む!たまらずその場に膝を付いたヴェルデの背後に回り込んだアオイが、その首筋にナイフを突き付けた!
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回廊に静寂が訪れる。
アオイとヴェルデは微動だにしない。息が詰まるような緊張感に、テオドールはごくり、と唾を飲み込んだ。
「…ヴィルヘルム王弟殿下の臣下七名よ。王太子殿下の命を狙い、クーデターを企てていた。王弟殿下は何も知らないわ」
ヴェルデが口を開く。テオドールは瞠目した。
「叔父上は…何も知らない?」
「ええ。私達への依頼も、傭兵の募集も、王弟殿下の名を騙った薄汚い連中の仕業。だから安心なさい」
ヴェルデはテオドールの表情に安堵の色を見て取り、薄く微笑む。
そのまま、アオイに声を掛ける。
「このまま捕えられても処刑されるだけだし、逃げても任務失敗で始末される…それならいっそ、貴方の手でひと思いに殺してちょうだい」
アオイの眉が、ぴくり、と動く。
「硝子の涙」の一員が任務に失敗するとどうなるか、何も教わった覚えはない。ただ、知っている。任務に失敗した者は――消える。
ナイフを持つ手がまるで逡巡するように、僅かに震える。
しかし、迷いを断ち切るかのようにその手を握り直すと、ヴェルデの白く細い首筋を掻き切るべく、横に――
引くはずの手は、動かなかった。
隣から差し出された温かい手が、アオイの手を握っている。
「駄目」
紅がアオイの手を強く握り締め、アオイとヴェルデの顔を交互に見比べ、口を開いた。
「姉弟喧嘩にしても、やり過ぎだよ」
「…何、それ」
ヴェルデが驚いたように顔を上げ、紅を見る。紅はきょとんとした顔を返した。
「え?顔そっくりだからアオイのお姉さんかと思ったんだけど、違ったの?」
「いや、そこじゃないよ…」
アオイが思わず呆れたような声を出す。緊迫していた空気がどんどんと緩んでいく。
「とにかく、家族なんでしょ?しかも決着してるなら、わざわざ殺す意味なくない?」
紅は首を傾げて言った。アオイとヴェルデは瞠目して、お互いを見る。
自分とよく似た顔をした――家族。
アオイの脳裏に、まだ自分が金髪だった頃のとある記憶が蘇る。
その記憶が鮮明になる前に、ヴェルデの漏らした笑い声を聞き、アオイは現実に引き戻される。
「そうね……私の負けだわ」
ヴェルデは少し寂しそうに、くつくつと笑った。




