5
五人がテオドールの護衛についてから、間もなく一週間が過ぎようとしている。怪文書が何通か届いた以外には、レジデンツの中はもちろん、城下町へ視察に出ても平穏そのものだ。
「思ったより暇ねえ」
午後の茶菓子を摘んで、卓が欠伸を噛み殺しながら言った。三食おやつ付きの贅沢な環境に、顔周りがふっくらしてきたような気がする。
「お前ちょっと太ったんじゃねえの?」
「アンタねえ、乙女にそんな事言うんじゃないわよ!」
「そもそも乙女じゃねえだろ」
卓は、失礼極まりないアンバーの後頭部を容赦なく引っ叩いた。
ただ、レジデンツに一度だけ動きがあった。王弟ヴィルヘルムが数名の大臣を伴って、レジデンツに現れたのである。
どちらかというと明朗なフェリクスとは違い、ヴィルヘルムの眉間には深い皺が刻まれ、陰鬱な雰囲気を漂わせている。
「兄上、お身体の加減はいかがですか」
「悪くない。そなたには苦労を掛けるな」
執務室で兄弟は対面し、ヴィルヘルムが持って来た書類にフェリクスが目を通す。
病床に伏しているフェリクス、そしてまだ正式に王位を継承していないテオドールに代わり、現在は国王代行という形でヴィルヘルムが政務を執り仕切っている。週に一度、フェリクスの意見を聞きにレジデンツを訪れているのだ。
「…しかしまた、大層な護衛を付けられたのですね」
フェリクスの後ろには蒼龍が、腕を組み仁王立ちで控えていた。無愛想が顔面に貼り付いているだけでなく、立っているだけで威圧感が半端ない男である。底知れぬ圧に、大臣の中には冷や汗だらけになり微かに震えている者も出る始末。
「テオドールが雇い入れたのだ。なかなか愉快な者達でな」
フェリクスが朗らかに言った。
フェリクスとヴィルヘルムの関係は、兄弟だけあり表面上は良好に見える。しかし、フェリクスの傍に控えるアーデルハイトの顔は穏やかとは言い難い。警戒心剥き出しでフェリクスの横に張り付き、ヴィルヘルムを睨み付けている。
「王太子も随分大胆な事をなさいますな。得体の知れない者を護衛に雇い、無防備に宮殿内に引き入れるなど」
「何が言いたいのですか?」
懸念を漏らすヴィルヘルムに即座に噛み付くアーデルハイト。ヴィルヘルムは眉間の皺を一段深くする。
「その様な判断も含め、王太子には経験が足りません。国王として必要な知識だけではなく、経験を積む為には、まだ時間が必要でしょう」
「あの子に執務を背負わせるのは早い、とでも?」
「ええ、時期尚早です」
ヴィルヘルムとアーデルハイトは互いに睨み合い、引かない。フェリクスは二人の様子に、深く溜息を吐いた。
「済まぬな。護衛をして貰っているにも関わらず、弟が失礼な発言をした」
「俺達の事は気にするな」
後ろを向いて詫びるフェリクスに、蒼龍は表情一つ崩さず言う。軽く息を吐くと、言葉を続けた。
「しかし難儀だな。家族なのに猜疑心に蝕まれて、互いにいがみ合うしかないとは」
その言葉に、アーデルハイトの顔には暗い影が落ち、ヴィルヘルムの眉間には更に皺が刻まれる。フェリクスは困ったような笑みを浮かべた。
-----
執務室の扉の隙間に張り付くように、テオドールと紅が中を覗き込んでいる。アオイは背後から、そんな二人の様子を見つめていた。
「コソコソしなくても、王太子殿下は執務室に入れるお立場なのではないですか?」
アオイが尋ねると、テオドールは首を振る。
「僕が入ると、叔父上が嫌な顔をする」
テオドールは扉から離れ、自室へ戻る為に身を翻す。紅とアオイはその後に続いた。三人は並んで長い回廊を歩く。
「叔父上は昔、僕とよく遊んでくれたんだ。剣の振り方を教えてくれたり、一緒に馬に乗って遠出したり…」
「じゃあ今はどうして嫌な顔をされるの?」
紅が尋ねると、テオドールは言いにくそうに口を開く。
「……僕が、王になるからかもしれない。父上が病に倒れられて、僕が王位を継ぐという話になってから、叔父上は僕との関わりを避けるようになった。
僕はまだ、自分が本当に王になりたいか…いや、なれるのかどうか分からない。でも、僕が王になると、叔父上がますます離れていってしまうような気がして…大事な家族がバラバラになるみたいで……嫌なんだ」
王太子としての言葉ではない、まだ十三歳という幼さの残る、一人の少年としての本音。
テオドールはそこまで言うと口を噤み、俯いて立ち止まった。噛み締めた唇が白くなる。
「じゃあ、王様になるの辞めちゃえばいいんじゃない?」
あっけらかんと言い放つ紅に、テオドールだけではなくアオイも呆気にとられる。
「…そんな簡単に決められる話じゃない。僕が王にならなかったら、この国がどうなるか分からないし」
戸惑いつつ口を開くテオドールに、紅は分からないと言った風に首を傾げる。
「よく分かんないけど、テオが王様になってもならなくても、国がどうなっても、叔父さんはテオにとって大事な叔父さんで変わらないでしょ?」
「それはそうだけど…」
「喧嘩する事だってあるだろうし、離れちゃう事もあるかもしれない。それでも、自分が『この人は大事な人だ』って思えるんだったら、家族のままでいられるんじゃないかな」
「大事だと思えたら…?それは、仮に分かり合えない事があっても?」
「うん。分かり合えない事も含めて大事な人なら、家族という事に変わりはない。それはテオが王様になる、ならないとは関係ないと思うよ」
更に目を丸くするテオドールに、紅は迷いなく頷いた。
-----
アオイは黙りこくっていた。紅の言葉一つ一つが、アオイの心の蓋を捲り、その中へと入り込んでいく。
「家族」という言葉は、アオイにとって不可解で遠いものだった。
本来「家族」と呼ぶべき父や姉は、血の繋がりよりも「殺せるか、殺せないか」で繋がった存在。「大事な人」かと問われたら……よく分からない。
対して、紅、蒼龍、アンバー、そして卓。
旅の途中、くだらない事で笑い合う。信じられない量の食事を平らげる。しょうもない喧嘩もするし、怪我をしたら手当てもする。
お腹が空けば蒼龍がご飯を作り、皆の世話をする。アンバーは面倒臭そうに振る舞うが、何だかんだで頼りになる。卓は騒がしく周りを振り回しつつ、一番皆の事を気遣っている。
そして紅は――いつも、当たり前のように皆の隣に寄り添っている。
「それでいいと思うよ」と言い、誰一人取り残さない。
アオイの心の中に、ごく自然にさりげなく、それこそすんなりと、今まで感じた事のない温かく甘やかな感情が、すとんと落ちてきた。
アオイにとって、紅は――四人は間違いなく「大事な人」なのだ。
「アオイ?」
紅に呼ばれて、アオイは我に返る。覗き込む紅の顔が思いの外近く、思わず顔を赤らめた。
「どうしたの?急に黙って」
「いや…僕にも、君達四人っていう大事な人がいるなって思っただけ」
急に押し寄せて来た感情がどことなく恥ずかしく、アオイはそっけなく言うと視線を逸らせた。紅はきょとんとした顔をすると、すぐににっこりと笑う。
「私もだよ。四人共、大事な人達!」
歯を見せて微笑む紅に、アオイも照れ臭そうに笑みを返した。




