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ヴァルムラを脱出してから一週間、紅達四人は針葉樹林を抜けて南西に位置する交易都市国家、エルンヴィークの宿の一室で養生していた。
静かな空気が流れる中、アオイの治療器具が微かに金属音を立てる。
「どうだ」
「うーん……」
ベッドに腰掛け上半身を露わにした蒼龍がアオイに問う。アオイは、傷の治療を行いながら眉を寄せた。
「刻喰い」との戦いで一番傷を負ったのは蒼龍だった。右腕は表面の裂傷に留まらず肘近くまで粉砕骨折、右肩は「刻喰い」が放った衝撃波が鱗を破壊し、骨が見えそうなほど抉られている。他にも打撲など正に満身創痍、治療には相当な日数がかかると思われていた。しかし。
「…何でこんな事になるの」
アオイが解せぬ、とばかりに眉をひそめる。
たった一週間で、裂傷は綺麗に塞がり傷跡を残すのみ。粉砕骨折したはずの骨もほとんど再生している。右肩は既に肉が盛り上がり、表面から新たな鱗が生えてきていた。
「半龍人の血がそうさせているのだろう」
「そうだとしても、生物として説明が付かない」
左肩の消毒をしながら、アオイは蒼龍の再生能力に困惑するばかりだった。
「若さ故ってのもあるだろうが、羨ましい回復力だな。やっぱ歳は取りたくねえよなあ」
今は二十歳前後のはずなのに、ベッドに寝転んだアンバーは妙に年寄り臭い発言をする。
アンバーは「刻喰い」から掌底を受けた際に肋骨を骨折していて、胸に包帯をぐるぐる巻きにされている。幸い内臓に大きな損傷はないようだが、呼吸がしんどい事に変わりはない。時折走る痛みに顔を顰めながら傍のスキットルを手に取ろうとして、アオイの睨みの効いた圧に観念したように手を挙げる。
「早く治したいなら飲まないで」
「分かったよ……」
治療に当たるアオイも、決して軽症ではなかった。鳩尾に受けた打撲はかなり深刻で、不快感で二、三日はまともに食事を摂れないほどだった。お陰でただでさえ細い身体が更にやつれて見える。
「それにしても一体何者なの?あの『刻喰い』って奴」
アオイが蒼龍の治療を続けながら、アンバーに尋ねた。アンバーは軽く唸る。
「何者って言われてもなあ…オレにもよく分かんねえ。五百年前、初めて会った時はオレも死にかけてたし。ただ」
アンバーは一旦言葉を切ると、険しい表情を浮かべた。
「オレを『時渡り』にしただけじゃねえ。あいつはいつも気が付けば目の前に現れて、オレの命含めて、全てを奪っていきやがる。オレの人生には三回現れてるが、もしかしたら他の人生にも関わってきてたのかもしんねえ。
そして、確かに同じ人物に間違いねえのに、毎回顔も声も、何もかも変わってやがる……むしろ、憶えらんねえって言った方が正しいかもな。お前ら、今あいつの顔思い出せって言われて出来るか?」
「…思い出せんな」
「目の前で姿を見たのに……」
声はおろか顔すらも、何一つ思い出せない。蒼龍とアオイは眉をひそめて顔を見合わせる。
「確かなのは、あいつはオレと同じ…いや、もしかしたらオレ以上に永い時を生き続けてるって事と、他人の命運を操る力を持ってるって事だな。人智を超えた存在に、ただの人間が太刀打ち出来る訳ねえよ」
アンバーは達観した様子で肩を竦めた。
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そんな男三人の会話に加わる事なく、紅は窓枠に腰掛けて、ぼんやりと外を眺めていた。
蒼龍の符界術のお陰もあり、「刻喰い」との戦いで手足や頬に擦り傷や切り傷を幾つか負ったものの、あまり大きな怪我をせずに済んだ。所々にガーゼを貼るのみで、治療もほぼ必要ない。
だが、彼女の場合は心の傷が大きい。
エルンヴィークまで逃げる間、紅はずっと泣き続けていた。三人がかりで何とか宥めたものの、その日以来笑顔が消えた。食事もほとんど食べず、日がな一日遠い目をして何もせず過ごしている。
理由は明白、藍白の事だ。
お人好しで、人一倍「困っている人を助けたい」という想いの強い紅が、初めて助ける事が出来なかった存在。更に、見捨てるようにして逃げてきてしまった事が、感情に拍車を掛けている。
「重症だな」
アンバーがぼそり、と言うと、蒼龍とアオイが頷く。
「ああ」
「…心配だね」
それぞれ気にしつつも、どう声を掛ければいいか考えあぐねている。三人の心配を他所に、紅は心ここに在らず、深い喪失感の中に閉じ籠もっていた。
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ふと、紅の顔が何かに気付いたように微かに動いた。
「…あれ?」
その口が開き声が漏れたと同時に、何者かの気配がすごい勢いで部屋に近付いて来る!その気配は、階下で響く「お客様!困りますお客様!!あーっ!!」という宿の主人の悲鳴と共に、ゴッゴッゴッ!と激しい音を立てて階段を駆け上がってきた!蒼龍は咄嗟に印を組み、アオイはナイフを構え、アンバーは銃に手を伸ばす。
足音は止まるところを知らず部屋の前に向かって来ると、ドアが壊れんばかりの勢いで開く!
「紅ちゃーーーん!!」
部屋に飛び込んで来たのは、豊かな金髪を靡かせた、妙に美しく妙にデカく妙に威圧感のある、男とも女ともつかない人物――卓だった。
卓は脇目も振らず窓際の紅に突進する。意外と逞しい腕で紅を抱き上げると、あやすようにその場でくるくると回った。紅は驚いた顔をしている。
「卓!?」
「会いたかったわあぁ!!何かちょっと痩せたんじゃないの!?ダメよちゃんと食べなきゃ!」
「卓か」
蒼龍は警戒を解くと同時に、印を組んでいた手を下ろした。卓は紅を抱っこしたまま、蒼龍の方を向く。
「ロンロンも久し振りね!ってアンタ、どうしたのよその鱗!?何かの呪い!?」
「龍の鱗だ」
「蒼龍は半分龍人なんだよ。言ってなかったっけ?」
「聞いてないわよ!何よそのトンデモ情報!?」
「では今から認知しておけ」
「随分軽いわね!分かったわ!!」
まるで井戸端のような会話を繰り広げる三人に、アオイとアンバーはすっかり置いてきぼりだ。アオイは蒼龍にこっそり尋ねる。
「知り合い?」
「ああ。紅の従兄だ」
「そこはオネエ様だって言ってるじゃない!」
卓はわざとらしく身体をくねらせる。アンバーは怪訝な眼差しを向けた。
「念の為聞くが、お前、男だよな?」
「そうよ」
「そうか」
「それだけ!?もっと驚きなさいよお!」
何故か不満気な卓に、紅は思わず笑った。ようやく笑顔になった紅を見て、蒼龍、アオイ、アンバーの表情も緩んだ。
その様子に、卓は何かを感じ取る。この男、人の機微にはとことん聡い。抱っこしていた紅を降ろすと、手近にあった椅子を引き寄せ、足を組んで優雅に腰掛ける。
「で、アンタ達はそんな傷だらけで辛気臭い顔して、一体何があった訳?」
卓は四人の顔を順繰りに見ながら問い掛ける。四人はそれぞれ視線を落とすと、順番に、ぽつりぽつりと語り出した。




