満月の夜
ローゼリア王国より遥か北に上り、既に国境を越え点在する街々を通り抜けた先にある森林の中で、四人は野営を行っていた。夜闇の中、焚き火が煌々と燃えている。
焚き火を囲んで食後の茶を飲む四人。ふと、蒼龍が立ち上がった。己の中の龍の血がざわめいている。
「そろそろか」
「行くの?」
「ああ」
問い掛けるアンバーとアオイに蒼龍は頷くと、焚き火から離れ、距離を取る。そして空を見上げた。
空に高く昇ったのは、満月。
月光を浴びて、蒼龍の姿は鱗に包まれる。人の姿はあっという間に大きな青い龍の姿に変貌した。衝撃で、周囲には数枚の鱗が、まるで星屑のようにきらきらと舞い散る。
紅は龍に向かって駆け寄るとその身に飛び付き、鬣を器用に伝い双角の間にすっぽりと収まる。龍が確認するように、軽く首を振った。
「大丈夫だよ蒼龍。行こう!」
紅は龍に声を掛ける。龍はその言葉を聞き、両翼を大きく広げると夜空へ向かって飛び立った。
今宵の満月も大きく、明るく輝いている。眼下には樹海が広がり、遥か遠くにローゼリア王国の湖が、鏡のように月の光を湖面に映し出している。更に北の果てには、真っ白な雪で覆われた大地が見える。
「私、雪って見た事ないんだよね。見てみたいなあ」
紅は目を凝らし眺める。随分北の方へやって来て、気候は少しずつ冷えてきている。それでも、この空の散歩はいつもどこかしら暖かい空気が漂っていた。
ふさふさの鬣に顔を埋めながら、紅は龍に話し掛ける。
「いつもだけど、空も大地も、蒼龍も綺麗だね。私はこの時間が一番好きだよ」
龍となった蒼龍には理性や記憶はない。それでも龍は、紅の言葉に応えるように喉を鳴らす。その双眸はどこまでも穏やかだ。
毎月恒例となったこの空中散歩は、二人にとって大切なひと時なのである。
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地上では、アオイが空を飛ぶ龍の姿を目で追いかけていた。その傍らで、アンバーが舞い散った鱗を拾い上げている。月明かりを反射して宝石のように輝いているので、夜闇の中でも探すのは容易だ。
「今月の大事な収入源だからな、しっかり収穫させて貰うぜ」
アンバーの言葉に、アオイは思わず苦笑する。
「蒼龍が自分で剥いでくるのは嫌だけど、落ちてる分には罪悪感ないね。本人公認だし」
「そりゃそうだろ。大体、剥がしたての鱗見たか?血が付いてんだぜ?あんな身売りみたいなマネされた日にゃ、酒も不味くなる」
アンバーは思い出し、鳥肌を立てて顔を顰めた。鱗をくまなく収穫し皮袋に丁寧に納めると、再び焚き火の前に腰を落ち着ける。荷物の中からスキットルを取りだし、蓋を開けると飲み始めた。
「羨ましいか?」
延々と二人を見上げるアオイに、アンバーはニヤッと笑いながら問い掛ける。アオイは空飛ぶ二人から目を離さずに答える。
「別に。僕、高い所苦手だし」
「そういう意味じゃねえんだけどなあ」
「…じゃあどういう意味?」
アオイは少しむすっとした顔で、アンバーを睨んだ。
「いやいや、深い意味はねえよ」
アンバーは相変わらず笑いながら、肩を竦めた。
これまで八回人生を送り、九度目の人生を生きるアンバーだけが気付いている。紅、蒼龍、アオイ、三人の若者がそれぞれ、何を想っているのか。
アンバーは、空を飛ぶ少女と龍、そして地上でそれを見つめる少年を交互に眺める。
「いやあ、青春だねえ。眩しいったらありゃしねえ」
「だから何の話?」
「何でもねえよ」
ジト目のアオイに年長者の余裕を含んだ笑みを返し、アンバーは再び酒を煽った。
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時を同じくして、野営地から更に北へ上った要塞都市では、異変が起きていた。
満月が昇り切った頃に、夜の静けさを切り裂くように鳴り響く警鐘。要塞の歩廊に警備隊が一斉に並んだ。要塞の外には、数多くの魔物の群れが押し寄せている。
「隊長、今夜もかなり危険です!」
「うむ…」
魔物の強襲に怯える警備兵に、隊長の顔色も冴えない。
そこへ音もなく、背後から一人の少女が現れる。
「任せて」
肩を叩くその手は冷たく、鎧越しにも伝わる感触に隊長は思わず身震いする。少女はふわり、と要塞の上から華奢な身体を躍らせ、まるで雪が舞い落ちるように魔物の群れの前に静かに降り立った。突如目の前に現れた人間に、魔物達はいきり立って襲い掛かって来る!
瞬間、少女は白い息を吐くと、魔物の攻撃を器用に受け流し、魔物の前脚に手を絡める!そのまま背後に回り込み背中側に捻り上げると、間髪入れずに関節技を掛け、自分の倍はあろうかという魔物の巨体を地面へと押し倒した!
そして、少女の手から氷の筋が生まれると、その氷は魔物の全身を蔦のように這い、あっという間に包み込んだ!魔物達は気圧されるが、少女は息を乱す事なく、次々と魔物を氷の中へと封じ込めていった。
数刻後、要塞の前に魔物達を閉じ込めた氷柱が、まるで墓標のように幾本も立ち並んだ。少女はそれを一瞥すると、躊躇なく両腕を振るい砕く!甲高い音を残し、氷柱は魔物ごと砕け散っていった。
「化け物だ…」
一部始終を眺めていた警備隊が、ごくり、と唾を呑み呟いた。
粉々になった氷の欠片を全身に浴びながら、少女の表情は変わらない。まるで人形のように蒼白で、無表情だった。唇だけが微かに動く。その唇から、真っ白な息と共に零れる言葉。
「……寒い」
少女の瞳は冷たく、昏く、虚ろだった。
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翌朝、紅達四人は焚き火を囲んで朝食を食べていた。
「この川魚美味しい!」
昨日のうちに小川で捕獲しておいた川魚を串焼きにしたシンプルなものだが、絶妙な焼き加減と塩加減がたまらない。紅は次々と口へ放り込んでいく。
「…何か平和な朝だね」
アオイは小骨を避けるように川魚を食む。苦いのが苦手なのか、腑を残している。
「勿体ねえ食べ方すんな。腑の部分、こいつが抜群に酒と合うのに」
「朝から飲む気か」
魚を丸齧りながら渋い顔をするアンバーに、蒼龍は静かに突っ込む。
いつもと変わらない、平和な野営の風景。
四人はこの先で待ち受けている事など、まだ知る由もなかった。




