卓ちゃんの優雅な一日・後
鐘楼が正午の鐘を鳴り響かせる頃、卓は若干疲れた顔でトラットリアのテラス席に座っていた。パスタランチを三人前注文し(ウェイトレスの怪訝な顔は無視した)、ピッチャーからグラスへ水を注ぐと、一気に飲み干す。冷たい水が心地良く身体に染み渡る。
午前中あれだけ騒がしかったのだ。午後からは流石にゆっくり過ごせるだろう。いや過ごしたい。
しかし、神はこの男に平穏などお与えにならないのである。
突然店内で悲鳴が上がった!辺りは騒然となる!
「全員動くんじゃねえ!この女の命が惜しかったら、有り金全部寄越せ!!」
先程のウェイトレスが、男に羽交締めにされていた。首元にはステーキナイフが突きつけられ、真っ青な顔でガタガタ震えている。店員や客は、全員恐怖で動けない。
そんな中、卓は臆せずつかつかと男へと歩み寄って行く。手にはどこかしらのテーブルから拝借したワイン瓶。
「な…っ!動くなって言ってるだろうが!この女の命がどうなってもいいのか!?」
男は思わずナイフを卓の方に向けるが、卓の歩みは止まらない。卓はワイン瓶を振り上げると、男目掛けて投げ付ける!動揺した男の力が緩んだ隙に腕を伸ばし、素早くウェイトレスを引き寄せると、その胸にギュッと抱きしめた!今度は顔が赤くなるウェイトレス。
ワイン瓶は縦に回転しながら、男の顔面にクリーンヒットした!瓶が割れ、中の赤ワインが男に降り注ぐ。間髪入れず、卓は近くの蝋燭を取ると、自身の炎の力を僅かに流し込み、男に向かって投げつけた!炎帯人の炎がワインに引火し、男は一瞬火に包まれる!
「あぢゃあああ!?」
見事にフランベされ、男は髪の毛をチリチリにさせながら、その場に倒れ込んだ。
「これ以上、アタシの優雅な時間を邪魔しないで…」
助けてくれたオネエにすっかり惚れてしまったウェイトレスを尻目に、卓は般若の形相で呟いた。
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「またお前なのか」という顔の衛兵に無言で男を押し付け、急いで三人前のパスタを掻き込み、「せめてお名前だけでも!」としつこく食い下がってくるウェイトレスを撒き、卓は劇場へと走る。12センチはあろうかというピンヒールの音を豪快に立て、ワンピースの裾を引っ掴んで疾走するオネエの姿に、道行く人は皆唖然として振り返るが、卓にはそんな事を気にしている余裕はない。
「この公演は、どうしても観たいのよお!」
お目当ての演目は、いわゆる王道の悲恋モノ。卓自身、繰り返し観て台詞も隅々まで覚えてしまっているが、良いものは何度だって観たい。今回公演を行う旅の劇団のプリマドンナは、実力も人気も鰻登りでチケットは即ソールドアウト。千秋楽の今日、席を取れた事自体奇跡なのだ。
卓は開演15分前に劇場へと到着する。しかし、様子がおかしい。劇団長や支配人が、オロオロと劇場の前を行ったり来たりしている。
「どうしたのかしら?」
思わず声を掛けてしまう卓。劇団長は振り向くと、瞠目した顔で卓の姿を見る。そして、無言で手を掴むとずんずんと走り出し、楽屋口から舞台裏へと引っ張り込んだ!
「ちょ、ちょっと何なのよ!?」
「お願いします!助けて下さい!!」
戸惑う卓に劇団長は勢いよく土下座する。慌てて後を追い掛けて来た支配人も、ハンカチで額の汗を拭いながら、卓に向かって頭を下げて来る。
「実は公演直前に、プリマドンナが書き置きを残して失踪してしまいまして…何でも真実の愛に目覚めた、とか」
「千秋楽の幕を上げないなど劇団の恥ですし、劇場側にも甚大な損害を与えてしまいます。とにかく誰か代役を、と思っていたら、お美しい貴方が目に留まりまして…お願いします!プリマドンナの代わりに舞台に立っていただけないでしょうか!?」
「はぁ!?」
「勿論プロンプターも用意しています!何だったらもう立ってるだけでいいんです!!とにかく千秋楽だけは何としてもやらねばならないんですうぅ!!!」
こめかみに青筋を立て目を血走らせて迫って来る劇団長の迫力に気圧されて、卓は観念した。
「分かった、分かったわよ!!やるわ!」
「ありがとうございますうぅ!!!」
開演まであと7分、卓は楽屋に通されて、急いでメイクと衣装調整を施される。
「どうしてこうなっちゃったのかしら…」
パフで勢い良くお粉を叩かれながら、卓は呟いた。
舞台の幕が開き、ピットよりオーケストラの優雅な演奏が流れる。
とある街の高級娼婦は、青年貴族と恋に落ちる。しかし身分の違い、そして青年の父親からの反対に遭い、彼女は青年を想い身を引く。しかし青年は諦め切れず父親を説得、彼女を迎えに行くが、時既に遅し、彼女は不治の病に侵されており、青年の胸の中で息絶える――
舞台に立った卓は、完璧に役に入り込んでいた。娼婦として周りを翻弄し、青年と恋に落ちてからは純粋無垢な少女のようになる。プロンプターすら不要。そして舞台映えする美しさ。観客はおろか、劇団員すら卓の演技の虜になっていた。
舞台が暗転し、幕が降りる。劇場は万雷の拍手に包まれた!ブラボーの掛け声が飛び交い、劇団員達は何度もカーテンコールを繰り返す。
その中央で、美しい所作で腰を折り礼をする卓。歓声が一際大きくなり、止まらない。
「素晴らしい……!」
「大成功だ……!」
舞台袖で涙を流し、抱き合って喜ぶ劇団長と支配人。
一方、カーテンコールの笑顔を貼り付けたまま、卓は舞台上でぼやいた。
「アタシも客なんだけど」
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鐘楼から夜七時を告げる鐘が鳴る。日はすっかり暮れ、町は魔道具の光で溢れ返る。
「……疲れた」
卓は酒場のカウンターで、ワイングラスを片手に突っ伏す。せっかくの休日だったはずなのに丸潰れだ。流石にもう何も起こらないだろうと、ゆっくりグラスを傾ける。
だがしかし、酒場で乱闘騒ぎが勃発する。至るところでテーブルや椅子がひっくり返り、皿やグラスが割れる音が響く。
「神様、アタシ何かした?」
卓は天を仰いで呟く。
居合わせてしまったなら仕方がない。グラスをカウンターに置くと、卓は乱闘騒ぎに突っ込んでいった!ビールを引っ掛けて目を潰し、ビール瓶で殴り、謎のお色気で相手を怯ませビンタをかます。あっという間に乱闘を制圧した。
「他の客に迷惑をかけない事!いいわね!!」
「はあい……」
乱闘騒ぎを起こしていた面子をボコボコにした挙句正座させ説教する。全員から大人しい返事が返って来た事を確認して、卓は自分の席へ戻った。
改めて卓はワイングラスを傾け、一気に煽った。恐らく店主からの礼だろう、いつの間にかワイン瓶が追加されている。卓は店主にウインクすると、遠慮なくワインを注ぎ込む。
「…まあ、何だかんだで報酬もたくさん貰えたし、良かった事にしましょう」
意図せずとはいえ、今日助けた人々から渡された報酬を思い出し、卓は溜息を吐いて独り言ちた。
後ろの席から、旅の傭兵らしき男達の話し声が聞こえる。
「…最近妙な四人組が居るの知ってるか?何でも、赤っぽい髪の娘が食堂を荒らしまくってるらしい」
「俺もその話聞いたわ。やたら力の強い、無愛想を顔面に貼り付けたデカい兄ちゃんを連れてるんだろ?」
「銀髪の男だか女だか分からんガキと、狼みたいな髪のチャラチャラした男も一緒らしいぜ」
「…へえ、面白そうじゃない。今度会いに行こうかしら」
卓はワイングラスを揺らしながら、ふっと笑った。そして空になったワイングラスと代金をカウンターに置くと、ワンピースを翻して店を後にする。
「騒がしかったけど、まあ、悪くない一日って事にしとこうかしらね」
まだ喧騒が残る夜の町を、卓は一人歩いていった。
いずれ、噂の四人が自分の傍に立つ事になるのを、卓はまだ知らない。
劇団の演目は、オペラ「椿姫」がモチーフです(ていうかそのまんま)




