卓ちゃんの優雅な一日・前
白い石畳と石造りの建物が美しい、とある城下町。宿の一室、レースの天蓋が豪華なベッドの上で、ナイトキャップを被りネグリジェを纏った人物――卓が目を覚ます。
「うーん…よく寝たわぁ」
卓は起き上がると腕を上げて大きく伸びをする。ベッドから抜け出すとまずは顔を洗い、ドレッサーの前に腰掛け丁寧にスキンケアを行う。ナイトキャップを脱ぐと、人工的だが美しい、豊かな蜂蜜色の髪がさらりと落ちた。丁寧にブラッシングし、整えていく。化粧は厚すぎずナチュラルを心掛け、柘榴色の瞳に重ねるように、空色のカラーコンタクトを入れる。最後に薔薇の香りが上品な香水を一振り。
「今日も完璧ね」
卓は鏡に映る自身の姿を満足げに眺めると、ネグリジェを脱ぎ着替える。いつものトップスとパンツはやめて、白地に赤い薔薇柄が美しいロングワンピースを纏う。足元もゴツいブーツではなく、繊細なパンプスだ。
「午前中は予約したネイルして、午後は楽しみにしてた観劇ね。夕飯は洒落た酒場に行こうかしら。まずはカフェでモーニングといきましょう」
今日は依頼も受けず、一日を自分の為に満喫すると決めた日である。赤いエナメルのハンドバッグを携えて部屋を出発する卓。朝の爽やかな空気が気持ちいい。
だが、元来巻き込み巻き込まれ体質なのがこの男。平穏な一日など訪れる訳ないのである。
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大聖堂前の広場にあるカフェテラスでモーニングをいただく。噴水が陽光を浴びて、キラキラと美しい飛沫を上げている。
「やっぱり美味しいわねえ」
行き交う人を眺めながら、卓は緩んだ頬に手を当てて、既に七個目となるクロワッサンを頬張る。バターの風味と空気を含んだ食感がたまらない。
その眼前、本当に正に目の前で事件は起こる。
偶然かわざとか、老婆にぶつかる若い男。その瞬間、男は老婆から鞄をひったくり、そのまま走り去る!
「ひ…ひったくり!」
老婆は尻餅をつきながら叫ぶ。
「アイツ、大聖堂の前で何てバチ当たりなヤツなの!」
卓は素早く席を立つと、男を追う!男は後方から迫ってくるヒールの爆音に、思わず後ろを振り向く。
「待ちなさいよおぉぉお!!」
「ひ、ひいい!?」
まるでアスリートのように両腕をキレ良く振りながら猛然と追い掛けてくる卓の姿に、男は真っ青になる!
卓はキュッと立ち止まるとパンプスを脱ぎ右手に引っ掴むと、そのまま軸足に沿って真っ直ぐ膝を上げ、投球フォームを取る!
「熱覇ぁ!!」
謎の気合と共に、卓は男に向かってヒールを投げ付ける!オーバースローで振り抜かれた腕より放たれたパンプスは見事な火の玉ストレートを描き、振り向いていた男の顔面を直撃した!
卓は無事老婆の荷物を取り返し、男を衛兵に引き渡す。老婆から何度も礼を受け恐縮していたら、大聖堂の鐘楼から九時を告げる鐘の音が鳴り響いた。
「あらやだ、ネイルの時間が!」
卓は慌ててカフェの代金を支払うと、ハンドバッグを掴んでネイルサロンへと向かった。
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卓は予約の時間ギリギリにネイルサロンに駆け込み、施術を受ける。ボウルに張られた温かいお湯に手を浸すと、先程までのドタバタ感がゆっくり解けていく……はずだった。
卓はハンドマッサージを受けながら、何故か恨めしげな目になっていた。
「……でね、あの子ったら本当に酷いの。『ママにご飯作ってなんて頼んでないし!』って言って、うちでご飯も食べずに毎晩遅くまで彼氏とデートばっかりして。どうしてあんな子に育っちゃったのかしら」
施術中にうっかり会話を交わしてしまったのが運の尽き、ネイリストは聞き上手な卓にすっかり乗せられ、聞いてもいない自身の家庭内の悩みを打ち明け、話が止まらなくなってしまっていた。そして延々と続くマッサージ。いい加減早くネイルを施して欲しい。
更に。
「あなた、あの人の何なんですか!!」
「あんたこそ、彼の何だってのよ!!」
待合室から聞こえる、女二人が言い争う声。その声の主達は何故か卓のブースへと雪崩れ込んで来て、キャットファイトが始まる!お互い引っ掻き、噛み付き、ブース内は滅茶苦茶だ。
「ああもう、いい加減になさい!」
卓は立ち上がると、手を浸していたボウルを掴み、お湯を一人の女にぶっ掛ける!続いて空になったボウルを、もう一人の女の頭の上に思いっきり被せた!二人は突然の横槍に、ぴたり、と動きを止める。そして同時にめそめそと泣き出した。
「泣きたいのはアタシよ…」
呆れながらも卓は二人の話を聞く。どうやら一人の男を巡って火花を散らしていたらしい。
「あの人、わたしと結婚したいのにこの女が邪魔をして出来ないって…手切れ金が必要だからって100万ルピアを渡したんです。それなのにこの女がしつこくお金を要求してくるから」
「あたし彼からお金なんて貰ってないわよ!むしろこの女の方が付き纏ってきて困ってる、金で解決出来るなら縁を切りたいって言うから、彼に150万ルピア渡したわ。そしたら全然足りない、もっと寄越せって言われたって」
二人は涙目でお互いを睨みながら訴える。卓はこめかみに手を添えて、盛大に溜息を吐いた。
「アンタ達、どう考えても男にカモられてるわよ。むしろロマンス詐欺ってやつね」
「え?」
二人は顔を見合わせる。
「大体ねえ、嘘だったとしても自分の問題なのに女に大金を払わせる男なんて、碌でもないヤツに決まってるじゃない。そんなヤツ、こっちから捨てておしまいなさい。
それでも溜飲が下がらない、騙された事を後悔させてやりたいんであれば、アタシが一肌脱いであげてもいいわよ?」
卓の言葉に、二人の目には今までと違った怒りの火が灯る。
「…わたし、やります。あの人をボコボコにします」
「あたしもやるわ。彼を物理的にギャフンと言わせたい!」
「そうこなくっちゃ」
卓は微笑むとネイルそっちのけで、二人の案内の元、男の住むアパルトマンへと乗り込んで行った!
程なくして、男の情けない悲鳴が町に響き渡った。
ロマンス詐欺の容疑で男を衛兵に引き渡す。衛兵には「またお前か」という顔をされるが、ここは敢えて無視した。
「ありがとうございました!おかげで目が覚めました!」
「オネエ様には感謝しかないわ!あたし達、もっと良い男を捕まえる!」
昨日の敵は今日の友、二人は卓に礼を言うと、仲良く手を取り合って町へと繰り出していった。
「いえいえ…アタシのネイルはどっか行っちゃったけどね」
卓は手を振りながら、諦めた様子でしんみりと呟いた。
1ルピア=1円20銭くらい




