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夜。
満月の下、紅は村の入り口にある守り岩の上に腰掛けていた。薄ら風が村から森へと吹き抜けていく。森の奥からは、魔物が蠢く気配。
「…群れで来てるね」
「紅殿、こっちは準備出来とります」
守り岩の後ろから佐吉が声を掛ける。村の男衆が何人か、松明を持って控えていた。紅はその姿を見て、こくりと頷く。
森の中の気配がざわり、と一斉に動く。
紅は守り岩から飛び降り、左手で鞘を握り鯉口を切る。そして柄に右手を掛けると、短く叫んだ。
「来るよ!」
同時に、猩々の群れが森から一斉に飛び出して来た!
先鋒の猩々が守り岩の横に佇む紅の姿に気付き、雄叫びを上げながら襲い掛かってくる!紅は素早く抜刀すると、下段より目にも留まらぬ速さで斬り上げた!猩々の血飛沫が守り岩を赤く濡らす。
紅はそのまま刀を肩越しに構えると、地面を蹴り猩々の群れに突っ込んだ!
猩々は攻撃する際に手を振り上げる癖がある。その際に生まれる隙――がら空きの胴を、紅の刀が真っ二つに薙いでいく!
「すげえ…」
呆気にとられる村の男衆。そんな一団に、紅は口元を布で覆いながら指示を飛ばす。
「燃やして!」
その言葉に、男衆は慌てて松明を、守り岩の前に堆く積まれた枯葉の山に放り込む!枯葉の中には、昼間の間に村人達に集めてもらった大量の唐辛子。辛味成分が燻され、風下で煙に巻かれた猩々達は大混乱に陥った。
その中を紅は縦横無尽に駆け抜け、猩々の胴を、頭を、次々と割っていった!
半刻ほど経ち煙が落ち着いた頃、累々と横たわる猩々達の死体の中に、紅は一人立っていた。
「げっほげほ…このやり方は効率いいけど、私もキツいなあ…」
唐辛子の煙に涙目になりながら、紅は口元を覆っていた布を外し、大きく咳き込む。能天気な口調に反して、月明かりに照らされたその姿は、猩々達の返り血を浴びて真っ赤。佐吉達は壮絶な光景に思わず、ごくり、と唾を飲み込んだ。
「一人で…退治なすった…」
「何て強さじゃ…」
「ありがてえ…」
じわじわと喜びが湧き、男衆は紅に駆け寄ろうと守り岩の裏から足を踏み出した。
しかし、紅はそれを片手で制し、森の奥を睨みつけている。
「紅殿、どうなすった?」
問う佐吉に、紅は視線を森の中に向けたまま告げた。
「まだ…終わってない」
その瞬間、ズシン、と大地が大きく揺れる。
森の奥からは得体の知れない、不気味な気配。その気配は樹々を薙ぎ倒しながら、ものすごい速度で村へと近付いて来る――!
そして、遂に村の目の前へとその姿を現した!
大きさは裕福な家の屋敷ほど。ぎょろりとした眼を持つ頭は牛そのものだが、その顔付きは知恵者である故の凶暴さを物語っていた。丸々とした躯からは蜘蛛のような脚が八本。そして、躯全体を覆う頑丈な外殻。
佐吉はじめ村の男衆は、恐怖のあまりその場から動けない。かろうじて佐吉が声を搾り出した。
「こいつは……牛鬼じゃあ…!罠を壊してたんはこいつか!?」
牛鬼は恐らく自分の子分であったろう猩々達の屍を見て、怒り狂った様子で咆哮を上げた。鼻から炎を吹き出し、猩々達の屍を一気に焼き払うと、自らが放った炎を纏ったまま村目掛けて突っ込んで来た!
間に割って入る紅は、柳に構えて牛鬼を受け止める!
ガキィン!という鋭い鋼鉄音が森中に響き渡る。紅はそのまま袈裟懸けに斬ろうとするが、外殻の硬さに刃ごと身体を弾き返されてしまった。
「っ…!」
紅は反動で飛び退り、間合いを取る。炎を纏った牛鬼は鼻息荒く、再び突っ込んで来ようと八本の脚で地面を抉っている。
普通の刃では通らない――ならば!
紅は恐怖で動けなくなっている佐吉達に向かって、声を掛けた。
「怖い思いさせてごめん!でも、大丈夫だから!」
「え……は!?」
佐吉は紅を見る。すると、紅の身体から薄ら蒸気が上がっているのが見えた。
紅は刃に付いた猩々達の血を振り払い、青眼に構えると、目を閉じ、呼吸を整える。
柄を握る手に力を込める。その力に呼応するように、紅の身体から発する蒸気がその濃さを増していく。
痺れを切らしたのか、牛鬼が地面を蹴って紅に向かってものすごい勢いで突進する!
「紅殿!!」
佐吉達が叫ぶ!
紅がカッと目を開く!
同時に、紅の両手が赤く輝き、紅蓮の炎の渦が生まれる!その炎は、地獄のように残酷で、天のように浄らかな、不思議な美しさを持っていた。炎は柄を包み込み勢いよく刀身へと流れ、巨大な炎の刃を創り出す。
紅は炎の刀を上段に構え直すと、迫り来る牛鬼に向かい、鋭い気迫と共に刀を振り下ろした!
「はあっ!!」
炎の刃は牛鬼に襲い掛かり、猩々を焼いた炎を容易く吹き飛ばし、鋼のように硬い外殻をもものともせず、その巨体を真っ二つに焼き斬る!
牛鬼は不気味な絶叫を残し、灰となって散る。地に落ちた灰からは、新たな命――紅花翁草が芽吹き、可愛らしい赤い花を咲かせた。
紅は刀を横一文字に振り炎を払うと、炎と共に血糊が焼き消えた刀を静かに納刀した。カチ、と鯉口が微かに音を立てる。
山の向こうから、静かに朝日が昇る。
朝日を受け、火の粉が残る紅の身体はまるで赤く輝いているように見えた。
佐吉達はすっかり腰を抜かし、その場にへたり込んでいた。誰かが、ぽつりと呟いた。
「紅殿……『炎帯人』様だったんか…」
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伊勢国が「神々が宿る国」と呼ばれるのには理由がある。
今より一千年前、この世に突如として、特殊な能力を持つ者、「能力者」と呼ばれる人種が現れた。その者は炎を操り、炎は悪き者全てを焼き尽くすまで消える事はなく、灰は無垢な命として生まれ変わる――破壊と再生の一族、炎帯人。
神と等しい力を持つ炎帯人が誕生した地、それが伊勢国だった。
人々は炎帯人を「神」と敬い、畏れ、そして怖れた。
しかし炎帯人の一族は驕る事を知らない。ただ人々を威圧しないよう、伊勢国に人知れずひっそりと暮らし続けている。
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朝霧村の入り口。紅は守り岩を磨き、岩肌に手を当てる。紅の手から守り岩に種火が伝う。守り岩はほんのりと温かな熱を帯びた。
「…よし、これでしばらくは魔物避けになるかな。他の炎帯人に定期的に見回りに来るように文を出したから、もう心配ないよ」
集った村人達の方へ振り返り、紅は微笑む。
しかし村人達は皆、平伏したまま顔を上げない。
「ありがてえこっす…炎帯人様」
「こんな辺鄙な所を救っていただいて…」
村人達の顔には、畏敬の念。
紅は村人達の様子に、少し寂しそうな笑みになる。
佐吉はその顔を見て、思わず腰を上げる。
「佐吉、頭が高えぞ!」
男衆の一人に怒鳴られるが、佐吉は紅の前に進み出て、トメから預かった握り飯を託す。
「量は全然足りねえと思うけど…途中で食べて下せえ」
「…ありがとう!」
紅は再び微笑んだ。その微笑みは、明け方灰より生まれた新しい命――足元に咲く紅花翁草のように可愛らしく自然な、心の底から嬉しそうなものだった。
紅は背嚢を背負うと、村を出て歩き出す。
佐吉はその背中に、改めて声を掛けた。
「助けて下すって…本当にありがとうごぜえます!」
紅は振り返る事なく、片手を挙げて応えた。




