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三日月が空高く昇る頃、煙燻る診療所跡に一人の男が音もなく現れる。黒ずくめの衣装で、ご丁寧に目元以外は全て隠している。まだ熱の残る瓦礫を掻き分けて、どうやら三人の遺体を探している様子だった。
「こんばんは、月が綺麗ですね」
突然後ろから右肩を叩かれて、黒ずくめの男は慌てて振り返る。そこには、診療所の爆発に巻き込まれたはずのアオイの姿があった。その姿は何故か土埃まみれ。
「こんばんは!」
更に左肩を叩かれ、今度は顔を逆方向に向ける。「エメラルドの娘」、紅が満面の笑みで立っていた。こちらは至るところ土、そして煤にまみれている。
「なっ……!!?」
動揺する男の後頭部を、背後から、ぐわし、と掴む大きな手!土埃だらけの蒼龍は無言で、そのまま顔面から勢いよく押し倒す!男は叫び声を上げる間もなく、瓦礫に突っ込み昏倒した。
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遡る事数時間、診療所が爆発する前。
「えっとですね、ここを爆破します」
アオイはしれっと言った。治癒師らしからぬ物騒な言葉に、一瞬沈黙が訪れる。
「…面白そう!やろう!!」
「本気で言ってるのか」
「はい、本気です」
妙に楽しそうな紅と、訝しげに眉をひそめる蒼龍に向かって、アオイはにっこりと笑って立ち上がる。そして薬品棚から色々な薬品を取り出した。
「恐らく相手は今、この建物に何かを仕掛けている最中です。まあ、爆破して殺す…と言ったところでしょうか。それなら先にこっちからやっちゃえばいい。勿論、死ぬ気はありませんけどね。相手の裏を掻く為にも、すぐに動きましょう。
ここにある薬品は火気厳禁、これだけあればこんな小さな診療所くらい、簡単に吹っ飛ばせます」
アオイは蒼龍の方を見る。
「見たところ、貴方は道士ですよね?」
「ああ」
「では、土遁で床下に、僕ら三人が数時間潜めるくらいの大きさの穴を掘って下さい。床板を捲ればすぐに土だと思います。
相手は爆発が起きて人目がなくなった頃、僕らが死んだかどうか、現場に確認に来るはずです。そこを捕らえます」
アオイは薬品を床に撒きはじめる。蒼龍は戸惑いつつも、床板を捲り土遁で穴を掘った。地盤は意外と柔らかく、すぐに広々とした空間が出来上がった。捲った床板から木遁を使い、穴の周囲を補強しておく。
「仕事が丁寧ですね」
「念には念だ」
アオイは穴の中に、診療所内にある最低限大事な道具類を運び込んだ。
準備が整ったところで、いざ実行の段階となる。
「さて、着火ですが…」
「私がやる!」
紅が名乗りを上げる。刀を抜くと、両手に逆手で構え呼吸を整える。身体中から蒸気が上がり、両手から炎の渦が生まれた!炎は柄から刃へと伝っていく!
「…え!?」
驚き目を見張るアオイを他所に、紅は床に向かって、思い切り炎の刃を突き立てた!
「待って!火力が強過ぎ…!!」
アオイが叫ぶ!
と同時に、炎は床に撒いた薬品に引火して、大爆発を引き起こした!
「…ごめん、やり過ぎちゃった」
間一髪、蒼龍が紅とアオイを抱えて穴に飛び込んだお陰で、全員爆発に巻き込まれずに済んだ。穴も何とか爆発の衝撃に耐えたようだ。土埃と煤だらけの顔で、紅が謝る。
「もう少し火力調整の方法を学ぶべきだな」
「おっしゃる通りです……」
呆れる蒼龍に、紅はしょんぼりと返す。
「いやそれよりも貴女!炎帯人だったんですか!?」
アオイは驚いて紅に詰め寄る。紅は若干気まずそうな顔をした。
「うん、ごめんね黙ってて」
「黙ってるも何も、聞いてないからいいですけど……」
アオイは絶句して、その場にぺたん、と腰をつく。そして、半笑いで呟いた。
「炎帯人に半龍人…本当に面白い人達だ……」
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翌朝、完全に伸びている黒ずくめの男を自警団に引き渡すと、自警団は「エメラルドの怪談が終わった」と喜んで、礼と称した報酬をくれた。思いがけない収入に、紅と蒼龍は屋台で大量に食べ物を買い込み、街を後にする。
屋台の串揚げを頬張りながら関門を潜り抜けようと歩いていると、アオイと鉢合わせた。背嚢を背負い、手に大きなトランクを提げている。どうやら街を出るようだ。
「アオイ先生も街を出るの?」
「ええ、クビになっちゃいました。診療所爆破したのがまずかったですかね」
「それはそうだろう」
照れたように頭を掻きながら笑うアオイに、蒼龍は若干呆れ顔である。
「元々旅していましたし、アブサンには長い事滞在してましたからちょうど良いタイミングでした。次はどこへ行くか、まだ決めていませんが」
「じゃあ、一緒に来ない?」
「……え?」
あまりに自然な紅の誘いに、アオイは瞠目する。
「アオイ先生、お腹痛かった時も命狙われてた時も助けてくれたし!診療所吹っ飛ばしたのも面白かったし!後は…一緒にご飯食べた時、話してて楽しかったし!」
「俺としても治癒師がいると助かる。危なっかしい奴が一人居るからな」
「どういう意味!?」
蒼龍の冷静な意見にむくれる紅。アオイはその様子に思わず吹き出し俯く。しばらく考えた後に顔を上げると、ちょっと困ったような顔で微笑んだ。
「…では、お言葉に甘えてご一緒させていただきます」
「うん!」
「世話になる」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「あ!」
紅は何かに気付いたように声を上げると、アオイに向かって一本指を立てる。
「これからは旅の仲間なんだから敬語禁止ね!私も先生って呼ぶのやめるから!」
アオイはしばらく目を見開いて固まるが、やがて眉尻を下げる。そしてようやく、柔らかく、嬉しそうに微笑んだ。
「…うん、分かった。よろしくね。紅、蒼龍」
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アブサンの牢屋では、自警団の連中が、久し振りの客人をもてなしていた。
何をしても治安が良くないので、普段であればもはや罪人を牢屋に捕らえたりするような面倒な事はしない。だが今回は違う。「エメラルドの怪談」などという恐ろしい事件を引き起こし、街を恐怖に陥れた罪は重い。
「だーかーらー!俺は知らねえって、エメラルドの何ちゃらなんか!!俺が狙ってたのはあの小娘だけだし、結局未遂で終わってるだろ!?前の三人なんて殺してねえよ!!」
黒ずくめの男が、牢屋の鉄格子をガシャガシャと揺すりながら喚く。蒼龍に押し倒された際に折れたのだろう、鼻が変な方向にひしゃげている。
「うるせえ!!どうせテメェは縛り首だ、せいぜい残り少ねえ時間をこのブタ箱で大人しく過ごしとけ!」
自警団が鉄格子を蹴り上げながら怒鳴った。
普段の行いが悪い事は承知している。しかし誤解なのに全く通じない。黒ずくめの男は、牢の中で絶望を感じていた。
「ちくしょう……金に目が眩んだとはいえ、何でこんな依頼引き受けちまったんだ……」
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アブサンを出立したその日の夜、紅達は適当な場所を見繕って野営をしていた。蒼龍の作る食事は絶品で、アオイの淹れるお茶は美味しい。お腹の満たされた三人は、交代で火の番をしながら眠りにつく。
「頼んだぞ」
「うん」
アオイと交代し、寝床に入る蒼龍。野営慣れしているのか、すぐに寝息が聞こえてきた。紅は既に深く眠っているようで、たまに「ご飯…」と寝言を呟いている。アオイはその様子に、思わずくすり、と小さく笑った。
焚き火の火が小さくなり、一筋の煙を残してふっと消える。
風が吹き、アオイの前髪を揺らした。
その目に宿るのは――殺意。
アオイは白衣のポケットから、小さな紙片を取り出してゆっくりと広げる。そこに書かれている、『暗殺対象 コウ・ヒユウ』という文字を、アオイは冷めた目で眺めた。
「エメラルドの怪談」、全てはアオイが仕組んだ事だった。
「ならず者の街」アブサンを選んだのは、他の犠牲者が必要だったから。殺したのは、人身売買人、悪徳高利貸し、虐待が趣味のサディスト。どいつもこいつも碌でなしばかり、殺されても何の違和感もない。殺した日だって本当はバラバラだ。後でそれらしく日付を言えば良い。
エメラルドを予告として置いたのも演出の一つ。「エメラルドの怪談」などというくだらない名前で近隣に噂として流しておけば、いずれ紅の耳にも入るだろう。
屋台で消化不良を起こすのも想定済み。料理に少しばかり細工させて貰った。まさかあそこまで食べるのは想定外ではあったが、治癒師として信頼もされた。
黒ずくめの男を雇ったのもアオイ。程よく間抜けそうな奴に依頼すれば、その行動は手に取るように分かる。
全てはアオイが、紅の懐に潜り込む為に仕組んだ事。上手くいき過ぎて、笑いが出そうになる。
アオイは改めて、殺害依頼の紙片を見る。そこにはもう一文、付け加えられていた。
『対象者となるべく長い時間、共に過ごす事』
「……面倒だなあ。何ですぐ殺したら駄目なんだろう」
アオイは溜息を吐いて、紙片を折り畳みポケットに仕舞う。そしてすやすやと眠る紅を一瞥すると、静かに呟いた。
「さて、時間はたっぷりあるし、どうやって殺そうかな」
アオイの目はエメラルドのように美しく、しかし仄暗く冷たく光っていた。
アオイの「月が綺麗ですね」は、完全に皮肉です。




