70「ブライルド先生」
「もっと全身に力を込めるんじゃ! 全然魔力が流れておらんぞ!」
コヨンさんの恩師でもあるらしい元教師のブライルドさんは、ボケてそうなところ以外はちゃんとした爺さんだと思っていた。
ところがいざ教えて貰うことになってみると、これだ。
魔力とか言われても何のことだかさっぱりわからない。
とりあえず、ぐっと奥歯を噛み締め両手の拳を強く握り込み、首筋に青筋が浮かぶほど全身の筋肉を硬直させる。頭に血が上るような感覚はあるものの、魔力とやらの手応えはさっぱり掴めない。疲れて息ばかりが荒くなっていく。
指先までガチガチに力を込めて、恐らく今は顔も真っ赤になっているであろう俺を見て、この爺さんは呆れたような息を吐いた。
「誰が筋トレをしろと言ったんじゃ。もっと体の奥の奥、血管の先を意識するんじゃ」
そんな事を言われても、全身に力を込めろと言われたのだから、こっちは言われた通りにやっただけだ。
今度は余計な力だけを抜き、腹の底から湧き上がる熱を全身へ送り出すように意識した。
「……駄目じゃな、全然魔力が流れておらん。もっと己の体内の魔力を感じるんじゃ!」
未知の物を感覚だけで色々言われても何一つわからないので非常に困る。何なんだこのジジイは。適当な事を言ってるんじゃないだろうな?
というか、魔力が流れていないとか言ってるけど、魔力って見えるものなのか?
「あの……質問いいですかね?」
「ん? なんじゃ、言うてみい」
このままでは訳の分からないまま、訳の分からない事をずっと続けさせられそうだ。
せめて少しでも、俺にも理解できるような説明をしてほしい。
「魔力ってものがそもそもよくわからないんですよ。俺の国では魔法ってものがそもそも無かったので……」
「なんじゃい、本当に何にもわからんのか」
このジジイ……元教師だしちゃんとした先生だと思っていたのに、ボケてるせいなのか元々なのかはわからんが、これじゃあキャサリーナさんの時とあまり変わらない気がするぞ。
「よいか、ワシの手をしっかり見ておるんじゃ。体内に流れる魔力をこうして、一点に集中することで魔力を感じやすくなるんじゃ。どうじゃ? ワシの右手に魔力が集まって塊になっておるじゃろ?」
ジジイ……ブライルドさんは右手を見ろというから、俺もしっかりと目を開いてじっくりと見ているのだが……何にも見えない。
適当な事を言ってるだけなんじゃないだろうか。やっぱりボケが始まっちゃってるんだよ、このジジイ。
「……何も見えませんけど」
「困った奴じゃのう……。ほれ、触ってみろ」
ブライルドさんは空いている左手で俺の手を掴み、容赦なく魔力を込めているという右手へと押し付けてきた。突然手を握られると、いくら爺さんとはいえちょっと驚く。
いきなり何をするんだと思ったが、触れた瞬間、掌からじんわりと熱い波のようなものが伝わってきた。少しピリピリとした刺激もある。目には見えないが、間違いなく何かがそこにあるのを感じる。
「あっ……」
「どうじゃ、これが魔力じゃ。生き物なら大なり小なり必ず持っておる。勿論、お前さんもな。これをまず、体中に巡らせるんじゃ」
適当な事ばっかり言ってると思ったけど、魔力って本当にあるんだな……。まあ、魔法はメルやミリィで見てきたから魔力も当然あるんだろうけど。
そういえばコヨンさんが俺のステータスを見た時に、魔力がちゃんとあったと言っていたし、ミリィも今の俺の体にはちゃんと魔力があるって言っていた。未知のものだし、使い方が分からないだけだ。……もっと分かりやすく教えて欲しいとは思うし、魔力は学問に近いとか言う話も聞いたし、こういうやり方で本当に正しいのかは謎だけど。
「さあ、体内の魔力をもっと全身に巡らせるんじゃ! 全身に血が巡っておるように、魔力も同じように循環させるのが魔法への近道じゃぞ!」
魔力があるのはわかったけど、説明がこれじゃあな……。
まあ、さっき触れた温かい何かが俺の中にもあるんだろう、よくわからんけど。
それを血液みたいに巡らせればいいんだろうけど……うん、やっぱりそんな感覚的な説明だけじゃあどうすればいいのかさっぱりわからん。
「ええい、それじゃあリラックスしとるだけじゃ! こうじゃ、こう!」
実演してくれているんだろうけど、さっきまでと何が違うのかが見てもさっぱりわからない。
魔法のある世界にきて、俺も魔法が使えたら、何て思っていたけど魔法の習得ってこんなに苦労するものなのか……? それともブライルドさんが教え方が感覚派すぎるだけなのだろうか。逆にこういう説明の方が分かりやすいって人もいるかもしれないけど、魔法は俺には未知すぎて、感覚だけではちょっと理解できそうにもない。
そして、そんな感じで約一時間が経過した──。
「……お前さん、才能無いのう。こりゃ時間がかかりそうじゃな」
「……何せ、魔法が無い国から来たものですから」
「安心せい。基礎学校の魔法授業でも、初日で完璧にできる子なんてなかなかおらんからの。ただ、お前さんの場合は魔力が固まりすぎとるのかもしれんの」
「固まる……ですか?」
「うむ、便秘と似たようなもんじゃ。固まりすぎて出にくいんじゃろ」
最悪な例えをされたぞおい。
俺の魔力はクソだってか?
「普通の子供なら、体が成長して魔力も大きくなってくる頃に、基礎学校で魔法の授業をするからの。でも、お前さんはその歳まで魔法の存在すら知らんかったんなら……その魔力はどえらい固くて大きそうじゃな、ハッハッハ!」
まだ便秘に例えるのかこのクソジジイは。
しかし、ミリィが言っていたけど俺の体はこの世界に来てから作り替えたものらしいから、そんな長い間放置されて固まった、みたいな便秘みたいなことは無さそうだけど……。
そんな便秘話になって本筋からズレそうになったところで、部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。コヨンさん、もう帰ってきたのかな。
「入りなさい」
その音に反応するように、突然ブライルドさんが真面目な顔で扉に向かって声を出す。
こういう所は元教師なんだろうな、もう反応が体に染みついているみたいだ。
「ええと、先生。ご家族の方がお迎えに来てまして……」
やはりコヨンさんが帰ってきたようだ。
その隣には三十代半ばくらいだろうか、若作りとは少し違う、整えられた品のある装いをした女性がいた。
「お父さん、また勝手に一人で飛び出して! 心配するじゃない!」
「ち、違うぞ? これは仕事なんじゃよ。生徒に魔法を教えとるんじゃ」
お父さんと言った事から、この女性はブライルドさんの娘さんなのだろう。さすがに自分の娘には強く出られないのか、ブライルドさんも少しあたふたしている。
「とっくの昔に引退したじゃない!」
「で、でもこうして働いて稼がんとな、老後の貯えが必要じゃし……。そ、それに、この子は魔法の才能が無さそうじゃからな、ワシがしっかり教えてやらんと……」
「今がその老後だし、充分過ぎるほど稼いできたじゃない! それに今は私の旦那の稼ぎで充分やっていけてるんだし、お父さんは家でゆっくりしてて!」
思っていたよりも気が強い女性のようだ。そして、ブライルドさんはもう借りてきた猫のようだ。
「まあまあ、落ち着いてください。先生も、今日のところはお帰りになった方が……」
二人の間に入り、コヨンさんが仲裁する。
コヨンさんもどこか疲れた顔をしている。まあ、色々と巻き込まれたようなものだからなぁ……。
「う、うむ……その方がよさそうじゃな……では、次の授業はいつにするか……」
次の予定を決めようとブライルドさんが言った辺りで、娘さんが凄い目つきで睨みつけたのを俺は見逃さなかった。当然のようにブライルドさんもそれに気づいて怯んでいた。
「そのー……先生には申し訳ないんですが、もう彼の次からの先生は決まってまして……本当に申し訳ないのですが……」
「そ、そうなのか? なら残念じゃな……」
「ほらお父さん、早く帰るわよ! ……では皆さん、お騒がせしました~」
「ゴンゾーよ、精進するんじゃぞ! 魔法は一日にして成らずじゃ!」
怖い顔でブライルドさんに怒っていたかと思うと、一瞬で笑顔になって俺たちに挨拶をしながら、娘さんはブライルドさんを引っ張りながら帰っていった。
……なんだか、嵐のようだったなぁ。
「アダチヤマさんも、お疲れさまでした……先生は引退してからも教師時代が忘れられず、たまにあのような事をするんですよ……」
「まあ、そういう爺さんは俺の故郷にもいましたから、わかりますよ。道場に来ては色々と教えたがる人とか、そういうの」
「どこの国にも、いるんですねぇ……」
深いため息をつきながら、疲れた顔でコヨンさんが呟いた。
しかし、結局ボケた爺さんだったという事なのだろうか。少なくとも魔力については本当にあるものだと分かったし、ブライルドさんは教え方はともかく本気で教えようとしてくれていたはずだ。
……現役だった頃は、落ちこぼれ生徒にも熱心に教えてくれていそうな感じもした。
これで終わりなのはちょっと惜しい気もするけど、結構な歳なんだし家族も心配するだろう。
結局俺の新しい先生は一時間くらいで終わってしまった。
……次は、本当にまともな先生であってほしいものだ。




