57「異世界の湯」
「うっかりしてたよ……こんなに汚れてたんなら自分たちにクリーンをかけておくべきだったね……」
「すみません、わたしもすっかり忘れてました……」
現状、パーティーの魔法係となっている二人はギルドを出てから少し落ち込んでいた。
まあ、年頃の娘としては臭いから洗ってこいと言われたようなものだから仕方がない。
「とりあえず……お風呂には行くとして、服の汚れなんかは先に落としちゃった方がよさそうだね……綺麗になーれ! 汚れよ、さよならー!」
相変わらず気の抜けるような詠唱だが、メルがみんなの為にクリーンの魔法をかけてくれた。
まあ公衆浴場といってもさすがに服も汚れたままでは嫌がられるだろうし、風呂に入って綺麗になった後に汚れた服を着る事になるのも嫌だしな。
「あー助かるわ……ところで、公衆浴場ってどこにあるんだ?」
俺がそう聞くと、メルは足を止めてじっと西の空を見上げた。
太陽はすっかり位置を落とし、日暮れも近づいている。
「公衆浴場はギルドからそんなに離れてないからすぐそこではあるんだけど……うん、日も傾きかけてるし、そろそろ開く頃だから大丈夫そうだね。浴場は夕方から開くんだよ」
なるほど、開店時間が遅いのか。仕事を終えた人達が来る時間に合わせているんだろうか。
日本では午前中からでも開いてたりするけど、色んな準備だってあるだろうし、清掃だけでも大変そうだもんな……。
「でも、いいもの貰えてよかったねー。公衆浴場ってそんなに安くないから、あんまり普段からは使いにくいからね」
「え、公衆浴場ってどれくらいするものなんだ?」
「千アラドくらいだよ。クリーンが使えない人は結構来るみたいだけど、毎日は厳しい値段だよね」
確かに、思っていたよりちょっと高い。
でもまあ……衛生的な事で言うなら、クリーンとかいう便利な魔法があるからな。贅沢品のような扱いなのかもしれない。
ただ、ちょっと楽しみでもある。
この世界に来てから、実は一度も風呂に入っていない。宿では風呂の代わりにちょっと大きめのタライにお湯を張って、あとはタオルを使ってゴシゴシと洗うだけだ。
風呂好きの日本人としては、そろそろゆっくりとお湯に浸かりたいものだ。
「風呂か、楽しみだな……!」
「ああ、そういえば日本人はお風呂が大好きで、基本的に毎日入るんでしたよね。ゴンゾーさんもそうだったんですか?」
「まあそうだな。クリーンなんて便利な魔法も無いし、部活で汗まみれで帰ってたから、風呂が無いとか考えられなかったよ……」
宿で最初に湯浴みの説明された時はちょっとびっくりしたもんだ。自分はそんなに綺麗好きじゃないと思っていたけど、こういうのはやっぱり日本人の血なんだろうか。
「え、ゴンゾーって以前は毎日お風呂に入ってたの……? もしかして、すっごいお金持ち……?」
メルがちょっと驚いたような表情で聞いてきた。
「いや、そういう訳じゃないんだけど……俺の国だと家に風呂があるのが当たり前だから、基本的に毎日入るんだよ」
「い、家にお風呂!? 凄いんだね……」
メルは少し引いている。
うーん、世界が違えばここまで常識って違うんだなあ……。
「メルランさん、日本は湿気が多い国なんですよ。汗もかきやすいですし、お風呂に入る習慣が発達したんです。だから一般家庭にもお風呂があるのが当たり前なんですよ」
ここでミリィが少し補足を入れてくれる。
しかしこいつ、地球……日本の事情にも詳しいな。やっぱり元々は天使長だっただけあって、色々な知識だけはあるみたいだ。
「ミリィちゃん、ゴンゾーの国の事にも詳しいね。やっぱり霊体だった時にニホンにも行ってたの?」
「そ、そうですね……。色んな世界を巡っていましたから……ねぇ……」
そういえば元々は霊体だったから色々詳しいとかそんな設定だったな。
この反応だと……ミリィも言われて思い出したみたいだけど、俺も今思い出したわ。
そんな風呂の話をしながら、メルの案内で公衆浴場へ向かった。
賑やかな通りの中に、ひときわ大きく頑丈そうな作りの建物が見えてきた。
周辺の建物よりも一回り以上も大きく、味わいのある琥珀色のレンガが壁面を彩っている。
しかし、こんな大きな規模の銭湯……と言っていいのかわからないが……浴場なのに、屋根に煙突が見当たらない。
銭湯と言えば煙突をイメージするんだけど……まあ、日本でも今は湯沸かしはボイラーとかだろうし、無いのが自然か。それに異世界だと湯沸かしの方法なんて魔法とかそういうので色々できそうだもんな。
「そういえば……人がいない。全然賑わってないな?」
やっぱりクリーンという便利魔法があるし、安くもない値段だし、不人気なんだろうか?
「まだ開いたばっかりだからじゃないかな? もっと遅い時間になると、結構人でいっぱいになるよ?」
そういえばそうだった。
ということは、一番風呂が楽しめるという事か。
「よし、じゃあ早速行くか!」
早く風呂に入りたい俺は、急ぎ足で公衆浴場の入り口に向かった。
異世界らしい情緒ある大きな木製扉の上には、三本の揺らめく湯気を象った、一目でそれと分かる看板が掲げられている。異世界でも同じような看板で、なんだか少し嬉しい。
扉を開けると、中からは暖かな空気が溢れ出してきた。
外の空気で冷めていた肌が優しく包み込まれるような感覚と、同時に石鹸の匂いと、懐かしいような湿った木の香りも感じられた。
「いらっしゃい!」
中に入ると、目の前のカウンター……俺からすると番台だ。そこには恰幅のいい中年男性が威勢のいい声で出迎えてくれた。
「もうゴンゾー、早いって……。あの、無料札を三人分貰ったんですけど……」
後ろから追いついたメルが早速、手続きをしてくれる。そうだった、俺だけではこういう時に困るんだ。
「はいはい、無料札ですね……ええ、確かに。それでは男性はあちらに、女性はこちらにお願いします」
慣れた手つきで札を受け取ると、男湯と女湯の場所を手で示してくれた。
その後、軽く説明があったが、俺の頭の中は早く風呂に入りたい気持ちで一杯だった。
「じゃあゴンゾー、私達はこっちだから、また後でねー」
「それではー」
「おう。後でな―」
メルとミリィは二人で女湯の方へ向かったようだ。
しかし、混浴とかではないんだな……いや、期待していた訳ではないけどさ。
男湯の暖簾をくぐると、更に一段と高い熱気が肌にまとわりついた。
脱衣所には磨き上げられている頑丈そうな木製の床板が広がっている。その前に靴を置くと思われる棚があるので、そこに靴を置いて裸足になるのだろう。こういう時、何もわからないから俺は一人だと無力だ。
靴を脱いで脱衣所の中をよく見てみると、壁一面には扉のない四角い木箱の脱衣棚がずらりと格子状に並んでいる。
その中に衣服が入っている様子も無いので、やはり俺が一番乗りで間違いなさそうだ。
早速服を脱いで、曇りガラスがはめ込まれた大きな木枠の引き戸を開けると、その向こうには湯気で煙る大きな浴場があった。これだよこれ、やっぱり風呂はこうでなくちゃ!
誰もいない一番風呂にテンションが上がり、思わずダッシュで飛び込みそうになったが、それはよくないと一瞬戸惑った。
そうだ、お湯に入る前に最低限、かけ湯くらいはしないとな。何ならしっかり体を洗ってからでもいい。久しぶりの風呂なんだからじっくり堪能しようじゃないか。
まずは体をしっかり洗う。十分に綺麗な体になったところで待望の風呂に入ろうとしたのだが……浴槽が三つもあるんだよな。何か注意書きのような文字も書いてあるんだけど、さっぱり読めない。
温度が違うのかと思ったけど、あまり違いは分からなかったし、深さなんかも変わりはなさそうだ。何なら水風呂は隅っこの方にあった。
まあ他に誰もいないし、誰か来た時にやばそうなら注意してくれるだろうし……何なら聞いてしまえばいいんだ。
という事で俺は、じっくりと湯に浸かって風呂を堪能した。それはもう、たっぷりと。
「ああぁ~……生き返る……」
やはり風呂はいい……十分近くは堪能しただろうか。でも、まだ少し物足りない気もする。
そういえばどれくらいで出るのかメル達と話してなかったな。あんまり待たせてしまうのも悪い気がするけど……まだ誰も来ない独占状態だし、もっと堪能していたいんだよな。
しかし、ここの風呂は温度もそこそこ高い。湯気だって凄い。仕組みが分からないけど、何か魔法とか魔道具とかを使って温度をキープしてるんだろうか。
あんまり長く浸かっていると湯あたりになるかもしれないし、一人の時にそうなると怖いからな……そろそろ出ようかな。
そう思って立ち上がろうとした時に、風呂の扉が開く音がした。
結構時間が経ったし、さすがにそろそろ他のお客さんが入ってきた頃か。
湯気が凄くてどんな人が入ってきたかはわからないが、ちょうどいい頃合いだし、俺も出るとするか。
「あ、あの~……ゴンゾーさん……居ます……よね~……?」
湯気の向こうから聞こえたのは、間延びした聞き覚えのある声だった。
な、何で男湯にシノさんが入ってきたんだ……?




