54「ゴブリンキングの終焉」
女性から好かれた事なんて、今までに無かった。
さすがに母親からの愛情はあっただろうけど、そういう事ではない。
だからまあ、愛とか恋とかそういったものとは無縁だった。
恋慕。
スキルの効果で頭に響いたこの単語の意味は、正直よくわからない。
ただ、イメージとしては、恋をしているとか、そういった物だろうか。
シノさんは素敵だ。
可愛くて、声も素敵で、可憐な笑顔だし、間延びした口調なんかも愛らしい。
それだけじゃなく、とても強い人だ。
そんな人が、俺に恋? さすがにそんな事は無いだろうけど……。
いや、今はそんなことを考えてる暇はない。今は目の前の敵に集中しなければいけない。
だけど、そんなことを考える余裕があるくらい、体の奥底から力が湧き続けているような感覚がある。
恐らくまだ、メルのおかげで発動した分のステータス上昇と、今上昇したばかりの分が重複しているせいだろう。
視界が急にクリアになり、今まで追えなかった敵の動きが、不思議とゆっくり見える。
全身に軽い火が灯ったような高揚感もある。
俺は迷うことなく、風を切るように地面を蹴り、敵に向かって飛び掛かる。
まるで自分の体ではないような感覚だ。
「危ない!」
無策で敵に飛び掛かったように見えたのだろう。シノさんが大声で警告する。
実際、ゴブリンキングもただ飛び掛かってきただけの俺に対して、カウンターのように拳を突き出してきた。
だが、今の俺には全て見えている。
さっきまでは、早すぎる攻撃を必死に避けるだけで精一杯だった。
でも今は違う。相手の攻撃に対してどう動けばいいのかが理解できるし、何なら体が勝手に動いてくれる。
最低限の動きで突き出された拳を避けると、そこから流れるような動きで奴の腕に二連撃を叩き込む。
「グアァァァァァァ!」
今までに無いほどの手応えがあった。奴の反応を見るに、かなり効いている。そして、今まで打ち込んだ時にあった手の痛みが完全に無くなっている。
そして、一撃だけのつもりだったのに二撃も撃てる余裕があった。
俺の爺さんでもここまでの動きはできなかったんじゃないか。これがステータスの大幅上昇、それも二人分の力なのか。
……そりゃあ封印されるスキルな訳だ。羨望の的になるような立場の人間なら、人間の限界すら凌駕する力を出せるだろう。
「さすがです! じゃあ、私も──!」
負けじとシノさんも短剣を構え、姿勢を低くしたかと思うと凄まじい速さで奴に詰め寄る。今の俺よりも素早い動きだ。
これも今までは何をしているのかすらわからなかっただろう。
短剣の銀光が弾けた。ゴブリンキングがシノさんに反応するよりも早く、シノさんの影が足元へと滑り込む。
――閃光、一閃。
乾いた風切り音と共に、奴の強靭な膝の裏へ、正確無比な肉を削ぐ斬撃。
その勢いのまま通り過ぎるかと思いきや、シノさんは踵を軸にして地面を強烈に蹴り上げた。
大きく土煙が舞い、大気が鳴るかと思うような急停止からの再加速。
風のような速さで、先ほど切り裂いたばかりの傷口へ、二度目の斬撃が決まる。
「グ……グゥ……!」
同じ傷口を狙い撃つ連続した斬撃に耐え切れず、ゴブリンキングはバランスを崩したのか大きな音を立てて大地に膝をついた。
それでもまだ、致命打にはならない。恐ろしい生命力だ。
だが、これで奴はまともに動き回れないだろう。
俺のスキルもそんなに長くは持たない。早めに決着をつけた方がいいだろう。
「ク……クルナ……クルナァ!」
奴は初めて恐怖という感情を覚えたように見えた。
木刀を構えた俺が一歩近づくたびに、命乞いのような台詞が漏れる。
「喰らえぇぇぇッ!」
日本に居た頃は、危険なので禁止されていた突き技。実際に使った事は無い。
けれどカッコいいから好きだった技だ。
本来なら喉元を狙うが、体格差的に一番威力を込めやすい、胸元を狙った。
真っ向から体重を乗せた一撃が、奴の胸元に直撃する。
ドン、と低い音がした。
さすがに突き刺さるような事は無かったが、大きな衝撃で奴の巨体が少し後ろに吹き飛んだ。
かなりのダメージだったのだろう、口からは血と何かが混じったような液体が飛び散っていた。
「……お前、本当にしぶといな。そこだけは感心するよ」
「ガ……ハッ……ァ……!」
今はもうまともに喋ることも難しいのだろう。しかし、この一撃を喰らってもまだ生きている。シノさん一人でも倒せるか怪しいと言っていたのは、本当の事のようだ。
「はっ……!」
そこから更に、奴の腕を狙ったシノさんの斬撃が抉る。
「……ッ!!」
叫び声すらも上げられなくなったようだが、この一撃でもう攻撃手段も失われただろう。
……もう、終わりだ。
これ以上痛めつけるのも趣味ではない。
決して、下に見ているわけでも、見くびっているわけでもない。
だけど、これ以上奴を苦しめたくないと思った。
「もう、終わりにしてやるよ……」
上段の構えを取り、ゆっくりと奴に近づいていく。
奴の……ゴブリンキングの瞳はまっすぐに俺を見つめていた。
先ほどのような怯えた表情では無い。
憎悪ほど激しくはないが、敵意というほど軽くもない、そんな複雑な目だ。
俺自身も、この気持ちをどう表現するべきかわからない。
「強かった……お前は立派なボスだったよ」
だが、悔いの残らないように。
渾身の力を込めて、奴の脳天に本気の一撃を叩き込んだ。
「だああああああぁ──ッ!!」
振り下ろされた一撃は、唸りを上げて大気を切り裂く。
ドォォォォォンッ! という地響きのような音が響く。まるで岩でも叩いたかのような衝撃だった。その衝撃で、鉄のような硬さのアイアンウッドの木刀も二つに折れる。
抵抗も、咆哮も無い。
ただ、ゴブリンキングの巨体は大地に伏したままピクリとも動かなくなった。
「終わったか……」
厳しい戦いだった。俺一人では絶対に勝てない相手だった。
誰かが一人欠けていても無理だっただろう。
「やったねゴンゾー! 凄かったよ!」
強敵を倒し終えて、喜んだメルが俺に抱きついてくる。
ああ、女の子に抱きつかれるなんて初めてだからどういう対応をすればいいのかわからない……。
「ゴンゾーさん、さすがです!」
今度はミリィが腰のあたりに抱きついてきた。
こいつはまぁ……どうでもいいか。でも、今回の戦いは真面目にミリィのおかげで命拾いしたから、そこは本当に感謝だ。
「ゴンゾーさん……。あなたは……もしかして、騎士様なんですかぁ?」
不思議そうな眼差しで俺を見つめながら、シノさんが聞いてきた。
騎士……って何だろうか?
俺のイメージする騎士は二つ。
一つは馬に乗った兵士。
もう一つは、主君に忠誠を誓い、名誉や礼節を重んじる戦士。
……どちらも俺からは程遠い存在だろう。
「えっと……『騎士』ってのは何なんです? 俺の国にはそういうの無いから、わからなくて……」
シノさんが一体俺を何と勘違いしているのかがわからない。
だけど、スキルで頭に響いた『恋慕』の意味は、その勘違いにあるのだろう。
「……弱い者達を守る正義感を持った、勇猛果敢な戦士の事です。もっとも、おとぎ話の存在なんですけど~……。小さい頃に読んだお話の中では、誰かを守る時に信じられない力を発揮して、たった一人でドラゴンを倒すような……」
……いや、ハードルが高すぎる。俺はドラゴンなんて倒せないし、そんな大層な人間じゃない。
そう苦笑いして否定しようとした俺の言葉は、シノさんの次の呟きによって遮られた。
「先ほどのあなたは、そんな……おとぎ話に出てくる騎士様のようでした。小さな頃から、ずっと憧れだった、騎士様みたいで……」
そう言って俺を見つめるシノさんの瞳は、まるで熱を帯びているかのように見えた。
スキルが告げた『恋慕』とは、憧れのようなものだったのだろうか。
だけど、俺はそんな風に見られるような器じゃないと、慌てて首を振る。
「俺は……そんな大層な人間じゃないですよ。異国から来た、帰るあてのない、その日暮らしの冒険者ですから」
卑下するような俺の言葉に、シノさんは「いいえ」とでも言うように小さく首を横に振った。
「……でも、ミリィさん……おとぎ話の存在と思っていた精霊は実在しました。それに、ゴンゾーさん……あなたの能力はあそこまで高くなかったはずです。まだあなたが自分の本当の力に気付いていないだけなのかもしれませんね~」
おっとりとした口調ながら、その言葉には確信めいた響きがあった。
ミリィを精霊だと偽っているだけで、精霊が本当に実在したわけでは無い。だけど誤解させてしまったのはミリィのせい……いや、俺の責任もかなり大きい。つまり結局は俺のせいでもあるのか。
突然のステータス上昇についても鋭く見抜かれ言葉に詰まる俺を見て、彼女はからかうような、それでいて愛おしそうな微笑みを浮かべる。
「それに、本当に騎士様じゃなかったとしても……あなたはとても素敵でしたよ~」
俺は自分に自信が無い。女性に好かれた経験が無いからだ。
だけど、そんな俺でも少しくらい好意を向けられている事は分かる。
でも、この異世界での初恋だと思えるくらいの人からの好意だというのに、こんな時にどうしたらいいのか、どんな事を言えばいいのかが俺にはわからない。
言葉に詰まる俺を見て、シノさんはふっと微笑み、別の話を切り出した。
「……ところで、まだ終わりじゃないですよ~。ゴブリンの討伐証明を全て切り取って、死体を全部まとめて焼かないといけませんからねぇ。その間に別のモンスターが出てくるかもしれませんし、帰り道にまた別のモンスターが、なんて事もあり得ますからね~。油断はダメ、ですよ~」
そうだった、まだ大量のゴブリンの死体があるんだった。
難しい事はまた後で考えるとして、今はまだ油断せずに、目の前にある仕事を片付けよう。




