49「崖下に一人」
「シノビアラさん、すみませんが、わたしを後ろから持ち上げてください。ゴンゾーさんを視界に入れてないと、届かないんです」
崖下へと視線を向けたまま、ミリィが切羽詰まった声を上げる。
普段の間の抜けた調子は完全に消えていた。
「え……? 届かないって……回復魔法はこんなに離れてたら発動しませんよねぇ……?」
シノビアラさんの困惑した声が聞こえる。
「わたしの回復魔法なら大丈夫です。だから、早くお願いします!」
ミリィの声には、焦りが滲んでいた。
「は、はい~!」
直後、崖の上から小さく土が崩れる音がした。シノビアラさんがミリィを抱え上げたのだろうか。
ぼやけていた視界が少しだけ戻ってくる。崖の上に、ミリィのような影が少しだけ見える。
その影が大きく光り、ミリィの声がまた聞こえてくる。
「光よ集え……傷を癒し、命の輝きを呼び戻せ!」
いつもの気の抜けるような詠唱では無かった。何だよ、この世界の魔法の詠唱はちゃんとした物もあるんじゃないか……。
だんだんと光は大きくなっていくように見える。いや、光が俺に近づいてきているんだろう。
眩しくなり、俺は目を瞑ってしまったが、その瞬間、体全体が暖かくなっていった。
それから、嘘のように体の痛みが消えていく。
「これが……精霊の回復魔法なんですかぁ……?」
痛みも視界もクリアになっていき、崖上からのシノさんの驚いた声が聞こえてくる。
「ミリィちゃん……本当に凄い……!」
メルも驚いている。メルはミリィの有能な部分をある程度知ってはいるが、ここまでとは思っていなかったのだろう。仕方がない、俺も驚いているんだから。
「凄いな……治ったぞ! もう大丈夫だ!」
とにかく、皆を心配させたくない。体は……もう何とも無さそうだ。
俺はすぐに体を起こし、大きな声で返事をした。
「う……う~……! 心配させないでくださいよぉ! ゴンゾーさんに死なれたら、わたし困っちゃうんですからね!」
俺の声を聞いて安心してくれたのか、ミリィがいつものような声で叫んだ。
「良かった……無事で……」
メルにも心配をかけてしまったようだ。
「草がクッションになってくれたのかもしれませんねぇ。この高さでは運が悪いと、もっと危ない事になってましたから~」
草がクッションに、か……。言われて自分の落下地点を見てみるが、確かに草が生えている。俺が上に落ちた事で今はペシャンコだ。
そして崖上の方を見ると、確かに高い。五メートル近い高さだ。
この高さなら落ち方が悪ければ死んでいても不思議はない。本当に運が良かった。
「……とりあえず俺はもう平気ですけど、どうしましょう? ちょっとこれは登れそうに無いんですが……」
さすがにこの崖を上るのは無理そうだ。
皆がここまで下りてくるのも危険だろう。
「そうですねぇ……ここから直接下りるのは危険なので、もう少し安全に下りれそうな場所から下りて合流しようと思います。なので、できればそこからあまり動かないようにしていてくださいね~」
「じゃあ、待ってますんで。皆も心配かけてごめんなー!」
とりあえず、しばらくは待っているしかなさそうだ。
「一人で無茶したらいけませんからね! 静かに待ってるんですよ!」
「なるべく急ぐから、ゴンゾーはじっとしてるんだよ!」
ミリィもメルも……人をまるでじっとしていられない子供みたいに言いやがって……。
でもまあ、心配させてしまったしな、仕方がない。それに実際、森の中に一人というのは危険だろう。
それから、皆は崖を下りられる場所を探しに行ったのだろう、ガサガサと草の動く音や足音が聞こえた。その音が遠くなると、森の静かさだけが残り、途端に俺は不安になった。
「しかし……どうするかな。ただ待つだけってのもな……」
俺の不注意が招いた事だが、こんな場所で一人で待つだけというのも悪い気もする。
ただ、だからといってできる事も無いんだよな。痕跡なんか俺にはよくわからないし、下手な事をすると今回のように事故を起こす可能性もある。
とにかく立ち上がり、周囲だけでも観察してみるとしよう。
まず、落ちた場所だが……よく見るとクッションになった草には俺の血がべっとりと付いていた。
……これ、本当に危なかったのでは?
ミリィの回復魔法が無ければ本当に危なかったのかもしれない。だからこそ、ミリィもあれだけ必死になってくれていたのだろうか。
いつもは駄目な奴かと思っていたけど、今回は本当に感謝だ。
次に周りの木なんかを見てみるが、やはり崖の上とあまり変わりはない。俺には違いが判らない。
しかし、木の上をよく見ると、確実にいつもと違う事があった。
「なんだ……あれ?」
ネズミのようなリスのような、鮮やか緑色の体毛をした妙な動物がいた。
尻尾まで含めると体長は三十センチくらいだろうか。
……モンスターなのか普通の動物なのか、どっちなんだろう?
そもそも普通の動物とモンスターの違いとは……なんて思っていると、そいつは木の上から飛び立ったかと思うと、飛膜を広げて木から木へと優雅に滑空していた。
「おお、すげぇ!」
そんな俺の声に反応したのか、そいつは木の上からこちらを見つめてきた。
少しだけ好奇心に満ちているようにも見える。だが、それは俺の思い違いだったようだ。
「キキッ!」
鳴き声の後に、そいつの目の前の空気がまるで固まったかのように、白く濁る。
嫌な予感がして身構えたが、それは正解だった。
「うわっ!?」
そこから何かが俺の顔面目掛けて飛んできた。咄嗟に避ける事はできたが、それでも頬を掠めてしまった。痛みは無かったが、ひやりとした感触があった。
遅れて、温かい何かが頬を伝う違和感。思わず手で拭うと、赤い液体……俺の血だ。
「まさかあれ……ウィンドラットとか言うやつか? 小型で魔法使うとか言ってたし……」
小さいとはいえ、あんなカマイタチみたいな魔法を使ってくるモンスターなら安心できない。
高い位置にいるが、木に衝撃を与えるなりでもしかしたら落とせるかもしれない。
駄目で元々で、俺は木刀を握りしめて、ウィンドラットの居る方向に突進を試みた。
「うおおおおぉぉぉぉぉ!!」
雄たけびを上げながらウィンドラットに向かって走り出す。
しかし、俺のやる気とは裏腹にウィンドラットはビクリと大きく反応した後、背を向けて一目散に飛び去って行った。
……逃げたか。まあ、ウィンドラットからすればこんな大きい相手が向かってきたらそうなるだろう。正直、俺も助かった。
安心したらなんだか、少し頬が痛くなってきた。
大した傷ではないだろうし、放置していても治るだろうが、少し気になるな……。
「あ、そういえばシノさんが言ってたアレがあったな」
そう言えば森に入った時に採取しておいた木の実があった。潰した汁が傷に効くといっていたやつだ。
ポケットからそれを取り出し、指で潰してみる。すると、緑色の汁が出てきて、不快ではないが独特な香草のような匂いがした。一応食べられない事もないらしいから、香りづけとかにもひょっとしたら使えるのではないだろうか。
まあそれは置いといて、指に付いた汁をしっかりと頬の傷に付けていく。
少し染みるが、まあこれで少なくとも血は止まるだろう。そう言えば虫よけにも効くとか言っていたな。せっかくだから顔全体にも塗っておこう。
「……暇だな。でも、一人行動はやっぱり危ないよな。知らないモンスターもいるし……」
一人だとやる事が無いし、できる事もほとんどない。
まあ、あまり動かずじっとしてろって言われたしな。実際さっきのウィンドラットみたいなモンスターが複数出てきたら危険だ。数で負けてるってのはそれだけで危ない。多人数掛けって稽古を昔、爺さんにやらされてたっけ……あれは厳しかった……。
そんな昔の苦い思い出を振り返っていると、奥の茂みからガサガサと音がする。
それも、一つや二つじゃない。
緊張が走る。
俺はもう一度木刀を握りしめ、何が出てきてもいいように警戒しながら構えを取る。
そこから出てきたのは……今回の調査依頼の目的である、ゴブリンだった。
それも、複数体。わらわらと出てきたその数は、五体以上はいる。
そんなゴブリン達と俺は、しっかりと目が合ってしまった。
以前の戦闘を考えると、勝てない相手では無いだろう。しかし、数が多い。
そのゴブリン達をよく見ると、手にはしっかりと武器を握っている。
棍棒や、少し錆びた刃物……特に刃物は危なそうだ。錆びているのが逆に危ない。あんなもので斬られたら傷口がヤバい事になる。絶対何かの病気になる。
さっきみたいにこいつらも逃げてくれればいいのだが、そう上手くいくだろうか。
「ギギ……ギ! ギィ!」
ゴブリン達はすぐには襲い掛かってこないようだ。何か喋っているようだが、あいにくと何と言っているのかはわからない。
先手必勝で一体だけでも片付けるか……しかし、そうなると囲まれてしまうかもしれない。
どう戦うのが正解か悩み、木刀を構えたままでいると、今度はゴブリン達に動きがあった。
構えていた武器を下ろし、何だか陽気な声で喋り出した。
そして……。
「ギ……ギィ! ボス、コンナトコ、イタノカ!」
……はい?
こいつら、喋るの……?




