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47「森へ」


 不意に真剣な表情になったシノさんの横顔を見た時、俺は少しだけ嫌な予感を覚えた。


「……シノさん?」


 シノさんは振り返らないまま、静かな声で言った。


「やっぱり少し変ですよねぇ~」


 その間延びした喋り方はいつも通りなのに、何故だか空気だけが違った。


「ファングボアが、あんな町に近い場所まで出てくるのって、ちょっと珍しいんですよねぇ~」


 そう言ってシノさんは、遠くに見える森の奥を、細めた赤い瞳で見つめている。


「……何かあるってことですか?」


「う~ん……まだ断言はできませんけど~。森の奥で縄張り争いとか、大型モンスターの移動とか、そういうので追い出された可能性はありますねぇ」


 だがそこで一度言葉を区切ると、シノさんは小さく息を吐いた。


「あと~……かなり可能性は低いですけど~、ゴブリンキングみたいなのが出てる時も、周囲の魔物が押し出されてくる事はありますねぇ」


 その言葉を聞いた瞬間、さっきまでの空気が嘘みたいに静かになった。


「えっ……」


 メルが小さく声を漏らす。

 ミリィも、さすがに表情を引き締めていた。


「まあ、正直言ってゴブリンキングが出るなんて~、新人さんの気を引き締めさせる為に、脅かすつもりで言った部分もあるんですけどねぇ~。でも、最悪は想定しておいた方がいいですから~」


 シノさんはそこでようやくこちらを振り返った。

 ふわりとした笑顔。

 でも、その赤い瞳だけは笑っていない。


「とりあえず、ゴンゾーさん達が最初にゴブリンと遭遇した畑の辺り、もう一度見に行きましょうか~。今回の依頼もその辺りでしたよねぇ?」


「はい、よく覚えてますから。……急ぎますか?」


 こういう時、あまりのんびり動くといい事が無い……そんな気がした。


「そうですね~。ちょっとだけ、急ぎましょうか~」


 シノさんもそれに同意する。その『ちょっとだけ』という一言が何故か余計に急がなければいけないような気持ちにさせる。

 そうして俺たちは少しだけ走りながら、以前に依頼で行った畑へと向かった。

 ちなみに走るとミリィが付いて来られそうにないので、俺がまたおぶってやった。今回はなんだか冗談を言い合える余裕も無かったので、俺もミリィも無言でお互いにそれを受け入れていた。


 以前は十分ほどの時間がかかった距離だが、少し走ったおかげで今回は五分程度で以前ゴブリンを討伐した畑まで到着した。シノさん一人ならもっと早いのだろうが……。

 少し走っただけで肩を上下させ、ぜえぜえと苦しそうに息をするようなミリィがいるのだから仕方がない。

 レベルも一で体力も無いし、子供の短い足には過酷だろうから特に文句は無いのだが。


「ここですか~……普通の畑ですねぇ。確かに、ゴブリンは本来こんな人間に狙われやすい場所には出ませんからねぇ……」


 そういえばゴブリンはずる賢いって聞いてたな。人間よりも小さいし、やっぱり普通は人間の居る場所なんかは避けるモンスターなのだろうか。


「えっと、依頼書にはこの付近でまたゴブリンが居たみたいで、足跡なんかから近くの森から来ているみたいだって書いてましたけど……」


 メルが荷物から依頼書を取り出してもう一度確認をしたみたいだ。

 足跡なんかはよくわからないが、確かに遠くの方に森は見える。


「周辺にモンスターはいないようですし……場所もある程度わかってるみたいですから、とりあえず森まで行ってみましょうか~」


「ですね。急ぎましょう」


 それから更に、俺たちは小走り気味に森へと向かった。

 走りながらも時折、シノさんはきょろきょろと周囲を観察していた。


「……あら? 私が気になりますか~?」


 ずっとシノさんを見ていたのが、どうにも気付かれたようだ。……まあ、これだけ実力差があるのだから気付かれるのも当たり前なのだろうけど。


「あ、いや……こうやって移動しながらでも周囲を警戒できるの、凄いなって思って」


「う~ん、スカウトスキル持ちってそういう役割ですからね~。それに、ゴンゾーさんはそうやってミリィさんを背負って走ってるんですから、適材適所ですよ~。私の体格ではそういうの、あまり向いてませんからねぇ」


 確かに今も俺はミリィをおんぶしたまま走っている。いくらミリィが軽いとはいえ、やはり女性には厳しいだろう。シノさんはメルよりも少し背が高いが、体格そのものはあまり変わらないように見える。

 

「す、すみません……わたしの体力が無いせいで……」


 俺の背中から、覇気のない声でミリィが囁く。

 今日はずっと真面目な雰囲気の為か、ミリィもまだあまり役に立てていない事なんかにも罪悪感があるのだろう。


「あらら、気にしないでくださいね~。今回はちょっと急いだ方がいいかなって思ったのでこうなっちゃいましたけど……。でも、ミリィさんは回復や補助役ですし、体力面で劣るのは仕方のない事ですから~」


 幼い姿のミリィの自虐的な言葉にさすがに少し気になったのか、シノさんは優しい声で返す。

 姿こそ幼いのだが実際は……まあ、わざわざ言う事でも無いだろう。


 そして、森の前まで到着すると、シノさんはまた真面目な顔になり俺たちに注意を促した。


「さて……森の中はゴブリン以外にも色んなモンスターが居ますからね~。さっきのファングボアや、ストーンベアなんかの大型モンスターも危険ですけど、ウィンドラットなんかの小型で魔法を使ってくるモンスターもいますから、気を付けてくださいね~」


 まだ見た事のないモンスターの名前が出てきたな……。まあ、出会う何かは全て危険だと思っておいた方が良さそうだ。

 とりあえずここから先はミリィを下ろし、しっかりと自分でも周囲を警戒するようにしよう。


「えっと、どうしましょうか? 調査ってそもそも何をしたらいいのかわからなくって……」


 不安そうにメルが問う。何でも知っているように見えるメルだが、やはりまだ十六歳の駆け出し冒険者だ。調査依頼なんて何をしたらいいのかわからないのだろう。当然俺もわからない。


「そうですねぇ……まずは痕跡探しですねぇ~」


 シノさんはしゃがみ込み、地面へ軽く触れる。


「ゴブリンってずる賢いですけど、意外と雑なんですよ~。足跡も残しますし、食べ残しも捨てますし、群れが大きいと臭いも強くなりますからねぇ~」


「臭い……?」


 思わず顔をしかめると、シノさんは苦笑した。


「まあ~、慣れると分かるようになりますよ~。あと、木の削れ方とか、踏み荒らされた草なんかも見ますねぇ。今回の場合はとにかく、ゴブリンの痕跡を見つけるんです。そこから異常の痕跡を探していく感じですかね~」


 そう言いながらシノさんは森の入口付近をゆっくり観察していく。

 そして不意に、その指先が地面の泥をなぞった。


「……あら~?」


 間延びした声。

 だけど、その瞬間だけ空気が張り詰める。


「どうしたんですか?」


 メルが緊張した様子で近寄る。


「これ、多分ゴブリンの足跡ですねぇ。しかも、結構新しいですよ~」


 シノさんの目線の先の地面をよく見ると、確かに何かの足跡がいくつか見える。

 そしてその足跡は森の奥の方へ進んでいるようだ。


「じゃあこの足跡の続く先に行ってみましょうか~……あら?」


 いざ進もうと思った所で突然シノさんが足を止めた。不意に緊張が走る。

 だが、それは良い意味で期待外れだった。


「この木の実、便利ですから覚えておいてくださいね~。あまり食用には向かないんですけど、潰した汁は虫よけになりますし、ちょっとした傷にも良いんですよ~。いくつか採取しておきましょうね~」


 すぐ側にあった木の実の解説だった。大した事じゃ無くて良かったが……しかし、本当に便利そうなので俺たちもいくつか採取しておくことにした。


 それから俺たちは、足跡を追いかけるように、森の奥へと進んでいった。

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