第8話 俺たちの料理人は渡さない
「おーいユイちゃん! 今日の昼飯は何ッスか! もう腹が減って限界ッス!」
ザックさんの大声が響く砦の食堂。
私は厨房で、大量の魔物肉を使った特製ハンバーグのタネを捏ねていた。
「今日は煮込みハンバーグですよー! もう少しで焼けるので待っててくださいね~」
ドガンッ!!
私が言い終わる前に、食堂の重厚な扉が乱暴に蹴り開けられた。
現れたのは、泥に血にまみれたいつもの騎士たちとは対照的な、煌びやかで無駄に装飾の多い鎧を着た男たちだった。胸には王宮直属の近衛騎士団の紋章が輝いている。
「……ふん。獣臭い最前線の砦と聞いていたが、妙にいい匂いがするではないか」
先頭に立つ傲慢な顔つきの使者が、鼻で笑いながらずかずかと食堂に足を踏み入れた。
そして、厨房に立つ私を視界に捉えるなり、ニヤリと嫌らしく口角を吊り上げた。
「探したぞ、偽聖女ユイ! いや、我が国の誇るべき『真のバフ要員』よ!」
「あ……っ……」
その顔を見た瞬間、私の全身から一気に血の気が引いた。
思い出すのは、氷のように冷たい玉座の間。理不尽に役立たずと罵られ、ゴミのように放り出されたあの日の恐怖。
ガタガタと足が震え、手からハンバーグのタネが滑り落ちそうになる。
「喜べ! 寛大なる殿下が、お前のこれまでの不敬を許し、再び王宮の厨房で働くことを特別に許可してくださった! お前は国家の所有物だ。今すぐそのエプロンを脱いで、我々と共に王都へ戻れ!」
使者は私のトラウマを抉るように、高圧的な声で命令を下す。
戻る……? また、あんな冷たい場所へ? 用済みになればすぐに捨てられる、あの地獄へ!?
「い、嫌だ……私、は……」
「嫌だとは言わせん! これは王太子殿下からの絶対の命令だ! おい、その女を縛り上げろ!」
使者の合図で、数人の近衛兵が私に向かって一歩を踏み出した。
——その、瞬間だった。
◇ ◇ ◇
ゴォォォォォォォォォ……ッ!!!
空気が、重く沈んだ。
いや、物理的に食堂の温度が急激に下がり、息をすることすら困難なほどの凄まじい殺気が空間を完全に支配したのだ。
「ひ、ひぃっ!? な、なんだこの尋常じゃない威圧感は……ッ!?」
使者が悲鳴を上げ、近衛兵たちがガクガクと膝を震わせて立ち止まる。
「……誰の許可を得て、俺の砦でデカい顔をしている」
地獄の底から響くような、低く、冷徹な声。
私の前にスッと立ち塞がったのは、漆黒の軍服を翻したレオンハルト団長だった。
その後ろには、いつの間にかザックさんやゴードンさんをはじめとする紅蓮騎士団の全メンバーが、完全武装の状態でズラリと並んでいる。
彼らは皆、普段のご飯を待つ陽気な顔を完全に消し去り、血に飢えた狂戦士のような恐ろしい瞳で使者たちを睨み下ろしていた。
「き、貴様ら! 王宮からの使者に向かってなんという態度だ! 我々は王太子殿下の名代として、その女を連行しに——」
ズガァァァァァァンッ!!!
使者の言葉を遮るように、レオンハルト団長が己の巨大な大剣を、石造りの床に深々と突き立てた。
蜘蛛の巣状に亀裂が走り、破片が近衛兵たちの頬を掠める。
「ひっ……!?」
「口の利き方に気をつけろ、王宮の犬」
団長は氷のように冷たい青い瞳で、使者を虫ケラのように見下ろした。
その手は、震える私を庇うように、しっかりと私の肩を抱き寄せている。
「彼女は紅蓮騎士団の専属だ。誰の所有物でもない。お前たちのような無能が、一度捨てた宝を今更拾いに来ただと? 笑わせるな」
「な、何を言っている! これは国家の決定だぞ! 最前線の兵士風情が王族に逆らう気か!」
「逆らう? 違うな。俺たちはただ、『俺たちのユイ』を守るだけだ」
ジャキンッ!!
団長の言葉に呼応するように、背後の紅蓮騎士団の面々が一斉に武器を構えた。
その切っ先はすべて、使者たちの喉元に向けられている。
「俺たちの胃袋と彼女の笑顔を脅かす奴は、王宮の犬だろうが容赦なく叩き斬る。それが殿下の命令だろうが関係ない。俺の言葉が、この国境での絶対のルールだ」
「ば、馬鹿な……ッ! たかが料理人ひとりのために、国に反逆するというのか!?」
「たかが料理人だと?」
団長から放たれる殺気が、さらに一段階跳ね上がった。
近衛兵の何人かが、そのプレッシャーに耐えきれずに白目を剥いて気絶する。
「彼女は俺の……いや、俺たち紅蓮騎士団のすべてだ。これ以上その汚い口で彼女を侮辱するなら、その首を物理的に胴体とお別れさせることになるぞ」
「ヒィィィィィッ!! ば、化け物どもめ!! 後悔するぞ、絶対に後悔させてやるぅぅぅっ!!」
もはや立っていることすらできなくなった使者は、気絶した部下を放置したまま、情けない悲鳴を上げて砦から這うように逃げ出していった。
◇ ◇ ◇
静まり返った食堂。
私は、あまりの出来事に言葉を失い、ただ団長の広い背中を見つめていた。
「……怖かったか、ユイ」
振り返った団長の瞳から殺気は完全に消え去り、いつもの不器用で優しい光が灯っていた。
「だ、団長……皆さん……。私なんかのために、王宮に逆らったら……皆さんが反逆罪に……っ」
「気にするな。防衛の要である俺たちを処罰すれば、この国はすぐに魔物に滅ぼされる。王宮の連中もそれくらいは分かっているさ。それに……」
団長は私の頬にそっと手を添え、親指で涙の粒を拭い去ってくれた。
「お前が泣くくらいなら、国の一つや二つ、敵に回した方がマシだ」
「団長……っ」
「そうだぜユイちゃん! 俺たちの飯を取り上げようとする奴は、神様だろうがぶっ飛ばすッス!」
「安心しろ! 俺たち紅蓮騎士団が、お前を絶対に守り抜いてやる!」
ザックさんやゴードンさんたちが、いつもの豪快な笑顔で次々と声をかけてくれる。
ここは、私の居場所だ。
私のご飯を心から美味しいと言ってくれて、私のために命を懸けてくれる人たちがいる、温かい場所。
「……はいっ! 私、どこにも行きません! これからも皆さんに、最高のご飯を作ります!」
私が涙を拭って満面の笑みで宣言すると、砦の中に割れんばかりの大歓声が響き渡った。
私の背後では、焼き上がった煮込みハンバーグが、まるでこの完全勝利を祝福するようにグツグツと美味しい音を立てていた。




