第2話 戦場の悲惨な食卓と、立ち上がる元OL
目が覚めると、そこは石造りの無骨な部屋だった。
ふかふかとは言えないものの、清潔な毛布が掛けられた簡易ベッド。どうやら私は、倒れた後に騎士団の砦まで運ばれ、ぐっすりと眠り込んでいたらしい。
「うう……っ、助かったのはいいけど、お腹すいたなぁ……」
最後に口にしたのは、ザックさんからもらったあのカチカチで酸っぱい黒パンの欠片だけだ。
胃袋がキュルキュルと悲鳴を上げるのに急かされ、私は恐る恐る部屋を出た。
廊下を歩いていると、何やら大勢の男たちの野太い声と、カチャカチャと食器の鳴る音が聞こえてくる。
あっちが食堂かな? 何か少しでも食べさせてもらえれば……と期待しながら足を踏み入れた途端、私の鼻腔を強烈な臭いが襲った。
「うっ……!?」
思わず鼻をつまんで顔をしかめる。
生臭い。そして血の匂いと、鼻をつくような強烈な獣の臭い。
厨房から漂ってくるはずの「美味しそうな匂い」とはかけ離れた、まるで屠殺場のような異臭だった。
「お、昨日の姉ちゃん。目が覚めたか」
振り返ると、巨大な木製のテーブルで食事を取っているザックさんたちの姿があった。
相変わらず熊のようにデカくて強面な彼らだが、その表情はどこか暗く、疲弊しきっているように見える。
「ザックさん、助けていただいて本当にありがとうございました。あの、皆さん……何を食べているんですか?」
恐る恐る彼らの手元を覗き込んだ私は、絶句した。
木のお椀に入っているのは、白濁した謎の液体。そこに、血抜きもされていない赤黒い肉の塊がゴロリと沈んでいる。
そしてその横には、昨日私を悶絶させた、石のように硬い黒パンが添えられていた。
「ん? 今日の当番が作った魔物肉の塩茹でスープだ。姉ちゃんも食うか?」
ザックさんがフォークでその肉の塊を突き刺し、口に運ぶ。
次の瞬間、『ギリィッ……!』という、肉を噛んでいるとは思えない恐ろしい音が響いた。
「硬っ……。今日の肉は一段とゴムみてえだな。おまけに獣臭くて吐き気がするぜ……」
「文句言うな、ザック。栄養を摂らないと午後の魔物討伐で死ぬぞ。鼻をつまんで胃に流し込め」
隣に座る別の騎士が、死んだ魚のような目をしながら、ゴクリと血生臭いスープを飲み込んでいる。
彼らは「食事を楽しんでいる」のではなかった。激務をこなすための燃料を、無理やり体に叩き込んでいるだけだったのだ。
「こんなの……食事じゃない。エサ以下ですよ!」
思わず、大声が口から飛び出していた。
「なっ……!? 姉ちゃん、いきなりどうしたんだよ!?」
「こんなゴムみたいな肉と石みたいなパンで、命懸けの戦いができるわけないじゃないですか! 戦う前に胃が死んじゃいます!」
私を助けてくれた恩人たちが、こんな悲惨な食生活を送っているなんて絶対に許せない。
私はザックさんを問い詰めた。
「料理長は!? この砦の料理長はどこですか!」
「りょ、料理長なんていねえよ! 俺たちは魔物討伐の最前線部隊だぞ。飯は手の空いてる兵士が持ち回りで、適当に塩茹でにしてるだけだ」
「適当に塩茹でって……血抜きも下処理もしてないじゃないですか! これじゃ臭くて硬くて当たり前です!」
「だ、だって魔物肉なんてどう料理したってマズいし……」
強面の大男が、私に詰め寄られてタジタジになっている。
私は大きく深呼吸をして、覚悟を決めた。
私には、チート級の治癒魔法も、聖光を放つような聖女の力もない。
でも、実家で毎日家族の分までご飯を作ってきた『料理の腕』と、この地味な『浄化』スキルならある!
「……厨房の責任者はどなたですか?」
◇ ◇ ◇
「あん? 俺が兵站と厨房の管理を任されてるゴードンだが……小娘が何の用だ?」
案内された先にいたのは、左目に大きな眼帯をし、腕に無数の傷跡を刻んだ、ひときわ屈強で恐ろしい顔つきの騎士だった。
歴戦の猛者から放たれる威圧感に足がすくみそうになるが、私は両手で拳を握り締め、彼を真っ直ぐに見据えた。
「ゴードンさん! 私に一食だけ、厨房の全権を任せてくれませんか!」
「ハッ、頭がおかしくなったか? ここは戦場だぞ。お前みたいなひょろっちい女のままごとなんかに構ってる暇はねえ」
「ままごとじゃありません! あんな食事を続けていたら、皆さんの体が先に壊れてしまいます。私を助けてくれた恩返しに、絶対に美味しいご飯を作ってみせます!」
「美味しいご飯、だと……?」
ゴードンさんの残った右目が、鋭く光る。
しかし、その奥には、部下たちの悲惨な食事環境に対する苦悩の色が微かに見え隠れしていた。
「……言っておくが、今ある食材は、さっきのゴムみたいな『低級オーク』の肉と、火を通すとすぐに網に焦げ付いてパサパサになる『暴れ牛』の肉くらいだぞ。調味料も塩と、得体の知れない発酵調味料しかねえ」
「上等です! その厄介なお肉、私が最高の『まかない飯』に変えてみせます!」
腕まくりをして啖呵を切った私を見て、ゴードンさんは大きく息を吐き出した。
「……いいだろう。今日の夕飯作り、お前に任せてやる。だが、少しでもふざけた真似をしたら、即刻厨房からつまみ出すからな」
「ありがとうございます! 絶対に後悔はさせません!」
こうして、役立たずの烙印を押されて追放された元OLの私は、国境の最前線で最強騎士団の厨房という、とんでもない戦場に立つことになったのである。




