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『鉄鎖の解体者(レティアリウス)』  作者: 水前寺鯉太郎


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第十四話:氷の演算、陽炎(かげろう)の舞

 第四試合。砂の上に現れたのは、帝都の剣闘士ガルスだった。

 (――推定身長、百七十センチ。体重、六十五キロ。七人の中で最も小柄で、筋肉の付き方も細身。装備は二本の短剣プギオのみ。鎧は一切身につけていない)

 

 ガルスは、砂の上に立つなり、奇妙な動きを始めた。

 首を左右に激しく振り、短剣を舌で舐める。その瞳は、獲物を前にした飢えた獣のように血走っていた。

 「速い……! 彼の周囲の空気が、歪んで見えるわ」

 通路の奥で、ライラが戦慄きながら呟いた。

 対するセナもまた、二本の短剣を構え、砂の上に立つ。姉のライラ譲りのしなやかな肢体。だが、彼女がまとっているのは、ライラのような野性味ではなく、凍りつくような「静寂」だった。

 「地方の小娘か。……切り刻んで、砂の肥やしにしてやる!」

ガルスが、陽炎のように揺らめきながら突進してきた。

セナは、ハンの言葉を思い出していた。

『ガルスは、帝都最速の男だ。まともに速さを競えば、〇・三秒で首を刎ねられる。……奴の弱点は、その圧倒的な速度そのものだ。速さは、膨大なスタミナを消費する。泥にまみれろ、セナ。戦うな、逃げ続けろ。奴の自尊心が、自らを滅ぼすまで』

セナは、瞳の奥に氷のような演算の光を宿した。

「帝都の最速……。私の演算パズルの、最後のピースになってもらうわ」 


 審判の合図と共に、世界から音が消えた。

 ガルスが動いた。

 (――速い! 網膜が捉えるより先に、奴の残像が視界を埋め尽くす!)

セナは、ハンの言葉を信じ、自らの感覚を極限まで研ぎ澄ませた。

右から来る。

セナは、ガルスの短剣が空を切る寸前で、体を左へと逸らした。

直後、彼女の頬をかすめて、ガルスの短剣が通り過ぎる。鮮血が飛び散り、砂の上に赤い点を作った。

「損傷率、一パーセント。……許容範囲内」

ガルスの攻撃は、止まらない。

上下、左右、斜め。あらゆる角度から、陽炎のような残像がセナを襲う。

セナは、砂の上を転がり、跳躍し、泥にまみれながら、必死にガルスの射程圏外へと逃れる。

観客席からは、逃げ惑う最年少の女剣闘士に、ブーイングと罵声が浴びせられた。

「どうした、最速の小娘! 怖気づいたか!」

(――焦るな。呼吸を整えろ。奴のスタミナは、確実に削られている)

ガルスの額には、大量の汗が滲み、呼吸は次第に荒くなっていた。

セナは、ハンの冷徹な演算を、自らの血肉として共有していた。


 「死ねぇ!」

ガルスが、勝利を確信し、二本の短剣を大きく振りかぶった。

その瞬間、セナは逃げるのをやめた。

(――来る。奴の踏み込みが、わずかに浅くなる瞬間!)

ガルスが短剣を振り下ろした。

セナは、ハンの言葉を信じ、自らの短剣をガルスの短剣の軌道へと叩きつけた。

――キィィン!

金属音が闘技場に響く。ガルスの短剣が、セナの短剣に弾かれ、砂の上に転がり落ちた。

「何っ!?」

ガルスの巨躯が、一瞬だけ左に傾いた。

完璧だったはずの帝都最速の型が、その一瞬、砂の上の泥まみれの物理法則によって崩壊した。


セナは、その空白の一秒を見逃さなかった。

彼女は、二本の短剣をガルスの喉元へと突き立てた。

狙うのは、気道――鎧の隙間から剥き出しになっている部分。

「――うおおお!」

セナの短剣が、ガルスの喉元を深く裂いた。

鮮血が噴き出し、ガルスの巨躯が、糸が切れた操り人形のように砂の上へと膝をついた。

短剣が砂の上に転がり落ち、ガルスの巨躯が前のめりに倒れ込む。

轟音。

闘技場が、本日四度目の、信じがたい静寂に包まれた。

セナは、肩で息をしながら、倒れたガルスを見下ろした。

自らの腕も血に染まり、息は絶え絶えだった。だが、彼女の瞳には、かつての弱気な少女の姿はない。ハンの「論理」を信じ、自らの意志で「泥の戦術」を掴み取った戦士の誇りが宿っていた。

セナは短剣を引き抜き、通路の暗がりに立つハンを見つめた。

暗闇の中から、ハンが静かに頷いた。

(記録:第四試合。セナ対ガルス。勝者セナ。……帝都最速の型の解体に成功。ハンの演算の極致(信じる心)を実証)

ハンの脳内で、また一つ勝利の関数が確定した。

四連勝の可能性が、にわかに現実味を帯びてきたのだ。

貴賓席のガイウス・プリムスは、もはや顔面を蒼白にさせ、ガタガタと震えていた。

一方、その影に座る黄金の男レオニダスは、初めて椅子から身を乗り出し、砂の上のセナ、そして通路の暗がりに立つハンへと、その黄金の面を向けていた。

(――次は、黄金の男の番だ。そして……俺たちの完全な演算が、あの黄金の牙城へと届く)

ハンは、手首に巻いた鎖に触れた。

冷たい鉄の環が、次の演算に向けて、静かに熱を帯び始めているのを感じていた。

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