第十二話:野性の牙、鋼の壁
第十二話:野性の牙、鋼の壁
第一試合でハンがウェルスを「解体」した余韻が、まだ熱を帯びて砂の上に漂っていた。
続く第二試合。鉄格子の向こうから、地響きのような足音と共に現れたのは、帝都の剣闘士ブルータスだった。
(――推定体重、百二十キロ。全高、約百九十センチ。全身を覆うのは、分厚い鉄板を重ねた重装甲。装備は巨大な鉄槌と、円形の大盾)
通路の奥でその巨躯を視認した瞬間、ライラは無意識に湾曲剣の柄を握りしめた。
対するライラは、軽装の革鎧を身に纏っただけのしなやかな肢体。狼と巨象。あまりにも不釣り合いな体格差に、観客席からは残酷な嘲笑と、ブルータスの勝利を確信する歓声が沸き起こった。
「地方の女剣闘士か。……骨ごと噛み砕いてくれるわ!」
ブルータスが野獣のような咆哮を上げ、巨大な鉄槌を肩に担ぎ直した。
ライラは、ハンの言葉を思い出していた。
『まともに打ち合えば、一撃で骨が砕ける。……奴の弱点は、その圧倒的な質量そのものだ。砂の上の物理法則は、重い者ほど冷酷に体力を奪う。泥にまみれろ、ライラ。美しく勝つ必要はない』
ライラは、口元に不敵な笑みを浮かべた。
「上等じゃない。……帝都の豚が、砂の上でどう転がるか見せてあげるわ」
審判の合図と共に、ブルータスが動いた。
その巨体からは想像もつかない俊敏さで、砂を蹴り上げて突進してくる。
「死ねぇ!」
空気を引き裂き、巨大な鉄槌が振り下ろされた。
ライラは間一髪で左へ跳躍した。直後、彼女がいた場所の砂が爆発し、耳を劈くような轟音が轟く。もし直撃していれば、文字通り肉塊に変わっていただろう。
ブルータスの攻撃は、単発では終わらなかった。
振り下ろした鉄槌の慣性をそのまま利用し、横薙ぎの烈風となってライラを追撃する。
「くっ……!」
ライラは湾曲剣を盾にし、刃の腹で鉄槌の軌道をわずかに受け流した。火花が散り、激しい衝撃が彼女の両腕の骨を軋ませる。
(重い……! 防御の上からでも、内臓が揺れる!)
ブルータスは、その圧倒的な質量と膂力で、ライラの逃げ道を塞いでいく。
円形の大盾で視界を遮り、死角から破壊の鉄槌を叩き込む。それは、第十一話でハンが分析したレオニダスの「重盾と刀」の戦術に酷似していた。帝都の剣闘士たちは、戦術の根底において同じ思想を共有しているのだ。
ライラは防戦一方に追い込まれた。
砂を蹴り、転がり、泥にまみれながら、必死に鉄槌の射程圏外へと逃れる。
観客席からは、無様な女剣闘士の逃げ惑う姿に、ブーイングと罵声が浴びせられた。
「どうした、逃げ回るだけか! 地方の痩せ犬め!」
ブルータスが嘲笑い、再び大きく鉄槌を振り上げた。
その瞬間、ライラは逃げるのをやめた。
彼女は姿勢を極限まで低くし、ブルータスの足元へと滑り込んだ。
「何っ!?」
これまでのライラなら、ここで無理に湾曲剣を突き立て、敵の重装甲に弾かれていただろう。
だが今の彼女は、ハンの冷徹な演算を共有していた。
狙うのは、肉体ではない。重装歩兵を支える「足場」だ。
ライラは滑り込みざま、両手で砂を掻き集め、ブルータスの足元に「山」を作った。そして、自らの脚を敵の足首に絡め、強引に後方へと引き倒した。
「うわあああっ!」
自らの巨体と、鉄槌の質量。その物理法則が、今度はブルータス自身に牙を剥いた。
バランスを崩した巨漢が、轟音と共に背中から砂の上へと転倒した。
重装甲を着た戦士にとって、仰向けに倒れることは死を意味する。起き上がるために、平時の何倍もの筋力を消費するからだ。
ライラは、素早く立ち上がった。
砂だらけの顔で、息を切らしながら、倒れたブルータスを見下ろす。
「……ハンが言った通りね。重いものほど、転がれば無様だわ」
ブルータスは、もがきながら起き上がろうとした。
だが、ライラはそれを許さなかった。彼女は湾曲剣を腰の鞘へと収め、砂の上に落ちていたブルータスの大盾を拾い上げた。
「お返しよ、帝都の重戦車!」
ライラは、拾い上げた大盾を両手で持ち、倒れているブルータスの頭部へと叩きつけた。
――ゴン!
鈍い音が闘技場に響く。
「がはっ……!」
兜の上から加えられた衝撃に、ブルータスの視界が歪む。
ライラは、盾を捨て、今度は相手の兜の隙間に向けて、砂を力任せに投げつけた。
「視界を奪えば、どんな巨漢もただの的よ!」
目と呼吸器に砂が入り込み、ブルータスが激しく咳き込む。
その隙を突いて、ライラは再び湾曲剣を抜き放った。
狙うのは、装甲の継ぎ目――脇の下の、革紐で繋がれただけの薄い部分。
「――これで、終わりよ!」
閃光が走った。
ライラの湾曲剣が、ブルータスの右脇の下を深く貫いた。
「がああああっ!」
ブルータスの巨腕から力が抜け、鉄槌が砂の上に転がり落ちた。
勝負は決した。
ライラは剣を引き抜き、息を弾ませながら、仰向けに倒れたまま動かない巨漢を見下ろした。
彼女の体は、砂と汗と返り血で汚れきっていた。かつての「誇り高き戦士」の美しさはない。だが、その瞳には、どんな美装よりも輝かしい、確かな「生の光」が宿っていた。
観客席が、静まり返る。
第一試合に続き、地方の、それも軽装の女剣闘士が、帝都の誇る重戦士を「泥の戦術」で沈めたのだ。




