第七話 実家に帰ったよ
魔王城の門は、開いていた。
誰も立っていなかった。
俺は歩いた。大門から中央階段まで百歩。階段は右に折れて二層。二層の突き当たりに大扉。
全部、覚えていた。
◆
玉座の間に入ると、床の魔法陣が、青白く燃えていた。
完成している。
グラウディアが両手を上げていた。巨体の輪郭が、ゆらゆらと揺れている。膜が、痩せている。
「勇者か」
黄色い目が、こちらを見た。
「娘は」
俺は答えなかった。
グラウディアは、少しの間、俺を見ていた。
そして、笑った。喉の奥で岩がぶつかる音がした。
「殺したか」
「……」
「どうやって」
「……」
「ああ」
魔王は言った。
「そういうことか」
その声には、悲しみも、怒りもなかった。
ただ、心底くだらないものを見た、という響きだけがあった。
「五千年育てて、あれは失敗作だった。人間ごときに情を持つなど、魔族の恥だ。私が始末する手間が省けた」
俺は剣を抜いた。
「礼を言うぞ、勇者」
「黙れ」
声が、自分でも驚くほど低く出た。
「お前は」
俺は言った。
「あいつが三十日、山を掘ってたことを知らないんだろう」
魔王は答えなかった。
答える価値もない、という顔だった。
その瞬間、魔法陣が最大の輝きに達した。
部屋中の空気が、一斉に床へ吸い込まれた。青白い光が柱を這い上がり、天井の闇を焼いた。玉座の間そのものが、巨大な魔術の一部になっていく。
グラウディアの腕が、水に映った像のように、大きく揺らいだ。
俺は走った。
柱の間隔は広い。隠れる場所は少ない。だから走った。
黒曜石の腕が振り下ろされた。かわさなかった。左腕で受けた。骨の砕ける音が、他人事のように聞こえた。
構わない。
左腕は、もう必要ない。
俺は右手一本で剣を振り上げ、揺らぐ輪郭の中心に、飛び込んだ。
◆
刃は、通った。
◆
海は上がらなかった。
魔法陣は砕け、魔王城は北の谷ごと崩れ、三日三晩、灰が降った。
俺は生きて帰った。
左腕は動かなくなったが、生きて帰った。
◆
勇者カイルの帰還を、国は盛大に祝った。
王は俺に爵位をくれた。教会は俺の像を建てると言った。歩けば人が集まり、子供が俺の名前を叫んだ。
俺は全部断って、街に戻った。
◆
半年後の、ある晩。
俺はガドの酒場のカウンターに座っていた。
「旦那、久しぶりだな!」
ガドの声は変わらなかった。
「英雄様がうちなんかに来ていいのかい」
「英雄はやめてくれ」
「はは、そうかい。──エールでいいか」
「ああ」
ジョッキが置かれた。俺は一口飲んだ。
味は、した。
「なあ旦那」
ガドが、カウンターを拭きながら言った。
「あの嬢ちゃん、最近見ねえな」
手の中のジョッキが、少しだけ重くなった気がした。
俺は、しばらく泡を見ていた。
それから、口を開いた。
「……実家に帰ったよ」
「なんだ、そうかい」
ガドは笑った。
「じゃあ、また連れてきな。あの嬢ちゃん、うちの唐揚げ気に入ってたろ」
「そうだな」
「今日は唐揚げ揚げるかい?」
「……いや」
俺は首を振った。
「今日はいい」
◆
懐の中で、金貨が一枚、指に当たった。
半年経っても、傷ひとつついていない。
俺はそれを撫でながら、エールを飲んだ。
あの日、俺は選んだ。
人間の国が沈まないことと、あいつが生きていることを天秤にかけて、俺は国を選んだ。
何度やり直しても、同じことをする。
それは間違っていない。
間違っていないから、誰も俺を責めない。
王も、教会も、街の連中も、ドルグもラウルもミラも、誰一人、俺を責めない。
だから、責める役は、俺がやる。
五千年生きたあいつが、たった三十日、山を掘って手に入れた金貨を持って。
これから、何十年でも。
◆
店の扉が開いて、冷たい風が入ってきた。
誰かが入ってきて、誰かが笑った。壁の剣と斧が、少し揺れた。
俺は反射的に、そっちを見た。
部屋に入ると、まず武器の位置を確認する女がいた。
もういない。
俺はジョッキを空にして、カウンターに置いた。
「ガド」
「あいよ」
「やっぱり、唐揚げくれ」
◆
運ばれてきた唐揚げは、記憶の通りにうまかった。
俺は一つも残さず食った。
泣きながら食っている男を、酒場の誰も気にしなかった。
ここは、そういう店だ。
〈了〉
お読みいただきありがとうございます! ブックマークや下の☆☆☆☆☆の評価にて応援していただけますと励みになります! どうぞ、よろしくお願いいたします。




