2「派閥争い」
王城内、重臣会議の間には、円卓を囲むようにヴェローナ魔皇国の重臣たちが顔を揃えていた。ヴォルザックは末席近くに座を占め、報告書を手にしたまま、すでに胃の底が重く沈んでいくのを感じていた。
「――以上、勇者レオンの死亡につきましては、峡谷にて足を滑らせたことによる不幸な事故であると、現地調査の結果、確認いたしました」
言い終えた瞬間、円卓には露骨な失笑と、探るような視線が広がった。
「ほう。ずいぶんと都合の良い偶然もあるものですな」
「勇者ともあろう者が、足を滑らせて溺れ死んだ、とは。……真に受けてよいものか」
「にわかには信じがたい話でございますな。裏付けは、いかほど確かなもので?」
直接『捏造だ』と口にする者はいない。だが、その遠回しな物言いの端々には、隠しきれない疑念がにじんでいた。ヴォルザックは冷や汗をこめかみに滲ませながら、拳を握りしめて耐えた。事実は事実だ。だがこの場でシロの潜入工作の詳細――苔だの吟遊詩人の詩だのを語ったところで、余計に胡散臭さが増すだけだということも分かっていた。
「――ほう。それは異なことを仰いますね」
場の空気を割るように、涼やかな声が響いた。第三皇女セリアである。貴族からの支持篤く、独自の諜報網を持つこの皇女は、優雅に扇を揺らしながら口を開いた。
「勇者レオンの死亡そのものは、私も確証を得ておりません。ですが、ここ一月ほど、彼の者が公の場に姿を見せていないのは事実。国内外では『療養中』という噂が、まことしやかに流れております。……不自然な沈黙、とは思われませんか」
円卓に広がっていた疑念の色が、幾分和らいだ。
「我が諜報網は、こういった細部の裏付けにおいて、いささか役に立つかと存じますわ」
セリアはそう付け加えると、ヴォルザックへ視線を流し、誰にも気づかれぬ程度に片目を細めてみせた。恩を売っておくと同時に、己の情報網の有用性を、この場で静かに誇示してみせたのだ。ヴォルザックは表情を変えぬよう努めながら、内心で深く安堵の息を吐いた。命拾いした。
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「勇者不在の今こそ好機です。境界都市へ、威力偵察を出すべきかと」
第四皇子ゼノが、焦りを滲ませた声で発言した。若く、血気盛んなこの皇子は、この機を逃す手はないとばかりに身を乗り出している。
「軽挙妄動だ」
冷ややかに切り返したのは、第二皇子ルキウスだった。官界に厚い支持を持つこの皇子は、感情の見えない目で円卓を見渡した。
「報告によれば、各国はそれぞれ『勇者』なる兵器を保有している可能性があるとのこと。もっとも、その詳細は現在も調査中と聞き及んでおります。実態も定かでないまま事を急いては、判断を誤りましょう。魔王様の御容態も不安定な今、無謀な戦は民の支持を失う。……そうは思われませんか」
「お前たちは、何をそう焦っておる。勇者一人で、我らの勝利が揺らぐわけでもあるまい。焦って仕掛ける必要が、どこにある」
悠然と言い放ったのは、第一皇子ガルディオだった。軍部を掌握するこの皇子には、焦りというものが微塵も見えない。
(――何もせずとも、次期魔王は俺だ。慌てる必要がどこにある)
その内心の余裕が、態度の隅々に滲み出ていた。
「……ガルディオ殿下の仰る通りかと存じます」
宰相が静かに場をまとめ、円卓には冷戦状態の継続という、当たり障りのない結論だけが残された。会議は、それ以上の実りもなく散会した。
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会議後、控えの間にて。ゼノとヴォルザックの二人は、誰もいない室内で揃って深い溜め息をついた。
「……堪えますな、殿下」
「お前もか。俺もだ」
ゼノは椅子に深く沈み込み、天井を仰いだ。
「しかし、シロという男は面白い。『角なし』だからこそ、人間側にすんなり馴染めたのだろうな。人族に協力者を仕込むほどの潜入能力とは、生半可なものではない」
「……はい。あれの手腕は、俺の理解の外にあります」
ヴォルザックは正直にそう答えた。
ゼノはしばし黙り込んだ後、独り言のように呟いた。
「この国は、狭い。多種族がひしめき合い、資源も土地も限られている。……戦争と『人間』という共通の敵がなければ、この国はとうに内側から崩れていただろうな」
「殿下は、民の不満のはけ口をお求めですか」
「そうだ。ガルディオ兄上は、人間を下等な生物と見下し、征服することしか考えておられぬがな」
ヴォルザックは何も答えなかった。たたき上げの軍人として現場を渡り歩いてきた彼には、多種族国家をまとめることの困難さが、骨身に染みて分かっていた。誰もが正しさを掲げ、誰もが自らの派閥の利のために動いている。この国に、単純な答えなど存在しない。
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帝都の奥、街の喧騒から少し離れた庭園。休暇中のシロは、木漏れ日の差すベンチの近くを、当てもなく散歩していた。
「若い者が、昼間からぶらぶらと散歩とはな。ちゃんと働きなさい」
杖を突いた老人が、シロにそう声をかけた。
「これでも一応、軍人ですよ。長期の潜入任務から帰ってきたばかりで、今は休暇中なのです」
老人はシロの全身を、頭から爪先まで胡散臭そうに眺め回した。
「まあ、角はありませんが」
シロは自らの額を指先でトントンと叩きながら、淡々と返した。
「これでも一応、魔族ですので」
「ふむ。そういう者もおるのかい」
老人は納得したふりをしながら、隣の席をポンポンと叩いた。
「まあ、座りなさい。老い先短い儂の話し相手にでもなっておくれ」
シロは特に断る理由もなく、腰を下ろした。二人の視線の先では、巨体のオーガと人間が声を掛け合いながら建材を運んでいる。支配地域の人間を労働力として活用する政策は、差別こそ未だ残るものの、以前に比べれば幾分か穏やかなものになっていた。
「ここも随分と、景色が変わりましたね」
「……これが本当に良いことなのか、儂には分からんよ」
老人は深い眼差しで、街を行き交う人々を見つめた。
「別々の種族は、別々のまま暮らしていた方が、幸せだったのではないか。時折、そう考えてしまうことがある」
「国家とは、敵がいることでまとまるものだ。特に、多種族が入り乱れるこの国ではな」
老人は続けた。
「若い者は血気盛んで、武功を立てて出世するのが一番手っ取り早いと考えておる。人族側とて、奪われた土地をそのままにしておくほど寛容ではあるまい。……だが、皆が皆、戦を望んでいるわけでもない。人族との共存の道が見え始めた今、和解を求める者もおるのだ」
老人はそこで、シロへ視線を向けた。
「お前さんは、どう考える」
「いらぬ心配ですな」
シロは間を置かず答えた。
「民の意識など、噂ひとつでどうとでも移ろうもの。王は、ただ道をお示しになればよろしいかと」
「ふん。つまらんやつだ」
老人は小さく肩をすくめた。
「儂は、誰かの示す道ではなく、お前自身の答えを聞きたかったのだがな」
「私は、それをお答えする立場にはございませんので」
シロは静かに続けた。
「……ただ、これだけはお伝えしておきます。民の意識など、いかようにも誘導してみせますとも。そのための私でございます」
「……お前を従える者は、苦労するな」
老人は僅かに眉根を寄せた。
「儂なら、お前のような部下は、願い下げだ」
(――私が、まだ隠密として未熟だからだろうか)
シロは内心でそう首を捻ったが、老人の考えは別のところにあった。
(理想的すぎる部下を持つと、上に立つ者の気が休まらぬということよ)
両者の思考は、静かにすれ違ったまま交わることはなかった。シロが意図を汲み切れず「はて」という顔を浮かべると、老人は手を払うようにして言った。
「もういい。さっさと、どこへなりと行きなさい」
シロは立ち上がりかけたが、ふと思い出したように振り返った。
「あ。そういえば、宰相様が探しておられましたよ。……もしや、重要な会議をお休みになったのが、その理由では?」
老人は一瞬、目をしばたたかせた。それから、ニヤリと口の端を上げた。
「……いつ、気づいた」
「陛下にお会いする前からでございます。陛下が私の任務に興味をお示しになっていたという情報と、その件に関する会議に陛下ご自身が出席されていない、という話を耳にいたしまして。……まさか、変身魔法までお使いになるとは、思っておりませんでしたが」
「ハハハ! 先ほどの発言は、撤回させてもらおう」
老人――いや、変身魔法で姿を偽った老魔王は、愉快そうに笑い声を上げた。
「貴様、実に面白いやつだ」
「光栄にございます」
シロは、いつもと変わらぬ静かな声で、深く一礼した。
清掃員が実は社長でしたって、社員としては心臓に悪いよね。




