1「事故報告」
ヴェローナ魔皇国、帝都。第三軍団長ヴォルザック・ヴァルハイドは、帝都の一角に構えた執務室で、一枚の報告書に目を落としていた。
彼が仕える第四皇子ゼノの派閥は、老魔王の後継者争いに名乗りを上げる者たちの中でも、決して大きくはない。手柄がなければ発言力はなく、発言力がなければ派閥は淘汰される。ヴォルザックは日々、その焦燥と向き合っていた。
一年近く前、彼はこの執務室で一人の部下を人類領へと送り出した。魔王軍史上初となる、人間界への本格的な潜入工作である。老魔王自らも「面白い試みだ」と気にかけていたと聞く。
「――人族の懐深くに潜り、奴らの弱点を探れ。できるならば、足元をすくってやれ」
あの日、そう言い含めて送り出した相手が、今日、目の前に立っている。
「ただいま戻りました、ヴォルザック様」
シロ・アスターは、記憶にあるより幾分か大人びていたが、感情の起伏を一切感じさせない声だけは変わらなかった。
「……無事だったか。一年近く音沙汰がなかったからな、正直、案じていた」
ヴォルザックは執務机の向こうから椅子を勧め、努めて労いの言葉をかけた。だがその胸中では、別の算段が渦を巻いている。この工作の成果は、そのまま第四皇子派の――ひいては己自身の――発言力強化に直結する。うまくいけば、軍部からの予算増強も見込めるだろう。
「早速で悪いが、成果を聞こうか。隣国アルヴェリア王国に現れたという勇者――レオンの報告だ。弱点や機密は見つかったか?」
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「はい。まずは、街で広く歌われている吟遊詩人の詩をご紹介いたします」
シロは懐から一枚の羊皮紙を取り出し、抑揚のない声で読み上げた。
「いわく、その剣は竜をも両断する。いわく、その鎧はどんな攻撃も通じず。いわく、その容姿は天の使いのごとく。いわく、その精神は気高く、悪を断つ――」
「詩の内容など聞いてどうする。誇張だろう、そんなものは」
「私も当初はそう考えておりました。ですが、現地にて調査を重ねた結果――驚くべきことに、詩の内容はほぼ事実でございました」
「……は?」
「レオン殿の帯びる聖剣は、実際に飛竜を一刀のもとに両断した記録がございます。纏う聖鎧は国宝に指定される代物で、全属性への耐性を持ち、我が軍の大規模魔法をもってしても傷一つつけられません」
ヴォルザックの顔から、みるみる血の気が引いていった。
「そんな人知を超えた化物が、隣国の最前線に立っているというのか……! 即刻、対策を講じねばならん。防衛体制の見直しと、軍事費の増強案を組み直すぞ」
脳裏では既に、予算会議での発言を組み立て始めていた。これほどの脅威報告があれば、皇子ゼノの承認も、軍部からの予算も、否とは言わせない。
「いえ、ヴォルザック様。その必要はございません」
「……何?」
「勇者レオン殿の対策は不要でございます。すでに死亡を確認しております」
執務室に、束の間の沈黙が落ちた。
「……は?」
「はい。足を滑らせ、川に溺れて死にましたので」
あまりにも直球すぎる死因の説明に、ヴォルザックは言葉を失った。シロはその反応を気にする様子もなく、鞄から数枚の羊皮紙を取り出し始めた。
「口頭でのご説明では分かりにくいかと存じますので、図解をご用意いたしました」
広げられた羊皮紙には、味のある――お世辞にも上手いとは言えない――棒人間の絵が、几帳面な文字とともに描かれていた。
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「まず一枚目でございます」
シロは、棒人間が涙を流している絵を指し示した。
「『気高く悪を断つ』とされるレオン殿でございますが、その内実は、完璧な英雄を演じる裏で寂しがり屋でございました。人知れずチヤホヤされたいという欲求が強く、宮廷の夜会にて、下級貴族の婦人たちと密会を重ねるスキャンダル癖がございました」
「……そんな私的な話まで、どうやって突き止めた」
「潜入工作でございますので」
シロは簡潔に答え、二枚目の羊皮紙をめくった。峡谷らしき地形が描かれている。
「二枚目でございます。私はこのスキャンダルを匿名で世間にリークいたしました。醜聞を恐れたレオン殿とそのパーティは、人目を避けるため峡谷地帯への遠征を決行いたしました」
「遠征先まで、お前が誘導したというのか」
「……ところでヴォルザック様。私、潜入生活の間、苔を育てておりました」
「……は? 急に何の話だ」
「魔界の苔は成長が非常に早く、ふとした瞬間にホームシックを覚えますと、衝動的にあちこちへ植えてしまう性分でございまして。恥ずかしながら、気づけば苔だらけにしてしまうことがございました」
ヴォルザックはどう反応していいか分からず、黙って先を促した。この部下の私生活の癖など、今は興味がない。
「三枚目でございます」
シロは軽い調子で三枚目をめくった。橋の上で慌てふためく棒人間の絵が描かれている。
「峡谷の吊り橋にて、折悪しく落石が発生いたしました。突如の落石にレオン殿は動揺し、足元への注意がおろそかになったところ――何の因果か、橋板に生していた苔に足を滑らせ、そのまま川へ滑落されました」
ヴォルザックの背筋に、すっと冷や汗が伝った。……まさか。
「四枚目でございます」
最後の一枚には、水中に沈む鎧姿の棒人間が描かれていた。
「レオン殿の纏う聖鎧は、いかなる攻撃も弾く頑丈さを誇ります。しかしながら、所詮は重い鎧を着た人間。水に沈めば、空気がなければ生きられません」
「聖剣も聖鎧も、レオン殿のご遺体とともに、深い川底へ沈んでおります。峡谷の急流ゆえ、遺体の回収はおろか、装備の引き上げすら困難と見られます。……つまり、あの詩に謳われたほどの脅威は、剣も鎧も含め、二度とこの世に現れることはございません」
シロは羊皮紙を静かに置くと、芝居がかった仕草で天を仰いだ。
「ああ、まさか勇者ともあろうお方が、かような不幸な事故でお命を落とされるとは。なんと痛ましく、情けないことでございましょう」
「……お前」
ヴォルザックの声が、微かに震えた。まさか。まさか、あの日、俺が――
「……足元をすくってやれ、と。俺は確かに、そう言った」
掠れた声で、ヴォルザックは自らの過去の言葉を呟いた。
シロは、その一言を待っていたかのように、ニヤリと口の端を上げた。
「私は、ご命令の通り、実行しただけでございます。すべては、天の采配による不幸な事故でございます」
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ヴォルザックは、しばらく口を開くことができなかった。
脳内で、先ほどまで組み立てていた予算会議での発言が、音を立てて崩れていく。国家最大級の脅威は、もう存在しない。防衛体制の見直しを訴える根拠は消え失せ、死者の機密など情報としての価値も暴落した。派閥内での発言力を強化するという目論見は、完全に潰えたと言っていい。
――だが。
もしシロの報告通りの化物が本当に人類側に存在していたのなら、その脅威が跡形もなく消えてくれたこと自体は、我が軍にとって紛れもない朗報であり、安堵でもある。
複雑に絡み合った感情を持て余し、ヴォルザックは深い溜め息をつき、頭を抱えた。
「……そんなつもりで言ったのではないのだがな……」
目の前では、シロが「完璧に大役を果たしました」とばかりに、誇らしげで自信満々な顔をしている。その表情を見ていると、これ以上責め立てる気力も失せていった。
「……まあいい。何はともあれ、大役ご苦労だった、シロ。よくやった」
「勿体なきお言葉でございます」
シロは嬉しそうに深々と一礼すると、踵を返して部屋を出ようとした。だが、ドアの前で足を止め、「あ」と何かを思い出したように振り返る。
「忘れるところでした。こちらがお土産でございます」
鞄から小さな鉢を取り出し、執務机の上にそっと置いた。可愛らしい緑の苔が、鉢いっぱいに茂っている。
「勇者殺しの苔でございます」
晴れやかな笑みを残し、シロは軽い足取りで退室していった。
一人残されたヴォルザックは、机の上に鎮座する苔の鉢をしばし見つめ、やがて胃のあたりを押さえながら、執務机に突っ伏した。
「……魔王様に、どう報告すればいいんだ……」
次回 人間界を外来苔が襲う!かも?




