第二話
わたしが生まれたとき、幼馴染の川島優太は既に生まれていて、三軒隣の家で元気に泣き声を上げていた。
優太の誕生日は六月。
わたしの誕生日は八月。
極端に近くもないけど極端に離れてもいない。
月齢で比べても、男の子だから大きいわね、くらいの印象だったのだろう。
子どもの少ない地域で、年の近い子どもがいれば、親は自然と歩み寄る。
わたしと優太が互いを意識するよりも前に、母親たちは意気投合した。
母親たちの愚痴交じりの賑やかな会話を背景に、わたしと優太はお互いの存在を認識していったのだ。
気付いたときにはそこにいた。
わたしにとって優太はそんな存在だ。
当人たちに記憶はないものの、赤ちゃんのバブバフ交信は、お互いの母親によると、かなり可愛かったらしい。
わたしに乳児の時の記憶なんてなくて、気付いたときには優太と一緒に公園を駆け回っていた。
「しょうこぉ~まってよぉ~」
「ゆうた、ノロい」
わたしは元気に動き回る子どもで、優太はわりとどんくさかった。
それでも近所に同年代の子どもは2人しかいなかったから、わたしたちはよく一緒に遊んだ。
わたしの優太の相性が良かったから、というわけでもない。
正確には両親の、特に母親同士の仲が良かったのだ。
家族ぐるみでの交流が、わたしの生活には普通にあった。
保育園への送り迎えや、そのついでに行われる日常的な買い物などの時、だいたい優太のお母さんは一緒だったし、当然のように優太はいた。
2人ともひとりっ子だったせいもあって、ちびすけなわたしたちは、2人でひとり分の扱い。
一個しかないものを半分こするのは当たり前だったし、それを不満だと思ったこともなかった。
男女差で好むものが変わっていったときも、世の中はそんなもんなんだろうと思っただけだ。
そもそもお人形遊びは自宅の自分の部屋で、ひとりきりでするものだとわたしは思っていたので、ひとり遊びの場に優太はおろか他に誰もいなくても不思議とは感じなかった。
あまりに小さな時から一緒だったから、世の中には親戚というものがあるのを知ったときには、わたしは優太やその両親が親戚だと勘違いしたくらいだ。
『ゆうたのおかあさんって、おかあさんのおねえさん? それともいもうと?』
わたしの可愛らしい勘違いに、母は笑って答えた。
『違うわよ、祥子』
『なら。おとうさんが、ゆうたのおとうさんの、おにいさんか、おとうと?』
『ふふふ。それも違うわよ。望月のお家と、川島さんのお家は、親戚ではないの』
母の答えに納得できなくて、わたしは顔をしかめて頭を左右に振った。
そんなわたしを眺めながら、母はふふふと笑った。
『祥子。世の中には、親戚よりもお付き合いが多い、ただの仲良しさんも沢山いるのよ』
この時、幼いわたしは【世の中って難しいんだな】と思ったことを強烈に覚えている。
そんな瞬間がわたしの人生には幾つかあって、それぞれの話題に優太の登場回数は多かった。
わたしにとっては当たり前のことだつたが、それが世間では一般的でないということを知ったのは、小学校へ上がった後だった。




