最後の原稿
8月になった。
もう、暑いなんてもんじゃない。
熱中症の予防に、不要不急の外出はできるだけ控えるようにと言われるほどだ。
今年の4月から気象庁が、気温が40度以上になる日を「酷暑日」と呼ぶことにしたらしい。
こんな言葉が、これからは普通に使われるんだろうな。
小さかった頃が懐かしい。
とは言え、教室はエアコンが効いているし、部で活動をしている視聴覚教室も涼しい。
毎日、黙々と活動に励んでいる。
みんな各自の展示を完成させて、部誌の原稿のラストスパートに入っている。
原稿の締め切り日まであと3日だ。
「先輩すみません、見てもらえませんか。」
のぞみが評論の原稿を持ってきた。
すまないことはない。
そのために俺がいるようなものだから。
入部したときに自分は文章が下手だと言っていたが、そんなことはない。
前に指摘したところも、工夫して自分の言いたいことを伝えようとしている。
もともとのぞみの文章はテンポもよくて読み易い。
「のぞみちゃん、文章がどんどん上手になっているね。」
由衣のしているように褒めて伸ばす。
でも、これはお世辞じゃない。
「ほんとですか。」
嬉しそうにはにかむのぞみ。
「うん。で、ここなんだけど、少しわかりにくいね。読み手にわかりやすいように表現を変えてもいいんじゃないかな。それとここ。文章を整理して、もっと強く言いたいことをはっきりさせた方がいいな。俺はのぞみちゃんのことを知ってるからそれがわかるけど、知らない人が読んでも、これが言いたいんだって伝わるように。ここがこの文章の肝になってるから。」
基本的に、文章の内容には触らないようにしている。
それぞれの思いがあるから。
評論の基本、「客観的な事実」と「自分の意見」を明確に分けて論理的に書くことは、最初に伝えてある。
「そうですね、わかりました。ありがとうございます。」
へーという顔で由衣が俺を見ている。
たまにはいいところも見せないと。
のぞみが自分の机に戻り、文章を読み返す。
やがて、肘をついて手を顎に当てて唸り始めた。
長い時間考えていると、俺もそうなるし研二もそうなる。
評論をやると、女の子もオジサン化するのかな?
そうこうしているうちに、すぐに原稿の締切日がやってきた。
俺は、今年は2作の評論を提出した。
真奈美も由衣も無事に漫画を仕上げた。
考えてみれば、これでもう部誌の原稿を書くことはない。
これが早くも最後の原稿になる。
これからはどうしようか。
他の二年生たちに聞いてみる。
まずは3人娘に。
「なあ、俺たち、来年は3年生になるから、5月に引退になるよな。もう部誌の原稿を書くことがないんだけど、これからどうする?」
「そうか、そうなるんだ。今初めて気が付いたよ。ん~、私はイラストを描くのが好きだから、一年と一緒にまだまだ書くよ。聞かれたら答えながら趣味としてね。」
と萌。
「うん、私もそうする。一年に伝えたいことがまだいっぱいあるし。もちろん、引退するまでは毎日来るよ。前に言ったように、まだまだウザいほどからんでやるんだから。」
と部長が楽しそうだ。
副部長もニコニコしてうなずいている。
由衣は?
「私は、もう漫画は描かない。別に、人に読んでもらうのが目的じゃないけど、やっぱり発表の場がないとモチベが上がらないし。描くのは楽しいけど結構キツイから。明日からは綾ちゃんの教育係兼アシスタントをやろうかな。いっぱい手伝ってもらったお礼をしないと。」
清々しい顔で答える。
「私も同じ。もう描かないというより描く気力がないよ。今回ので燃え尽きたって感じ。私も綾に教えるよ。私と由衣ちゃんが引退したら、綾に教える人がいなくなっちゃうから、それまでに綾がひと通りのことを1人でできるようにしておかないとね。もちろん、他の子にも教えるよ。」
と真奈美。
そうか、後輩の指導に重きを置いて、毎日活動するのか。
俺も決めた。
評論を書きながら、研二やのぞみに答えよう。
今年の原稿よりもっといいものを書こうという気持ちで、今まで通り妥協はしない。
本気で書くのを辞めた人間が何を言ってもその言葉には説得力がないから。
それは、真剣に評論に向き合っているあの子たちには簡単に見透かされるのがわかっている。
とりあえず、今日はお疲れ様と言うことで、ゆっくりとみんなで楽しく過ごした。
その日は萌が原稿のコピーの束を持って帰り、翌日に俺が受け取った。
学校での活動中も家に帰ってからも、ずっとみんなの原稿を読んでチェックした。
来週は一週間、学校閉庁日になるから、明日から再来週の日曜日まで休みだ。
たんまり出されている宿題をしないと。
翌日の土曜日の朝、由衣の家に原稿を持っていった。
真奈美の来る時間の少し前に。
そして、由衣の部屋で待つ。
ほどなく真奈美が来た。
今日の真奈美はTシャツにデニムのショートパンツ。
「今日も暑いね。」
暑い中、1時間近く自転車をこいだから、汗びっしょりになっている。
「ちょっと着替えていいかな。」
「うん。あっち向いとくな。」
気を利かせたつもりなのに
「普通は部屋を出るもんよ。ほんと、わかってない。」
由衣に叱られて、一緒に部屋を出る。
「もういいよ。」
と真奈美がドアを開ける。
上も下も着替えていた。
制汗スプレーの匂いが鼻をくすぐる。
2人が原稿のチェックをしている間、由衣から新しく買ったと聞かされたコミックスを読ませてもらう。
評論は本気で書くが、間の時間はもうシャカリキになることはないから。
「へー。真ちゃん、上手くなってるね。読んでて面白いよ。」
由衣が褒めてくれる。
「そうなの?楽しみだな。」
真奈美も期待してくれているようだ。
そう言えば、去年は、ここで俺の原稿が生まれ変わったな。
俺の名を冠した2人の作品になってしまった。
しばらくコミックスを読んでいたら
「う~ん。」
と真奈美の唸り声が聞こえてきた。
やはり、肘をついて手を顎に当てている。
俺のを読んでいるな。
「去年よりもよく書けてる。でも、引っかかるところはあるな。」
来たな。
ドキドキしてくる。
ところがだ。
3か所ほどに赤が入ったくらいで収まったようだ。
なんだか拍子抜けしてしまう。
真奈美にやられるのが快感になっているのか、俺?
これってヤバくない?
今年はいけそうだ。
かなりパワーアップしているみたいだ。
返されたのを直して出したら通るんじゃないかな。
まあ、それが普通なんだけど。
と言うより、あれから1年書き続けて、成長が見られないなんてことがあったら大変だ。
あの徹先輩でも1年で格段に上手くなっていたもんな。
負けられない。




