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ep038.『骸の女王』

 ――カツン。


 狂信者の後ろ、全てが見渡せる後方で闇夜の主は脚を止めた。


 

「生きているかしら? かわいいウサギさん」



 その声は、まるで今宵の主役が誰であるかを知らしめるように闇夜をな撫でた。


 決して大きな声ではなかったにもかかわらず美雪にもハッキリと声が聞こえたのは、単に辺りがそれだけ静まり返っていたからに他ならない。


 髪も服も乱れ、土や血、吐瀉物で汚れた今の美雪が、かわいいという言葉に当てはまらないのはこの際無視するとしてだ。少なくとも死にかけのウサギというのが美雪(自分)を指しているのはわかる。そこまで分かっておきながら、追い打ちをかけるような状況を前にして、その人物の恐れの象徴しか呟くことができない。



「憑姫……」



 呟きの先で問いの答えが返って来るのを待っていた女性は、これ以上の言葉が続かないであろうことを悟ったのか、納得した様子で独りでに微笑んだ。



「まだ生きてるようで安心したわ」


 

 突如現れた最も"願い"に近いと称される憑神――『憑姫』。

 強者の中の強者を前にして、狩の終わりを感じていた者達も一挙に緊張状態となる。



「――――」



 美雪はその場から誰一人として動かないことを――否、動けないことを良いことに、絶望的な新手をまじまじと見つめた。というよりもただの女子高生に落ちぶれた美雪に出来ることと言えばそれくらいしかない。


 背の高い凛とした佇まいの女性。さらりと風に流れる黒髪は青みが強いからか、濡れたような美しさを湛えている。鋭さと優しさの同居した横顔は、その凛々しさと相まって同じ女性でも目が奪われてしまう程だった。

 コンは自分を綺麗だと言ってくれたが目の前の女性を見た後ではお世辞と思うしかあるまい。これが正真正銘、絶世の美女というやつなんだと、そう思った。


 

「憑姫――なぜ貴様がここにいる」



 美雪の側に立って最大限配慮して言葉を絞るなら劣勢という表現になるだろう。そんな事実上の敗者は捨て置き、勝者と強者が互いの意を探り合う。



「今その子とお話をしていたのだけど……まぁいいわ。ちょっと用事があって寄っただけよ。あなた方に用があったわけじゃないわ」



 憑姫のまるで世間話をするかのような口調は代行者を相手にしている恐れなど微塵も感じさせず、言葉の節々からはこれでもかと余裕が溢れだしていた。それが当たり前だとでも言いたげな彼女の態度は、あのふてぶてしい黒い狐を思わせる。



(まずい……)



 憑姫の『用』とやらが一体何のことなのかは分からない。が、憑神が弱った獲物を逃す理由などない。

 このタイミングで来たということは彼女の手でラビットフットを殺し、保有する魂を奪うこに他ならないはずだ。

 

 ――何か出来ることはないか?


 すでに呪いの予兆が現れ始めた巡りの悪い頭で必死に考える。しかし、狂信者たちだけで手一杯という事実以外に見えてくるものはない。倉庫に来る前から離れた方が良いと訴えていた勘を無視したのだから当然の結果と言える。

 そこに魂奪戦において最強と謳われる『憑姫』が来たのではどうしようもない。できる事と言えば僅かでも時間を稼いで黒狐あいつが来てくれる事を祈ること。


 その時間稼ぎも結局はこの場を支配している二人の人物次第なのだが。



「儂らは貴様と事を構えるつもりはない。この場から立ち去るならば此度は目を瞑ろう」



 狂信者としては獲物みゆきを逃したくないのだろうが、止めを刺すにしても憑姫は背中を晒せるような相手ではない。



「この状況を見てわからないほど、頭の回転が鈍くはなってはいないのだけれど……」



 困った笑みを浮かべながら小首を傾げる憑姫に、狂信者は苛立ちを吐き出すように息をする。



「はぁ……貴様とてこの人数を相手に無事では済まんだろうに」

「あら? ごめんなさい。意味もなく群衆を数える趣味はないの」



 確かに憑姫レベルになれば代行者未満の解魂衆など物の数ではないのだろう。

 というかだ、骸にやられた狂人たちが死者の参列に加わっているのを見るに、彼女は群衆を潜在的な味方として捉えている可能性すらある。



「ふん。その奢り、命でもって過ちと知ることにろうぞ」

「先達にご指導頂けるなんて光栄だけれど、残り少ない命を私の為に使っていただけるなんて……なんだから忍びないわね」



 売り言葉に買い言葉。一見すると彼女らのやり取りはそう見える。しかし戦いはすでに始まっていた。 


 ――どうするか。


 美雪に恩恵を使用した後の狂信者の発言からして、こうした会話をするのは阻害の精度や強度を高めるための時間稼ぎだというのはわかっている。そして、狂人と数人の解魂衆を憑姫の使役する骸骨たちが倒してくれたおかげで、美雪は何とか命を繋ぐことができたということも。しかしだ、危ないところを助けられたとはいえ、味方とは明言できない憑姫に狂信者の手の内を教えるべきかは疑問が残る。

 このまま時が過ぎれば、強者と名高い憑姫も地べたに這いつくばることしかできない小娘と同じ死を待つだけの弱者に成り下がる。

 立つこともままならない美雪とは違い、抵抗することはできるだろうが、徒人が何人束になろうと代行者たる狂信者には届かない。ともすれば美雪も憑姫も二人仲良くこの狂ったハイエナ共にやられるだけだ。



「――……」



 だが憑姫が狂信者の恩恵を知れば、早々に美雪を殺してこの場を離れると言う事も考えられる。そう考えればこそ美雪は真実を告げることができなかった。



「その哀れな魂を解放する前に答えろ。赫腕を祓ったのは貴様か?」



 狂信者からすれば不安の種を確認するくらい気持ちだったかもしれない。しかしここ最近で一番うれしい朗報を美雪は聞き逃さなかった。



(赫腕を祓った?)



 その言葉は確かガレージに現れた牛の化け物の名前だったはず。

 化物が倒された――その言葉が事実なら後少し時間を稼げばコンが来てくれるということ。それは素晴らしい事であると同時に、今となっては手放しに喜んでもいいかわからないものでもあった。なぜなら、



「あら? その質問に応える義務があるのかしら?」



 そう、憑姫がいるからだ。


 

 コンは言っていた。落憑救出作戦(この一件)で一番避けなければならないのは彼女との衝突だと。

 ただでさえ赫腕イレギュラーが発生しているというのに憑姫まで現れた。であれば、彼がこの状況を見たのなら手遅れだと美雪のことを切り捨ててもおかしくない。



「やれやれ。儂と貴様が争えば、このウサギを逃すことになるやもしれんのだぞ?」



 色々な意味で絶体絶命な美雪をよそに、狂信者は獲物を逃すまいと憑姫を牽制する。



「安心してご老人。貴方の心配しているようなことにはならないわ」



 獲物の奪い合いを避ける狂信者とは裏腹に憑姫はラビットフットも狂信者もまとめて相手にする気があるようで、優雅な立ち姿からは自信というものがこれでもかとあふれ出ていた。しかしそれも、狂信者が恩恵を使うまでの儚い泡沫でしかないのだが。



「ならば――やれ」



 二人が話す間に準備していたであろう解魂衆たちが、顔の前へと一斉に呪符を掲げる。呪符は瞬時に燃え上がり炎の矢へと形を変えると、その浅慮を焼き払うべく獲物に向かって一挙に飛来した。



「――」



 今まさに焼き殺されんとしている中でも憑姫の余裕は崩れない。それもそのはずだ、



「何ッ!?」 



 解魂衆たちの期待は当然のように成果を成さず、炎の矢は憑姫に当たる一メートルほど手前で何かにぶつかったようにして爆ぜた。一斉に放たれた炎の矢は、傲慢な異端者に己の愚かさを教えることもないまま未練のような煙を残して消えていく。


 その結果を確信していたが故の余裕からか、憑姫は目を瞑った。そして、徐に胸元に手を滑らせたかと思うと、艶美の谷から一握りの"物"を取り出した。



「――――」



 ゆっくりと横に伸ばされた腕の先に握られていたのは人の骨。あるいは頸椎の一部と思われるそれをなぜ今取り出したのか、その理由がわからない群衆たちを前に彼女は憑代それを強く握りつぶす。



テオ・(目覚めよ、)――」



 流れるような長髪が鮮やかで、しかし夜のような深みを帯びた紫に染まる。

 そして今、骸の女王が高らかに告げる。




 

アトラス(骸の巨神)!!!」





 号令と共に開かれた瞳には紫紺が宿り、その姿はまさしく憑姫と呼ぶに相応しい威厳と美しさを湛えていた。

 紫宝の如き女王の後ろに聳えるは、面なしの巨大な骸。

 地面から生えるようにして現れた骸の巨神は、上半身だけにも関わらず十メートル以上ある。



「――――ッッッ!!!!」



 震える骨が声なき音を鳴らす。それはまるで巨神の雄叫びのように聞こえた。

 


「炎羽を! 早く――!!」



 解魂衆が慌てて次の術を用意する。

 しかし、矮小な存在の抵抗など神の前では余りにも無力。



 ――ゴウッッッ!!



 たった一薙ぎ。

 目にもとまらぬ巨腕の一撃が、遍く弱者を血と肉の塊に変えた。

 後に残るのは、廃校で見たような巨大な爪跡だけ。


 勝敗は決した。遠目から見ていた者がいたならそう思ってもおかしくなかっただろう。



 ――チリン。



「貴様らの死は無駄ではない」



 だがしかし、無情にもあの鈴の音が澄み渡る。

 


「これで貴様はその骸を御せなくなった」



 そう、いくら強大な力を使おうとも封じられてしまえばそれまでだ。そして、狂信者がかざす手の先には、人の胴ほどもある火球が浮いていた。



「愚かな異端者に、魂の解放を――」



経を唱えるように厳かな声で、狂信者が死を宣告する。

迫る業火が徒人に落ちぶれたかつての女王を焼き払う――そう思われた。



「ぬぐぅ!!」



 撃ち出された火球を突き破り、巨神の手が狂信者を捉えて締め上げる。



「な、ぜだ……!?」



 狂信者が恩恵を使えば術者は自身の恩恵に対するコントロールを失う。それなのになぜ、憑姫は骸の巨神(アトラス)を意のままに操れているのか。その答えは他ならぬ憑姫の口から語られる。



「貴方の恩恵は知っていたわ。憑代に干渉し、恩恵の操作を妨害する力……」



 生殺与奪の権を文字通りの意味で握られている狂信者は、押し潰されそうな苦しみに悶えながら答えを待つことしかできない。



「でも、妨害できるのは操作だけ(・・)



 息をすることもできない状況でなければ憑姫の言葉の意味がわかっただろう。残念ながら、酸素を求めて口をパクパクとさせている狂信者の顔に理解の色が浮かぶことはなかった。


 最早障害にはなり得ない。

 敵だった狂信者それに、憑姫は手向けとでもいうように答えを告げる。



「それじゃ骸の巨神(アトラス)は止まらないわ。だって、私が操作しているんじゃないもの。彼は彼自身の意志で動いているのだから……私はただ目覚めを呼びかけているだけ」



 既に口から血を吹き出している老骨に答えが届いたかはわからないが、一つだけ分かったことがある。



「『命でもって過ちと知る』だったかしら? お陰でおしゃべりに時間を費やすのは過ちだって知ることができたわ――あなたの命で」



 今宵の勝者は骸の女王だということだ。


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