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ep037.『死の足音』

 日が沈み、一層暗くなった倉庫は身を隠すのに最適かと思われた。

 しかし、現実は真逆の答えを返す。



 「物が動いデる。ここら辺にイたぞ」

 「あのガキ棚から棚に移動シテルぞ!」

 「中ニ入って見てグるワ!」

 「俺ハ上をミてくる」


 どういう訳か狂人たちは闇を見通せるらしく、対して美雪はあちこち体をぶつけながら移動するのがやっとという状況で、目が慣れてきた今でも満足に動けないくらいだった。

 

 (もう! なんでまた繋がらないのよ!)


 逃げ隠れしている最中、(コン)から来た念話に隙を見て返答するも、こちらの声が届いている様子はなかった。第一、声が届いていたら何かしら返答があるはずだ。

 その後もチャンスの度に(コン)に念話を飛ばしてみたが、あの憎たらしい声が返ってくることはなかった。そしてその時間稼ぎも限界が近い。



 「居タぞッ!!」

 「やば……!」


 見つかっては逃げ、その度に新しい傷が増える。

 急所は守っているものの、至る所を殴られた体は痛みと熱を発し、最早どれくらいの怪我をしたのかわからないほどだった。


 「まタ隠れヤがっタ! お前らが遅イからダぞ!」

 「テメェも見ツけた癖ニ逃ゲられてるじゃねぇか! 十秒モ止メられねぇのか無能ガ!」

 「イっ発イれテも食らっテねぇみたイに動きヤがるんダヨ」

 「良いからサがスゾ! どうセこのソう庫のどこかにシか居ねぇんだ」


 このまま無尽蔵にも見える狂人たちと追いかけっこしていたのでは結末が知れている。

 美雪にある唯一の勝ち筋としては(コン)が駆け付けてくれることなのだが、それは余りにも希望的観測に過ぎる。


 流石の(コン)でもあの狂牛(バケモノ)相手には時間がかかると言っていた。加えて移動が速いわけでもない。

 あのコンコンうるさい瞬間移動で飛んできてくれるならその限りじゃないが、残念ながらそっちの方も期待できない。


 当の本人が教えてくれないので美雪も詳しくは分からないのだが、あの瞬(コン)移動は恩恵ではないらしく、彼曰く、それは解魂衆たちが憑神と戦う際に使う術とやらと本質は同じものだという。

 恩恵なんてものがあるのだから今更オカルトチックな不思議パワーがでてきても別に驚きはしないのだが、彼の口ぶりからして術は恩恵には届かない程度の力でしかないらしい。


 もし、念話が通じないこの不可解な状況が狂信者の恩恵によるものだとしたら、同じ陰陽術である瞬狐移動も封じられているということで、それはつまり、(コン)はこの場に飛んでこれないということになる。

 一応、(コン)がガレージまで走って来た時のことを思えば、下手な交通手段よりは早く移動できるのだろう。だとしても美雪の脚程ではないし、ガレージから倉庫までの距離を考えれば数分から数十分はかかる。

 現状で確かなことがあるとすれば、自分でどうにかするにしても、(コン)が間に合ってくれることに賭けるにしても、どちらを選ぶにせよ隠れんぼはを押し通し続けるのは無理があるということだ。



 ――今しかない……!



 だから美雪は一か八かの勝負に出た。



 「イたぞ!!」

 「逃げんじゃネぇ!!」



 それは通用口に向かっての全力ダッシュ。

 

 勝算はある。恩恵がなかったとしても徒人同士で比較するなら美雪の足は早い方だ。この中に片腕でバランスが取れないにもかかわらずアスリート並みに速い人でもいない限り先に出口に着くのは美雪の方だ。


 だから今は痛みに耐え、恐怖を堪え、力の限り走る。


 「腕ェ……腕ェエエ!!」


 常人とは思えない速度で投げられた鉄パイプが棚に当たり、甲高い音を立てて跳ね返る。

 それを間一髪避けながらドアノブに手をかける。


 「やった!」


 分の悪い賭けを通し、成し遂げたことへの達成感に思わず声が出る。

 後は体力が続く限り走り、もし可能なら(コン)の方に近づきながら念話が通じるかを試す。これが今ある可能性の中では最も生き残れる可能性が高い。


 ――ガチャリ


 そんなことを考えながら、美雪は通用口の取っ手を捻り倉庫の裏手へと飛び出した。 


 「あっ……」


 そして、どうしてこんな簡単なことにも頭が回らなくなっていたんだと後悔する。

 



 「よォ?」



 逃げられる可能性のある裏口なんて最初から塞がれているに決まっている。

 勝算なんてものも、相手が先回りしているのだから前提条件からして崩れている。

 

 とはいえ、狂信者の恩恵が"恩恵の制御を阻害しているだけで呪いはそのままである"ことを知らない美雪が早まった行動をしてしまうのは仕方のない事でもあった。同時に弱者が倒れ強者が立つという仕組みもまた仕方のない摂理だった。



 「ッぐぅぇ……!!」


 力任せに放たれたヤクザの前蹴りが鳩尾に刺さり、飛び、転がり、やがて止まる。


 ここに来るまでに何度殴られたか、数えるのもバカらしい拳と蹴りを浴びた美雪に立ち上がる余力は残っていなかった。


 「カハッ……ァ……ハァ……」


 美雪からすればこれでも善戦した方だ。

 憑神遊戯に参加してから多少は暴力行為に慣れたとはいえ、それもあくまで恩恵ありきの話。生身と変わらない今の美雪には、どうしたって動きや体力に限界がある。


 右腕がない一般人ならまだしも、相手は痛みも感じず死も恐れない狂気に呑まれた異常な集団。そうでなくたとしても、日ごろから暴力に慣れているヤクザが複数いたのでは勝ち目はない。

 そんな状況でも角材や鉄パイプなど、致命傷になり得るものは何とか避けたのだ。

 

 結局、その先で別のヤクザに蹴り飛ばされ、こうして地面に這いつくばっているのだから、悲しいことだが必死になって避けた意味はそんなになかったと言える。あったとしても精々、致命傷を致命的状況に変えるくらいのものだった。


 そんな美雪を嘲るかのように、ゆったりとした足取りで向かってくるのは狂気そのものかのような老人。

 

 「直に兎も狩られようが……ん? 赫腕(カクワン)が祓われた? 早すぎる……小僧がやられたか? ふむ」


 何やらブツブツと考え事をしている様子の狂信者は、兎脚の憑神(ラビットフット)を前にしてこれでもかと隙を晒している。が、今の美雪にはその隙に付け入る力はもちろん、狂信者の独り言から情報を汲み取る余裕もない。


 狂信者は誰に邪魔されることなく考え事に時間を割き、やがて一枚の呪符を取り出した。


 「我らをお戻しになられたということは、何か予期せぬことが?」

 「何、念には念をじゃ」


 顔の前へと呪符を(かざ)す。たったそれだけのことで、この場を離れていた筈の解魂衆たちが狂信者の後ろに現れ、僅かにあったチャンスは掴まれることもなく消え去った。


 異変に対する狂信者の意味深な発言に美雪が気付いていれば何か変わったかもしれない。

 だが、恩恵の使えない手負いの少女が今の状況で聞き耳を立てるなど土台不可能な難題だった。むしろ、恩恵なしでは勝ち目のない解魂衆が、この場に戻ってきたことに絶望しなかったことを称賛するべきだろう。

 残念ながら、余裕が残っていたところで解魂衆の方をじっくり観察している暇などないのだが。



 「ガキがァァアア!!」

 「ぶち殺ス!!」


 狂人たちが美雪を取り囲もうと殺到する。

 バットを持った二人の男がすぐ近くまで迫っていた。


 このまま囲まれてしまえば、恩恵も使えない女子高生などタコ殴りにされて終わりだ。

 ルバンシュのように(コン)が都合よく間に合うなんて奇跡が二度も起こるはずがない。

 そもそも(コン)から念話が来ていないのだ。きっとまだあの赫腕(バケモノ)と戦っているのだろう。


 ――まだだ……っ!


 痛みにきしむ体に鞭を打ち少しでも遠くに逃げる。例えその先が積み上げられた大きなコンテナで行き止まりになっていたとしても、今この場に蹲って数秒の命で終わるよりはましだ。それに――、


 (こんなところで死ねないから!)

 

 金属バットを持って追いかけてくる男に、あえて美雪の方から突っ込んでいく。

 

 「馬鹿ガ!」


 飛び込んでくる美雪を迎え撃つようにしてバットが横凪ぎにスイングされる。

 それを美雪は助走を利用したバク中で男ごと飛び越える。


 「あァ!?」

 「こんのォ!」


 間抜けな声で驚く狂人の後頭部にバク中の回転を乗せた膝を叩きこむ。


 ――!


 膝蹴りの衝撃で狂人の手を離れたバットが後方に転がったのを美雪は見逃さず、受け身をとって飛び込むようにその僅かな勝機に手を伸ばす――、


 「オラァ!」

 

 バットに手が届く刹那、最初の狂人を相手している間に追いついてきたもう片方の狂人が、手に持った釘バットを美雪の頭に叩き下ろそうとしているのが視界の端に映った。


 狂人の頭上に大きく振り被られた釘バットがこのまま叩き下ろされれば、今の体勢では受けることも逸らすことも難しい。迎え撃とうにも今まさに振りかぶっている相手に、重心が遠くにあるバットという鈍器を使っても後から振っている側が間に合うはずもない。


 ならばと、普通に振っても間に合わないことを悟った美雪は、バットの持ち手ではなくヘッド部分を掴んだ。


 「――!?」


 狂人がそのままバットを振り下ろしていれば或いは相打ちになったかもしれない。しかし、暴力に慣れていたが故に美雪の行動に反応できてしまい、しかし訓練された兵士ではないが故に片腕になったばかりという状況判断を誤った。


 「ぅぁぁああ゛!!」


 声を上げ、飛び込みの勢いを利用したまま立ち上がり、回転の力を振り向きに乗せる。

 バットを持った左腕が伸び切る直前、ブレーキをかけてヘッド部分の重心を軸にして生み出した新たな円運動を利用する。

 咄嗟にバットを持っていない方の腕で急所を守ろうと試みる狂人だが、少し前まで有ったはずの、今は無き腕で何かを守れるわけもなく、


 ――カンッ!

 

 金属らしい鈍くも澄んだ音と共に、加速の乗ったグリップエンドが男の顎を撃ち抜いた。


 「カ、カェ」


 男はふらふらと揺れた後、ボクサーのフックを食らったようにぐらりとその場に倒れ伏す。



 「ア゛ァァァアア!!」


 間髪入れず膝蹴りから立ち直った狂人が掴みかかろうと、片方しかない腕を伸ばしてくる。


 「しつ――」 

 

 美雪は振り抜いた力をそのまま流し、首の後ろにバットを回して右手でグリップをキャッチ。振りかぶる途中で左手も添えて今度は正しいフォームでフルスイング。 

 

 「こいっっ!!!」


 バットは寸分たがわず男の頭部に命中し、狂気に吞まれた男を一撃で絶命させた。



 「はぁ、ひゅー、はぁ……」

 

 今の鬼気迫る逆転劇を見れば暴漢といえど臆することもあったかもしれない。残念ながら恐怖を感じない狂人たちはそんなことでは止まらない。

 稼いだ時間は僅か数秒。たった二人倒したところで焼け石に水だ。



 頭がくらくらする。真っすぐ立てているのかわからない。

 肩でする呼吸もひゅーひゅーと嫌な音をさせている。

 構えようにも、遠心力なしではバットを持ち上げる力も残っていない。

 それどころか、バットを支えにすることで何とか立っていられる始末。



 ――ダメだ……前が見えない。



 霞む視界の中で狂人たちは確かにゆっくりと歩いている。にもかかわらず、瞬き一回ごとに、まるで相手が走っているとでもいうように距離がなくなり、囲まれていく。


 「ははは……悪あがきにしては中々の見世物じゃったな。じゃがそろそろ狩りの時間は終わりにせねばな」

 

 囲いの一部が割れ、そこから喜色ばんだ嗤い声を上げた老人がゆっくりと歩いてくる。

 さぞ勝ち誇っているだろうその顔を見る前に美雪は地面に倒れた。


 時間の感覚はない。自分が地に伏してからどれだけ経ったのかわからない。

 長いような気もするし、一瞬のような気もする。


「コ、ン……」


 彼の名前を呼んだって仕方ない。彼の助けが期待できないからここまで足掻いたのだから。でもそれ以外に思いつくものもない。

 

 何かをわめいている男たちの声も、狂信者の声も上手く聞こえない。 

 ただ、この場に似つかわしくないヒールが地面を叩く音だけが鮮明に聞こえる。



 ――カツン。 



 次いで悲鳴が聞こえた。



 ――カツン。――カツン。――カツン。



 男も女も、徒人も信徒も、分け隔てなく地に伏せる。



 ――カツン。



 と、高い音が響く。


 音はゆっくりと、そして優雅に狂人たちの宴へと足を踏み入れた。

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