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2.1チャンネルスピーカーズ  作者: ふん
シーズン6

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第十四話


 土曜の午後、たかしはリビングのソファに座って、テレビの電源を入れた。

 隣にはマリ子が座り、その向かいにはボスと朱美店長が並んでいる。

 二人の間には、微妙な距離感があった。肩が触れるか触れないかの絶妙な位置で座り、時折お互いをちらりと見ては目を逸らしている。


 コーヒーテーブルには、ポップコーンとジュースが並べられていた。まるで映画館のような雰囲気だ。


 だが、たかしの表情は硬かった。

 今日はボスと朱美店長を招いてのダブルデートだ。

 マリ子が提案したこの企画に、たかしは最初から乗り気ではなかった。

 ボスとは仲が良いが、こういう改まった場は苦手だった。

 それに、何を見るのかも知らされていなかった。


「じゃあ、始めるわね」


 朱美店長がリモコンを手に取った。

 ダブルデートの緊張で、その手が少し震えている。

 ボスも同じで、いつもより姿勢が良く、出っ張ったお腹がより強調されていた。


 再生ボタンが押され、画面にタイトルが現れた。


『失われゆく森 環境破壊の真実』


 たかしの嫌な予感が的中した。大学のレポートを書くのに見るくらいしか活用方法がなさそうな、環境保護のドキュメンタリー映画だ。

 しかも、タイトルからしてかなり重そうだった。



 映画が始まると、最初に広大な熱帯雨林の美しい空撮シーンが映し出された。

 緑豊かな森が、どこまでも続いており、それらを支えるような太い川が流れている。

 見ごたえのある映像だが、ナレーションはすぐに重々しい声色で警鐘を鳴らし始めた。


『この美しい森が……今、失われようとしています』


 典型的な環境保護ドキュメンタリーの導入だ。


 たかしは自分がこんなに嫌な予感がしているのだから、理解に乏しいマリ子はもっと大変だろうと、隣の彼女を横目で見ると、思った通り同じように硬い表情をしていた。

  だが、向かいのボスと朱美店長は、すでに映画に引き込まれているようだった。


「ひどいわね……こんなに美しい森が破壊されているなんて」


 朱美店長が小声で呟いた。ボスも深刻な表情で頷いている。


「本当だな。人間の欲望は際限がない」


 二人は画面に釘付けになっている。

 たかしとマリ子は、ただ黙って映画を見続けるしかなかった。


 映画は、延々とインタビューが続いた。環境活動家、地元住民、政府関係者。様々な立場の人々が、森林破壊の現状を語る。たまに挿入される森の映像は美しいが、ほとんどの時間は人々の顔のアップだった。まるでニュース番組を見ているようだ。


 三十分ほど経った頃、ボスが小声で朱美店長に話しかけた。


「あ、あの……えっと……ポップコーン、取ってもらってもいいかな」

「ええ、もちろん」


 朱美店長がポップコーンのボウルをボスに渡す。

 その時、二人の指が触れた。

 一瞬、二人とも動きを止める。

 そして目が合うと、慌てて手を引っ込めた。


「あ、あ……ありがとう」

「ど……どういたしまして」


 マリ子は、その付き合いたての初々しくぎこちない様子を横目で見て「こっちのが映画みたいなことしてるじゃない……の」と、当人たちに聞こえないよう、小さい声で呟いた。


 たかしはマリ子の文句を聞きながら、時計をちらりと見た。まだ三十分しか経っていない。

 映画の長さは表示されていないが、この手の題材のものはおそらく二時間以上あるだろう。

 そう思うだけど、気が遠くなった。


 映画は進んでいく。

 インタビュー、森の映像、インタビュー、データのグラフ、インタビュー。同じパターンの繰り返しだ。


 たかしの意識は、徐々に遠のいていった。

 視界の隅から、世界がまだらに溶けていく。

 いつしか退屈なナレーションは、甘い声の子守唄となっていった。


「これは許せないわ」


 朱美店長の声が、たかしの意識を引き戻した。

 画面では、重機が森を切り倒している映像が流れている。

 確かに衝撃的な映像だが、たかしにとっては、ようやく動きのあるシーンが来たという安堵の方が大きかった。

 自然破壊の悲惨さよりも、重機の音が目覚まし代わりなる。


 そんな高しとは違い、ボスは拳を握りしめていた。


「本当に……ひどいな」


 その声は、普段のボスとは違って真剣だった。

 朱美店長はボスの方を見ると、少しだけ身を寄せた。


「ね、ねえ。私たち、こういうの……一緒に考えていけたらいいわね」


 その言葉には環境問題だけではない、何か別の意味が込められているようだった。ボスも顔を赤らめて頷く。


「ああ、そうですね。いっ……い一緒に……その……」


 たかしは二人のやり取りを見て、付き合いたてのカップルの空気に少し居心地の悪さを感じた。

 マリ子も苦笑している。


 だが、ボスと朱美店長の二人の間には、共感と連帯感が生まれていた。

 環境問題という共通の関心事が、二人の距離を縮めているようだった。


 一方、たかしとマリ子の間には、ただ重苦しい沈黙だけがあった。


 映画は、さらに続いた。

 一時間が過ぎ、一時間半が過ぎた。たかしの尻は痛くなり、背中は凝り固まっていた。

 なぜか、上映中は動いてはいけないような空気が流れているからだ。


 ようやく、エンディングのクレジットが流れ始めた。

 たかしは、心の中で安堵のため息をついた。

 長かった。本当に長かったと、拳を握った。


 部屋の照明が点くと、ボスと朱美店長が満足そうな表情をしているのが見えた。


「素晴らしい映画だったわね」


 朱美店長が言うと、ボスは大きく首を振って頷いた。


「本当だな。もっと多くの人に見てもらいたい作品だ」


 二人の会話を打ち切るように、マリ子はソファから立ち上がった。

 そして、笑顔を作って朱美店長に言った。


「今日は楽しかったわ。素敵な映画を見せてくれてありがとう」


 たかしは、内心で驚いた。マリ子が楽しかったと言っているのだ。あの三時間近い苦行が。

 だが、社交辞令だとすぐに理解した。

 マリ子はバイト先の店長に、大人の対応をしているのだ。


 だが、その社交辞令が予想外の展開を招いた。


「本当? 良かったわ」


 朱美店長が嬉しそうに言った。


「実は、この映画、三部作なの。次は……三日後、第二部を見ましょう。さらに深い内容になっているのよ」


 マリ子の笑顔が一瞬で固まった。

 たかしも、内心で絶望した。三部作。三日後。 しかも、さらに深い内容。

 こんなに短い3つの言葉で、頭の中は大混乱になっていた。


 しかし、マリ子は笑顔を保ったまま答えた。


「ええ、もちろん。楽しみにしているわ」


 その声は、明らかに震えていた。

 だが、ボスと朱美店長は気づいていないようだった。


「じゃあ、三日後の火曜日ね。同じ時間でいいかしら?」

「ええ、大丈夫よ」


 こうして、次回の鑑賞会が決まってしまった。

 ボスと朱美店長が帰った後、リビングには重い沈黙が落ちた。


 たかしはヒットマンに撃たれたかのように、体を投げ出してソファに倒れ込んだ。マリ子は、窓の外を見つめたまま動かない。


 しばらくして、たかしが口を開いた。


「なんで楽しかったなんて言ったの?」


 その声には、非難と絶望が混じっていた。

 マリ子は振り返り、たかしを睨んだ。


「たかしがなにも言わないからでしょう。なに? あの映画の一番の見所は、森が無惨に燃やされるところでしたとでも言えばいいわけ? 糞つまらない映画の中で唯一スカッとしたシーンよ。映画の殆どがインタビューなのよ。インタビューが映画なら、私も映画を撮れるわ」


 マリ子の口調は荒れに荒れていた。時間を無駄にしたことで溜まっていたフラストレーションと、次も無駄にする約束をしてしまった自分の怒りが、一気に噴出している。



「長いに三時間だったわ……初めてよ。本気で森が焼かれろと思ったの……」


 その言葉に、たかしは思わず苦笑いを浮かべた。

 同じことを思っていたからだ。


「まだ、そのチャンスはあるぞ……。ボス達は三日後もまた来るって言ってたから……。映画の中のゲリラみたいに」

「何がゲリラよ。あいつにやる気があれば、森は焼かれエンド。中途半端に残ってるから、活動家の餌になるのよ」

「そうじゃない。二人で逃げるんだ」


 たかしは、半ば本気でそう提案した。

 だが、マリ子は首を振った。


「逃げるってどこに。家はここなのよ」

「切り倒された熱帯雨林の木でボートを作るんだ。木が足りなければ新たに切り倒したっていい」


 たかしの冗談に、マリ子は力なく笑った。だが、笑いはすぐに消えて、再び沈黙が訪れた。


 たかしは、どうすればいいのか分からなかった。

 三日後も、その三日後も、この地獄が続く。

 三部作ということは、あと二回だ。

 合計で九時間近い苦行が待っている。



 翌日。たかしは明夫の部屋を訪ねた。

 明夫はベッドに座って、スマホでアニメの感想をSNSでチェックしていた。


「どうしたのさ、その顔。クリスマスの日に家を焼かれた人だって、もう少しマシな顔してるぞ」

「地獄だよ……これが、三日後も、その三日後も続くんだ」

「勝手にこの家を地獄にしないでよ。僕も住んでるんだから。だいたい、3年前に鬼娘を勧めたのに、鼻で笑い飛ばしたのはたかしだぞ。今更地獄のアニメツアーをしようたって遅い。アニメのサイクルは食べ物と違って遅いの。マカロンだ、タピオカだって、隔年で流行りはこないんだから」

「そうじゃないよ」


 たかしは、昨日の出来事を明夫に話した。

 環境保護ドキュメンタリー、三時間の苦行、そして三部作という絶望。

 明夫は、話を聞きながら何度も頷いていた。


「なるほどな。それは確かに地獄だ」

「だろ?」

「ナレーターってアナウンサーだろ? 声優を使わないだなんて……。ドキュメンタリーと家でも映画は映画だ。アナウンサーや芸人やアイドルは控えてもらいたいね」

「今は話しの寄り道付き合ってる暇はない。明後日にはゲリラがやってくるんだ。どうすればいい? 何か、いい方法はないか?」

「簡単だよ。アニメを見ればいい」


 たかしは今忠告したばかりだと、呆れた表情になった。


「毎回毎回相談したらそれだ……。明夫にはアニメを勧める以外の選択肢はないのか?」

「それが答えなの。みんな結局そこにたどり着く」


 明夫は真剣な表情で言った。まるで人生の真理を語るかのように。

 だが、たかしはため息をついた。



 そして、そのため息がつい先程のことのように、三日後の火曜日が、あっという間にやってきた。


 たかしとマリ子は、再びリビングのソファに座っていた。

 向かいには、ボスと朱美店長。テーブルには、また同じようにポップコーンとジュースが並んでいる。


 だが、今日の二人は、土曜日とは少し違っていた。座る距離が、ほんの少しだけ近い。


「この前は、本当に……その、ありがとうございました」


 ボスが少し照れくさそうに言うと、そんな彼を見て朱美店長も微笑む。


「こちらこそ。また一緒に見られて嬉しいわ」

「今日も楽しみね」


 朱美店長が嬉しそうに言った。ボスも頷いている。

 だが、たかしとマリ子の表情は死刑囚のようだった。


 だが、残酷に刑は執行され、映画が始まった。


 第二部は、第一部よりもさらに重い内容だった。森林破壊の具体的な影響、絶滅危惧種、気候変動。

 よくもまぁ集めたもんだと感心するほど、次々と暗いテーマが展開されていく。


 一時間が過ぎた頃。画面では、また長いインタビューが流れていた。

 環境学者が、データを示しながら説明している。

 グラフが画面に表示される。数字が並ぶ。


「こうして大切な地球の資源が失われていってるんだな……」


 ボスが妙に重々しい声で言った。

 朱美店長もまた「そうよ」と重々しく返した。


 いつしか二人の手は握られており、消えいく自然を本気で心配していた。


 だが、マリ子は違った。

 あまりに変わり映えしない展開に「私たちの時間もね」と呟いてしまったのだ。


 その言葉に、たかしはそのとおりだと小さく笑った。だが、すぐに表情を戻した。

 幸いボスと朱美店長は、二人の小声には気づいていない。


 映画は、また延々と続いた。

 インタビュー、データ、映像、インタビュー。昨日と同じようなパターンの繰り返し。

 たかしの意識は、何度も遠のきかけた。


 ようやく第二部が終わった頃には、たかしは、もう二度とこのソファに座りたくないと思った。


 だが、運命は残酷だった。

 3日後にも、また同じ光景が繰り広げられるのだ。

 第三部の上映会だ。


 たかしは、もう諦めていた。

 ただ、時間が過ぎるのを待つだけだ。



 そして三日後の金曜日、三回目の鑑賞会が開かれた。

 ボスと朱美店長は、今日はさらに親密な雰囲気を醸し出していた。

 朱美店長がポップコーンを取ろうとすると、ボスが自然に手を添える。二人は目を合わせて微笑み合う。


 映画という共通の趣味を通して、着々と親密度は上がっているようだった。




 第三部は、前二作とは少し趣が違っていた。

 環境破壊の背後にある、麻薬組織やゲリラ、政府軍の攻防が描かれていた。

 森を巡る利権争い。暴力と陰謀。ドキュメンタリーというより、サスペンス映画のような展開だ。


 だが、一番の変化はマリ子だった。

 この間とは別人のように、画面に釘付けになっていた。

 その目には、明らかに興味の光が宿っている。


「まさか……面白いの?」


 たかしが恐る恐る聞くと、マリ子が頷いた。


「ええ、面白いわよ。森を女に例えてみて。取り合ってるみたいで、ドロドロした恋愛映画みたい」


 たかしは戸惑った表情になった。当然事だが、この映画は環境問題を訴えるドキュメンタリーであって、恋愛映画ではない。

 たかしが脳内変換するのは不可能だ。


 だが、マリ子は止まらなかった。


「あのゲリラのリーダーと政府軍の将軍、明らかにお互いを意識してたわよね。森を巡る戦いは、実は二人の男の戦いだったのよ。テンチョー、あの森って男二人が奪い合ってるのよね?」

「そうよ。特にジョッシュって男性は、生涯結婚もすることなく森の平和に身を捧げたの」

「ほらね」


 マリ子は得意げに口の端を吊り上げると、視線をテレビへと戻した。

 たかしは絶望した。彼女がゾンビに噛まれ、ゾンビになってしまったからだ。


 たかしは飲み物を取りに行くふりをして、そっとリビングを逃げ出した。

 目指すは明夫の部屋へだ。


 ドアを開けると、明夫はベッドに座ってノートパソコンでアニメを見ていた。


 画面では、アニメが楽しそうに展開している。

 セリフは軽快で、展開はテンポが良い。

 三時間のドキュメンタリーとは、正反対の世界だ。


 たかしは迷うことなく、彼の隣に腰掛けた。


 明夫は、たかしを見ると訳知り顔で頷いた。


「やっぱりたどり着いたんだね」

「うるさい……」

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