それは、ねがいのながさ
帰りついて、ばたんと音を立てて扉を閉めてから、春真は階段上で目を丸くしている姉に気付いた。
「珍しいじゃない。あんたが揺れてるなんて」
少しばかり窘める様子で紡がれた言葉に、春真は肩の力を抜くと玄関に寄り掛かる。
「うまくやってるつもりだったんだけどね」
そう。
上手くやっているつもりだった。
この20年近く、春真はそうやって生きてきたのだ。
その言葉に、姉は酷く呆れたような顔をして階下へ足を踏み出した。
「あんたみたいなお子様が、なんでもやれるなんて思ったら大間違いよ」
「みたいだね」
「まったく、」
とんとんと階段を下りてくると、姉はダイニングへ向かいながら振り返る。
「来なさい。ミルクティー入れてあげるわ」
「こんな風に夜中に話すのは久しぶりね」
湯気の立つカップいっぱいに注がれた柔らかな色をした液体は、記憶の中と変わらないし、多分口を付ければ同じ味がするのだろう。
二つのカップからは同じように湯気が上がって、それは途中でくるりくるりと一緒になって宙に融けていく。
取り留めもなく最近の出来事を口にする春真に、姉を挟まずに静かにカップに口をつけた。
教授に就いて練習している曲のこと。
ヒーローを演じる黄波戸のこと。
学祭で行う予定の劇のこと。
バイト先で出会った人間のこと。
二日後に迫った、サクソフォンとのライブのこと。
こんな風に話すのは、姉がこの家を出てからはなかったことだ。
少なくともこんな風に、春真が内面を語る相手は他にいない。
漸く言葉を止めて暖かいミルクティに口をつけた春真に、対面に座る姉が両手でカップを包んだまま、つと顔を上げた。
「あたしね、永久に訊かないでおこうと思ってたことがあるの」
それは嫌に唐突な言葉だったが、春真には何となく解っていた。
だからこそ、口を挟まずにその視線を受け止める。
「でも、春真が変わろうとしてるなら、やっぱり確かめておくべきだと思うのよね」
「いいよ、なんなりと」
背凭れに重心を預けて、春真は微かに笑った。
小さなダイニングテーブルは、四脚の椅子が並ぶが、所有者が決まっているのは半分だけだ。
春真のものと、彼女のもの。
あとの二脚は客人用で、それから部屋の隅で重ねられて埃を被る四脚のうち、一番下の一脚は、永久に使用使用者を取り戻すことはなかった。
いや、もしかすれば四脚とも全てだ。
「あんた、いつからそんな風に明確に、ずっと子どもで居続けようと思ってたの?」
姉の問いに、春真は珍しく泣きそうに微笑んだ。




