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Solomon's gate (試作_7回目失敗)  作者: にしてつ
第一章 森の中の死体
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川を上る三人

 こうして三人は川の上流へ向かった。はるか遠方にはカラマン山脈の白い山麓が夏の日差しを受けて銀色に輝いていた。八月の入道雲は高く大きくたくましく天空に向かって立ち上がっていた。トウヒの濃い緑の森から真夏の山林の生命の匂いが漂っていた。山は狩りの季節だった。

 抜けるような青空と渓流がもたらす静謐な空気の中3人は川を上っていった。

 オルガ川の透明な水の中にはたくさんのニジマスが泳いでいた。 平和な日常であるならすぐにでも村に戻って3人で釣竿を出すところだった。ニジマスはアイルたちの足音に反応してどこか下流へと逃げていった。

 上流から夏の爽やかな風が吹いた。3人は黙って歩いていた。そのとき突如森で何かが蠢いた。

 狩人の習性から3人は即座に身構えた。

 小さな猪が森の隙間から顔を出した。そして川の水を飲もうと一歩小道へ足を踏み出した。ヤゴーが滑らかな動きでそれまで肩にかけていた弓をかまえ、そのまま音もなく弦を引き絞り矢を放った。矢は猪の眉間をドスリという音を立てて貫いた。猪は硬直し、四肢を伸ばしたまま横倒しに倒れた。

「無駄な殺生はするな」ゲイルが言った。

「なあに血抜きで川に放り込んでおいて帰りに持って帰ろうと思ってね」ヤゴーが答えた。

「そうか」ゲイルは一言だけ言った。

 3人はイノシシの喉を割いた。1分足らずで腹を開いて内蔵を取り、後ろ足に石を括り付けたあと川の淀みに沈めた。吹き出した血が煙のように水中で吹き出し下流を赤く染めた。


 3人はまた川を上り始めた。

 また森から獲物が出てきやしないかとヤゴーは足取り軽く歩いていた。しかし森に動物の気配はなかった。それどころか上流へ進むにつれて森はいやに静かになっていった。

「何も出てこねえな」ヤゴーはいった。

 鳥の声すらまばらになっていた。ただ渓流を流れる川の音だけがこの谷の隘路に響いていた。3人はやがて押し黙った。冬の森でもここまで静かではなかった。


 やがて彼らは森に潜む危険を確信した。この異様な感覚は危険な魔物が近くにいるときのそれだった。狩人の本能が彼らの足を重くさせた。ただ村から託された責務が彼らに後退を許さなかった。しかし前進するにつれ異様な気配はさらに濃くなっていった。

「嫌な感じだな。一旦村に戻るか?」ヤゴーが聞いた。

「いや、このまま進む」ゲイルが答えた。「ここまで森が異様な感じだと村の皆もすぐに気づくだろう。あの兵には義理立てがある。砦の兵にもだ。はやく訃報を知らせないとな」3人はそのまま進んだ。


 やがて彼らは川の対岸に掛かる吊橋にたどり着いたが、道の異様はますます濃くなっていた。

「なんじゃこりゃ」ヤゴーが言った。それは長年使ってきた蔦の吊り橋だったが、橋がなにか重いものを支えたかのように大きくへたり込んでいたのだ。そして底板の何枚かは抜け落ちていた。明らかになにか大型の獣のようなものが吊橋を通過したのだった。彼らはしばらくその場にとどまり対岸に目を凝らした。しかし危険の兆候は近くにはなかった。彼らは慎重に橋を渡った。


 やがて陽が落ちた。予定ならば既に城に到着し、遺言書を渡して帰路についているはずだった。しかし道の先の異様な暗黒が彼らに先に進むことをためらわせた。新月が近い今の森は常より暗黒に近いのだが、この暗闇には質量さえ感じさせる何かがある。彼らは一度歩を止め森の奥に入ることにした。

 しばらく濃いシダの下生えの中を漕ぎ進むと、いい具合に木立に囲まれたくぼみを見つけたので、ここに番を取ることにした。

 アイルは乾いた枝を集めに行った。楡の乾いた倒木を見つけると、腰の探検を抜き枝を切り落とした。ダマスカスの黒い短剣は細い枝を易易と断ち切った。

 ヤゴーは小さなスコップを手に取ると、土を盛り上げ、その中腹にくぼみを作ると、アイルから手渡された枯れ枝を積み上げた。

 ゲイルは二股の枝を盛り土の天辺に突き立てると、長い枝をその盛り土の上を通るように掛けた。そして荷物入れから乾いた布を取り出し三角形の二辺のように穴の上にかぶせた。

 こうして簡素だが小さなテントができた。この方法は山に籠もる猟師の間で広く行われており、焚き火の明かりは外にはほとんど漏らさずに簡易に暖を取ることができた。

 ヤゴーは干し肉を取り出し、しばらく眺めてから口に含んだ。

「炙るなよ」ゲイルは言った。「匂いが出るからな」ゲイルは付け加えた。

「んなこたしねーよ」ヤゴーは応えた。

 普段の狩りならそこまで気を使わずに暖を取り飯も温めた。ヤゴーは無類の肉好きで一緒に狩りにでかけたときは珍しい獲物を色々焼いてくれたものだった。アイルは干し肉を受け取ると塩気の効いたそれを唾で濡らし肉のエキスをちびちびと吸った。

 ゲイルは荷物から竹で編んだ鳥かごを取り出した。その中には紫じみた光沢を持つカラスが体を細くせばめて収まっていた。鳥かごの蓋を開け外に出すと、カラスは羽を羽ばたかせ羽毛を膨らませて元のカラスらしい姿になった。

 このカラスはトワと言った。非常に賢いカラスで、ゲイルのパートナーとして山深くの狩りを手伝っていた。彼は村人全員の顔と名前まで記憶しており、簡単な使いすらこなすことができた。当然村人全員もこのカラスをよく知っていた。その黒く鋭く光る双眸を見れば、彼に鋭敏な知性が宿っていることがすぐにわかった。

 ゲイルは干し肉を口に含み、よくかんで柔らかくしたあとトワの前に差し出した。トワは口の端に肉を挟むと、頭を天に一息で飲み込んだ。

 それを見ていたヤゴーは奥歯に指を突っ込み肉の食べかすをほじくり返すと、指の先に乗せてトワの前に差し出した。

 トワは食べかすをついばむと、「プワッッ!!」という唾ごと吐き散らす音とともに焚き火の中に放り捨てた。

「こいつ俺のこと嫌ってんよ」ヤゴーは言った。アイルは笑った。ゲイルは下を向いてニヤついていた。

 その後3人は焚き火の爆ぜる音に耳を傾け沈黙していた。

「あの猪の肉、血抜けすぎてもうだめかもなあ」ヤゴーが唐突に言った。

「もう腐りはじめてるかも」アイルが応えた。

「バッカ、半分腐ってるのがうめえんだよ。いつも言ってるだろ」

 またしばらくの沈黙のあと、ゲイルが立ち上がりながら言った。

「俺が最初の夜番をするから、お前たちは寝ろ。まずお前を起こすから、最後はアイルがやれ」ゲイルはヤゴーを見ながら言った。ヤゴーは手で返事をすると、頭の後ろで手を組み目を閉じた。するとすぐに寝息を立てて眠りについた。彼は見た目通り豪胆な男だった。テントが手狭なのでアイルはヤゴーの腹の上に折り重なるように寝た。


 やがて夜が明け朝になった。セキレイの鋭い囀りが湿った夏の空気を切り裂いた。アイルはゆっくりと目を見開いた。やがて雀の小さな囀りがそれに加わった。キジバトの特徴的なあの声が谷間の下方から響いてきた。

 虫が一斉にその声を奏で始め、カエルの求愛がそれに続いた。久々に生気を取り戻した森はすぐにやかましささえ感じさせるほどになった。アイルは目やにをこすりながら身を起こすと、二人は既に出立の準備をしていた。

「夜番……」アイルは途中で言葉を切った。

「ガキが気にすんな」ヤゴーが答えた。アイルは急いで自分の荷物を担いで立ち上がった。


 しかし、小道を奥へと進むに連れて、森は再び静まり返っていった。早朝に上機嫌だったヤゴーも今は押し黙って歩いていた。夏の緩やかな風に揺れる梢の捺さめきだけが森の中に響いていた。

 その時、何かの音がかすかに空気を震わせた。アイルはちょうど地面を蹴り上げたタイミングだったため、その音を聞き漏らした。

 森の中でカラスが数匹鳴き声を上げて羽ばたいた。

「銃声か?」ゲイルが言った。たしかに銃声だったような気もする。アイルは自分の心臓の鼓動を聞いていた。三人は森の下生えに浅く入り込み、しばらく様子を伺った。しかし何も起こらないので、また歩き始めた。

 やがて小さな滝に通りかかった。冷たい霧の中に艶やかな虹がかかっていた。滝壺の冷気に、真夏の日差しの最中にもかかわらずアイルは寒気を覚えた。アイルは歩きながら何となしに滝を眺めていた。

 その滝の上の渓流をなにかの物体が流されてきた。その物体のふちが赤いようなきがする。そしてきらきらと光を反射している。周囲とは異質な何かだった。

 その物体は渓流の複雑なカレントに乗りぐるりと身を回転させた。それは力が抜け頭を反った人間だった。見開いた青い双眸がアイルを正面から射抜いた。

 瞬間、アイルは走っていた。

 アイルは川に飛び込んだ。流速を増す渓流の冷たさがアイルの肌を刺した。アイルは男の腕を掴み岸に引っ張った。苔むした川底の石にアイルは何度も足を滑らせた。浅瀬まで引き寄せ岩と自分との間に挟んで押しとどめた。岩の緑の苔が剥げ落ち滝壺の底へ流れていった。

 ふと気付くとアイルの右手は血で真っ赤に染まっていた。アイルは何事かと顔を上げて目の前の人間を見た。

 彼は兵士だった。鎖帷子を貫いて開いた腹腔の傷穴からおびただしい血を流していた。腰から下げた長剣の鞘が川の流れに揺られかつんかつんと岩を打ち付けていた。

 兵士は何かを喋ろうとし口を動かした。アイルは耳を男の口元に寄せた。川の冷たい冷気の中で男の温い息を耳元に感じた。兵士は言った。

「オークの襲撃だ。砦がオークどもに襲われた」

 兵士はそこまで言うと苦痛に顔を歪ませ肩で息をした。そして続けた。

「アマンダ様は頼む」

「アマンダ?それは誰ですか?」アイルが訊いた。

 兵士の顔は脂汗でぐっしょりと濡れていた。彼は咳き込むと血が絡んだ痰を吐き出した。「追っ手がもうくる」

 アイルは上流を覗き込んだ。そして驚嘆に目を見開いた。二体のオークが腰まで川に浸かりながら大股でこちらに近づいていた。アイルは顔を視界に入れないよう巨体の輪郭の端を視認していたが、やつらの右手に例の短銃が握られているのが見えた。アイルはヤゴー達を振り返り手振りで上流を示した。彼らはオークを視認すると、強く頷き森の奥へ入っていった。

 アイルは兵の両脇の下に腕を差し込むと、滝の縁まで引きずっていった。滝壺を覗き込むと、白い霧に遮られて底の様子が見通せなかった。一瞬の躊躇のあと、アイルは滝壺に飛び込んだ。氷のような冷気がアイルを包んだ。激しく着水した瞬間、何万もの小さな気泡がアイルを取り囲んだ。滝壺の底は青く冷たく美しかった。見上げた水面は太陽に照らされ眩しく輝いていた。

 彼は浮き上がり兵士を引っ張り上げて滝壺のくぼみに入り込んだ。

 オーク共が滝上から覗き込んだ。アイルは息を潜め次の瞬間を待った。しかし滝の流れに遮られてオークどもはこちらを視認できなかったようだった。しばらくすると二体のオークは上流へゆっくり帰っていった。


 再び兵士を見ると、彼は既に息絶えていた。アイルは兵の認識票を取り外し、滝壺から出て渓流の岩肌を登り小道に舞い戻った。ヤゴーとゲイルも森から出てきた。2体のオークの背中が川のはるか上流に見えた。

「襲うか?」ヤゴーが訊いた。「水に濡らせば銃は使えんだろう。なんとか殺す方法があるかもしれん」

「いや、追跡だけする」ゲイルが応えた。「俺達の存在を知られたくはない。隠れて様子を探ろう」

 3人はオークを追って上流へ進んだ。

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