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『天下布武、その先へ』―転生者と織田信長が拓いた、誰も知らない日本史―  作者: みなみ


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第九十章 鷹司の娘

第九十章 鷹司の娘


「光秀」


「はっ」


「冬のことを」


「任せる」


明智光秀は。


一瞬。


意味が。


分からなかった。


「……冬姫様を」


「でございますか」


「ああ」


織田信長は。


目の前にある。


一通の書状を。


光秀へ。


投げるように。


渡した。


     ◆


光秀が。


受け取る。


鷹司家。


そして。


朝廷。


二つに。


関わる。


書。


光秀は。


素早く。


目を通した。


冬姫を。


鷹司家の。


養女とする。


そのための。


手続きを。


進める。


織田家と。


鷹司家。


双方の。


取り決め。


そして。


朝廷への。


奏上。


「なるほど」


光秀が。


頷く。


「私が」


「鷹司家との」


「折衝を」


「はい」


「お前が」


「一番向いておる」


信長が言った。


     ◆


それは。


確かだった。


公家。


寺社。


京。


朝廷。


織田家中で。


それらに。


最も詳しいのは。


光秀だった。


「承知いたしました」


光秀が。


頭を下げる。


だが。


信長は。


続けた。


「ただし」


「は」


「これは」


「ただの養女ではない」


光秀が。


顔を上げる。


「と」


「申されますと」


信長は。


少し。


間を置いた。


そして。


言った。


「冬は」


「鷹司の娘となった後」


「主上へ」


「嫁ぐ」


     ◆


光秀の。


表情が。


止まった。


ほんの。


僅か。


だった。


だが。


宗一郎には。


分かった。


――驚いた。


当然だった。


光秀は。


朝廷との。


折衝を。


多く任されている。


だが。


この話は。


まだ。


限られた者しか。


知らない。


「……主上へ」


光秀が。


ゆっくり。


繰り返す。


「ああ」


信長は。


それだけ。


答えた。


     ◆


光秀の。


頭の中で。


いくつもの。


ものが。


繋がった。


鷹司。


冬姫。


帝。


そして。


信長。


織田信長の。


実の娘。


それを。


一度。


鷹司家へ。


養女として入れる。


その後。


帝へ。


嫁がせる。


つまり。


鷹司家への。


養女入りそのものが。


目的ではない。


その先。


帝との。


婚姻。


最初から。


そこまで。


決まっている。


     ◆


「殿」


「何だ」


「一つ」


「お尋ねしても」


「構わん」


光秀は。


慎重に。


言葉を選んだ。


「このお話」


「どなたが」


「考えられたのでございますか」


宗一郎が。


光秀を見る。


信長は。


隠さなかった。


「主上だ」


光秀の。


目が。


僅かに。


動いた。


     ◆


「……主上が」


「ああ」


「鷹司殿では」


「ないのですか」


「違う」


「主上が」


「鷹司へ」


「話をされた」


「そして」


「鷹司から」


「儂へ」


「話が来た」


光秀は。


黙った。


それは。


予想していなかった。


     ◆


光秀は。


帝を。


軽く見ていない。


むしろ。


逆だった。


足利義昭を。


最後まで。


諫めた。


そして。


帝の。


勅命を。


直接受け。


将軍家の兵を。


止めた。


最後には。


義昭自身が。


帝の裁きを。


受けた。


あの日。


光秀は。


理解した。


今の帝は。


ただ。


御簾の奥に。


座っているだけの。


存在ではない。


だが。


これは。


それ以上だった。


     ◆


「何故」


光秀が。


小さく呟いた。


信長が。


眉を上げる。


「何がだ」


「いえ」


光秀は。


一度。


頭を下げた。


だが。


疑問は。


消えない。


何故。


主上は。


そこまで。


先を見ている。


幕府が。


消えた。


直後。


武家の。


新しい秩序が。


まだ。


決まっていない。


その時に。


織田信長の娘を。


妻にする。


偶然。


ではない。


     ◆


「殿」


光秀が。


もう一度。


尋ねる。


「冬姫様は」


「このことを」


「承知しておられるので」


「自分で決めた」


信長は。


即答した。


光秀が。


顔を上げる。


「自ら」


「主上と」


「二度会った」


「二度?」


「ああ」


「話をして」


「冬自身が」


「鷹司へ入り」


「主上へ嫁ぐと」


「決めた」


光秀の顔から。


僅かな。


緊張が。


消えた。


     ◆


「そうで」


「ございましたか」


信長が。


光秀を見る。


「何だ」


「冬が」


「嫌がっておるとでも」


「思ったか」


「……少し」


信長の目が。


細くなる。


「光秀」


「は」


「儂は」


「そこまで」


「酷い父か」


光秀は。


返答に。


困った。


宗一郎が。


横を向いた。


半兵衛も。


口元を。


隠した。


     ◆


「何故」


「誰も」


「答えぬ」


「難しい質問ですので」


宗一郎が答える。


「貴様には」


「聞いておらん」


「はい」


     ◆


少し。


空気が。


緩んだ。


だが。


光秀の。


疑念そのものは。


消えなかった。


冬姫の。


意思。


そこではない。


問題は。


もっと。


大きい。


「殿」


「まだあるのか」


「ございます」


光秀が。


姿勢を正す。


「この婚姻が」


「成立すれば」


「殿は」


「主上の」


「外戚となられます」


「ああ」


「そして」


「もし」


「御子が」


「お生まれになれば」


言葉が。


止まる。


その先を。


口にすることは。


あまりにも。


重い。


信長が。


代わりに言った。


「その子には」


「儂の血が」


「入る」


「……は」


     ◆


「だから」


「何だ」


信長の声は。


静かだった。


光秀は。


信長を見る。


「殿は」


「それを」


「望まれたので」


「違う」


即答。


「話を」


「持ってきたのは」


「主上だと」


「言ったであろう」


「では」


「何故」


「お受けになったので」


信長は。


少し。


黙った。


そして。


言った。


「冬が」


「決めたからだ」


光秀の目が。


僅かに。


変わる。


     ◆


「それだけで」


「ございますか」


「それだけではない」


信長が。


腕を組む。


「この縁が」


「天下に」


「何をもたらすか」


「分からぬほど」


「儂は」


「馬鹿ではない」


「ならば」


「何を」


「お考えに」


「光秀」


信長が。


遮った。


「儂は」


「帝に」


「なりたいのではない」


部屋が。


静かになる。


     ◆


「将軍も」


「いらぬ」


「帝にも」


「なれぬ」


「なる気もない」


信長が。


鼻で笑う。


「儂は」


「儂だ」


「ならば」


「何故」


「繋がる必要が」


「あるのでございます」


信長は。


光秀を。


じっと見た。


「繋がらねば」


「また」


「割れるからだ」


     ◆


光秀が。


黙る。


「武家と」


「朝廷」


信長が言う。


「どちらが」


「上か」


「どちらが」


「天下を」


「動かすか」


「そんなことを」


「百年後まで」


「争わせるつもりはない」


宗一郎が。


信長を見る。


信長は。


続ける。


「主上には」


「主上の役目がある」


「儂には」


「儂の役目がある」


「違うなら」


「違うままでよい」


「だが」


「敵になる必要はない」


     ◆


光秀は。


何も。


言わなかった。


古きものを。


重んじる。


光秀だからこそ。


その言葉の。


意味が。


分かった。


武家が。


朝廷を。


押さえ込む。


それも。


違う。


朝廷が。


武家の軍を。


直接握る。


それも。


違う。


なら。


どうする。


役目を。


分ける。


そして。


争わぬために。


繋ぐ。


     ◆


だが。


それでも。


光秀には。


引っ掛かるものが。


あった。


――主上だ。


信長ではない。


宗一郎でもない。


帝。


何故。


十七歳の帝が。


ここまで。


先を。


見ている。


義昭の時も。


そうだった。


勅命を。


出す時。


迷いが。


なかった。


将軍を。


裁く時も。


そう。


そして。


今度は。


武家と。


朝廷を。


血で。


結ぼうとしている。


     ◆


「宗一郎殿」


突然。


光秀が。


宗一郎を見る。


宗一郎の。


背筋に。


嫌なものが。


走った。


「はい」


「あなたは」


「いつから」


「この話を」


「ご存じだった」


「……」


信長が。


笑った。


「聞いてやれ」


「殿」


「儂も」


「それは」


「気になっておる」


宗一郎は。


頭を抱えたくなった。


     ◆


「少し前から」


「少しとは」


「少しです」


「いつです」


「そこまで」


「細かく」


「聞きます?」


「聞きます」


光秀の目が。


鋭い。


半兵衛が。


宗一郎を見る。


楽しんでいる。


「半兵衛」


「何でしょう」


「助けて」


「無理でございます」


     ◆


「宗一郎殿」


光秀が。


続ける。


「主上から」


「直接」


「お聞きになったのですか」


宗一郎は。


答えに。


詰まった。


嘘は。


つきたくない。


だが。


帝との。


約束がある。


帝が。


未来から来た。


そのことは。


信長にも。


半兵衛にも。


話せない。


「そのことは」


宗一郎が。


慎重に答える。


「俺からは」


「言えません」


光秀の目が。


変わる。


     ◆


「言えない?」


「はい」


「誰の命で」


宗一郎は。


黙った。


それだけで。


十分だった。


光秀は。


目を細めた。


「……主上」


宗一郎は。


何も言わない。


否定もしない。


光秀は。


しばらく。


宗一郎を見ていた。


     ◆


信長も。


宗一郎を見る。


「おい」


「はい」


「やはり」


「何か」


「隠しておるな」


「前にも」


「申し上げました」


「言えないものは」


「言えません」


「儂にもか」


「信長様にも」


「半兵衛にも」


半兵衛が。


笑う。


「私は」


「巻き込まれましたか」


「一緒に」


「怒られてください」


「嫌です」


     ◆


光秀は。


そのやり取りを。


見ていた。


そして。


確信した。


何かが。


ある。


宗一郎と。


帝。


二人の間に。


自分たちが。


知らない。


何かが。


だが。


敵意ではない。


むしろ。


逆。


宗一郎は。


帝を。


警戒しながらも。


信じている。


それが。


光秀には。


不思議だった。


     ◆


「分かりました」


光秀が。


頭を下げる。


「冬姫様の」


「養女入り」


「私が」


「責任を持って」


「進めます」


信長が。


頷く。


「頼む」


「ただし」


光秀が。


顔を上げる。


「私も」


「確かめとうございます」


「何をだ」


「この婚姻が」


「誰のためのものなのか」


信長の目が。


細くなる。


光秀は。


続けた。


「織田のためか」


「朝廷のためか」


「主上のためか」


「あるいは」


「この国のためなのか」


     ◆


信長は。


しばらく。


光秀を見た。


そして。


笑った。


「なら」


「見てこい」


「よろしいので」


「ああ」


「お前が」


「養女入りを」


「取り仕切るのだ」


「嫌でも」


「見える」


光秀が。


深く。


頭を下げた。


「は」


     ◆


その日から。


光秀は。


動いた。


まず。


鷹司家。


冬姫を。


単なる。


名目上の養女に。


してはならない。


鷹司家の。


正式な娘として。


迎える。


そのための。


手順。


贈答。


書状。


親族への。


知らせ。


朝廷への。


奏上。


そして。


冬姫が。


宮中へ入るための。


教育。


一つ。


一つ。


光秀が。


確認した。


     ◆


鷹司家で。


光秀は。


当主と。


向かい合った。


「一つ」


「確認したきことが」


「何でしょう」


「冬姫様は」


「鷹司家の」


「名だけを」


「借りるのでは」


「ございませぬな」


鷹司は。


少し。


表情を。


硬くした。


「無論」


「では」


「織田の娘であることは」


「どうなります」


鷹司は。


光秀を。


真っ直ぐ見た。


     ◆


「消えませぬ」


光秀の目が。


動く。


「冬姫様は」


「鷹司の娘となる」


「だが」


「十四年」


「織田の娘として」


「生きてこられたことまで」


「消せるものではない」


光秀は。


黙る。


それは。


帝が。


冬姫へ。


言った言葉と。


同じだった。


もちろん。


光秀は。


それを知らない。


     ◆


「それを」


「主上も」


「望まれております」


鷹司が。


続けた。


光秀が。


尋ねる。


「主上が」


「そのように?」


「はい」


「冬姫様を」


「織田を捨てさせるために」


「鷹司へ」


「入れるのではない」


「なら」


「何故」


「鷹司なのでございます」


鷹司は。


しばらく。


光秀を見る。


     ◆


「橋です」


「橋?」


「武家から」


「いきなり」


「禁裏へ」


「姫君を入れれば」


「それを」


「織田が」


「禁裏へ」


「直接入り込んだと」


「見る者も出ましょう」


光秀が。


僅かに。


頷く。


「鷹司が」


「間へ入る」


「姫を」


「預かり」


「公家の娘として」


「送り出す」


「だが」


「織田の血を」


「隠しはしない」


     ◆


「つまり」


光秀が言う。


「織田と」


「朝廷の」


「どちらかが」


「どちらかを」


「呑み込む形にしない」


鷹司が。


頷いた。


「そのように」


「主上は」


「お考えです」


また。


主上。


光秀の。


疑念は。


消えるどころか。


深くなる。


     ◆


その帰り。


光秀は。


馬上で。


考え続けていた。


十七歳。


まだ。


十七歳。


なのに。


何故。


そこまで。


武家を。


知っている。


何故。


そこまで。


先を。


考える。


そして。


何故。


宗一郎と。


考え方が。


似ている。


「……高槻殿」


光秀が。


小さく呟いた。


偶然。


なのだろうか。


     ◆


数日後。


冬姫は。


鷹司家へ。


移る準備を。


始めていた。


衣。


書。


身の回りの品。


だが。


荷は。


驚くほど。


少ない。


帰蝶が。


尋ねる。


「それだけで」


「よいのですか」


「はい」


冬姫が。


答える。


「また」


「来られますから」


帰蝶の目が。


僅かに。


揺れる。


     ◆


「主上が」


「そう仰ったのですか」


「はい」


「鷹司の娘となっても」


「父上と」


「母上の娘であることは」


「変わらぬと」


帰蝶は。


静かに。


冬姫を。


抱き寄せた。


「母上?」


「少しだけ」


「このままで」


冬姫は。


何も言わず。


母の背へ。


手を回した。


     ◆


少し離れた。


廊下。


信長が。


立っていた。


声を。


掛けない。


ただ。


見ている。


その横へ。


宗一郎が。


来た。


「信長様」


「何だ」


「寂しいんですか」


「殺すぞ」


「すみません」


「貴様は」


「本当に」


「余計なことだけは」


「すぐ分かるな」


宗一郎は。


笑った。


     ◆


「でも」


宗一郎が言う。


「遠くへ」


「行くわけじゃない」


「ああ」


「会えます」


「分かっておる」


「なら」


「大丈夫です」


信長が。


宗一郎を見る。


「お前は」


「娘を」


「嫁に出したことが」


「あるのか」


「ありません」


「なら」


「黙っておれ」


「はい」


     ◆


やがて。


その日が。


来た。


華美な。


行列ではない。


まだ。


帝への。


輿入れではない。


織田家から。


鷹司家へ。


一人の。


娘が。


移る日。


だが。


京の。


多くの者が。


その意味を。


理解し始めていた。


     ◆


冬姫が。


輿へ。


乗る前。


信長の前へ。


座った。


「父上」


「うむ」


「行ってまいります」


信長が。


眉を寄せる。


「嫁入りは」


「まだ先だ」


冬姫が。


笑う。


「分かっております」


「なら」


「そのような顔をするな」


「どのような顔です」


「今生の別れのような」


「顔だ」


冬姫が。


少し。


笑った。


     ◆


「父上」


「何だ」


「ありがとうございました」


信長が。


黙る。


「まだ」


「礼を言うには」


「早い」


「では」


「また」


「言います」


「ああ」


冬姫が。


頭を下げる。


信長は。


最後まで。


泣かなかった。


もちろん。


泣くはずもない。


だが。


輿が。


見えなくなってからも。


その場を。


しばらく。


動かなかった。


宗一郎は。


何も。


言わなかった。


今度は。


本当に。


何も。


言わなかった。


     ◆


鷹司家。


冬姫を。


迎えたのは。


当主だけではない。


家の者。


女房。


そして。


明智光秀。


今日。


光秀は。


織田家の。


使者として。


正式に。


冬姫を。


鷹司家へ。


託す。


書が。


読み上げられる。


形式。


言葉。


儀礼。


一つ。


一つ。


古い。


古い。


仕来り。


だが。


光秀は。


それを。


軽んじなかった。


     ◆


何百年と。


続いてきた。


もの。


新しい世を。


作るからと。


全て。


壊してよいわけではない。


残すべきもの。


変えるべきもの。


その境を。


見極める。


それが。


必要だ。


光秀は。


そう。


考えていた。


だからこそ。


この婚姻が。


気になった。


     ◆


手続きが。


終わる。


冬姫は。


正式に。


鷹司家の。


娘となった。


だが。


それは。


織田との。


縁が切れたことを。


意味しない。


鷹司の娘。


そして。


織田信長の娘。


二つを。


抱えたまま。


やがて。


帝のもとへ。


嫁ぐ。


     ◆


光秀は。


冬姫を見た。


十四歳。


小さな。


肩。


その肩へ。


あまりにも。


大きなものが。


乗っている。


「冬姫様」


「はい」


「一つ」


「お尋ねしても」


「よろしいでしょうか」


冬姫が。


光秀を見る。


「何でしょう」


     ◆


「怖くは」


「ございませぬか」


冬姫は。


少し。


考えた。


「怖いです」


光秀は。


少し。


驚いた。


「ですが」


冬姫が続ける。


「怖いから」


「やめるのは」


「もっと」


「嫌でございます」


光秀の目が。


僅かに。


見開かれる。


     ◆


「主上を」


「信じておられるのですか」


冬姫は。


また。


考えた。


「まだ」


「全部は」


「知りませぬ」


「二度しか」


「お会いしておりませんから」


「では」


「何故」


「決められたので」


冬姫は。


少し。


笑った。


「知りたいと」


「思ったからです」


     ◆


「何を」


「主上が」


「作ろうとしている国を」


光秀が。


動かなくなる。


冬姫は。


続けた。


「そして」


「私も」


「その国を」


「見たいと」


「思いました」


光秀は。


深く。


頭を下げた。


「そうで」


「ございますか」


疑念が。


一つ。


消えた。


少なくとも。


冬姫は。


道具ではない。


自分で。


選んだ。


     ◆


だが。


別の疑念は。


残った。


帝。


何故。


あの若さで。


そこまで。


先を。


見る。


そして。


高槻宗一郎。


何故。


あの男は。


それを。


驚かない。


二人の間に。


何がある。


光秀は。


まだ。


知らない。


     ◆


その夜。


禁裏。


帝の前に。


一人の。


影が。


膝をついていた。


「滞りなく」


「鷹司家へ」


「入られました」


帝が。


目を閉じる。


「そうか」


「明智光秀殿が」


「すべて」


「取り仕切られました」


「光秀が」


「は」


帝は。


少し。


考えた。


「何か」


「気づいたか」


影が。


一瞬。


黙る。


「主上と」


「高槻殿の間に」


「何かあるのではないかと」


「疑っているように」


「見受けられます」


帝が。


額へ。


手を当てた。


     ◆


「あの男も」


「鋭いな」


「いかが」


「なさいます」


「何もするな」


帝は。


即答した。


「光秀は」


「信長の臣だ」


「疑うことまで」


「止める必要はない」


「御意」


「それより」


帝が。


影を見る。


「石山は」


影の空気が。


変わった。


     ◆


「顕如が」


「動いております」


「毛利への」


「使者を」


「急がせました」


「紀伊では」


「船と」


「米」


「硝石の確保が」


「進んでおります」


帝の目が。


細くなる。


「門徒は」


「まだ」


「一斉蜂起の命は」


「出ておりませぬ」


「だが」


「備えさせている」


「は」


     ◆


「焦っているな」


帝が。


呟く。


「そのように」


「見受けられます」


「焦りは」


「人を」


「早く動かす」


「そして」


帝が。


静かに。


続ける。


「早く動けば」


「間違える」


「見ておけ」


「は」


「まだ」


「手は出すな」


「顕如が」


「備えるだけなら」


「こちらも」


「見るだけだ」


     ◆


だが。


帝の影は。


すでに。


動いている。


安芸。


毛利家。


家臣たちが。


集まる。


その。


少し後ろ。


書を。


整理している。


一人の男。


誰も。


気にしない。


長く。


毛利家へ。


仕えている。


男。


その男の耳へ。


石山から。


使者が。


近づいているとの。


報せが。


入る。


男は。


何も。


しない。


ただ。


覚える。


     ◆


紀伊。


港。


船を。


数える男。


三河。


徳川家臣の。


屋敷で。


書状を運ぶ者。


越後。


上杉家の。


城下で。


商いをする者。


甲斐。


武田家の。


奥深く。


主君の。


姿が見えぬことに。


気づいている者。


それぞれが。


互いの。


顔を知らない。


名も。


知らない。


だが。


同じ。


存在。


帝の影。


     ◆


そして。


甲斐。


一人の影が。


異変を。


見ていた。


武田信玄が。


姿を。


見せない。


一月。


二月。


長い。


病。


それだけなら。


説明はつく。


だが。


おかしい。


医師。


僧。


側近。


使者。


そして。


勝頼。


動きが。


変わっている。


     ◆


影は。


断定しない。


――信玄死去。


そうは。


書かなかった。


代わりに。


書いた。


――武田信玄。


――約二月。


――公の場に姿なし。


――勝頼。


――主要家臣との会合増加。


――医師の出入り。


――以前より減少。


――一部街道。


――監視強化。


――理由不明。


事実だけ。


     ◆


その報告は。


何人もの。


手を経て。


京へ。


向かった。


だが。


同じ頃。


別の道から。


同じ異変を。


追っている者たちがいた。


高槻の。


目と耳。


     ◆


高槻屋敷。


半兵衛が。


一枚の紙を。


宗一郎へ。


渡した。


「甲斐からです」


宗一郎が。


読む。


そして。


表情が。


変わる。


「信玄が」


「二月近く」


「人前に出ていない」


「はい」


「勝頼の動きも」


「増えております」


宗一郎は。


黙った。


     ◆


未来の。


記憶。


武田信玄。


その死。


本来の。


歴史。


だが。


今は。


もう。


本来の歴史ではない。


宗一郎は。


紙を。


置いた。


「死んだと」


「書いてない」


「はい」


半兵衛が。


答える。


「だから」


「まだ」


「死んだとは」


「考えない」


「承知しました」


     ◆


宗一郎は。


甲斐を。


見つめる。


幕府が。


消えた。


冬姫が。


鷹司の娘となった。


帝との。


婚姻が。


進む。


顕如が。


焦る。


毛利へ。


手を伸ばす。


そして。


甲斐では。


信玄が。


消えようとしている。


あまりにも。


多くのものが。


同時に。


動き始めている。


     ◆


半兵衛が。


尋ねる。


「次は」


「何を」


「見ます」


宗一郎は。


答えた。


「全部です」


「全部?」


「甲斐だけじゃない」


宗一郎が。


地図へ。


指を置く。


三河。


遠江。


美濃。


飛騨。


越後。


相模。


「信玄が」


「本当に死んだら」


「動くのは」


「武田だけじゃない」


半兵衛の目が。


細くなる。


     ◆


「周りが」


「動く」


「はい」


宗一郎が。


地図を見る。


そして。


静かに。


言った。


「歴史が」


「変わったからこそ」


「一つだけ」


「忘れちゃいけない」


「何でしょう」


「人は」


「変わってない」


欲。


恐れ。


野心。


愛情。


恨み。


忠義。


それらは。


未来でも。


戦国でも。


変わらない。


     ◆


鷹司家。


夜。


冬姫は。


新しい部屋で。


一人。


座っていた。


今日から。


ここが。


家になる。


まだ。


不思議だった。


織田の娘。


鷹司の娘。


そして。


やがて。


帝の妻。


障子の外から。


女房の声がする。


「姫様」


「はい」


「明日より」


「宮中へ入られるための」


「お稽古を」


「始めます」


冬姫が。


小さく。


息を吐いた。


「何から」


「歌」


「書」


「作法」


「装束」


「言葉」


「儀礼」


「まだ」


「ございます」


冬姫が。


少し。


黙った。


     ◆


「多いですね」


「はい」


「逃げても」


「よいでしょうか」


女房が。


一瞬。


固まった。


部屋の中から。


冬姫の。


笑い声が。


聞こえる。


「冗談です」


女房が。


深く。


息を吐いた。


「姫様」


「そのようなところは」


「織田に」


「置いてきていただきとう」


「ございます」


冬姫が。


また。


笑った。


     ◆


織田の娘が。


鷹司の娘となった。


だが。


織田の娘で。


なくなったわけではない。


そして。


その先には。


帝がいる。


時代は。


確かに。


変わった。


だが。


変わった時代は。


待ってはくれない。


西では。


顕如が。


毛利へ。


手を伸ばす。


東では。


武田信玄の。


姿が。


消えた。


京では。


将軍のいない。


新しい国の形を。


作らなければならない。


そして。


そのすべてを。


二つの網が。


見始めていた。


高槻宗一郎の。


新しい目。


そして。


千年の闇へ。


根を張る。


帝の影。


二つは。


まだ。


手を結んでいない。


互いの。


正体すら。


知らない。


だが。


同じ国を。


見ていた。


次に。


大きく動く場所を。


探しながら。

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