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『天下布武、その先へ』―転生者と織田信長が拓いた、誰も知らない日本史―  作者: みなみ


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第八十八章 帝の影

第八十八章 帝の影


冬姫と。


帝が。


初めて会ってから。


三日が過ぎた。


まだ。


婚姻は。


決まっていない。


冬姫は。


十四歳。


帝は。


十七歳。


冬姫が。


出した答えは。


ただ一つ。


――もう一度。


――お会いしたい。


それだけだった。


だが。


その。


小さな答えは。


すでに。


いくつもの場所へ。


波紋を。


広げ始めていた。


     ◆


石山本願寺。


顕如は。


一枚の報告を。


読んでいた。


鷹司家。


織田家。


禁裏。


三つの間で。


人が動いている。


それは。


分かっている。


だが。


肝心なところが。


分からない。


「……またか」


顕如が。


低く呟いた。


教如が。


顔を上げる。


「父上?」


顕如は。


紙を。


畳へ置いた。


「分からぬ」


「何がでございます」


「何もだ」


     ◆


以前なら。


違った。


京には。


本願寺の。


目も。


耳もあった。


商人。


僧。


門徒。


寺。


公家に近い者。


幕府に近い者。


金を渡せば。


口を開く者もいる。


信仰によって。


動く者もいる。


足利義昭も。


いた。


義昭と。


信長の間に。


亀裂を。


広げることもできた。


公家の。


不安を煽ることも。


できた。


だが。


義昭は。


死んだ。


しかも。


ただ。


信長に。


討たれたのではない。


帝の勅命によって。


裁かれ。


最後に。


切腹を許されて。


死んだ。


     ◆


それ以降。


何かが。


変わった。


京で。


人が。


口を閉ざす。


以前なら。


金を受け取った男が。


受け取らない。


以前なら。


酒の席で。


何でも話した者が。


急に。


何も知らぬと言う。


昨日まで。


本願寺へ。


情報を流していた者が。


姿を消す。


そして。


最も。


気味が悪いのは。


何人かが。


死んだことだった。


     ◆


一人は。


川へ落ちた。


一人は。


盗賊に。


襲われた。


一人は。


病で。


急死した。


どれも。


おかしくない。


この時代なら。


珍しくもない。


だが。


顕如は。


偶然だとは。


思えなかった。


「教如」


「は」


「鷹司へ送った者は」


「戻ったか」


教如の表情が。


僅かに。


硬くなる。


「まだ」


「戻っておりませぬ」


顕如の指が。


畳を。


一度。


叩いた。


「何日だ」


「四日」


沈黙。


「遅い」


     ◆


教如も。


同じことを。


思っていた。


鷹司家へ。


直接。


忍び込ませたわけではない。


出入りする。


商人。


女房。


奉公人。


その周囲から。


探らせただけ。


それでも。


戻らない。


「もう一人」


顕如が言う。


「送りますか」


教如が尋ねる。


「いや」


顕如は。


即座に。


止めた。


「送るな」


「ですが」


「何かいる」


教如が。


父を見る。


「何か?」


顕如は。


答えなかった。


何者なのか。


分からない。


だが。


確実に。


何かが。


いる。


禁裏の周囲。


鷹司。


公家。


京。


そして。


恐らく。


もっと。


広く。


     ◆


「父上」


教如が。


声を落とす。


「織田の者でしょうか」


顕如は。


首を横に振った。


「違う」


「何故」


「信長なら」


「もっと分かりやすい」


顕如は。


苦い顔をする。


「高槻の者なら」


「もう少し」


「跡が見える」


高槻宗一郎。


あの男の。


情報網は。


恐ろしい。


だが。


合理的だ。


人を置く。


報告を集める。


確かめる。


繋ぐ。


新しい。


仕組み。


だから。


追えば。


僅かに。


形が見える。


だが。


今。


感じているものは。


違う。


     ◆


「最初から」


顕如が。


呟く。


「いたのか」


「何が」


「我らが」


「京へ」


「手を伸ばすより」


「ずっと前から」


顕如は。


禁裏のある方角を。


見る。


「そこに」


「いたのではないか」


教如は。


何も。


答えられなかった。


     ◆


その頃。


禁裏。


帝は。


冬姫から。


届いた。


一通の文を。


読んでいた。


正式な。


恋文などではない。


鷹司を通した。


簡単なもの。


先日の。


面会への。


礼。


そして。


最後に。


一言。


――次にお会いできました折には。


――主上が望まれる国について。


――お聞きしとうございます。


帝は。


そこを。


二度。


読んだ。


「国か」


十七歳の帝が。


小さく。


笑う。


普通なら。


もっと。


別のことを。


聞いてもよい。


好きなもの。


嫌いなもの。


日々。


何をしているか。


だが。


冬姫は。


国を。


聞いてきた。


「本当に」


「信長の娘だな」


     ◆


その時。


障子の外から。


声がした。


「主上」


帝の表情が。


変わる。


「入れ」


入ってきたのは。


一人の。


老人だった。


粗末な。


衣。


腰も。


少し。


曲がっている。


どこにでもいる。


老人。


そう。


見える。


だが。


部屋へ入った瞬間。


老人の。


姿勢が変わった。


膝をつく。


深く。


頭を下げる。


「御前に」


「戻りましてございます」


帝は。


冬姫の文を。


静かに。


伏せた。


     ◆


「何処からだ」


「石山」


老人が答えた。


帝の目が。


細くなる。


「顕如は」


「焦り始めております」


「そうか」


「鷹司」


「織田」


「禁裏」


「三つの繋がりを」


「探っております」


「どこまで」


「血縁を」


「疑い始めております」


帝は。


黙った。


やはり。


早い。


顕如は。


愚かではない。


むしろ。


恐ろしく。


頭が切れる。


だからこそ。


本願寺は。


ここまで。


生き残っている。


     ◆


「鷹司を」


「探った者は」


帝が尋ねる。


老人が。


答える。


「一人」


「捕らえました」


帝の目が。


老人へ向く。


「生きているか」


「いいえ」


短い。


答えだった。


帝は。


何も。


言わない。


「何をした」


「最初は」


「問いただしました」


「口を割ったか」


「必要なことは」


「すべて」


老人の声には。


何の感情もない。


「その後」


「処しました」


静寂。


     ◆


帝の古き影。


それは。


ただ。


情報を。


運ぶ者ではない。


帝の。


目。


帝の。


耳。


そして。


必要なら。


帝の。


刃となる。


長い歴史の中で。


帝を。


禁裏を。


皇統を。


守るため。


人を。


殺したことも。


一度や。


二度ではない。


毒。


刃。


事故。


病。


行方不明。


方法など。


どうでもよい。


必要なのは。


帝へ。


危険が。


届かないこと。


ただ。


それだけ。


     ◆


「主上」


老人が。


頭を下げたまま。


言う。


「御不快で」


「ございましたか」


帝は。


しばらく。


答えなかった。


未来から来た。


帝。


前世なら。


人を殺す。


その言葉だけで。


拒絶しただろう。


だが。


ここは。


戦国。


足利義昭を。


死なせたのも。


自分。


そして。


この影たちは。


自分が。


生まれる。


遥か前から。


存在している。


「いや」


帝が。


答えた。


「必要だったのだな」


「は」


「ならば」


「責は」


「朕が負う」


老人が。


初めて。


顔を上げた。


     ◆


「恐れながら」


「それは」


「違います」


帝が。


老人を見る。


「何がだ」


「我らの」


「刃が」


「血に染まろうと」


「それは」


「我らが選んだこと」


老人の目に。


迷いは。


なかった。


「我らの命」


「我らの名」


「我らの家」


「我らの血」


「そのすべては」


「帝のためにございます」


帝の顔から。


笑みが。


消えた。


「その言葉を」


「軽く言うな」


「軽くは」


「申しておりませぬ」


老人は。


静かに。


答えた。


     ◆


帝の古き影。


いつ。


生まれたのか。


正確な記録すら。


残っていない。


何百年。


あるいは。


それ以上。


代々。


皇位を継ぐ者へ。


存在だけが。


伝えられてきた。


時代によって。


数は。


増え。


減った。


消えた家もある。


新しく。


加わった家もある。


だが。


影そのものは。


消えなかった。


そして。


その根は。


帝が。


想像していたより。


遥かに。


深かった。


     ◆


京だけではない。


尾張。


美濃。


近江。


越前。


甲斐。


駿河。


三河。


越後。


紀伊。


堺。


石山。


播磨。


安芸。


四国。


九州。


各地に。


いる。


商人として。


僧として。


農民として。


船頭として。


医師として。


職人として。


女房として。


武士として。


そして。


中には。


もっと。


深い場所まで。


入り込んだ者も。


いる。


     ◆


ある大名の。


側近。


ある家の。


勘定を預かる者。


ある城の。


兵糧を管理する者。


ある寺の。


重役。


ある港の。


船を差配する者。


そして。


ある国では。


当主が。


最も信頼する。


家臣の一人。


それすら。


帝の影だった。


その者たちは。


毎日のように。


禁裏へ。


報告を送るわけではない。


十年。


何も。


送らない者もいる。


二十年。


ただ。


その地で。


生きる者もいる。


だが。


動くべき時が。


来れば。


動く。


     ◆


主君が。


帝へ。


刃を向けようとする。


禁裏を。


害そうとする。


皇統を。


利用し。


国を。


大きく乱そうとする。


その時。


昨日まで。


最も忠実だった。


家臣が。


変わる。


刀を。


抜く。


毒を。


入れる。


門を。


開く。


文を。


奪う。


そして。


時には。


主君すら。


殺す。


全ては。


帝のため。


自身の存在。


その全てが。


帝のため。


それが。


影だった。


     ◆


「主上」


老人が。


続ける。


「各地より」


「報せが」


「集まっております」


「聞こう」


老人が。


一枚目を。


置く。


「甲斐」


帝の目が。


変わる。


「武田信玄」


「未だ」


「姿を確認できませぬ」


「勝頼は」


「家中の者との」


「会合を増やしております」


「信玄は」


「死んだか」


「分かりませぬ」


老人は。


即答した。


帝が。


僅かに。


笑う。


「それでよい」


     ◆


「次」


「三河」


徳川家康。


帝の表情が。


僅かに。


硬くなる。


「家康殿は」


「表向き」


「織田との関係を」


「変えておりませぬ」


「だが」


「家中には」


「不安が広がっております」


「理由は」


「織田が」


「強くなりすぎたこと」


老人が。


答える。


「将軍家が消え」


「武田を退け」


「越前へも」


「手を伸ばした」


「次は」


「徳川ではないかと」


「囁く者が」


「おります」


帝が。


尋ねる。


「家康本人は」


「慎重にございます」


「だが」


「何もしていないわけでは」


「ございませぬ」


帝の目が。


細くなる。


「何をした」


老人は。


答えた。


「織田家中の」


「何人かについて」


「調べさせております」


     ◆


「誰だ」


老人が。


名を。


いくつか挙げる。


そして。


最後に。


「高槻宗一郎」


帝の指が。


止まる。


「宗一郎を?」


「は」


「何を」


「素性」


「家臣」


「技術所」


「兵」


「商人との繋がり」


「そして」


老人が。


一瞬。


止まる。


「弱み」


帝の目が。


冷たくなった。


     ◆


「まだ」


「探っているだけか」


「はい」


「なら」


「まだ触れるな」


老人が。


頭を下げる。


「御意」


帝は。


静かに。


続ける。


「ただし」


「宗一郎本人へ」


「害意が向いた時は」


老人の目が。


帝を見る。


「朕へ」


「知らせよ」


「先に」


「殺すな」


「……御意」


ほんの。


一瞬。


間があった。


帝は。


気づいた。


「何だ」


「いえ」


老人が。


僅かに。


頭を下げる。


「以前の主上方とは」


「少し」


「違われると」


帝が。


苦笑した。


「そうだろうな」


     ◆


次。


越前。


本願寺。


紀伊。


毛利。


上杉。


堺。


九州。


報告は。


続く。


軍勢だけではない。


米。


鉄砲。


硝石。


船。


寺。


商人。


浪人。


婚姻。


借金。


不作。


人の流れ。


大名の。


病。


家臣同士の。


不仲。


側室。


跡継ぎ。


重臣の。


不満。


城の。


修理。


蔵の。


米の量。


どれも。


一つだけなら。


小さい。


だが。


繋げれば。


国が。


見える。


     ◆


帝は。


報告を聞きながら。


改めて。


恐ろしさを。


感じていた。


高槻宗一郎の。


情報網。


あれは。


新しい。


合理的。


誰が。


見たか。


いつ。


見たか。


どこで。


見たか。


事実。


推測。


判断。


それらを。


分ける。


対して。


帝の影は。


古い。


だが。


深い。


あまりにも。


深い。


宗一郎が。


数年で。


作り上げた網とは。


根の長さが。


違う。


一つの家が。


三代。


四代。


同じ大名へ。


仕えていることすらある。


その家の。


当主自身が。


自分は。


大名の家臣であると。


本気で。


思っている。


だが。


家の奥。


決して。


開けてはならぬ。


箱。


そこには。


一つだけ。


伝えられている。


――帝より命あらば。


――全てに優先せよ。


     ◆


帝は。


老人を見る。


「影は」


「どこまで」


「入っている」


老人は。


答えない。


「朕にも」


「言えぬのか」


「主上」


老人が。


静かに言う。


「影は」


「知らぬ方が」


「強うございます」


帝の眉が。


動く。


「もし」


「一人が捕らえられれば」


「その者が」


「知る影まで」


「危うくなります」


「ゆえに」


「我ら自身も」


「互いを」


「すべては」


「知りませぬ」


帝が。


小さく。


息を吐く。


「よくできている」


「長く」


「生き残るために」


「ございます」


     ◆


「では」


帝が尋ねる。


「朕が」


「すべての影を」


「集めよと命じれば」


老人は。


初めて。


僅かに。


笑った。


「集まりませぬ」


帝の目が。


丸くなる。


「朕の命でも?」


「はい」


「何故だ」


「全てが集まれば」


「全てが死ぬからにございます」


帝は。


老人を見る。


やがて。


笑った。


「なるほど」


「朕を守るためなら」


「朕の命にも」


「従わぬことがあるか」


老人は。


深く。


頭を下げた。


「御叱責」


「いかようにも」


「いや」


帝は。


首を横に振った。


「そのままでよい」


     ◆


その頃。


石山。


顕如は。


また。


報告を。


受け取っていた。


「戻りませぬ」


「またか」


「はい」


鷹司を。


調べに出した。


二人目。


今度は。


直接ではない。


遠くから。


人の出入りだけを。


見せた。


それでも。


消えた。


顕如が。


立ち上がった。


「止めよ」


教如が。


顔を上げる。


「父上?」


「鷹司を」


「探るのを」


「一度」


「止める」


「しかし」


「もう」


「二人だ」


顕如の声に。


苛立ちが。


混じる。


     ◆


「何かが」


「こちらを」


「見ている」


教如が。


黙る。


「信長ではない」


「高槻でもない」


「なら」


「誰が」


顕如は。


答えない。


答えたく。


なかった。


一つだけ。


頭に。


浮かんでいる。


だが。


それを。


認めれば。


自分たちは。


これまで。


大きな。


思い違いを。


していたことになる。


禁裏。


帝。


公家たちに。


囲まれ。


軍も。


大領も。


持たぬ。


存在。


だから。


政治の中で。


動かせる。


そう。


思っていた。


     ◆


足利義昭も。


そう思った。


自分も。


そう思った。


だが。


もし。


違ったなら。


帝は。


武力を。


持っていないのではない。


見えないだけ。


なのではないか。


「まさか」


顕如が。


呟く。


教如が。


尋ねる。


「父上」


「何か」


「心当たりが」


顕如は。


答えなかった。


代わりに。


別のことを。


尋ねる。


「織田は」


「どうしている」


「京の制度を」


「整え始めております」


「高槻宗一郎を中心に」


「幕府が担っていた役務を」


「分けようとしております」


顕如の顔が。


さらに。


険しくなる。


     ◆


幕府が。


消えた。


ならば。


混乱する。


そう。


考えていた。


混乱すれば。


本願寺に。


時間ができる。


信長の力も。


京へ。


縛られる。


だが。


宗一郎が。


役所を。


作ろうとしている。


治安。


裁判。


土地。


商人。


寺社。


関所。


仕事を。


分け。


人を置き。


記録する。


将軍という。


一人の権威へ。


戻さない。


「また」


顕如が。


小さく。


呟いた。


「また」


「高槻か」


     ◆


武田を。


使おうとした。


退けられた。


越前で。


信長を。


泥沼へ。


引きずり込もうとした。


思ったほど。


崩れない。


義昭を。


信長へ。


ぶつけた。


最後は。


帝自身が。


義昭を。


切った。


朝廷へ。


不安を。


植えようとした。


逆に。


帝と信長が。


近づいた。


そして。


今。


鷹司まで。


動いている。


一つ。


一つ。


見れば。


まだ。


負けではない。


本願寺は。


健在。


石山も。


ある。


門徒も。


いる。


だが。


顕如には。


分かった。


選べる手が。


少しずつ。


減っている。


     ◆


「何故だ」


顕如が。


呟いた。


教如が。


父を見る。


「何故」


「こちらが」


「一手打つたび」


「向こうには」


「その先がある」


拳が。


僅かに。


握られる。


顕如が。


焦りを。


表へ。


出すことは。


少ない。


だから。


教如は。


何も。


言えなかった。


「信長だけなら」


顕如が言う。


「戦えばよい」


「高槻だけなら」


「殺せばよい」


教如の目が。


動く。


「だが」


顕如は。


禁裏の方向を見る。


「今は」


「違う」


     ◆


信長。


高槻宗一郎。


帝。


そして。


鷹司。


もし。


それらが。


一本に。


繋がれば。


本願寺が。


戦う相手は。


織田家。


一つでは。


なくなる。


武力。


制度。


情報。


権威。


そして。


血。


顕如は。


そこまで。


考えて。


顔を上げた。


「教如」


「は」


「鷹司の件」


「別の道から」


「探れ」


教如が。


驚く。


「先ほど」


「止めると」


「鷹司へ」


「近づくのは止める」


顕如の目が。


鋭くなる。


「織田側から」


「見る」


「姫を?」


「違う!」


声が。


強くなった。


     ◆


「姫には」


「手を出すな」


「絶対にだ」


「は」


「信長の娘へ」


「何かあれば」


「織田だけでは済まぬ」


顕如自身。


気づいていた。


もう。


帝との縁を。


前提に。


考えている。


「では」


「誰を」


顕如は。


少し。


考えた。


「織田家中」


「この縁談を」


「嫌う者が」


「必ずいる」


「武家の娘が」


「禁裏へ入る」


「それを」


「危ぶむ者もいる」


「そこを探せ」


「御意」


     ◆


だが。


顕如は。


知らなかった。


その命令が。


出された。


まさに。


その部屋の。


すぐ外。


廊下を。


静かに歩く。


一人の僧。


何年も。


石山に。


仕えている。


経を読み。


書を写し。


使い走りをする。


誰からも。


疑われていない。


その男が。


足を。


止めることなく。


顕如の言葉を。


聞いていた。


顔色一つ。


変えない。


そのまま。


通り過ぎる。


     ◆


夜。


男は。


寺を。


出ない。


外へ。


文も。


送らない。


ただ。


経蔵へ。


入った。


古い。


経巻を。


一本。


取り出す。


中には。


何もない。


男は。


経を。


一行。


書き写す。


ただし。


一文字だけ。


本来とは。


違う文字を。


使う。


翌朝。


その経は。


修復のため。


別の寺へ。


送られる。


そこから。


さらに。


別の者へ。


誰も。


知らない。


誰も。


全体を。


見ない。


だが。


数日後。


その一文字は。


禁裏へ。


届く。


それが。


帝の影だった。


     ◆


禁裏。


帝は。


新たな報せを。


読んだ。


――顕如。


――鷹司への直接探索を停止。


――織田家中より縁談への反対者を探す意向。


帝は。


紙を。


置いた。


「早いな」


老人が。


頭を下げる。


「いかがいたします」


帝は。


少し。


考える。


「何もするな」


「よろしいので」


「ああ」


「反対する者が」


「いるなら」


「いてよい」


老人が。


顔を上げる。


「消す必要はない」


帝が言う。


「この縁は」


「恐怖で」


「作るものではない」


「は」


「ただし」


帝の声が。


変わる。


「姫へ」


「手を伸ばす者が」


「現れたなら」


老人の目が。


静かに。


細くなる。


「その時は」


「いかが」


帝は。


一瞬も。


迷わなかった。


「朕へ」


「報告せよ」


老人が。


待つ。


「そして」


帝の声が。


冷たくなる。


「急を要するなら」


「朕の許しを」


「待たなくてよい」


老人は。


深く。


頭を下げた。


「御意」


     ◆


その瞬間。


十七歳の。


青年の顔は。


消えていた。


そこにいるのは。


帝。


義昭を。


許さなかった。


あの。


冷たい目。


家族へ。


刃を向ける者。


禁裏へ。


手を伸ばす者。


国を。


己の欲で。


大きく乱す者。


その一線を。


越えれば。


帝は。


容赦しない。


「影」


「は」


「冬は」


「まだ」


「朕の妻ではない」


「承知しております」


「だが」


帝は。


一度。


目を閉じる。


そして。


開いた。


「朕が」


「守ると決めた者だ」


老人の頭が。


さらに。


深くなる。


「御意」


     ◆


その夜。


帝は。


一人になった。


机には。


二つのものが。


置かれている。


一つ。


各地から。


影が届けた。


報告。


甲斐。


三河。


越前。


石山。


紀伊。


毛利。


上杉。


九州。


そして。


もう一つ。


冬姫からの。


短い文。


帝は。


報告を。


一度。


横へ置いた。


冬姫の文を。


開く。


――主上が望まれる国について。


――お聞きしとうございます。


帝は。


その文字を。


見つめた。


     ◆


どんな国。


前世。


平成。


令和。


平和だった。


少なくとも。


自分が。


戦場へ。


行くことはなかった。


学校があり。


病院があり。


法があり。


人は。


生まれた家だけで。


人生のすべてを。


決められない。


完璧ではない。


問題も。


山ほどあった。


それでも。


この時代より。


遥かに。


人が。


明日を。


信じられる。


国だった。


「冬」


帝が。


小さく。


呟く。


次に。


会う時。


未来の話は。


できない。


だが。


望む国の話なら。


できる。


     ◆


戦を。


終わらせる。


だけではない。


戦が。


終わった後。


何を。


残すのか。


信長は。


力を持つ。


宗一郎は。


知識と。


仕組みを作る。


帝には。


権威がある。


そして。


影がいる。


古く。


深く。


時には。


血に染まる。


影。


帝は。


その力を。


ただ。


敵を殺すために。


使うつもりはない。


だが。


必要なら。


使う。


それが。


玉座へ。


座る者の。


責任。


「綺麗なだけでは」


「国は守れぬ」


帝は。


呟いた。


     ◆


同じ頃。


石山。


顕如は。


眠れずにいた。


目を閉じると。


一つ。


一つ。


浮かぶ。


義昭。


武田。


越前。


京。


鷹司。


信長。


高槻。


帝。


自分が。


張ったはずの。


網が。


少しずつ。


破られていく。


いや。


違う。


顕如は。


目を開けた。


破られているのではない。


「最初から」


「別の網が」


「あったのか」


誰も。


答えない。


     ◆


顕如は。


まだ。


知らない。


石山の中にも。


影がいる。


毛利の近くにも。


武田の近くにも。


徳川の近くにも。


上杉の近くにも。


そして。


織田の近くにすら。


いる。


彼らは。


普段。


何もしない。


主君へ。


忠実に仕える。


家族を持つ。


子を育てる。


笑う。


泣く。


その土地で。


生きる。


だが。


ただ一つ。


決して。


変わらないものがある。


帝より。


命が下れば。


全てが。


変わる。


昨日までの。


主君も。


地位も。


家も。


己の命すら。


捨てる。


必要なら。


刃を抜く。


そして。


その刃を。


血に染める。


全ては。


帝のため。


自身の存在。


その全てが。


帝のため。


     ◆


だが。


その帝は。


今。


十七歳。


未来を知り。


歴史を知り。


その力の。


恐ろしさも。


知っている。


だからこそ。


使う相手を。


選ぶ。


守るものを。


選ぶ。


そして。


次に。


守ろうとしているものは。


国だけでは。


なかった。


十四歳の。


織田冬姫。


まだ。


妻ではない。


まだ。


婚約すら。


していない。


だが。


もう一度。


会いたい。


そう。


言ってくれた少女。


帝は。


その言葉を。


もう一度。


読み返した。


そして。


静かに。


文を閉じた。


次に会う時。


話すことは。


決まった。


――どんな国を。


――二人で。


――見たいのか。


その話を。


しようと。


一方。


石山では。


焦り始めた顕如が。


次の一手を。


探していた。


そして。


顕如は。


まだ。


気づいていなかった。


その一手を。


考える声さえ。


すでに。


帝の影が。


聞いていることを。

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