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『天下布武、その先へ』―転生者と織田信長が拓いた、誰も知らない日本史―  作者: みなみ


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第八十四章 最後の諫言

第八十四章 最後の諫言


襖が。


開いた。


明智光秀は。


静かに。


部屋へ入った。


上座には。


足利義昭。


かつての主君。


今も。


征夷大将軍。


光秀は。


深く。


頭を下げた。


「上様」


「明智光秀」


「参上いたしました」


義昭は。


しばらく。


光秀を見ていた。


「久しいな」


「は」


「もっとも」


義昭の口元が。


僅かに歪む。


「今は」


「信長の家臣であったな」


光秀は。


頭を下げたまま。


答えた。


「はい」


「そうか」


義昭は。


扇を開いた。


「余のもとを離れ」


「信長を選んだ男が」


「何用だ」


最初から。


棘がある。


だが。


光秀は。


顔を上げた。


「織田殿より」


「御言葉を」


「預かっております」


義昭が。


鼻で笑った。


「やはり」


「信長の使いか」


「はい」


光秀は。


否定しなかった。


「されど」


一度。


言葉を切る。


「それだけでは」


「ございませぬ」


義昭の目が。


僅かに動いた。


     ◆


「申せ」


光秀は。


ゆっくり。


口を開いた。


「近江に集められた兵を」


「解いていただきたい」


義昭の顔から。


僅かに笑みが消えた。


「本願寺との」


「密かな往来を止めていただきたい」


さらに。


「諸国への」


「軍勢催促も」


「お止めいただきたい」


義昭が。


扇を閉じた。


ぱちり。


乾いた音が。


部屋に響く。


「それが」


「信長の命か」


「織田殿の」


「御意にございます」


「ならば」


義昭は言った。


「断る」


早かった。


あまりにも。


光秀は。


目を伏せた。


「上様」


「何だ」


「最後まで」


「お聞きください」


義昭の眉が。


僅かに上がる。


「最後?」


「はい」


光秀は。


まっすぐ。


義昭を見た。


「これが」


「最後になるやもしれませぬ」


     ◆


義昭の顔が。


変わった。


「光秀」


声が。


低くなる。


「余を」


「脅すか」


「違います」


「では何だ」


光秀は。


静かに答えた。


「お願いにございます」


義昭が。


黙る。


「かつて」


光秀は続ける。


「上様に」


「お仕えした者として」


「お願い申し上げます」


義昭の扇を持つ手が。


止まった。


「兵を」


「お戻しください」


「……」


「陛下は」


「二度」


「兵を戻すよう」


「仰せになられました」


「余は」


義昭が言った。


「京へ兵を入れておらぬ」


「そのようなことを」


「陛下は」


「仰せになっておりませぬ」


義昭の目が。


鋭くなる。


「兵を戻せ」


光秀は言った。


「そう」


「仰せになったのです」


     ◆


「言葉遊びは」


「おやめください」


空気が。


凍った。


義昭の顔が。


赤くなる。


周囲の幕臣が。


息を呑んだ。


「光秀」


「は」


「誰に」


「物を申しておる」


「征夷大将軍」


「足利義昭様にございます」


「ならば!」


義昭の声が。


響いた。


「言葉を慎め!」


光秀は。


頭を下げた。


「御無礼」


「お許しください」


「されど」


顔を上げる。


「申し上げなければなりませぬ」


義昭が。


光秀を睨む。


「陛下の御言葉を」


「己に都合よく」


「曲げてはなりませぬ」


「黙れ!」


義昭が。


扇を。


畳へ叩きつけた。


     ◆


「余は将軍ぞ!」


光秀は。


その言葉を。


聞いた。


何度も。


聞いた言葉。


そして。


今夜。


最も。


聞きたくなかった言葉。


「はい」


光秀は答えた。


「上様は」


「将軍にございます」


「ならば!」


「だからこそでございます」


義昭が。


止まった。


「将軍だからこそ」


光秀は。


静かに続ける。


「御自らを」


「律していただきたい」


幕臣たちが。


動けなくなる。


「将軍だからこそ」


「陛下の御言葉を」


「軽んじてはなりませぬ」


「将軍だからこそ」


「京を」


「戦場へ戻してはなりませぬ」


「将軍だからこそ」


一度。


息を吸う。


「御自身の御立場を守るために」


「天下を」


「戦へ巻き込んではなりませぬ」


義昭の顔から。


怒りが。


一瞬。


消えた。


代わりに。


別のものが浮かぶ。


傷。


だった。


     ◆


「……光秀」


「は」


「お前まで」


義昭が。


低く言った。


「余が」


「己のためだけに」


「戦おうとしていると申すか」


光秀は。


すぐには。


答えなかった。


「信長は」


義昭が続ける。


「余を」


「飾りにしようとした」


「違います」


「何が違う!」


義昭が叫ぶ。


「余は将軍だ!」


「天下の武家を」


「束ねる者だ!」


「それを」


「信長は」


「余の名を使い」


「上洛し」


「余を将軍に据え」


「力を得た途端」


「余を飛び越えた!」


光秀は。


黙って聞く。


「政を決める!」


「戦を決める!」


「国を動かす!」


「そして今は」


義昭の目に。


怒りと。


恐れが混ざる。


「帝と」


「直接話しておる!」


光秀の目が。


僅かに動いた。


     ◆


「分からぬのか」


義昭が言った。


「このままでは」


「幕府が」


「要らぬものになる」


光秀は。


息を止めた。


そこだった。


義昭も。


分かっている。


信長が。


将軍位を欲しがっているからではない。


むしろ。


逆。


信長は。


将軍になろうとしていない。


だからこそ。


怖い。


将軍でなくても。


天下を動かせる。


その形を。


作り始めている。


「余が」


義昭の声が。


少し震えた。


「余が」


「信長の下に立てば」


「足利将軍家は」


「何になる」


光秀は。


長く。


義昭を見た。


そして。


静かに答えた。


「上様」


「誰も」


「信長殿の下へ」


「立てとは」


「申しておりませぬ」


義昭が。


光秀を見る。


「では」


「将軍として」


「立ってくださいませ」


「何?」


「将軍として」


光秀は言った。


「天下を」


「鎮める者として」


「お立ちください」


     ◆


「信長殿と」


「争うためではなく」


「本願寺を利用するためでもなく」


「諸国の大名を」


「信長殿へぶつけるためでもない」


「将軍として」


「戦を」


「止めてくださいませ」


義昭は。


何も言わない。


「それができるなら」


光秀の声に。


僅かに。


熱が入った。


「織田殿も」


「上様を」


「将軍として立てると」


「申されました」


義昭の目が。


僅かに揺れた。


「……信長が?」


「はい」


「嘘を申すな」


「嘘ではございませぬ」


光秀は。


頭を下げた。


「近江の兵を解く」


「本願寺との密かな往来を止める」


「諸国への軍勢催促を止める」


「それだけでございます」


義昭は。


黙った。


光秀は。


待った。


まだ。


戻れる。


そう思った。


     ◆


長い。


沈黙。


やがて。


義昭が。


小さく。


笑った。


「光秀」


「は」


「お前は」


「変わらぬな」


光秀が。


僅かに顔を上げる。


「昔から」


義昭は言った。


「理屈ばかりだ」


「……」


「越前でも」


「そうだった」


義昭の目が。


少しだけ。


昔へ戻る。


「義景は動かぬ」


「ならば」


「別の者を探すべきだ」


「そう申したな」


「覚えております」


「信長なら」


「動く」


「そう言ったのも」


「お前だった」


光秀の胸が。


僅かに痛む。


「はい」


「そして」


義昭が言った。


「余は」


「お前を信じた」


光秀は。


何も言えなかった。


     ◆


「信長を信じた」


義昭が続ける。


「京へ戻った」


「将軍になった」


「だが」


声が。


再び。


冷たくなる。


「その結果が」


「これだ」


「上様」


「余は」


「信長に」


「将軍にしてもらったのではない」


義昭が。


光秀を見る。


「余は」


「足利の血を引く」


「正統なる将軍だ」


「はい」


光秀は答えた。


「その通りにございます」


義昭が。


一瞬。


戸惑った。


「だからこそ」


光秀は続ける。


「信長殿に」


「勝つ必要など」


「ございませぬ」


義昭の眉が動く。


「上様は」


「将軍であられます」


「ならば」


「将軍として」


「なすべきことを」


「なされればよい」


「信長殿より上か」


「下か」


「そのようなことで」


「天下を」


「燃やしてはなりませぬ」


     ◆


義昭の顔が。


再び。


怒りに染まった。


「そのようなこと?」


「はい」


「そのようなことと申すか!」


「申します」


光秀は。


退かなかった。


「人が」


「死にます」


義昭が。


止まる。


「近江で」


「京で」


「河内で」


「伊勢で」


「また」


「人が死にます」


「田が焼け」


「村が焼け」


「子が親を失います」


光秀の声は。


静かだった。


「それでも」


「上様が」


「将軍として」


「天下を鎮めるために」


「必要な戦だと」


「仰せになるなら」


「私は」


「まだ」


「理解しようといたします」


一度。


言葉を切る。


「ですが」


「信長殿より」


「上に立つための戦なら」


光秀の目が。


義昭を。


まっすぐ捉えた。


「私は」


「従えませぬ」


     ◆


静寂。


義昭の顔が。


固まった。


「……従えぬ」


「はい」


「余に」


「従えぬと」


「はい」


光秀は。


深く。


頭を下げた。


「申し訳ございませぬ」


義昭は。


震えていた。


怒りで。


「ならば」


義昭が。


低く言う。


「何故来た」


光秀は。


頭を上げた。


「まだ」


「上様を」


「信じたかったからにございます」


義昭の目が。


僅かに。


見開かれた。


「かつて」


「何も持たず」


「それでも」


「京へ戻ると」


「諦めなかった御方を」


光秀の声が。


少しだけ。


揺れた。


「私は」


「知っております」


義昭は。


何も言わない。


「だから」


「最後に」


「お願いに参りました」


光秀は。


もう一度。


頭を下げた。


「兵を」


「お戻しください」


     ◆


義昭は。


長く。


光秀を見ていた。


昔。


自分のために。


走った男。


越前から。


美濃へ。


信長へ。


京へ。


自分を。


将軍にするために。


力を尽くした男。


その男が。


今。


頭を下げている。


義昭の唇が。


僅かに。


震えた。


一瞬。


本当に。


迷った。


「……光秀」


「は」


「もし」


義昭が。


ゆっくり言う。


「余が」


「兵を戻せば」


「信長は」


「余に」


「頭を下げるのか」


光秀は。


目を閉じた。


――上様。


まだ。


そこなのですか。


     ◆


「分かりませぬ」


光秀は。


正直に答えた。


「ならば」


義昭の顔が。


冷たくなる。


「話にならぬ」


「上様」


「余が退き」


「信長が退かぬ」


「それでは」


「余が」


「負けたことになる」


その言葉で。


光秀の中の。


何かが。


静かに。


切れた。


怒りではない。


憎しみでもない。


もっと。


静かなもの。


諦め。


だった。


     ◆


「……そうでございますか」


光秀が言った。


義昭の目が。


僅かに動く。


「光秀?」


光秀は。


姿勢を正した。


そして。


深く。


礼をした。


「上様」


「これまで」


「お世話になりました」


義昭の顔が。


変わった。


「何を」


「私は」


光秀が言う。


「今でも」


「上様が」


「将軍であられることを」


「否定いたしませぬ」


「足利家を」


「軽んじるつもりも」


「ございませぬ」


そして。


顔を上げる。


「ですが」


「将軍という御名のために」


「天下を」


「再び戦へ戻すことには」


「加担できませぬ」


義昭が。


立ち上がった。


「光秀!」


「は」


「それは」


「余への」


「謀反か!」


光秀は。


首を横に振った。


「私は」


「すでに」


「織田家の家臣にございます」


「ならば」


義昭が叫ぶ。


「余の前から」


「消えよ!」


光秀は。


頭を下げた。


「御免」


     ◆


襖へ向かう。


「光秀!」


背後から。


義昭の声。


光秀は。


止まった。


振り返らない。


「お前は」


義昭が言う。


「信長を選ぶのだな」


長い。


沈黙。


光秀は。


静かに答えた。


「違います」


義昭の眉が。


動く。


「私は」


光秀が言った。


「戦を」


「終わらせる道を」


「選びます」


そして。


振り返らず。


部屋を出た。


     ◆


廊下。


夜気。


光秀は。


歩いた。


足は。


止めない。


だが。


胸が。


重い。


これで。


終わった。


本当に。


終わった。


かつての主君。


足利義昭。


あの男と。


自分を結んでいた。


最後の糸が。


切れた。


門を出る。


供が。


待っている。


光秀は。


馬へ乗る前に。


一度だけ。


館を振り返った。


「上様」


小さく。


呟く。


それ以上は。


言わなかった。


     ◆


織田屋敷へ戻った時。


夜は。


かなり更けていた。


だが。


信長は。


まだ起きていた。


宗一郎。


半兵衛。


長秀。


そして。


信長。


光秀が入る。


信長は。


一目。


その顔を見た。


「駄目だったか」


「はい」


光秀は。


頭を下げた。


「近江の兵を」


「戻す御意思は」


「ございませぬ」


「本願寺との関係も?」


「断たれませぬ」


「諸国への働きかけも?」


「止められぬでしょう」


信長は。


目を閉じた。


「そうか」


それだけ。


言った。


     ◆


宗一郎が。


光秀を見る。


顔が。


疲れている。


戦場から。


戻った時よりも。


「光秀殿」


宗一郎が。


静かに尋ねる。


「義昭様は」


「何と?」


光秀は。


少し黙った。


「兵を戻せば」


「信長様に負けたことになると」


信長の目が。


開いた。


長秀が。


僅かに。


息を吐く。


半兵衛は。


何も言わない。


宗一郎だけが。


俯いた。


「……そうですか」


     ◆


信長が。


光秀を見る。


「お前は」


「どうしたい」


光秀は。


顔を上げた。


「私が?」


「ああ」


「かつての主だ」


信長は言った。


「今なら」


「まだ」


「外れてもよい」


宗一郎が。


信長を見る。


光秀も。


僅かに。


目を見開いた。


「殿」


「義昭につきたいなら」


「行け」


「止めぬ」


部屋が。


静かになった。


光秀は。


長く。


信長を見た。


そして。


ゆっくり。


頭を下げた。


「ありがたき」


「御言葉にございます」


一度。


息を吸う。


「されど」


顔を上げる。


「私は」


「参りませぬ」


「何故だ」


光秀は。


答えた。


「上様は」


一瞬。


言葉が止まる。


それでも。


まだ。


上様。


そう呼んでしまう。


「義昭様は」


言い直した。


「道を」


「お外れになりました」


宗一郎の目が。


僅かに動く。


光秀は続ける。


「ならば」


「かつて仕えた者だからこそ」


「その道へ」


「共に進むことはできませぬ」


信長は。


しばらく。


光秀を見ていた。


「分かった」


それだけだった。


だが。


光秀には。


十分だった。


     ◆


その時。


外から。


慌ただしい足音。


「申し上げます!」


信長の目が。


変わる。


「入れ」


使番が。


飛び込んできた。


「近江!」


「将軍方の兵に」


「新たな動き!」


宗一郎が立つ。


「数は」


「およそ千五百!」


増えた。


「場所は」


使番が。


地名を告げる。


宗一郎と。


半兵衛が。


同時に。


地図を見る。


京へ。


近い。


近すぎる。


「京へ向かっている?」


宗一郎が聞く。


「まだ!」


「されど」


「街道へ集結しております!」


信長が。


立ち上がった。


「光秀」


「は」


「義昭は」


「今夜」


「何か言ったか」


光秀が。


思い返す。


「兵を戻すとは」


「一言も」


「では」


信長の目が。


冷たくなる。


「答えだな」


     ◆


「待ってください」


宗一郎が言った。


信長が見る。


「何だ」


「まだ」


「京へ入ってはいません」


「分かっておる」


「こちらから」


「攻撃すれば」


宗一郎は続ける。


「義昭様は」


「信長様が」


「将軍を攻めたと言える」


信長の目が。


細くなる。


「だから?」


「動かせません」


「いや」


宗一郎は。


地図を見る。


「動かします」


信長が。


僅かに笑う。


「どちらだ」


「攻めずに」


「止めます」


半兵衛が。


地図へ手を伸ばした。


「街道か」


「うん」


宗一郎が。


一点を指す。


「橋」


次。


「渡し」


さらに。


「峠」


「京へ入る道を」


「全部押さえる」


長秀が。


すぐ理解する。


「兵站も止めるか」


「完全には止めません」


宗一郎は言った。


「止めれば」


「こちらが先に仕掛けたと言われる」


「では」


「見張る」


「数える」


「記録する」


「そして」


宗一郎が。


信長を見る。


「京へ一歩でも」


「兵を進めた瞬間」


「朝廷へ報告します」


     ◆


信長が。


笑った。


「面倒だな」


「政治って」


「そういうものです」


「嫌いだ」


「俺もです」


「だが」


信長の顔から。


笑みが消える。


「やるぞ」


「はい」


「長秀」


「は」


「京への道を押さえろ」


「ただし」


「こちらから手を出すな」


「承知」


「光秀」


「は」


「京の警固」


「将軍方の者が」


「暴発しても」


「町へ火を出させるな」


光秀が。


深く頭を下げる。


「承知いたしました」


「半兵衛」


「は」


「宗一郎と」


「全部見ろ」


「誰が」


「どこで」


「何を命じたか」


「承知」


最後に。


信長が。


宗一郎を見る。


「お前は」


「はい」


「主上へ」


「すぐ報せろ」


宗一郎は。


一瞬。


止まった。


「俺が?」


「お前の方が」


「話が早い」


「……何でだろう」


「儂が聞きたい」


     ◆


夜半。


禁裏。


帝は。


眠っていなかった。


報告は。


すぐに届いた。


近江。


将軍方。


およそ千五百。


街道へ集結。


帝は。


紙を読んだ。


「二度」


側近が。


頭を下げる。


「は」


「二度」


「戻せと申したな」


「間違いございませぬ」


帝は。


紙を置いた。


「そして」


「増やした」


「……はい」


怒鳴らない。


机も叩かない。


だが。


側近には。


分かった。


帝は。


怒っている。


     ◆


「織田は」


「動いております」


「攻めたか」


「いいえ」


「街道」


「橋」


「渡し」


「峠へ兵を置き」


「京への進入を」


「防ぐ構えにございます」


帝が。


僅かに。


目を細める。


「先には」


「撃っておりませぬ」


「そうか」


帝は。


少しだけ。


息を吐いた。


信長は。


待っている。


自分が。


判断するのを。


「ならば」


帝が言った。


「朕も」


「答えねばならぬ」


側近が。


顔を上げる。


「使いを」


「将軍へ?」


「違う」


帝の声が。


冷たい。


「三度目はないと」


「申した」


側近が。


動きを止める。


     ◆


「まず」


帝は言った。


「公家を集めよ」


「この夜中に?」


「今だ」


「は」


「次に」


「将軍家から」


「これまで諸国へ出された書状」


「確認できるものを」


「すべて並べよ」


「は」


「本願寺との往来も」


「近江の兵も」


「すべてだ」


側近が。


頭を下げる。


帝は。


庭の闇を見る。


足利義昭。


十五代将軍。


史実なら。


この先。


信長と決裂し。


槇島城へ入り。


そして。


京から追われる。


室町幕府は。


事実上。


終わっていく。


帝は。


その歴史を。


知っている。


だが。


今。


自分は。


その歴史を。


ただ。


見ているわけではない。


自分も。


その中にいる。


「義昭」


帝が。


小さく呟く。


「そなた自身が」


「選んだぞ」


     ◆


同じ頃。


鷹司家。


当主は。


一通の報告を。


読んでいた。


将軍方。


近江で。


兵を増やす。


その報告の横には。


もう一通。


織田家の姫について。


信長が。


本人の意思を。


確認するという返答。


二つの紙。


一つは。


古い秩序が。


崩れようとしている知らせ。


もう一つは。


新しい縁が。


生まれようとしている知らせ。


鷹司は。


長く。


二枚を見比べた。


「同じ時に」


呟く。


「起こるものか」


家臣が尋ねる。


「何がでございます」


鷹司は。


答えなかった。


だが。


歴史とは。


そういうものなのかもしれない。


一つの時代が。


終わろうとする時。


次の時代は。


すでに。


別の場所で。


始まっている。


     ◆


そして。


織田屋敷。


宗一郎は。


地図の前にいた。


赤い印。


将軍方。


青い印。


織田方。


京。


禁裏。


街道。


橋。


渡し。


峠。


半兵衛が。


隣に座る。


「眠らぬのか」


「眠れない」


「だろうな」


宗一郎は。


地図を見る。


史実。


足利義昭は。


信長へ反旗を翻す。


そして。


最後は。


槇島城。


だが。


今は。


違う。


朝廷が。


明確に動いている。


帝が。


未来を知っている。


自分もいる。


信長も。


史実とは。


少しずつ。


変わっている。


なら。


結末も。


同じとは限らない。


「半兵衛」


「何だ」


「歴史って」


「変えるのと」


「変わるの」


「どっちなんだろうな」


半兵衛が。


宗一郎を見る。


「知らん」


即答。


宗一郎が。


少し笑う。


「そう言うと思った」


「だが」


半兵衛は。


地図を見る。


「一つだけ」


「分かる」


「何」


「明日」


半兵衛が言った。


「また」


「面倒なことになる」


宗一郎は。


地図を見た。


そして。


ため息をついた。


「それは」


「俺にも分かる」


     ◆


翌朝。


まだ。


日が昇り切る前。


禁裏から。


織田屋敷へ。


使者が来た。


信長。


宗一郎。


光秀。


長秀。


半兵衛。


全員が。


その言葉を聞いた。


「主上より」


使者が言う。


「織田殿へ」


「御言葉にございます」


信長が。


姿勢を正す。


「承る」


使者は。


ゆっくり。


告げた。


「将軍方の兵が」


「朝廷の命に従わず」


「京へ迫る場合」


一度。


言葉を切る。


「京および禁裏の安寧を守るため」


「これを」


「止めることを許す」


部屋の空気が。


変わった。


光秀が。


目を閉じた。


長秀の表情が。


引き締まる。


半兵衛が。


宗一郎を見る。


信長は。


静かに。


尋ねた。


「討て」


「ではないのだな」


使者が。


頭を下げる。


「止めよ」


「との」


「御言葉にございます」


信長の口元が。


僅かに。


上がった。


「承知した」


     ◆


使者が。


退出した後。


信長は。


地図の前へ。


歩いた。


「宗一郎」


「はい」


「止めるぞ」


「はい」


「ただし」


宗一郎が言った。


「殺しすぎないでください」


信長が。


宗一郎を見る。


「分かっておる」


「本当に?」


「お前は」


「儂を何だと思っておる」


宗一郎は。


少し考えた。


「信長様」


「当たり前だ!」


光秀が。


ほんの僅かに。


笑った。


それを。


信長は。


見逃さなかった。


「光秀」


「は」


「何がおかしい」


「いえ」


光秀は。


頭を下げた。


「何も」


だが。


その顔から。


昨夜までの。


迷いは。


消えていた。


     ◆


信長が。


諸将を見る。


「将軍を」


「討つための戦ではない」


「京へ」


「兵を入れさせぬための戦だ」


「こちらから」


「先に撃つな」


「退く者を」


「追うな」


「武器を捨てた者を」


「斬るな」


そして。


最後に。


「だが」


声が。


低くなる。


「京へ入ろうとするなら」


「止めろ」


光秀が。


深く。


頭を下げる。


「御意」


宗一郎は。


地図を見る。


近江から。


京へ。


伸びる道。


その先。


歴史では。


やがて。


槇島へ。


続いていく。


足利義昭と。


織田信長。


長く続いた。


二人の関係。


その最後が。


ついに。


始まろうとしていた。

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