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『天下布武、その先へ』―転生者と織田信長が拓いた、誰も知らない日本史―  作者: みなみ


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第八十二章 七日目

第八十二章 七日目


一日目。


近江で。


兵が集まった。


二日目。


河内で。


米が動いた。


三日目。


紀伊から。


船が出た。


四日目。


伊勢で。


本願寺の使僧が目撃された。


五日目。


宗一郎の机には。


それらすべてが。


並べられていた。


「多いな」


半兵衛が言った。


「うん」


宗一郎は。


一枚ずつ。


紙を分けていた。


事実。


推測。


未確認。


それぞれを。


別にする。


「近江」


宗一郎が言った。


「兵、約七百」


「ただし」


「全員が将軍の命令を受けた証拠はない」


半兵衛が頷く。


「河内」


「米、百五十俵以上」


「寺への寄進という名目」


「実際の行き先は?」


「一部は石山」


「確認は?」


「荷を運んだ船頭から取った」


宗一郎は。


紙の端へ印を付ける。


「事実」


次。


「紀伊」


「船、十二」


「武器は?」


「確認できない」


「なら書くな」


「うん」


宗一郎は。


『兵船』


と書かれていた文字を消した。


『船十二艘』


それだけにする。


半兵衛が。


少し笑った。


「昔より慎重になったな」


「昔から慎重だよ」


「誰が?」


宗一郎が顔を上げる。


「俺」


「そうか」


「その顔やめて」


     ◆


六日目。


一人の男が。


宗一郎の前へ連れてこられた。


捕らえたわけではない。


自分から。


来た。


近江の商人。


四十を過ぎた頃。


着物は。


雨と泥で汚れている。


「高槻様に」


「直接」


「お渡ししたいものが」


宗一郎が見る。


「何です」


男は。


懐から。


紙を出した。


半兵衛が先に受け取る。


開く。


目が。


僅かに変わった。


「宗一郎」


渡される。


宗一郎が読む。


短い書状。


だが。


そこに。


書かれていた言葉は。


明確だった。


近江の国人へ。


兵を備えよ。


ただし。


今は動くな。


時が来れば。


将軍家より。


改めて沙汰する。


日付。


朝廷の調停が始まる。


二日前。


宗一郎は。


紙を置いた。


「誰から受け取った」


商人が答える。


「将軍家に出入りする者にございます」


「名は?」


男が言う。


宗一郎は。


横の者へ目を向ける。


記録。


「これを」


「何故俺に?」


男は。


少し迷った。


「戦に」


「なってほしくありません」


宗一郎は黙る。


「近江で」


男が続ける。


「また兵が集まれば」


「田が荒れます」


「米が取れなくなる」


「我ら商人も」


「道を通れなくなる」


「将軍様も」


「織田様も」


「本願寺様も」


男は。


そこで言葉を止めた。


「誰が勝っても」


「我らには」


「田を踏まれれば同じでございます」


宗一郎は。


長く。


男を見た。


「分かった」


「この書状」


「預かります」


男が頭を下げる。


「ただし」


宗一郎は言った。


「あなたから受け取ったことは」


「できる限り伏せます」


男の顔が。


僅かに緩んだ。


     ◆


商人が去った後。


半兵衛が言った。


「これで」


「将軍家が兵を集めていたことは示せる」


「うん」


「出すか?」


宗一郎は。


書状を見る。


「まだ」


「何故だ」


「日付が調停前だ」


半兵衛の目が。


僅かに細くなる。


「つまり」


「七日間の約定には」


「直接違反していない」


「そう」


宗一郎は言った。


「これを今出せば」


「義昭様は言える」


「調停前の話だと」


「事実でもある」


「うん」


半兵衛は。


しばらく考えた。


「では」


「何を待つ」


宗一郎は答えた。


「七日目」


     ◆


その夜。


石山。


顕如の前にも。


報告が並んでいた。


毛利。


紀伊。


河内。


近江。


いくつもの返答。


だが。


期待したほどではない。


特に。


毛利。


書状は届いた。


返答も。


来た。


しかし。


明確に。


兵を出すとは書いていない。


教如が言った。


「毛利は」


「動かぬのでしょうか」


「今はな」


顕如は答えた。


「何故です」


「信長が」


「まだ遠い」


教如が黙る。


「毛利にとって」


顕如は言った。


「織田は」


「いずれ来る敵かもしれぬ」


「だが」


「今日戦わねばならぬ敵ではない」


顕如は。


書状を畳んだ。


「だから」


「こちらのためだけに」


「大軍は動かさぬ」


「ならば」


教如が尋ねる。


「どうします」


顕如は。


息子を見る。


「七日目に」


「返答する」


「武装解除を」


「拒む」


教如の顔が。


僅かに変わった。


「朝廷の調停を」


「拒むのではない」


顕如は。


静かに訂正した。


「条件を」


「受けられぬと答える」


「同じでは?」


「違う」


顕如は言った。


「言葉は」


「残る」


「我らは」


「戦を望んだのではない」


「信仰と寺領を守るため」


「受けられなかった」


「そう残す」


教如は。


父を見る。


「後のために?」


「ああ」


顕如の目が。


細くなる。


「戦は」


「勝った者だけが」


「歴史を書くわけではない」


     ◆


七日目。


朝。


京。


信長は。


甲冑を着ていなかった。


刀も。


調停の場へは。


持ち込まない。


蘭丸が。


信長の衣を整えている。


「殿」


「何だ」


「本願寺は」


「兵を捨てるでしょうか」


信長が。


蘭丸を見る。


「お前はどう思う」


蘭丸は。


少し考えた。


「捨てぬと思います」


「何故だ」


「ここまで戦って」


「急に捨てるとは」


「思えませぬ」


信長は。


少し笑った。


「そうだな」


「では」


蘭丸が尋ねる。


「今日の話し合いは」


「無駄なのですか」


信長の手が止まる。


「無駄?」


「はい」


信長は。


少し考えた。


「蘭丸」


「は」


「戦で」


「敵に降伏を勧めるのは」


「何のためだ」


「兵を死なせぬため……」


「それだけか」


蘭丸が黙る。


信長は言った。


「降伏する道があった」


「それを」


「相手が選ばなかった」


「それを」


「こちらも知るためだ」


蘭丸が。


信長を見る。


「今日は」


信長が言った。


「それを確かめに行く」


     ◆


同じ頃。


宗一郎は。


半兵衛と共に。


屋敷を出ようとしていた。


そこへ。


馬が。


一頭。


飛び込んできた。


「高槻様!」


宗一郎が振り返る。


情報網の者。


息を切らしている。


「何があった」


「近江!」


「兵が動きました!」


宗一郎の顔が変わる。


「数は」


「確認できたのは五百ほど!」


「行き先」


「京方面!」


半兵衛の目が。


鋭くなる。


「誰の命令だ」


「分かりませぬ!」


宗一郎は。


すぐ尋ねる。


「いつ動いた」


「今朝!」


七日目。


調停期間。


まだ。


終わっていない。


「旗は?」


「将軍家の旗はありません!」


「国人の旗のみ!」


宗一郎が。


目を閉じる。


やった。


だが。


まだ足りない。


義昭は言う。


勝手に動いた。


命じていない。


その時。


もう一騎。


入ってきた。


「高槻様!」


宗一郎が振り向く。


「今度は何」


「近江より!」


男が。


小さな紙を差し出す。


「今朝」


「兵を動かした国人の屋敷から出た者より」


半兵衛が受け取る。


読む。


そして。


宗一郎へ渡した。


そこには。


たった一行。


――時至れり。京へ向かえ。


署名はない。


だが。


印。


宗一郎は。


以前の書状と。


見比べた。


同じ。


将軍家に出入りする者の印。


宗一郎の目が。


変わった。


「半兵衛」


「ああ」


「間に合った」


     ◆


調停の場。


信長。


義昭。


本願寺の名代。


朝廷側の公家。


すでに。


揃っていた。


宗一郎が。


最後に入る。


信長の目が。


宗一郎を見る。


遅い。


その目が言っている。


宗一郎は。


頭を下げる。


「申し訳ございません」


義昭が鼻で笑う。


「高槻殿ほどの者でも」


「刻限には遅れるか」


「申し訳ございません」


宗一郎は。


もう一度頭を下げた。


だが。


手には。


二通の書状があった。


     ◆


朝廷側の公家が。


まず。


本願寺へ尋ねた。


「七日前」


「主上より示された条件」


「返答を」


本願寺の名代が。


深く頭を下げる。


「石山本願寺は」


「争いを望むものではございませぬ」


信長は。


何も言わない。


「されど」


「門徒の安全」


「寺領の安堵」


「信仰の自由」


「それらが確約されぬまま」


「武装をすべて解くことは」


「受け入れ難く」


公家が尋ねる。


「つまり」


「武装解除は」


名代は。


一度。


目を閉じた。


「お受けできませぬ」


静かだった。


誰も。


驚かなかった。


分かっていた。


だが。


言葉になった。


その意味は。


大きい。


公家が。


信長を見る。


「織田殿」


信長が答える。


「では」


「臣から攻めぬという条件も」


「ここまでにございます」


義昭が。


すぐ口を挟んだ。


「待て」


信長が見る。


「まだ」


義昭が言う。


「話し合う余地はある」


「何を」


「武装解除の範囲だ」


信長は。


義昭を見る。


「上様」


「何だ」


「本願寺は」


「今」


「武装解除を拒んだ」


「だからこそ」


「余が仲立ちを」


「その前に」


信長の声が。


低くなる。


「一つ」


「確認していただきたいことがございます」


義昭の眉が。


僅かに動いた。


     ◆


信長が。


宗一郎を見る。


「出せ」


宗一郎は。


一瞬。


信長を見る。


何を持っているか。


まだ。


話していない。


だが。


信長は。


宗一郎の顔を見ただけで。


分かっていた。


何かある。


宗一郎は。


二通の書状を。


朝廷側へ差し出した。


「一通目は」


「調停が始まる二日前」


「近江の国人へ届いたものです」


公家が読む。


兵を備えよ。


時が来れば。


将軍家より沙汰する。


義昭の顔が。


僅かに変わる。


「二通目」


宗一郎が言った。


「今朝」


「同じ国人のもとへ届いたものです」


――時至れり。京へ向かえ。


公家が。


義昭を見る。


「将軍様」


「知らぬ」


義昭は。


即答した。


「余は」


「そのような命を出しておらぬ」


宗一郎は頭を下げる。


「はい」


義昭が。


一瞬。


戸惑う。


否定されると思っていた。


「ですので」


宗一郎は続けた。


「将軍様が出されたとは」


「申し上げておりません」


義昭が黙る。


「ただ」


「同じ印を使い」


「将軍家の名を背景に」


「兵を集め」


「今朝」


「京へ向かわせた者がいる」


宗一郎は。


朝廷側を見る。


「調停期間中に」


部屋の空気が。


変わった。


     ◆


義昭が声を上げる。


「余は知らぬ!」


「ならば」


信長が言った。


「お調べください」


「何?」


「将軍家の名を」


「勝手に使い」


「朝廷の調停を破った者がおる」


信長の目が。


義昭を捉える。


「上様にとっても」


「許せぬことでございましょう」


義昭は。


言葉を失った。


否定すれば。


家臣を処罰しなければならない。


認めれば。


自分が調停を破ったことになる。


宗一郎は。


思った。


――逃げ道がない。


だが。


追い詰めすぎるな。


ここで。


義昭の面子を完全に潰せば。


戦になる。


それも。


京で。


「将軍様」


宗一郎が。


頭を下げた。


「恐らく」


「将軍様の御意を」


「勝手に推し量った者がいるのでしょう」


義昭が。


宗一郎を見る。


宗一郎は。


あえて。


逃げ道を作った。


「ならば」


「その者をお調べいただき」


「近江の兵を」


「戻していただければ」


「朝廷の調停を」


「将軍様が破ったことにはなりませぬ」


信長が。


横目で宗一郎を見る。


何も言わない。


だが。


理解した。


義昭は。


しばらく。


動かなかった。


やがて。


「……よかろう」


絞り出すように言った。


「調べる」


     ◆


だが。


その時。


外が。


騒がしくなった。


一人の公家が。


慌てて入ってくる。


「申し上げます!」


「何事だ」


「近江より来た兵が」


「京の東で」


「止められました」


義昭が。


僅かに身を乗り出す。


「誰に」


「明智殿の兵にございます」


義昭が。


信長を見る。


「信長!」


「余の兵を!」


「上様」


信長は。


静かだった。


「今」


「余の兵と」


「申されましたな」


時間が。


止まった。


義昭の顔から。


血の気が引いた。


宗一郎は。


目を閉じたくなった。


――言った。


信長は。


義昭から。


目を逸らさない。


「先ほどは」


「知らぬと」


「申されました」


「それは……」


義昭が。


言葉を探す。


「将軍家に従う者という意味だ!」


「なるほど」


信長は。


それ以上。


追わなかった。


だが。


もう。


十分だった。


     ◆


朝廷側の公家は。


すべてを。


記録していた。


本願寺。


武装解除拒否。


将軍家。


調停期間中の兵の移動。


そして。


義昭自身の言葉。


その日の調停は。


そこで。


事実上。


終わった。


公家が言う。


「本日のこと」


「すべて」


「主上へ奏上いたします」


義昭は。


何も言わなかった。


本願寺の名代も。


黙っている。


信長だけが。


立ち上がった。


「承知」


そして。


頭を下げた。


「臣は」


「主上の御判断に従います」


宗一郎は。


その言葉を聞きながら。


思った。


――変わったな。


以前の信長なら。


ここまで。


待てただろうか。


分からない。


だが。


今は。


待った。


七日。


そして。


相手が。


自分から。


線を越えた。


     ◆


その夜。


禁裏。


帝は。


報告を読んでいた。


本願寺。


武装解除拒否。


将軍家。


近江の兵。


二通の書状。


義昭の失言。


そして。


織田。


七日間。


攻撃せず。


新たな軍勢催促なし。


約定を守った。


帝は。


紙を置いた。


側近が尋ねる。


「いかがなさいますか」


帝は。


すぐ答えた。


「本願寺へ伝えよ」


「武装を続ける以上」


「朝廷は」


「織田にのみ」


「兵を退けよとは命じぬ」


側近が頭を下げる。


「将軍様には」


帝の目が。


冷たくなる。


「近江の兵を」


「直ちに戻させよ」


「また」


「書状の主を調べ」


「朝廷へ報告せよ」


「従わぬ場合は?」


帝は。


少し黙った。


「その時は」


「将軍自身が」


「調停を破ったと見る」


側近の顔が。


僅かに強張った。


それは。


重い。


帝は。


もう。


義昭を。


無条件で。


「将軍だから」と守るつもりはなかった。


     ◆


「それから」


帝が言った。


「鷹司は」


「すでにお待ちにございます」


側近が答える。


帝の表情が。


変わった。


「通せ」


しばらくして。


一人の公家が。


静かに入ってきた。


鷹司家。


その当主。


深く頭を下げる。


「お召しにより」


「参上いたしました」


帝は。


人払いを命じた。


側近すら。


一人を残して。


下がらせる。


鷹司が。


僅かに顔を上げる。


「主上」


「何用にございましょう」


帝は。


すぐには答えなかった。


「鷹司」


「は」


「織田信長を」


「どう見る」


鷹司は。


慎重に答える。


「力ある武家にございます」


「それだけか」


「……危うさも」


「ございましょう」


「何が危うい」


「旧きものを」


「恐れませぬ」


帝は。


少し笑った。


「朝廷もか」


鷹司は。


答えに詰まる。


「申せ」


「恐れながら」


鷹司は言った。


「それを」


「見極めかねております」


「ならば」


帝が言った。


「朕と同じだ」


鷹司の目が。


僅かに動いた。


     ◆


帝は。


信長との会話を。


すべては話さなかった。


ただ。


一つだけ。


伝えた。


「信長は」


「国は織田家の物ではないと申した」


鷹司が。


顔を上げる。


「信長殿が?」


「ああ」


鷹司は。


しばらく。


何も言わなかった。


帝は。


その反応を見る。


「鷹司」


「は」


「もし」


「朝廷と織田が」


「争うのではなく」


「結ぶ道があるとすれば」


鷹司の顔が。


僅かに変わった。


「官位にございますか」


「違う」


「では」


帝は。


静かに言った。


「血だ」


鷹司の呼吸が。


止まった。


     ◆


「主上」


「声が大きい」


「……失礼いたしました」


鷹司は。


声を落とす。


「まさか」


帝は答えない。


だが。


その沈黙で。


十分だった。


「織田家の姫君を……」


鷹司が。


言葉を止める。


「直接ではない」


帝が言った。


「それでは」


「反発が大きすぎる」


鷹司は。


帝を見る。


そして。


ゆっくり。


意味を理解した。


顔色が変わる。


「まさか」


帝が言う。


「鷹司」


「……は」


「そなたの家へ」


「まず」


「迎えてほしい」


鷹司は。


完全に。


動きを止めた。


「養女……」


「そうだ」


帝は答えた。


「織田信長の娘を」


「鷹司家の養女とする」


「その上で」


帝は。


一度。


言葉を切った。


「朕が迎える」


鷹司は。


深く。


息を吸った。


五摂家。


その家格を。


通す。


形の上では。


鷹司家の娘。


だが。


血は。


織田。


その姫が。


帝の后となる。


意味は。


あまりにも大きい。


「主上」


鷹司が。


ようやく言った。


「それは」


「天下が」


「ひっくり返りまする」


帝は。


静かに答えた。


「だから」


「そなたを呼んだ」


     ◆


鷹司は。


長く。


考えた。


「信長殿は」


「この話を」


「知らぬ」


帝が答える。


「高槻殿は」


一瞬。


帝の目が。


僅かに動いた。


だが。


「正式には知らぬ」


そう答えた。


嘘ではない。


宗一郎は。


構想を聞いている。


だが。


鷹司へ話が進んだことは。


知らない。


「何故」


鷹司が尋ねる。


「我が家なのでございます」


帝は。


すぐには答えなかった。


「公家の中には」


「すでに」


「将軍と近すぎる者がおる」


鷹司の表情が。


変わる。


「本願寺ともな」


さらに。


「朕は」


「誰かの操り人形になるつもりはない」


声は。


静かだった。


だが。


鷹司は。


背筋を伸ばした。


「そして」


帝は続ける。


「織田の操り人形になるつもりもない」


「ならば」


「間に立つ家が要る」


鷹司は。


理解した。


織田のためだけではない。


朝廷のためでもある。


鷹司が。


緩衝となる。


「お断りすれば」


帝は。


鷹司を見る。


「何もせぬ」


鷹司が。


驚いた。


「強いるつもりはない」


「そなたにも」


「姫にも」


帝は言った。


「この話は」


「強いて進めれば」


「いずれ必ず」


「禍根になる」


鷹司は。


しばらく。


帝を見ていた。


そして。


深く頭を下げた。


「少し」


「お時間を」


「無論だ」


「家中とも」


「話しとうございます」


「よい」


「ただし」


帝の声が。


少し低くなる。


「外へ漏らすな」


「は」


     ◆


鷹司が退出した後。


帝は。


一人。


庭を見ていた。


ここからだ。


信長が。


受けるか。


娘が。


受けるか。


鷹司家が。


受けるか。


公家たちが。


どう動くか。


そして。


義昭。


顕如。


二人が。


この話を知った時。


どう出るか。


帝には。


分かっていた。


婚姻は。


戦を止めるための道具にもなる。


同時に。


新しい戦を。


生むこともある。


だから。


慎重に進める。


だが。


引き延ばすつもりもない。


帝は。


未来で見た。


一つの国が。


決断を遅らせ。


何度も。


機会を失う歴史を。


知っている。


「今だ」


小さく。


呟いた。


     ◆


翌朝。


織田屋敷。


信長の前へ。


朝廷から。


正式な返答が届いた。


本願寺が武装解除を拒む以上。


織田にのみ。


兵を退けることは求めない。


信長は。


最後まで読み。


紙を畳んだ。


「宗一郎」


「はい」


「石山は」


「これで敵だ」


宗一郎は頷く。


「ただ」


信長が言う。


「すぐには行かぬ」


宗一郎が。


少し驚く。


「何故です」


「将軍だ」


信長の目が。


鋭くなる。


「後ろに」


「火種を残したまま」


「石山へ行けるか」


宗一郎は。


息を吐いた。


その通りだった。


義昭。


近江の兵。


将軍家から。


反織田勢力へ伸びる線。


石山だけを見れば。


背後を刺される。


「では」


宗一郎が尋ねる。


「先に」


信長が言った。


「将軍と話す」


「もう一度?」


「ああ」


「最後にな」


宗一郎の目が。


僅かに変わった。


その言葉が。


何を意味するか。


分かった。


まだ。


信長は。


義昭を討つとは言っていない。


まだ。


追放とも言っていない。


だが。


次。


義昭が。


朝廷の命令すら無視し。


兵を動かすなら。


関係は。


戻れないところまで行く。


「光秀を呼べ」


信長が言った。


宗一郎が顔を上げる。


「光秀を?」


「あいつは」


「義昭を知っておる」


かつて。


将軍家に仕え。


信長と義昭を繋いだ男。


明智光秀。


信長は。


静かに言った。


「終わらせるなら」


「あいつにも」


「見届けさせる」


     ◆


同じ朝。


足利義昭の館にも。


朝廷から。


命が届いていた。


近江の兵を戻せ。


書状を出した者を調べよ。


結果を。


朝廷へ報告せよ。


義昭は。


最後まで読んだ。


そして。


書状を。


握り潰した。


「余に」


「命じるか」


側近が。


黙っている。


「余は」


また。


その言葉。


「征夷大将軍ぞ」


誰も。


答えない。


義昭は。


立ち上がった。


「信長が」


「帝へ何か吹き込んだのだ」


「高槻も」


「明智も」


「皆」


「余を」


「将軍から」


「引きずり下ろそうとしておる」


「上様」


側近が。


恐る恐る言う。


「兵を」


「戻されますか」


義昭は。


黙った。


戻せば。


負けたように見える。


戻さなければ。


帝の命に。


逆らうことになる。


長い沈黙。


そして。


義昭が言った。


「戻さぬ」


側近の顔が。


変わった。


「上様」


「京へ入れなければよい」


義昭の目が。


ぎらつく。


「近江に置け」


「いつでも」


「動かせる場所にな」


その瞬間。


一人の側近が。


目を伏せた。


それが。


どれほど危険な決断か。


理解していたからだ。


     ◆


昼。


禁裏へ。


報告が届いた。


――将軍。


――近江の兵を戻さず。


帝は。


その一文を。


長く見ていた。


側近が。


何も言えずに待つ。


帝は。


紙を置いた。


「そうか」


声には。


怒りがなかった。


だからこそ。


怖かった。


「もう一度だけ」


帝が言った。


「使者を出せ」


「もう一度……」


「そうだ」


帝は言った。


「兵を戻せ」


「書状の主を差し出せ」


「それだけだ」


側近が頭を下げる。


「それでも」


「従われなかった場合は」


帝は。


静かに。


庭を見る。


「その時」


一拍。


「義昭は」


「自ら選んだことになる」


何を。


とは。


言わなかった。


だが。


その場にいた者には。


十分だった。


     ◆


将軍。


本願寺。


織田。


朝廷。


それぞれが。


ついに。


立つ場所を。


選び始めた。


その裏で。


誰にも知られず。


鷹司家では。


さらに大きな話が。


家中へ。


秘密裏に伝えられていた。


「織田殿の姫君を」


「我が家の養女に?」


一人が。


絶句する。


別の者が。


青ざめる。


「その後」


「禁裏へ……?」


当主は。


静かに頷いた。


反対。


驚き。


恐れ。


そして。


沈黙。


やがて。


老いた公家が。


一つだけ尋ねた。


「主上の」


「御意なのですな」


「そうだ」


「織田殿からではなく?」


「違う」


その答えで。


部屋の空気が。


変わった。


信長が。


朝廷へ娘を押し込もうとしているのではない。


帝が。


求めている。


意味が。


まるで違う。


当主は。


静かに言った。


「断るにしても」


「受けるにしても」


「まず」


「織田信長という男を」


「我ら自身が」


「見なければならぬ」


そして。


決めた。


鷹司家から。


信長へ。


使者を送る。


ただし。


婚姻とは言わない。


養女とも言わない。


最初は。


ただ一言。


――鷹司家当主。


――織田殿と密かに話したき儀あり。


その書状が。


織田屋敷へ届くのは。


翌日のことである。


信長は。


まだ知らない。


その話が。


戦でも。


領地でも。


官位でもないことを。


そして。


宗一郎だけが。


鷹司という名を聞いた瞬間。


帝が。


ついに。


動き始めたことを。


知ることになる。

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