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閑話 戦のない国を作るために

閑話 戦のない国を作るために


 高槻城下。


 その一角に、他の建物とは明らかに違う場所があった。


 塀は高く、門は二重。


 出入りする者は限られている。


 見張りの兵も、普通の城門とは違う。


 誰が入ったのか。


 誰が出たのか。


 何を持ち込んだのか。


 何を持ち出したのか。


 すべて記録される。


 ここは高槻の中でも、最も厳重に管理された場所の一つだった。


 ――軍事開発部。


 高槻研究所の中でも、軍事に関わる研究だけを集めた場所である。


 そこに、一人の男がいた。


 名を、与吉という。


 まだ二十代半ば。


 武士ではない。


 まして、名のある家の生まれでもない。


 農家の次男だった。


 父親は足軽だった。


 普段は畑を耕し、田植えをし、収穫の時期には農作業をしていた。


 だが、戦が起きれば呼び出される。


 槍を持たされる。


 そして――。


 ある戦で帰ってこなかった。


 与吉が、まだ幼い頃のことだった。


 父が死んだという知らせを聞いた母は、しばらく何も言わなかった。


 泣くことすらできなかった。


 ただ、翌朝には畑へ出た。


 子供たちを食わせなければならなかったからだ。


 与吉も畑を手伝った。


 土を耕した。


 草を取った。


 水を運んだ。


 兄も、弟も、同じだった。


 そんなある日。


 村に高槻の者が来た。


「高槻では、子供に学問を教えている」


 そんな話だった。


「学んだら、飯を食わせてもらえる」


 与吉は、その言葉を聞いて驚いた。


 飯を食うために働く。


 それなら分かる。


 畑を耕す。


 薪を拾う。


 荷物を運ぶ。


 だが――。


「学んだら飯が食える?」


 兄弟たちは顔を見合わせた。


 半信半疑だった。


 それでも、行ってみた。


 最初は文字もろくに読めなかった。


 筆を持ったこともなかった。


 だが。


 不思議だった。


 文字を覚えることが楽しかった。


 数字が分かるようになると、もっと面白かった。


 物の重さを比べる。


 長さを測る。


 水の量を量る。


 同じものを作れば、同じ結果になる。


 なぜそうなるのかを考える。


 畑を耕すことよりも。


 どうやら、こちらの方が自分には合っていたらしい。


 やがて与吉は高槻研究所に入った。


 最初は雑用だった。


 道具を運ぶ。


 掃除をする。


 記録を写す。


 それでも楽しかった。


 そして今。


 与吉は軍事開発部にいる。


「与吉」


「はい!」


 研究室の奥から声がした。


「昨日の測定結果は?」


「まとめ終わっています!」


 与吉は帳面を持って駆け寄った。


「材料ごとの強度を比較しました。こちらです」


 研究員が帳面を見る。


「ふむ……」


 そこに並んでいるのは、数字ばかりだった。


 鉄の種類。


 加工方法。


 厚さ。


 重量。


 耐久性。


 何度使ったら傷が出たか。


 どの程度の温度で変化したか。


 一見すると、戦とは何の関係もない。


 だが、この研究が後に銃や砲を支えることになる。


 壊れにくい銃。


 壊れにくい砲。


 運びやすい砲架。


 同じ部品を作れる工房。


 同じ品質の火薬。


 同じ大きさの弾。


 一つ一つは地味だった。


 だが――。


 宗一郎は言っていた。


『大きな発明より、大きな仕組みを作れ』


 それが与吉には好きだった。


 ある日の午後。


 軍事開発部の奥に、宗一郎が姿を見せた。


 研究員たちは立ち上がる。


「そのままでいい」


 宗一郎は手を振った。


「研究の途中で立つ必要はない」


 与吉も頭を下げる。


 宗一郎は机の上に並んだ資料を見る。


「測量器具は?」


「試作品を三つ作っています」


「望遠鏡は?」


「まだ倍率を上げると像が歪みます」


「通信は?」


「旗と灯火による符号を試しています」


「火薬は?」


「湿気への対策を研究中です」


 宗一郎は一つ一つ聞いていった。


 そして最後に、与吉の前で止まった。


「金属の研究か」


「はい」


「どうだ?」


「まだ、これという結果は……」


「それでいい」


 宗一郎は即答した。


「急いで答えを出す必要はない」


 与吉は少し驚いた。


 宗一郎は研究員たちを見渡した。


「毛利との戦いまでに、全部完成させる必要はない」


 研究員たちが顔を上げる。


「今は基礎を作る時期だ」


「基礎……」


「そうだ」


 宗一郎は一枚の図面を手に取った。


「銃も砲も、弾薬も、船も、通信も、測量も」


 図面を机へ戻す。


「一つだけ良くても意味がない」


「……」


「全部を繋げて、初めて軍になる」


 与吉はその言葉を聞いていた。


 軍。


 その言葉に、胸の奥が少し重くなる。


 自分の父親も、その軍の一人だった。


 畑を耕していた父。


 家族と飯を食っていた父。


 それが戦になれば槍を持たされ。


 帰ってこなかった。


 与吉は、宗一郎に尋ねた。


「殿」


「ん?」


「殿は……戦が好きなのですか?」


 研究室が静かになった。


 宗一郎はしばらく黙っていた。


「嫌いだ」


 短い答えだった。


「なら……」


 与吉は迷いながら続けた。


「なぜ、こんなものを作るのですか?」


 机の上には、兵器の図面がある。


 銃。


 砲。


 弾薬。


 軍用道具。


 どれも、人を殺すために使えるものだ。


 宗一郎は図面を見つめた。


「俺も、ずっと考えている」


 その声は静かだった。


「戦をなくしたい」


「……はい」


「でも、戦をなくしたいと言っているだけでは、戦国では誰も守れない」


 与吉は黙って聞いた。


「力のない者は、力のある者に踏み潰される」


「……」


「だから力を持つ」


 宗一郎は言った。


「ただし、その力を使って、できるだけ早く戦を終わらせる」


 与吉の目が揺れた。


「戦を短くするために?」


「ああ」


「人を殺すためではなく?」


「殺さずに済むなら、その方がいい」


 宗一郎は研究室の奥にある武器を見た。


「だから、降伏した者を殺さなくて済む武器も必要だ」


「……」


「敵がこちらの力を知って、戦う前に諦めるなら、それが一番いい」


 与吉はしばらく黙っていた。


「それでも……」


「うん」


「おらが作っているものは、人を殺せます」


「そうだな」


 宗一郎は否定しなかった。


「そこから目を逸らすな」


 与吉は顔を上げた。


「武器を作るなら、武器で人が死ぬことを忘れてはいけない」


「……はい」


「だから研究記録には、性能だけじゃなく事故も書け」


「事故を?」


「失敗したことも、壊れたことも、使う人間がどうなったかもだ」


 宗一郎は続けた。


「強い武器を作ることだけを目的にしたら、いつか誰かが止まらなくなる」


 与吉は、その言葉を心に刻んだ。


 宗一郎が去った後。


 研究室には再び、紙をめくる音と工具の音が戻った。


 与吉は一人、机の上の図面を見つめていた。


 自分が作っているのは兵器だ。


 それは変わらない。


 父を奪った戦。


 父を戦場へ送り出した仕組み。


 そして、その戦を終わらせるために、自分は兵器を作っている。


 矛盾している。


 どう考えても、矛盾している。


 それでも。


 与吉は筆を取った。


 測定結果を書き込む。


 次に必要な試験を書く。


 材料の変更案を書く。


 そして最後に、小さく書いた。


『もっと壊れにくくする』


 それから少し考えて、書き直す。


『兵を死なせないために、壊れにくくする』


 与吉は筆を置いた。


 ふと、幼い頃のことを思い出した。


 父が帰ってこなかった夜。


 母が黙って畑へ向かった朝。


 兄弟で高槻へ向かった日。


 あの日、誰かが言った。


 学べば飯が食える。


 その言葉が、自分の人生を変えた。


 もし。


 父が戦で死ななければ。


 もし。


 戦に呼び出されることがなければ。


 もし。


 あの日、家族が戦に巻き込まれなければ。


 自分はもっと違う人生を歩めただろう。


 だからこそ――。


「殿が言う国を……」


 与吉は小さく呟いた。


「おらも、見てみたい」


 戦のない国。


 父を戦で失う子供がいない国。


 学べば飯が食える国。


 生まれた家ではなく、学んだことや働いたことで未来を選べる国。


 それが本当に作れるのなら。


 自分が今作っている兵器にも、意味があるのかもしれない。


 ただし。


 その答えは、まだ分からない。


 だから与吉は研究を続ける。


 今日も。


 明日も。


 毛利との戦いが来る、その日まで。


 そして、その戦いで何が生まれるのかも知らずに。


 高槻軍事開発部では、未来の戦を変えるための小さな研究が、静かに積み重ねられていた。

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