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第二十八章 試される者

第二十八章 試される者


山道を抜けると。


小さな寺が見えてきた。


名も大きくは知られていない。


山裾にひっそりと建ち、近隣の村人が時折訪れる程度の寺だった。


だが。


宗一郎は門を見た瞬間、足を止めた。


「……人がいるな」


半兵衛が宗一郎を見る。


「分かりますか?」


「いや」


宗一郎は首を横に振った。


「ただの勘だ」


源八郎が僅かに笑う。


「その勘が、どこまで当たるか」


「試しているのか?」


「はい」


宗一郎は苦笑した。


「随分と手厳しいな」


「忍びを使う者が、人を見る目を持たぬのでは困りますので」


三人は寺へ入った。


境内には、数人の僧と村人がいた。


そして。


その端に。


一人の男が座っていた。


年は四十前後。


旅装束。


笠を横に置き、茶を飲んでいる。


一見すれば。


ただの旅人だった。


宗一郎は男を見た。


何も分からない。


刀を持っている。


だが、それだけなら珍しくもない。


「どう思います?」


半兵衛が小声で尋ねる。


「分からない」


「正直ですな」


「分からないものを、分かったふりする方が危険だ」


半兵衛は頷いた。


その時。


源八郎が言った。


「では、どうします?」


宗一郎は男から視線を外した。


「見張る」


「それだけですか?」


「まずは」


宗一郎は境内を見回した。


「俺たちが怪しい動きをすれば、向こうも警戒する」


「ならば?」


「俺たちは、何も知らない旅人として振る舞う」


半兵衛が微笑んだ。


「なるほど」


宗一郎は寺の僧に声を掛けた。


「旅の途中でございます。少し休ませていただけますか」


「もちろんです」


三人は境内の一角に腰を下ろした。


男もこちらを見た。


一瞬。


目が合う。


だが。


男はすぐに視線を逸らした。


宗一郎も追わない。


茶を飲む。


何気ない話をする。


天気。


道。


近隣の村。


そして。


「小谷の戦は終わったそうですな」


宗一郎が何気なく口にした。


男の指が。


ほんの僅かに止まった。


宗一郎は見逃さなかった。


半兵衛も気づいたらしい。


だが。


何も言わない。


宗一郎は続けた。


「浅井殿も降伏されたとか」


男は茶を置いた。


「……そのようですな」


初めて口を開いた。


声は低い。


「お詳しい」


宗一郎が言う。


「旅の者ですから、道中で耳にしただけでございます」


「そうですか」


男は笑った。


だが。


その笑みは薄い。


宗一郎は話を変えた。


「近江は、これからどうなるのでしょうな」


男は答えなかった。


「織田が治めるのでしょうか」


その瞬間。


男の目が宗一郎を捉えた。


「……さあ」


短い答え。


宗一郎は確信した。


この男は。


ただの旅人ではない。


だが。


それだけではない。


宗一郎が知りたいのは。


「何者か」ではなく。


「何をしているのか」だった。


だから。


宗一郎は男を追及しなかった。


しばらくして。


三人は寺を出た。


山道へ戻る。


源八郎が口を開いた。


「どうでした?」


「分からない」


源八郎が眉を上げる。


「まだですか」


「ああ」


「では、失敗ですな」


「いや」


宗一郎は笑った。


「まだ始まっていない」


「……?」


宗一郎は歩きながら言った。


「俺が欲しいのは、あの男を見抜くことじゃない」


「では?」


「見抜けなかったことを、誰かが利用するかどうかだ」


源八郎の目が鋭くなる。


「つまり?」


「俺たちが寺を出た後」


宗一郎は立ち止まった。


「誰かが、あの男に接触するかを見る」


半兵衛が微笑んだ。


「なるほど」


源八郎も理解した。


「餌を置いたわけですな」


「そういうことだ」


宗一郎は寺を振り返った。


「情報は、情報そのものより」


「誰が、それに反応したかを見る方が重要なことがある」


半兵衛が頷く。


「そして、それを見る者が必要だと」


「そう」


宗一郎は源八郎を見る。


「俺は自分で全部を見るつもりはない」


「だからこそ」


「俺の代わりに見る者が欲しい」


源八郎はしばらく黙った。


そして。


「……合格です」


宗一郎が笑う。


「何の?」


「私の試験に」


「俺が試されていたのか」


「はい」


源八郎は淡々と言った。


「あなたが、目の前の者を見抜こうとするのか」


「それとも」


「見抜けないことを前提に、仕組みで確かめるのか」


「それを見ていました」


宗一郎は苦笑した。


「最初から言ってくれ」


「言えば試験になりませぬ」


「まあ、それもそうか」


源八郎は一礼した。


「私は、あなたに仕えてみようと思います」


宗一郎は驚いた。


「本当に?」


「はい」


「甲賀の家を捨てるのか?」


「捨てませぬ」


源八郎は答えた。


「私は甲賀の者です」


「なら、なぜ?」


「甲賀を守るためです」


その言葉に。


宗一郎の表情が変わった。


「甲賀を?」


「この地は、強い者が通るたびに戦に巻き込まれる」


「浅井も」


「六角も」


「織田も」


「やがて、また別の者も来るでしょう」


源八郎は山を見た。


「私は、この土地を戦場にしたくない」


宗一郎は静かに頷いた。


「なら」


「俺のところに来い」


「条件があります」


「何だ?」


「甲賀を敵に回さぬこと」


「当然だ」


「甲賀の者を、無用に戦へ出さぬこと」


「約束する」


「そして」


源八郎は宗一郎を見る。


「私を織田家の家臣として扱わぬこと」


宗一郎は少し考えた。


「……俺の家臣になれ、ということになるが?」


「それなら構いませぬ」


「織田ではなく、高槻に?」


「はい」


宗一郎は頷いた。


「分かった」


こうして。


高槻宗一郎の最初の「目」が生まれた。


だが。


一人ではない。


宗一郎はすぐに言った。


「源八郎」


「はい」


「一つ頼みがある」


「何でしょう」


「お前のような人間を、一人ではなく何人か探してほしい」


源八郎は頷いた。


「承知しました」


「ただし」


宗一郎は指を立てた。


「俺の名を大きく出すな」


「なぜ?」


「高槻宗一郎という名前だけで集まる者はいらない」


「俺が欲しいのは」


「金ではなく」


「権力ではなく」


「自分の土地や家族を守るために働ける者だ」


源八郎は微笑んだ。


「難しい注文です」


「だから頼んでいる」


「分かりました」


源八郎は頭を下げた。


「探しましょう」


こうして。


宗一郎の諜報組織は。


まだ名もないまま。


始まった。


――だが。


同じ頃。


寺の中では。


別の動きが起きていた。


先ほどの旅人。


男は茶を飲み終えると立ち上がった。


そして。


僧に礼を言い。


裏手へ向かった。


そこには。


小さな納屋があった。


男は中へ入る。


しばらくして。


別の男が現れた。


「織田の者か?」


旅人が問う。


「違う」


「では?」


「高槻だ」


旅人の顔が変わる。


「……高槻?」


「宗一郎」


その名を聞き。


旅人は眉をひそめた。


「何者だ?」


「分からぬ」


「ならば、なぜ探る?」


「分からぬからだ」


二人の会話を。


屋根の上から聞いている者がいた。


源八郎だった。


彼は二人の会話を聞き終えると。


音もなく姿を消した。


やがて。


宗一郎のもとへ戻る。


「どうでした?」


半兵衛が尋ねる。


源八郎は宗一郎を見る。


「妙なことが分かりました」


「何だ?」


「先ほどの旅人」


「あの男か?」


「はい」


源八郎は頷いた。


「誰かに監視されていました」


宗一郎の表情が変わる。


「……俺たち以外にも?」


「はい」


「誰だ?」


「分かりません」


「追えるか?」


「追います」


宗一郎は頷いた。


「頼む」


源八郎は闇へ消えた。


宗一郎はその背中を見送った。


そして。


小さく呟く。


「……やっぱりいる」


半兵衛が隣に立つ。


「何者でしょうな」


「分からない」


宗一郎は答えた。


「でも」


「一つだけ分かった」


「何です?」


宗一郎は空を見上げる。


「俺たちが誰かを探し始めた瞬間」


「向こうも、俺たちを探し始めた」


その頃。


さらに遠く。


一人の男が山道を歩いていた。


懐には。


新しい文がある。


――高槻宗一郎、甲賀にて鵜飼源八郎を得る。


男はその文を読み。


しばらく考えた。


そして。


「……早いな」


その声は。


誰に向けたものなのか。


まだ。


誰にも分からなかった。

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