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『天下布武、その先へ』―転生者と織田信長が拓いた、誰も知らない日本史―  作者: みなみ


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第百三十一章 長篠への布石――勝頼の決断

第百三十一章 長篠への布石――勝頼の決断


天正三年、春。


甲斐国、躑躅ヶ崎館。


武田勝頼の前には、三河と遠江の地図が広げられていた。


長篠城。


設楽原。


豊川。


そして、幾筋もの山道。


勝頼は、地図の一点を指で押さえた。


「ここか」


傍らに控える山県昌景が頷いた。


「はっ。織田・徳川が大軍を集めるなら、設楽原が有力にございます」


「理由は」


「広い。兵を並べやすく、背後の道も確保しやすい。何より、長篠城を救うには通らねばならぬ場所です」


勝頼は黙っていた。


以前、高槻宗一郎から届いた書状。


そこには、長篠付近で何者かが地形を調べていると記されていた。


勝頼は当初、織田の謀略を疑った。


だが、独自に調べさせた結果、確かに不審な者たちが動いていた。


彼らは織田の者とも、徳川の者とも断定できなかった。


そして、武田の者でもなかった。


「昌景」


「はっ」


「高槻は、何を知っておると思う」


昌景は少し考えた。


「我らが知らぬ何かを知っておるのでしょう」


「それだけか」


「あるいは、知っていると思わせたいのかもしれませぬ」


勝頼は笑った。


「どちらにせよ、厄介な男だ」


そこへ、馬場信春が入ってきた。


「殿。三河の情勢が動いております」


「申せ」


「徳川家康が、長篠城への兵糧搬入を進めております。城を守る構えにございます」


勝頼は地図を見た。


「長篠を守るか」


「はっ」


「ならば、攻める価値がある」


昌景が顔を上げた。


「殿。長篠を攻めるのですか」


「攻める」


勝頼は即答した。


「ただし、織田の望む場所では戦わぬ」


その言葉に、昌景と信春が視線を交わした。


勝頼は続けた。


「長篠城を囲めば、家康は動く。家康が動けば、信長も動く」


「その通りにございます」


「だが、こちらが設楽原へ出る必要はない」


勝頼は地図の北側を指した。


「山を使う」


昌景が身を乗り出した。


「山道を?」


「そうだ」


勝頼は笑った。


「織田が平地に鉄砲を並べるなら、我らは山から戦を始める」


◆


三河国、長篠城。


奥平貞昌は、城の物見櫓から周囲の山々を見渡していた。


長篠城は、豊川と宇連川が合流する地点に築かれた城である。


三方を川と断崖に守られ、正面から攻めるには厳しい地形だった。


だが、守りが堅いということは、逃げ道も限られるということだった。


「武田が来る」


貞昌は呟いた。


家臣が尋ねる。


「確かな報せにございますか」


「確かだ」


貞昌は遠くの山道を見た。


「武田の兵が、すでに三河へ入っておる」


家臣は顔を引き締めた。


「兵糧は」


「しばらくは持つ」


「援軍は」


「家康様へ使いを出した」


貞昌は静かに言った。


「だが、援軍が来るまで持ちこたえねばならぬ」


その時、見張りが叫んだ。


「敵影!」


山の向こうに、赤い旗が見えた。


武田の軍勢だった。


◆


岐阜城。


長島の戦いから戻った宗一郎は、信長の前に立っていた。


信長は、三河から届いた書状を読んでいた。


「勝頼が動いた」


「はい」


「長篠を攻めるそうだ」


宗一郎は頷いた。


「予想していた通りです」


「だが、史実と同じにはならぬのであろう」


信長の声は低かった。


宗一郎は、信長だけに聞こえるよう答えた。


「はい。勝頼には、長篠付近の不審な動きを知らせています」


「お前が知らせたのだったな」


「はい」


「敵に塩を送ったか」


信長は笑った。


だが、その目は笑っていなかった。


「なぜだ」


宗一郎は答えた。


「勝頼が、何者かの仕掛けた戦場へ誘い込まれるのを防ぐためです」


「敵が勝手に罠へ入るなら、好都合ではないか」


「罠を仕掛けたのが、織田ではないからです」


信長は黙った。


宗一郎は続けた。


「誰かが、織田と武田を戦わせようとしています」


「十二使徒か」


「その可能性があります」


信長は扇を閉じた。


「ならば、そやつらの思い通りにはせぬ」


宗一郎は頷いた。


「はい」


「だが、勝頼を討つ機会を逃すつもりもない」


信長は立ち上がった。


「武田が長篠を攻めるなら、儂は救いに行く」


宗一郎は深く頭を下げた。


「御意」


信長は、地図の設楽原を指した。


「ここで戦う」


宗一郎は顔を上げた。


「殿」


「何だ」


「勝頼は、正面から来ないかもしれません」


「ならば、どこから来る」


宗一郎は地図の北側を指した。


「山です」


信長の目が細くなった。


「山か」


「はい。武田は、山道を使って我らの側面を狙う可能性があります」


信長はしばらく地図を見つめた。


そして、静かに笑った。


「面白い」


宗一郎が顔を上げる。


「ならば、山にも兵を置こう」


信長は扇を開いた。


「勝頼が考えるなら、儂も考えるまでだ」


◆


遠江国、浜松城。


徳川家康は、長篠から届いた急報を読んでいた。


「勝頼が、長篠を囲んだか」


酒井忠次が頷いた。


「はっ。奥平貞昌殿は、城に籠もっております」


「兵は」


「五百ほどにございます」


家康は顔をしかめた。


「五百か」


長篠城は堅い。


だが、武田の大軍に囲まれれば、長くは持たない。


「信長殿へ使いを出せ」


「すでに出しております」


「ならば、我らも動く」


家康は立ち上がった。


「長篠を失えば、三河の奥が危うくなる」


忠次が頭を下げた。


「御意」


家康は地図を見た。


設楽原。


長篠城。


鳶ヶ巣山。


その地形を見つめながら、家康は呟いた。


「勝頼め。今度は、何を考えておる」


◆


長篠城を囲む武田軍。


勝頼は、城を見下ろす高台に立っていた。


眼下には、豊川と宇連川が流れている。


城は、二つの川に守られていた。


正面から攻めれば、損害が大きい。


勝頼は、城を急攻しなかった。


代わりに、周囲の道を押さえ、兵糧を断つ。


そして、別の兵を山へ動かしていた。


山県昌景が進み出た。


「殿。山道の調査が終わりました」


「どうだ」


「通れます。ただし、大軍は無理にございます」


「何人なら」


「千、あるいは二千。ただし、道が狭く、馬は使いにくいかと」


勝頼は頷いた。


「十分だ」


昌景が尋ねた。


「何をなさるおつもりですか」


勝頼は地図を指した。


「織田が設楽原に陣を敷くなら、正面は牽制に留める」


「そして」


「山から、織田の背後へ回る」


昌景は少し考えた。


「兵糧道を断つのですか」


「そうだ」


勝頼は笑った。


「織田は鉄砲を並べるだろう。だが、鉄砲は米を食わぬ代わりに、火薬を食う」


昌景も笑った。


「火薬を運べなくすれば、ただの棒ですな」


「その通り」


勝頼は、さらに続けた。


「そして、家康が動けば、そちらも叩く」


信春が口を開いた。


「殿。織田と徳川を同時に相手にするのは危険にございます」


「分かっておる」


勝頼は頷いた。


「だから、同時には戦わぬ」


信春が顔を上げた。


「一方を引きつけ、もう一方を叩く」


勝頼は地図の一点を指した。


「まず、徳川だ」


◆


数日後。


設楽原に、織田・徳川連合軍が集まり始めた。


信長は、地形を見ていた。


前方には緩やかな丘。


その先に連吾川が流れる。


川の向こうには、武田軍が進んでくる可能性がある。


宗一郎は、信長の隣に立っていた。


「殿」


「何だ」


「ここは、史実では織田・徳川が勝った場所です」


「知っておる」


「ですが、今回は違います」


「勝頼が、山から来るか」


「はい」


信長は地図を見た。


「ならば、山を押さえる」


宗一郎は頷いた。


「ただし、すべての山道を守ることはできません」


「どうする」


宗一郎は、半兵衛を見た。


半兵衛が静かに答えた。


「敵が通りそうな道を、こちらで選びます」


信長の目が細くなった。


「誘い込むか」


「はい」


半兵衛は地図の上に木札を置いた。


「武田が山を使うなら、山で迎え撃ちます」


信長は笑った。


「よかろう」


そして、諸将へ命じた。


「設楽原に陣を敷け。だが、正面だけを見るな」


信長の声が響いた。


「勝頼が山から来るなら、山で討つ!」


◆


夜。


設楽原の織田陣では、鉄砲の整備が進められていた。


火縄。


火薬。


鉛玉。


そして、馬防柵。


宗一郎は、半兵衛とともに陣地を歩いていた。


「半兵衛殿」


「はい」


「勝頼は、史実よりも慎重です」


「でしょうな」


「こちらの準備を見れば、正面からは来ないでしょう」


「ならば、こちらも待つだけではいけません」


半兵衛は、遠くの山を見た。


「戦は、すでに始まっています」


宗一郎は頷いた。


長篠の戦い。


史実では、織田・徳川連合軍が武田軍を破った戦いとして知られる。


だが、この世界では、勝頼はすでに未来の危険を知っている。


織田もまた、勝頼の動きを警戒している。


互いに相手の策を読み、地形を利用し、勝つための準備を進めていた。


そして、その夜。


設楽原の北側の山道を、武田の兵が静かに進んでいた。


先頭に立つのは、山県昌景。


その数、千五百。


彼らは、織田の背後へ回り込もうとしていた。


だが、その動きを、別の者たちも見ていた。


山中の闇に、二つの影があった。


一人が、小さく呟く。


「武田が動いた」


もう一人が答えた。


「予定通りだ」


その手には、二本の横線と小さな円が刻まれた木札が握られていた。


十二使徒。


彼らは、なお戦の裏側で動いていた。


そして、その目的は、織田でも武田でもなかった。


両者を戦わせ、互いの力を削ぐこと。


そのために、長篠の地形を調べ、情報を流していた。


だが、彼らはまだ知らなかった。


高槻宗一郎もまた、その動きを追っていることを。


長篠の戦いは、目前に迫っていた。


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