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『天下布武、その先へ』―転生者と織田信長が拓いた、誰も知らない日本史―  作者: みなみ


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第百二十四章 六月二日では遅い

第百二十四章 六月二日では遅い


 京。


 宗一郎が。


 御所へ戻ったのは。


 翌日の昼だった。


 帝の前。


 一枚の紙。


 ――六月二日では遅い。


 宗一郎は。


 読んだ。


 もう一度。


 読んだ。


 そして。


 紙を置いた。


「どう思う」


 帝が聞く。


 宗一郎は。


 すぐには答えなかった。


「怖いです」


「ほう」


「でも」


 宗一郎は。


 紙を指で押さえた。


「これだけじゃ」


「足りない」


「何が」


「証拠が」


 帝の目が。


 僅かに細くなる。


「本能寺」


「天正十年六月二日」


「それに対して」


「六月二日では遅い」


「偶然にしては」


「出来すぎています」


「ならば」


「未来を知る者がいると?」


「それを」


「今決めたら負けです」


 帝は。


 黙った。


「敵は」


「俺たちに」


「そう思わせたいだけかもしれない」


「玄蕃から」


「何か漏れたかもしれない」


「信長様か」


「半兵衛から」


「どこかへ漏れた可能性だってある」


「あるいは」


「俺自身が」


「知らないところで」


「何か痕跡を残した」


「だから?」


 宗一郎は。


 紙を裏返した。


「もう一度」


「試します」


     ◆


 岐阜。


 信長は。


 報告を聞いて。


 笑わなかった。


「六月二日では遅い、か」


「はい」


「気味が悪いな」


「殿でも」


「そう思います?」


「儂を何だと思っておる」


「怖いものがない人」


「ある」


「何です」


「退屈だ」


「聞いた俺が馬鹿でした」


 信長が。


 鼻で笑う。


 だが。


 すぐ。


 顔が変わった。


「宗一郎」


「はい」


「お前は」


「どう見る」


「まだ」


「未来を知っているとは」


「決めません」


「何故だ」


「敵が」


「俺たちに」


「そう思わせようとしている可能性があるからです」


「ほう」


「もし」


「向こうに本当に未来人がいるなら」


「一番怖いのは」


「知識じゃない」


「何だ」


「俺たちが」


「未来を知っている相手だと」


「勝手に思い込むことです」


 信長の目が。


 細くなる。


「どういう意味だ」


「例えば」


「相手が」


「六月二日では遅い」


「と書く」


「俺たちは」


「本能寺の変を知っている」


「だから」


「六月一日以前に何かある」


「そう考える」


「うむ」


「それだけで」


「相手は」


「俺たちの兵を動かせる」


 信長の顔から。


 笑みが消えた。


「なるほど」


「未来を知っているふりをするだけで」


「未来を知る者を動かせる」


「はい」


「俺なら」


「やります」


「嫌な奴だな」


「殿に言われたくないです」


「それで」


「次は」


「何を餌にする」


 宗一郎は。


 首を振った。


「未来は」


「もう使いません」


「何?」


「逆です」


 宗一郎が。


 信長を見る。


「向こうに」


「未来を出させます」


     ◆


 伊勢。


 牢。


 佐久間玄蕃は。


 宗一郎を見るなり。


 口元を上げた。


「帰ったか」


「はい」


「京はどうだった」


「それを」


「あなたに話すと思います?」


「話したくて」


「来た顔をしている」


「そう見えます?」


「見える」


 宗一郎は。


 玄蕃の前へ座った。


「一つ」


「聞きます」


「何だ」


「六月二日では遅い」


 玄蕃の顔。


 動かない。


 宗一郎は。


 続ける。


「この言葉に」


「心当たりは?」


「ない」


「本当に?」


「ああ」


「じゃあ」


「もう一つ」


 宗一郎は。


 玄蕃を見る。


「天正十年六月二日」


 玄蕃の目が。


 僅かに細くなった。


「何の日です」


「知らぬ」


「本能寺」


 今度は。


 玄蕃が。


 笑った。


「なるほど」


「何が?」


「そういうことか」


「何が」


「お前は」


「未来を知る者を」


「探している」


 宗一郎は。


 答えない。


「俺の質問に」


「答えてください」


「知らぬ」


「では」


「六月二日では遅い」


「と言った者は」


「あなたより」


「上ですか」


 玄蕃の笑みが。


 消えた。


「知らぬと言った」


「あなた」


「前に言いましたよね」


「上から来る文には」


「その人しか知り得ないことが」


「一つ入っている」


「ああ」


「それは」


「未来の出来事だけ?」


 玄蕃が。


 黙る。


「違いますよね」


 宗一郎は。


 身を乗り出さない。


 声も。


 荒げない。


「人の秘密」


「過去」


「誰と会ったか」


「誰を裏切ったか」


「誰から金を受け取ったか」


「そういうものでも」


「いいんじゃないですか」


 玄蕃の目が。


 宗一郎を見る。


「だから」


「上が未来を知っているとは」


「限らない」


「調べる力が」


「異常に強いだけかもしれない」


 沈黙。


「玄蕃」


「何だ」


「あなたも」


「上を怖がってるんですね」


「……」


「違うなら」


「笑ってください」


 玄蕃は。


 笑わなかった。


     ◆


 宗一郎が。


 立つ。


「もう一つ」


「何だ」


「鷺は」


「あなた一人じゃない」


「そう言いましたね」


「ああ」


「善右衛門も」


「一人じゃなかった」


 玄蕃の眉が。


 僅かに動く。


「役目です」


「文を渡す」


「銭を渡す」


「人を渡す」


「そういう役」


 玄蕃は。


 黙る。


「なら」


「鷺も」


「名前じゃない」


 宗一郎は。


 玄蕃を見る。


「役でしょう」


 長い。


 沈黙。


 やがて。


 玄蕃が。


 息を吐いた。


「半分」


「何が」


「半分だけ」


「正しい」


「残り半分は?」


「鷺は」


「見る者だ」


「何を」


「国を」


「人を」


「戦を」


「何のために」


「上へ知らせる」


「誰が勝つか」


「誰が負けるか」


「誰が裏切るか」


「誰が」


「これから伸びるか」


 宗一郎の顔が。


 変わった。


「未来を」


「予測するため?」


 玄蕃が。


 宗一郎を見る。


「未来は」


「知るものではない」


「読むものだ」


 宗一郎は。


 黙った。


「お前が」


「未来を知っていると」


「上が考えたのも」


「同じだ」


「何故」


「お前は」


「当てすぎた」


 その言葉は。


 宗一郎が。


 ずっと。


 恐れていたものだった。


「桶狭間」


 玄蕃が言う。


「金ヶ崎」


「浅井」


「朝倉」


「病」


「火薬」


「兵糧」


「道」


「海」


「お前は」


「起きてから備えるのではない」


「起きる前から」


「備える」


「一度なら」


「才覚」


「二度なら」


「運」


「だが」


「何度も続けば」


「誰かは考える」


「こいつは」


「何を見ている、と」


 宗一郎は。


 何も言わない。


「だから」


「未来を知っている」


「という文が来た?」


「ああ」


「いつ」


 玄蕃は。


 答えなかった。


「いつです」


「比叡山より」


「後だ」


「誰から」


「知らぬ」


「その文は」


「残ってる?」


「燃やした」


「内容は」


 玄蕃は。


 宗一郎を。


 じっと見る。


「高槻宗一郎を」


「殺すな」


 宗一郎の。


 呼吸が止まった。


「……何?」


「殺してはならぬ」


「近づけ」


「見ろ」


「何を知っているか」


「確かめろ」


「そう書いてあった」


「誰が」


「だから」


「知らぬ」


「何のために」


「それも」


「書いていなかった」


 宗一郎の声が。


 低くなる。


「冬姫様は」


「殺そうとした」


「ああ」


「信長様も」


「争いへ巻き込もうとした」


「ああ」


「なのに」


「俺は殺すな?」


「そうだ」


「何で」


「知らぬ」


 宗一郎は。


 立った。


「それ」


「最初に言えよ」


 玄蕃が。


 僅かに笑う。


「聞かれなかった」


 宗一郎の手が。


 机を叩いた。


 鈍い音。


「ふざけるな」


 玄蕃の笑みが。


 消える。


「新吉が死んだ」


「又八も死んだ」


「冬姫様も」


「殺されかけた」


「信長様と勝頼を」


「戦わせようとした」


「顕如を嵌めた」


「それで」


「俺だけ殺すな?」


 宗一郎は。


 玄蕃の胸倉を。


 掴まなかった。


 掴みたい。


 それでも。


 手を止めた。


「俺を」


「何に使うつもりだった」


「知らぬ」


「じゃあ」


「考えろ」


「何?」


「あなたは」


「人を読むのが仕事だったんでしょう」


 宗一郎の目が。


 冷たくなる。


「考えろ」


「上は」


「俺を」


「何に使うつもりだった」


 玄蕃は。


 初めて。


 視線を逸らした。


     ◆


 その日の夕刻。


 半兵衛が。


 宗一郎の報告を。


 最後まで聞いた。


「殺すな」


「ですか」


「はい」


「いつ頃から」


「比叡山の後」


 半兵衛が。


 目を閉じる。


「宗一郎様」


「玄蕃は」


「嘘をついている可能性があります」


「分かっている」


「ですが」


「本当なら」


「話が変わります」


「はい」


 半兵衛が。


 机の上へ。


 三枚の札を置いた。


 一枚目。


 冬姫。


 二枚目。


 信長。


 三枚目。


 宗一郎。


「冬姫様は」


「消そうとした」


「信長様は」


「直接殺すより」


「孤立させ」


「争わせようとした」


「宗一郎殿は」


「殺すな」


 半兵衛が。


 四枚目を置く。


 天下鎮護職。


「そして」


「これは」


「信用を殺そうとした」


 宗一郎が。


 札を見る。


「人によって」


「攻め方が違う」


「はい」


「では」


「上と呼ばれる者は」


「何を壊したいのでしょう」


「織田?」


「それなら」


「宗一郎殿を殺すのが」


「一番早い」


「朝廷?」


「それなら」


「冬姫様より」


「帝を狙うべきです」


「キリスト教を広めたい?」


「信仰を持たぬ者だと」


「玄蕃は言っております」


「じゃあ」


「何なんだ」


 半兵衛は。


 しばらく。


 答えなかった。


 そして。


「もしかすると」


「壊したいのでは」


「ないのかもしれません」


「え?」


「作りたい」


 宗一郎が。


 半兵衛を見る。


「何を」


「分かりません」


「ですが」


「宗一郎殿を殺さず」


「観察し」


「利用しようとしたのなら」


「敵は」


「ただ昔へ戻したいのではない」


 半兵衛が。


 札を。


 一つ。


 裏返す。


「自分の望む形へ」


「この国を」


「変えたいのでは」


 宗一郎の背筋に。


 嫌なものが走った。


 それは。


 自分と。


 同じだった。


     ◆


 京。


 その頃。


 古き影は。


 紙問屋で。


 天正十年の暦を尋ねた男を。


 追っていた。


 男は。


 名を変えた。


 宿を変えた。


 服も。


 変えた。


 だが。


 顔は。


 変えられない。


 歩き方も。


 癖も。


 変えられない。


「南へ」


 若い影が。


 囁く。


 老人が。


 頷く。


 男は。


 京を出た。


 伏見。


 さらに。


 南。


 街道を外れた。


 小さな農家。


 そこへ入る。


 影は。


 待った。


 日が落ちる。


 男が。


 出る。


 一人ではない。


 もう一人。


 女。


 三十前後。


 旅装。


 顔は。


 どこにでもいる。


 商家の女中にも。


 旅商人の妻にも。


 見える。


 男が。


 女へ。


 何かを渡す。


 紙。


 女は。


 読まない。


 懐へ入れる。


 そして。


 二人は。


 別れた。


 老人が。


 指を動かす。


 若い影。


 二手。


 男。


 女。


 追う。


 老人は。


 女を選んだ。


     ◆


 翌朝。


 女は。


 宇治を越えた。


 さらに。


 南へ。


 奈良へは。


 行かない。


 東へ。


 伊賀。


 老人の目が。


 細くなる。


 甲賀ではない。


 伊賀。


 山へ入る。


 ここから先。


 下手に追えば。


 こちらが狩られる。


 だが。


 老人は。


 止まらなかった。


 二刻。


 三刻。


 女が。


 峠を越える。


 小さな庵。


 人里から。


 離れている。


 女が。


 戸を叩く。


 一度。


 二度。


 長く。


 一度。


 戸が開く。


 老人は。


 木々の隙間から。


 見る。


 出てきたのは。


 男。


 老人。


 ではない。


 若い。


 二十代。


 武士にも。


 僧にも。


 商人にも。


 見えない。


 粗末な着物。


 髪も。


 普通。


 特徴がない。


 女が。


 紙を渡す。


 男は。


 開く。


 読む。


 そして。


 初めて。


 声が聞こえた。


「六月二日では」


「届かなかったか」


 影の老人の。


 指が止まる。


 女が。


 答える。


「食いつきました」


「誰が」


「帝」


 男は。


 首を振った。


「違う」


「え?」


「帝ではない」


 紙を。


 火へ入れる。


「高槻だ」


 老人の目が。


 鋭くなる。


「何故」


「分かるのです」


 女が聞く。


 男は。


 燃える紙を見る。


「本能寺を」


「餌にするのは」


「信長でも」


「帝でもない」


 紙が。


 黒くなる。


「未来を」


「知っている者だ」


 女が。


 黙る。


「では」


「高槻宗一郎は」


「やはり」


「まだ」


 男が遮った。


「決めるな」


 影の老人の。


 表情が。


 初めて。


 変わった。


 同じだ。


 宗一郎と。


 同じことを。


 言った。


「確かめる」


「どうやって」


 男は。


 火の中へ。


 細い木を。


 一本。


 落とした。


「次は」


「こちらから」


「未来を置く」


「何を」


 男は。


 答えた。


「武田信玄は」


「もう死んだ」


「それは」


「皆が知り始めています」


「ああ」


「だから使わぬ」


「では」


 男は。


 少し考え。


 笑った。


「長篠」


 老人の耳に。


 その二文字が。


 届いた。


 意味は。


 分からない。


 だが。


 覚えた。


「長篠?」


 女も。


 知らない。


「何です」


「場所だ」


「三河の?」


「ああ」


「そこで」


 男は。


 言いかけた。


 その時。


 鳥が。


 一羽。


 飛んだ。


 男の顔が。


 変わった。


「待て」


 女が。


 振り返る。


「どうしました」


 男は。


 戸の外を見る。


「鳥が」


「何です」


「二度」


「同じ枝から飛んだ」


 影の老人が。


 刀へ。


 手を伸ばした。


 気づかれた。


「退け」


 小さく。


 命じる。


 だが。


 遅かった。


 庵の裏。


 音。


 三人。


 いや。


 四人。


 伏せていた。


「囲まれた」


 若い影が。


 囁く。


 老人が。


 即座に決める。


「西を破る」


「女は?」


「捨てろ」


「男は」


「顔を覚えた」


「今は」


「生きて戻る」


 庵から。


 矢。


 一本。


 木へ刺さる。


「走れ!」


 影が。


 動いた。


     ◆


 山中。


 刃。


 土。


 木。


 息。


 古き影と。


 名もなき者たちが。


 ぶつかった。


 一人。


 若い影が。


 肩を斬られる。


「行け!」


「しかし!」


「報せを」


「持ち帰れ!」


 老人が。


 前へ出る。


 敵。


 一人。


 刀。


 受ける。


 払う。


 老人の刃が。


 相手の脇腹へ入る。


 浅い。


 倒れない。


 別の敵。


 横。


 若い影が。


 体当たり。


 二人で。


 斜面を転がる。


「爺!」


 初めて。


 呼ばれた。


 老人が。


 振り返る。


 若い影の胸へ。


 短刀。


 刺さっていた。


「行け!」


 血を吐きながら。


 若者が。


 敵を抱く。


「帝へ!」


 老人は。


 止まらなかった。


 止まれば。


 二人とも死ぬ。


 走る。


 枝が。


 顔を裂く。


 足が。


 泥へ沈む。


 後ろ。


 足音。


 一人。


 追ってくる。


 老人は。


 急に。


 止まった。


 振り返る。


 追手が。


 予想せず。


 一歩。


 遅れる。


 老人の刀が。


 喉へ。


 入った。


 血。


 倒れる。


 老人は。


 そのまま。


 走った。


     ◆


 二日後。


 京。


 帝の前。


 老人は。


 片膝をついていた。


 顔。


 傷。


 左腕。


 布。


「一人」


「失いました」


 帝は。


 黙る。


「名は」


 老人が。


 顔を上げる。


 帝の影に。


 表の名はない。


 だが。


 生まれた時から。


 名がなかったわけではない。


「清次郎」


「歳は」


「二十四」


「家族は」


「母が」


「近江に」


 帝は。


 目を閉じた。


 一瞬。


 それだけ。


「母へ」


「金を」


「余から出す」


「理由は」


「言えぬな」


「は」


「なら」


「病で死んだことにせよ」


「ただし」


「金は」


「生涯困らぬように」


「御意」


 帝の目が。


 開く。


「それで」


「何を聞いた」


 老人は。


 答えた。


「高槻宗一郎の名」


「そして」


「一つ」


「聞き慣れぬ地名を」


「何だ」


「長篠」


 帝の指が。


 止まった。


 ほんの。


 一瞬。


 老人は。


 それを。


 見逃さなかった。


 だが。


 何も言わない。


「他には」


「武田信玄は」


「もう死んだ」


「それは」


「知っておる」


「男は」


「それでは足りぬと」


「申しました」


「そして」


「次はこちらから」


「未来を置く、と」


 帝の顔から。


 完全に。


 表情が消えた。


「男の顔は」


「覚えております」


「描け」


「は」


「宗一郎へ」


「知らせますか」


「知らせる」


「信長へは」


 帝は。


 一瞬。


 黙った。


 そして。


「宗一郎から」


「伝えさせよ」


「御意」


 老人が。


 下がろうとする。


「待て」


「は」


「清次郎を」


「置いてきた場所は」


「覚えているか」


「は」


「連れ戻せ」


 老人が。


 帝を見る。


「亡骸を?」


「ああ」


「影だからと」


「土へ捨ててよい命ではない」


「必ず」


「母の元へ返せ」


 老人が。


 深く。


 頭を下げた。


「御意」


     ◆


 伊勢。


 その報せを。


 宗一郎は。


 半兵衛と共に聞いた。


「長篠」


 半兵衛が。


 宗一郎を見る。


「ご存じですか」


 宗一郎は。


 すぐには。


 答えなかった。


 知っている。


 あまりにも。


 知っている。


 織田。


 徳川。


 武田。


 鉄砲。


 馬防柵。


 三段撃ち。


 そして。


 武田の名将たちが。


 数多く死ぬ。


 天正三年。


 長篠の戦い。


 ただし。


 宗一郎は。


 知っていた。


 自分が学んだ歴史の中でも。


 後世のイメージと。


 実際の戦いには。


 違いがあることを。


「知っています」


「未来の」


「はい」


 半兵衛の目が。


 細くなる。


「いつ」


「天正三年」


「相手は」


「武田勝頼」


「そして」


「織田と徳川」


 部屋が。


 静かになった。


「結果は」


「武田の大敗」


 半兵衛が。


 息を吐く。


「では」


「向こうは」


「本当に」


「未来を」


「まだ」


 宗一郎が。


 止めた。


「決めません」


 半兵衛が。


 宗一郎を見る。


「ここまででも?」


「だからこそです」


 宗一郎は。


 立った。


「長篠は」


「これから起きる」


「なら」


「今から」


「変えられる」


「何をなさる」


 宗一郎は。


 地図を。


 広げた。


 甲斐。


 三河。


 尾張。


 そして。


 長篠。


 指を置く。


「勝頼に」


「知らせます」


 半兵衛が。


 目を見開いた。


「長篠を?」


「違います」


「では」


「敵が」


「長篠という地名を」


「こちらへ投げてきた」


「それだけ」


「しかし」


「勝頼殿に伝えれば」


「未来が変わる可能性が」


「変えます」


 宗一郎は。


 即答した。


「敵が」


「未来を武器にするなら」


「その未来を」


「壊す」


「……」


「本当に」


「未来を知っている奴なら」


 宗一郎の指が。


 長篠から。


 離れる。


「自分の知っている未来が」


「一つ消えた時」


「必ず」


「動く」


 半兵衛の目が。


 変わった。


「なるほど」


「次に見るのは」


「長篠ではない」


「はい」


 宗一郎は。


 笑わなかった。


「未来を」


「当てる勝負なんて」


「しません」


「そんなもの」


「相手の土俵だ」


 筆を取る。


「俺たちがやるのは」


「逆です」


 紙へ。


 一行。


 書く。


 ――武田勝頼殿。


「知っている未来を」


「片っ端から」


「使えなくしてやる」


 宗一郎は。


 筆を止めた。


「未来は」


「守るものじゃない」


「変えるものです」


 その夜。


 甲斐へ向け。


 一人の使者が。


 伊勢を発った。


 織田と武田は。


 敵のまま。


 和睦もしない。


 同盟もしない。


 だが。


 宗一郎は。


 武田勝頼へ。


 一つだけ。


 知らせることにした。


 ――長篠を。


 見ている者がいる。


 それだけを。


 そして。


 もし。


 向こう側に。


 本当に。


 未来を知る者がいるのなら。


 この一手は。


 必ず。


 その者の知る歴史を。


 狂わせる。


 未来を知る者同士の戦い。


 宗一郎は。


 そんなものを。


 始めるつもりはなかった。


 だからこそ。


 未来そのものを。


 盤上から。


 ひっくり返すことにした。

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