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『天下布武、その先へ』―転生者と織田信長が拓いた、誰も知らない日本史―  作者: みなみ


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第百二十三章 知っている者

第百二十三章 知っている者


 京へ向かう道中。


 宗一郎は。


 ほとんど喋らなかった。


 後ろには。


 甲賀の者が二人。


 距離を置いて。


 ついてきている。


 だが。


 宗一郎の頭にあるのは。


 彼らではなかった。


 ――未来を知る者が。


 ――一人だけだと。


 ――誰が決めた。


「……くそ」


 思わず。


 声が漏れた。


 玄蕃の言葉を。


 そのまま信じるつもりはない。


 あの男は。


 人の心へ。


 針を刺す。


 すぐには痛まない。


 歩いているうちに。


 少しずつ。


 奥へ入ってくる。


 そういう話し方をする。


 だから。


 考えなければいい。


 ――とは。


 ならない。


 宗一郎自身が。


 未来から来た人間なのだから。


 そして。


 もう一人。


 知っている。


 帝。


 この時代に。


 未来の記憶を持って生きている人間が。


 自分だけではないことを。


 宗一郎は。


 すでに知っている。


 ならば。


 三人目がいても。


 おかしくない。


「いや」


 宗一郎は。


 首を振った。


「そこから考えるな」


 玄蕃の言葉に。


 思考を引っ張られている。


 まず。


 事実。


 敵は。


 宗一郎について。


 普通なら知らないことを。


 知っている可能性がある。


 それだけだ。


 未来人がいる。


 そう決めるのは。


 その後でいい。


     ◆


 京。


 夕刻。


 宗一郎は。


 御所へ入った。


 甲賀の二人は。


 外へ残した。


 本当に。


 一人で。


 帝の前へ出る。


「参りました」


「早かったな」


「急げと」


「書いてありましたので」


「そうであったな」


 帝は。


 人を下がらせた。


 残ったのは。


 二人だけ。


 いや。


 宗一郎には。


 見えない場所に。


 古き影がいるのだろう。


 それでも。


 帝は。


 宗一郎の前では。


 気にする様子を見せなかった。


「まず」


 帝が言った。


「京で一つ潰した」


 宗一郎が。


 顔を上げる。


「十二使徒ですか」


「その名を」


「捨てようとしている者たちだ」


「……玄蕃の言った通りか」


「何?」


「いえ」


「後で話します」


 帝は。


 薬種屋。


 茶屋。


 偽書。


 天下鎮護職を。


 織田の謀略に見せかける計画。


 そして。


 ――上。


 そこまでを。


 話した。


 宗一郎の顔から。


 途中で。


 表情が消えた。


「危なかった」


「ああ」


「偽書が」


「一通でも届いていたら」


「すぐ戦にはならなくても」


「疑いは残る」


「武田も」


「徳川も」


「毛利も」


「顕如も」


「もともと信長様を」


「信用してるわけじゃない」


「だから狙ったのであろう」


 帝が言う。


「信頼を壊すのに」


「大きな嘘はいらぬ」


「小さな疑いを」


「本物の文へ混ぜればよい」


 宗一郎は。


 苦い顔をした。


「嫌なやり方だ」


「効くからな」


「はい」


「それで」


 帝が。


 宗一郎を見る。


「玄蕃が」


「何と言った」


 宗一郎は。


 少し迷った。


 だが。


 隠す理由はない。


「十二使徒を」


「今の形にした者は」


「ディオゴではないと」


「うむ」


「その人物は」


「神を信じていない」


「玄蕃自身も」


「会ったことがない」


「命令は」


「毎回違う者が運ぶ」


「印もない」


「では」


「何故」


「命令だと分かる」


 宗一郎は。


 帝を見る。


「その者しか」


「知り得ないことが」


「文に一つ入っている」


 帝の目が。


 僅かに細くなる。


「例えば」


「俺が」


 宗一郎は。


 ゆっくり言った。


「未来を知っているかもしれない」


「ということ」


 帝は。


 動かなかった。


 驚きもしない。


 宗一郎は。


 その顔を見る。


「陛下」


「何だ」


「心当たりが?」


「ない」


 即答。


「では」


「驚かれないんですか」


「驚いている」


「見えません」


「帝が」


「いちいち顔に出してどうする」


「……それは」


「そうですが」


 帝は。


 立ち上がった。


 そして。


 宗一郎の前を。


 ゆっくり歩く。


「宗一郎」


「はい」


「余とお前は」


「同じ未来から来たとは」


「限らぬ」


 宗一郎の目が。


 動いた。


「どういう意味です」


「そのままだ」


「余が死んだ時代と」


「お前が死んだ時代」


「同じ年であったか?」


「……」


 宗一郎は。


 答えられない。


 詳しく。


 照らし合わせたことはない。


「余は」


「歴史を学んだ」


「お前は」


「歴史だけではない」


「技術」


「医学」


「経済」


「知っていることが違う」


「はい」


「なら」


 帝は。


 宗一郎を見る。


「三人目がいたとしても」


「我らと同じ未来を」


「見ているとは限らぬ」


 宗一郎は。


 黙った。


 そこまで。


 考えていなかった。


「ただし」


 帝が続ける。


「今は」


「三人目がいると」


「決めるな」


「……はい」


「玄蕃の言葉一つで」


「化け物を作るな」


「敵が」


「お前を調べただけかもしれぬ」


「信長から漏れた可能性」


「半兵衛から漏れた可能性」


「お前自身が」


「知らぬうちに何かを口にした可能性」


「未来の知識を使った結果から」


「推測された可能性」


「全部ある」


「はい」


「一つずつ潰せ」


 宗一郎は。


 苦笑した。


「陛下」


「何だ」


「俺が言いそうなこと」


「先に言わないでください」


「遅い」


 帝は。


 僅かに笑った。


 だが。


 すぐ。


 その笑みが消える。


「もう一つある」


「何です」


「茶屋で捕らえた男だ」


「何か吐きましたか」


「名を」


「名?」


「上の者ではない」


「次に文を受け取るはずだった者の名だ」


 宗一郎が。


 身を乗り出す。


「誰です」


 帝は。


 答えた。


「善右衛門」


 宗一郎の眉が。


 寄る。


「また」


「あの名前?」


「ああ」


「府内でも出た」


「三河でも出た」


「紙を買った」


「宗玄とも繋がってる」


「同じ人間ですか」


「分からぬ」


「……」


 宗一郎は。


 机を。


 指で二度叩いた。


「名前も」


「席なのか?」


 帝が見る。


「何?」


「玄蕃は」


「鷺は自分だけじゃないと言った」


「死ねば」


「次の鷺が立つ」


「なら」


「善右衛門も」


「一人の名前じゃないかもしれない」


 帝が。


 黙る。


「通称」


「役目」


「あるいは」


「文を運ぶ者が使う」


「共通の名」


「あり得るな」


「だとしたら」


「善右衛門を探しても」


「終わらない」


 宗一郎は。


 立った。


「捕まえた男に」


「会わせてください」


「何をする」


「善右衛門が」


「人なのか」


「役なのか」


「聞きます」


「答えなければ?」


 宗一郎は。


 帝を見る。


「答えさせます」


 帝の眉が。


 僅かに動いた。


「拷問は」


「しません」


「では」


「嘘をつく必要を」


「なくします」


     ◆


 男は。


 地下ではなく。


 御所から離れた。


 一軒の屋敷にいた。


 古き影が使う。


 表には存在しない場所。


 宗一郎が入ると。


 男は。


 座らされていた。


 傷は。


 ない。


 茶屋で捕らえられた時の。


 擦り傷だけ。


「高槻宗一郎」


 男が。


 先に言った。


 宗一郎は。


 座る。


「知ってるんだ」


「有名だからな」


「そうですか」


「天下鎮護職を作った男」


「俺が作ったわけじゃない」


「同じことだ」


「違います」


 宗一郎は。


 懐から。


 一枚の紙を出した。


 男の前へ置く。


「何だ」


「何だと思います」


 男が見る。


 何も。


 書いていない。


 白紙。


「ふざけているのか」


「いいえ」


「あなたが」


「これから善右衛門へ」


「送るはずだった文です」


 男の目が。


 ほんの僅か。


 動く。


「何も書いてない」


「はい」


「だから?」


「もう」


「送らないから」


 宗一郎は。


 白紙を。


 二つに裂いた。


 さらに。


 四つ。


「善右衛門が」


「誰でもいいんです」


 男が。


 宗一郎を見る。


「何?」


「一人なら」


「捕まえる」


「十人なら」


「十人捕まえる」


「役目なら」


「その役目が必要なくなるようにする」


「道なら」


「道を変える」


「港なら」


「港を見張る」


「商家なら」


「帳面を変える」


「寺なら」


「寺そのものではなく」


「出入りする人間を見る」


 宗一郎は。


 破いた紙を。


 机へ落とした。


「だから」


「善右衛門という名前には」


「もう興味ない」


 男の顔から。


 少しずつ。


 余裕が消える。


「俺が知りたいのは」


「善右衛門が」


「何をする役なのか」


 沈黙。


「言わぬ」


「そう」


 宗一郎は。


 立った。


「なら」


「終わりです」


 男が。


 顔を上げる。


「待て」


「何です」


「それだけか」


「はい」


「拷問も」


「脅しも」


「しないのか」


「必要ない」


 宗一郎は。


 戸へ向かう。


「明日から」


「京の紙問屋へ」


「新しい仕組みを入れます」


 足が。


 止まる。


「大量の紙を買う時は」


「売り先を帳面に残す」


 男の目が。


 僅かに開く。


「薬種屋も」


「火薬になるもの」


「薬になるもの」


「毒になるもの」


「量が大きければ」


「売買の記録を残す」


「宿も」


「馬も」


「船も」


「全部一度には無理だけど」


「少しずつやる」


「……」


「善右衛門が」


「人を替え」


「名を替え」


「店を替えても」


「何かを動かせば」


「跡が残るようにする」


 宗一郎は。


 振り返った。


「あなたたちは」


「人を隠す仕組みを作った」


「なら」


「俺は」


「隠れても仕事をすれば」


「跡が残る仕組みを作る」


 男の頬が。


 引きつった。


「できるものか」


「すぐには無理」


 宗一郎は。


 あっさり答えた。


「十年かかるかも」


「二十年かも」


「俺が死んだ後かも」


「でも」


「始める」


 男が。


 黙る。


「では」


「さようなら」


「待て!」


 宗一郎の手が。


 戸の前で止まる。


「善右衛門は」


 男の声。


「人の名ではない」


 宗一郎は。


 振り返らなかった。


「何です」


「渡す者だ」


「何を」


「文」


「銭」


「時には」


「人」


「誰から誰へ」


「知らぬ」


「嘘」


「本当だ!」


 男の声が。


 荒くなる。


「前も後ろも」


「知らぬようにされている!」


「では」


「どうやって渡す」


「場所を」


「指定される」


「誰に」


「文で」


「誰から」


「分からぬ!」


 宗一郎は。


 ようやく。


 振り返った。


「善右衛門は」


「一人?」


「違う」


「何人」


「知らぬ」


「あなたも」


「善右衛門?」


 男が。


 黙る。


 宗一郎は。


 答えを待たなかった。


「そうなんだ」


「違う!」


「じゃあ」


「何で怒る」


 男が。


 口を閉じる。


「役目は」


「どうやって継ぐ」


「……」


「前の善右衛門から?」


「違う」


「上から?」


 男の目が。


 一瞬。


 動いた。


 宗一郎は。


 そこだけ。


 見た。


「やっぱり」


「上がいる」


「……」


「誰」


「知らぬ」


「どこ」


「知らぬ」


「どうやって」


「命令を」


「本物だと判断する」


 男は。


 完全に。


 黙った。


 宗一郎は。


 玄蕃の言葉を思い出す。


 ――その者しか。


 ――知り得ぬことを。


 ――一つ。


 文へ入れる。


「例えば」


 宗一郎は。


 男を見た。


「未来のこと?」


 男の。


 呼吸が止まった。


 一瞬。


 それだけ。


 だが。


 十分だった。


 宗一郎の中で。


 何かが。


 冷えた。


「……そうか」


 男は。


 慌てて言う。


「何のことだ」


「何でもない」


「待て」


「終わりです」


「高槻!」


 宗一郎は。


 今度こそ。


 戸を開けた。


     ◆


 外。


 帝が。


 待っていた。


「どうだった」


「善右衛門は」


「役目です」


「やはりか」


「それと」


 宗一郎は。


 帝を見る。


「未来という言葉に」


「反応した」


 帝の顔から。


 僅かな温度が消えた。


「確かか」


「はい」


「言葉を知っていた」


「そこまでは分かりません」


「でも」


「知らない言葉を聞いた人の顔じゃなかった」


 帝は。


 しばらく。


 黙っていた。


「宗一郎」


「はい」


「どう見る」


 今度は。


 帝から答えを出さなかった。


 宗一郎は。


 庭を見る。


 風が。


 木の葉を揺らしている。


「試します」


「何を」


「敵が」


「本当に未来を知っているのか」


 帝の目が。


 細くなる。


「どうやって」


「俺しか」


「知らないはずの未来を」


「一つ」


「餌にします」


「危険ではないか」


「危険です」


 宗一郎は。


 即答した。


「だから」


「使える」


 帝は。


 何も言わない。


 宗一郎は。


 考える。


 何を。


 使う。


 桶狭間。


 金ヶ崎。


 姉川。


 すでに起きた。


 これから起きる出来事。


 長篠。


 まだ早い。


 武田。


 絡む者が多すぎる。


 未来を知る者でなくても。


 予測できる可能性がある。


 もっと。


 あり得ないもの。


 今の時点では。


 何の意味もない。


 ただの場所。


 ただの日。


 それでいて。


 未来を知る者なら。


 一目で。


 意味が分かるもの。


 宗一郎の思考が。


 止まった。


「……ある」


 帝が。


 宗一郎を見る。


「何だ」


 宗一郎は。


 すぐには答えなかった。


 自分で思いついて。


 自分で。


 背筋が冷えた。


「陛下」


「何だ」


「かなり」


「悪趣味です」


「お前がそう言うなら」


「相当であろうな」


「はい」


 宗一郎は。


 紙を引き寄せた。


 筆を取る。


 墨を含ませる。


 そして。


 一つの名を。


 書いた。


 ――本能寺。


 帝の視線が。


 紙へ落ちる。


 表情は。


 変わらない。


「本能寺か」


「はい」


「寺そのものは」


「今も京にあるな」


「あります」


「それだけなら」


「何の餌にもならぬ」


「だから」


「日付をつけます」


 宗一郎は。


 その下へ。


 もう一行。


 書いた。


 ――天正十年六月二日。


 筆を。


 置く。


「この日」


 宗一郎が言った。


「本来の歴史では」


「信長様が」


「本能寺で死にます」


 帝は。


 紙を見た。


 長く。


 黙った。


 宗一郎は。


 その沈黙を。


 別の意味に取った。


「やめますか」


「いや」


 帝が答える。


「続けよ」


「この組み合わせに」


「意味を見出せる者は」


「今の時代には」


「ほとんどいません」


「信長は知っているのか」


「はい」


「俺が以前」


「話しています」


「半兵衛も?」


「知っています」


「なら」


 帝が。


 紙から目を上げた。


「余とお前だけの秘密にはならぬぞ」


「それでいいんです」


 宗一郎は。


 すぐに答えた。


「むしろ」


「その方がいい」


「何故だ」


「これで敵が反応しても」


「三人目の未来人だとは」


「断定できないからです」


 帝の目が。


 僅かに変わる。


「信長か」


「半兵衛か」


「俺から」


「何らかの形で漏れた可能性も残る」


「あるいは」


「敵が別の経路で知った可能性も」


「はい」


「最初から」


「未来人を探す罠にはしません」


 宗一郎は。


 紙を指した。


「この情報を」


「敵が持っているかどうか」


「それだけを試します」


「なるほど」


「そして」


「もし反応したら」


「どうして知ったかを追う」


「その先で」


「初めて」


「未来を知る者がいる可能性を考える」


「はい」


 帝は。


 再び。


 紙を見る。


「許す」


 宗一郎が。


 帝を見る。


「よろしいのですか」


「ああ」


「ただし」


 帝の声が。


 低くなる。


「これは」


「お前の知る未来だ」


「余が知っていたことにはするな」


 宗一郎の目が。


 僅かに動いた。


「もちろんです」


「信長へ話すのも」


「お前が話せ」


「はい」


「余は」


「お前から」


「この策を聞き」


「御所を使うことを許した」


「それだけだ」


「分かっています」


 帝は。


 そこで。


 僅かに笑った。


「しかし」


「宗一郎」


「はい」


「悪趣味だな」


「自分でも」


「そう思います」


     ◆


 二日後。


 岐阜。


 信長の前。


 宗一郎は。


 一人で座っていた。


 帝からの密書はない。


 あるのは。


 宗一郎が持ってきた。


 一枚の紙だけ。


 信長が。


 それを見る。


 ――本能寺。


 ――天正十年六月二日。


 信長は。


 しばらく。


 何も言わなかった。


 やがて。


「馬鹿か」


「俺ですか」


「お前以外に誰がおる」


「やっぱり」


「これは」


「お前が考えたのか」


「はい」


「帝は」


「御所を使うことを」


「許してくださいました」


 信長が。


 宗一郎を見る。


「帝には」


「何と話した」


「敵が」


「俺の知る未来に」


「反応するかもしれない」


「だから」


「未来を知る者にしか意味の分からない情報を」


「一つ置きたいと」


「それだけか」


「それだけです」


 信長は。


 もう一度。


 紙を見る。


「儂が死ぬ日を」


「餌にするか」


「……すみません」


「謝るなら」


「最初から考えるな」


「ごもっともです」


「だが」


 信長の口元が。


 上がった。


「面白い」


 宗一郎は。


 頭を抱えた。


「やっぱり」


「何がだ」


「陛下にも」


「悪趣味だと言われました」


「その通りだ」


「殿にだけは」


「言われたくないです」


「何か申したか」


「何も」


 信長は。


 紙を指で叩いた。


「やれ」


 宗一郎が。


 顔を上げる。


「いいんですか」


「ああ」


「ただし」


 信長は。


 宗一郎を指した。


「本能寺という寺を」


「今から避けることはせぬ」


「え?」


「そこで儂が寝ぬ」


「そこへ行かぬ」


「そんな真似をすれば」


「未来に怯えていると」


「自分で認めることになる」


「でも」


「宗一郎」


 信長の声が。


 低くなる。


「儂を」


「未来に殺すな」


 宗一郎が。


 黙る。


「本能寺で死ぬと」


「知っているから」


「本能寺を避ける」


「それでは」


「儂は」


「まだ起きてもいない謀反に」


「負けておる」


 信長は。


 立った。


「明智が裏切る未来も」


「本能寺で死ぬ未来も」


「もう」


「お前の知る歴史だ」


「今の歴史ではない」


「はい」


「なら」


「使えるところだけ使え」


「恐れるな」


「はい」


「それと」


 信長が。


 口元を上げる。


「その日付に」


「誰かが食いついたら」


「生け捕りにせよ」


「できれば」


「はい」


「できなければ」


 信長の笑みが。


 消えた。


「斬れ」


「御意」


     ◆


 京。


 宗一郎の策は。


 帝の許しを得て。


 御所の一室へ。


 仕掛けられた。


 表に置くのは。


 天下鎮護職についての。


 何でもない文。


 その下。


 宗一郎が書いた。


 もう一枚。


 ――本能寺。


 ――天正十年六月二日。


 古き影にも。


 内容は知らせない。


 知っているのは。


 宗一郎。


 そして。


 許可した帝。


 罠の存在を知らされた信長。


 半兵衛には。


 まだ知らせなかった。


 漏れ口を。


 無闇に増やしたくなかったからだ。


 宗一郎は。


 御所を出る前。


 もう一度だけ。


 紙を見た。


 本来なら。


 十年近く先。


 織田信長が。


 死ぬ日。


 それを。


 自分は。


 餌にした。


「……本当に」


「悪趣味だな」


 誰にも聞こえない声で。


 呟いた。


     ◆


 三日間。


 何も起きなかった。


 一日。


 二日。


 三日。


 紙は。


 動かない。


 宗一郎は。


 伊勢へ戻っていた。


 帝も。


 普段通りに振る舞った。


 そして。


 四日目。


 御所の外。


 一軒の紙問屋へ。


 小さな注文が入った。


 紙。


 二十枚。


 墨。


 一つ。


 筆。


 二本。


 珍しくもない。


 どこにでもある注文。


 だが。


 買った男が。


 紙問屋の主人へ。


 こう聞いた。


「天正十年の暦は」


「もう作れるか」


 主人は。


 笑った。


「気が早うございますな」


「まだ何年も先で」


「そうか」


 男は。


 それ以上。


 何も言わなかった。


 店を出る。


 その日の夜。


 別の場所。


 古き影が。


 男を追った。


 男は。


 寺へ入った。


 本能寺ではない。


 小さな寺。


 そこで。


 一枚の紙を。


 床板の下へ入れた。


 男が去った後。


 影が。


 紙を取る。


 開く。


 そこには。


 たった。


 一行。


 書かれていた。


 ――六月二日では遅い。


 影の老人は。


 その文字を。


 長い間。


 見ていた。


 意味は。


 分からない。


 だが。


 宗一郎から。


 命じられている。


 日付。


 本能寺。


 六月二日。


 そのいずれかへ。


 不自然な反応があれば。


 内容を問わず。


 帝へ届けよ。


 翌朝。


 その紙は。


 帝の手へ渡った。


 帝は。


 読んだ。


 そして。


 しばらく。


 何も言わなかった。


 ――六月二日では遅い。


 偶然。


 そう片づけるには。


 あまりにも。


 近すぎる。


 だが。


 それだけで。


 答えを決めてはならない。


 帝は。


 紙を置いた。


「宗一郎を」


 影が。


 頭を下げる。


「お呼びになりますか」


「ああ」


「それと」


 帝は。


 一瞬。


 考えた。


「信長へは」


「宗一郎から知らせさせよ」


「は」


「これは」


「宗一郎が仕掛けた罠だ」


「余が」


「前へ出る話ではない」


「御意」


 帝は。


 もう一度。


 紙を見る。


 未来を知る者が。


 一人だけだと。


 誰が決めた。


 玄蕃の言葉が。


 脳裏をよぎる。


 だが。


 帝は。


 その言葉へ。


 飛びつかなかった。


「まだだ」


 小さく。


 呟く。


「これだけでは」


「まだ足りぬ」


 敵が。


 未来を知っているのか。


 宗一郎の秘密が。


 どこかから漏れたのか。


 それとも。


 まったく別の意味が。


 六月二日にあるのか。


 分からない。


 だから。


 調べる。


 そして。


 宗一郎自身の口から。


 信長へ報告させる。


 帝は。


 紙を。


 丁寧に。


 箱へ入れた。


 自分が。


 その日の意味を知っていることを。


 信長へ悟らせぬために。


 帝は。


 最後まで。


 ただ。


 宗一郎の策を許した者として。


 振る舞う。


 それでいい。


 まだ。


 信長に。


 話す時ではない。


 未来を知る者が。


 この世に。


 宗一郎だけではないということを。

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