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『天下布武、その先へ』―転生者と織田信長が拓いた、誰も知らない日本史―  作者: みなみ


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第百十七章 名では海は従わぬ

第百十七章 名では海は従わぬ


 天下鎮護職。


 その名が京から岐阜へ届くより早く。


 織田信長は、最初の命を出した。


 港を数えよ。


 船を数えよ。


 水夫を数えよ。


 船大工を数えよ。


 修理できる場所を記せ。


 水を得られる場所を記せ。


 兵糧を積める場所を記せ。


 そして。


 奪うな。


 まず数えろ。


 宗一郎は、最後の一文を二度読んだ。


「信長様」


「何だ」


「本当にこれで出すんですか」


「何が悪い」


「いや」


 宗一郎は紙を見る。


「港を差し出せでも」


「船を出せでもない」


「当たり前だ」


「……信長様が?」


「宗一郎」


「はい」


「貴様は儂を何だと思っている」


「言っていいですか」


「やめろ」


「聞いたのそっちですよ」


 丹羽長秀が、横で咳払いをした。


「問題がございます」


「何だ」


「どこまで調べます」


 信長が長秀を見る。


「天下だ」


「無理にございます」


 即答だった。


 宗一郎が吹き出す。


「笑うな」


「すみません」


 長秀は真面目だった。


「毛利の港へ」


『天下鎮護職となったゆえ、船を数えよ』


「そう命じても」


「従いますまい」


「武田も」


「上杉も」


「九州の諸家も同じにございます」


「ああ」


 信長は。


 あっさり認めた。


「だから」


「従うところから始める」


 長秀が僅かに目を細める。


「畿内」


「尾張」


「美濃」


「近江」


「伊勢のうち話が通るところ」


「堺」


「紀伊は?」


「命じるな」


「頼め」


「志摩は?」


 宗一郎が聞いた。


「九鬼に聞け」


「命令じゃなく?」


「まだな」


 宗一郎は。


 その言葉を覚えておいた。


 天下鎮護職。


 名前に。


 天下と付いた。


 だが。


 その日から突然。


 天下すべてへ命令できるようになったわけではない。


 信長自身が。


 それを一番よく分かっていた。


     ◆


 九鬼嘉隆は。


 案の定。


 機嫌が悪かった。


「天下鎮護職?」


「はい」


「長い」


「俺もそう思います」


「で」


「それになったから」


「儂に船を出せと?」


「違います」


 宗一郎は。


 信長から渡された紙を出した。


「三月で」


「織田が海で戦うために」


「何が足りないか出してほしい」


 嘉隆が紙を見る。


「前と同じではないか」


「はい」


「なら」


「何が変わった」


「信長様が」


「正式に」


「国の海の守りまで考える役になった」


「国の海?」


 嘉隆の眉が上がる。


「志摩の海もか」


「そこは」


 宗一郎は慎重に答えた。


「九鬼殿と話さないと」


「勝手には決められない」


 嘉隆は。


 しばらく宗一郎を見る。


「それを」


「信長が言ったか」


「志摩は九鬼に聞け、と」


 嘉隆が。


 僅かに笑った。


「なら」


「話くらいは聞いてやる」


「ありがとうございます」


「ただし」


「はい」


「天下鎮護職だろうが」


「帝の綸旨だろうが」


「海の上で」


「潮は止まらんぞ」


「分かってます」


「風も」


「はい」


「船も」


「はい」


「では」


 嘉隆が。


 海を見る。


「二十発」


 宗一郎の表情が変わった。


「やりますか」


「ああ」


 高槻で改良された。


 小型の船載大筒。


 三発。


 撃った。


 船は。


 壊れなかった。


 だが。


 三発耐えたことと。


 戦で使えることは。


 まるで違う。


「今日?」


「今からだ」


「急ですね」


「海は」


「お前の帳面が出来上がるまで」


「待ってくれん」


 宗一郎は。


 笑った。


「それは確かに」


 試験船。


 前回と同じ船ではない。


 補修され。


 砲架も変えられている。


 反動を。


 一点で受けない。


 船体へ。


 広く逃がす。


 縄。


 木。


 鉄。


 全て。


 前回の結果を受けて。


 作り直した。


 与吉が。


 砲架の横にいる。


「高槻様」


「何」


「二十発」


「本当に撃つんですか」


「九鬼殿が」


「撃つって」


 与吉が。


 嘉隆を見る。


「途中で壊れたら」


「止める」


 宗一郎が答える。


「二十発撃つことが目的じゃない」


「どこで壊れるかを見る」


 嘉隆が。


 横から言う。


「壊れなければ?」


「喜びます」


「違う」


「次は」


「船を動かして撃つ」


 宗一郎の笑顔が。


 消えた。


「ですよね」


「当たり前だ」


 一発目。


 轟音。


 白煙。


 船が揺れる。


「砲架!」


「異常なし!」


 二発。


 三発。


 四発。


 前回。


 ここまでは来ていない。


「縄!」


「少し伸びてます!」


「締め直すな!」


 与吉が叫ぶ。


「そのまま見ろ!」


 宗一郎が。


 与吉を見る。


 正しい。


 戦の最中。


 一発ごとに。


 完璧な整備などできない。


 五発。


 六発。


 七発。


「右!」


 船大工が叫ぶ。


「右の楔が動いた!」


 記録。


 八発。


 楔を戻さない。


 九発。


 砲身そのものには異常なし。


 だが。


 砲架の。


 右側。


 木が。


 僅かに裂けた。


「止めますか」


 与吉が聞く。


 嘉隆が。


 船大工を見る。


 船大工は。


 裂け目へ指を当てた。


「まだ」


「いける」


「なら」


「十発目」


 撃つ。


 轟音。


 裂け目が。


 広がった。


「止めろ」


 宗一郎が言った。


 嘉隆も。


 同時だった。


「終わりだ」


 十発。


 二十には。


 届かなかった。


 与吉が。


 悔しそうに砲架を見る。


「半分か……」


「違う」


 宗一郎が言う。


「十発まで」


「壊れずに撃てた」


「九発目です」


「九発?」


「十発目は」


「壊れました」


「……厳しいな」


「記録ですから」


 嘉隆が笑う。


「こいつ」


「高槻より向いてるぞ」


「俺もそう思います」


「高槻様!」


 船大工たちは。


 既に。


 壊れた砲架を囲んでいる。


「ここだ」


「木目に沿って割れた」


「鉄で囲うか」


「重くなる」


「縄を増やす?」


「戻りが悪くなる」


「砲そのものを」


「もう少し軽くできないか」


 与吉が。


 首を振る。


「軽くすれば」


「飛ぶ物も軽くなる」


「では」


「何を狙う」


 嘉隆が聞いた。


 全員が。


 彼を見る。


「船を沈めるのか」


「帆を壊すのか」


「舵を壊すのか」


「人を散らすのか」


「全部欲しいは」


「なしだ」


 宗一郎は。


 前にも。


 同じ問題へ辿り着いている。


 一つの武器に。


 全部を求めない。


「帆」


 宗一郎が言った。


「それと」


「舵」


「船を止める」


「沈めなくていい」


 嘉隆が頷く。


「なら」


「まだ軽くできる」


 与吉が。


 すぐ記録する。


 失敗。


 だが。


 前へ進む失敗だった。


 十発。


 それが。


 今の高槻と九鬼が作れる。


 現実だった。


     ◆


 同じ頃。


 石山本願寺。


「三度目を出す」


 顕如が言った。


 教如が。


 地図を見る。


「前より」


「さらに分けますか」


「ああ」


 最初。


 四十二隻。


 大きな船団。


 多くが通った。


 二度目。


 小さく分けた。


 織田と九鬼は。


 海の使い方を変えた。


 七隻のうち。


 四隻は通った。


 一隻は戻り。


 一隻は捕られ。


 一隻は浅瀬へ乗り上げた。


 負けではない。


 だが。


 代価は。


 上がっている。


「今度は」


「船だけではない」


 顕如が言う。


「何を」


「荷を分ける」


 米。


 塩。


 火薬。


 薬。


 縄。


 油。


 一隻へ。


 全てを載せない。


「米だけ捕られても」


「他が届く」


「火薬だけ失っても」


「米は届く」


「はい」


「そして」


 顕如が。


 瀬戸内を見る。


「同じ日に」


「出すな」


「三日」


「五日」


「七日」


「間を空ける」


「織田の船を」


「疲れさせる?」


「人もだ」


 顕如は。


 九鬼を。


 侮っていない。


 高槻も。


 侮らない。


「海を閉じるなら」


「毎日」


「海にいなければならぬ」


 教如が。


 理解する。


「船より先に」


「人が疲れる」


「そうだ」


「水夫も」


「見張りも」


「港の者も」


「兵も」


「休ませねばならぬ」


 顕如は。


 静かに言った。


「なら」


「我らは」


「戦わずに」


「疲れさせる」


 第三次輸送。


 船の数は。


 第一陣より少ない。


 だが。


 経路は。


 はるかに多かった。


 紀伊。


 淡路。


 播磨。


 堺。


 そして。


 瀬戸内。


 商船。


 漁船。


 小舟。


 荷を載せ替える。


 旗も。


 同じものを使わない。


 それは。


 もはや。


 一つの船団ではなかった。


     ◆


 三日後。


 九鬼のもとへ。


 最初の報告が来た。


「紀伊から」


「米を積んだ船」


「三隻」


「石山へ向かう可能性」


「可能性?」


「はい」


「確証なし」


 嘉隆が頷く。


「追うな」


 宗一郎が。


 少し驚く。


「いいんですか」


「三隻だけなら」


「見る」


 翌日。


「淡路」


「油と縄」


「二隻」


 さらに翌日。


「播磨」


「米」


「四隻」


 次。


「堺」


「薬と紙」


「商船三隻」


 宗一郎が。


 地図を見る。


「多い」


「違う」


 嘉隆が言う。


「分けたんだ」


「本願寺が?」


「ああ」


 宗一郎は。


 顕如の狙いを。


 理解した。


「こっちを」


「休ませないつもりか」


「それだけではない」


「どれが本物か」


「分からなくする」


 嘉隆が。


 地図の上。


 一つの港を指す。


「全部追えば」


「こっちが死ぬ」


「じゃあ」


「絞る」


「何で」


「水だ」


 宗一郎が見る。


「また?」


「海の船は」


「水なしでは走らん」


 港。


 井戸。


 水船。


 米。


 薪。


 修理。


 船大工。


「荷を分けても」


「船が生きるために必要な物は」


「分けられん」


 嘉隆が言った。


「船を見ず」


「港を見る」


 宗一郎が。


 笑った。


「海の街道は港」


「覚えたか」


「何度も言われましたから」


「なら使え」


 見張りが。


 変わった。


 沖を見る者を。


 増やさない。


 港を見る。


 いつもより。


 水を多く積む船。


 帆を直す船。


 急に。


 良い縄へ替えた船。


 夜に。


 船頭を探す商人。


 そして。


 普段なら。


 大阪湾へ行かない船が。


 向きを変える。


 二日。


 三日。


 四日。


 浮かび上がった。


「七隻」


 宗一郎が言う。


「確度は?」


「五隻は高い」


「二隻は分からん」


 嘉隆が答える。


「どうする」


「五隻だけ?」


「違う」


 嘉隆は。


 地図の。


 さらに先を見る。


「待つ」


「まだ?」


「荷を」


「もう一度」


「まとめる」


 宗一郎が。


 理解した。


 分けて運ぶ。


 だが。


 石山へ入れる時。


 どこかで。


 ある程度。


 まとまらなければならない。


「そこを」


「見る」


 嘉隆が頷く。


「戦うかは」


「見てからだ」


     ◆


 だが。


 顕如も。


 同じことを考えていた。


「最後まで」


「まとめぬ」


 教如が。


 父を見る。


「一隻ずつ?」


「二隻」


「三隻」


「時間をずらす」


「夜も使う」


「危険です」


「承知している」


 顕如は。


 静かだった。


「だが」


「九鬼は」


「我らが集まる場所を」


「待っている」


 教如は。


 黙る。


「なら」


「集まらなければよい」


 海の戦は。


 大砲を撃ち合うだけではない。


 互いに。


 相手が。


 何を見るか。


 何を待つか。


 そこまで。


 読み始めていた。


     ◆


 第三次輸送。


 最初の五日。


 織田側。


 捕獲。


 ゼロ。


 撃沈。


 ゼロ。


 本願寺側。


 石山へ到達。


 確認できた船。


 六。


 積荷。


 米。


 油。


 薬。


 少量の火薬。


 宗一郎は。


 報告を見て。


 唇を噛んだ。


「また」


「通された」


 嘉隆が言う。


「ああ」


「負け?」


「ああ」


 即答。


 宗一郎が。


 嘉隆を見る。


「でも」


「前より」


「見えてる」


「そうだ」


 嘉隆は。


 別の紙を出した。


「そして」


「本願寺も」


「前より銭を使っている」


 船賃。


 上がっている。


 水夫の賃金。


 上がっている。


 危険手当。


 増えている。


 縄。


 帆。


 修理。


 船頭。


 全部。


 高くなっている。


「止められてない」


 宗一郎が言う。


「だが」


 嘉隆が続ける。


「ただでは」


「通れなくなった」


 宗一郎は。


 顕如の言葉を知らない。


 顕如も。


 嘉隆の言葉を知らない。


 だが。


 二人は。


 同じ戦をしていた。


 相手の。


 費用を。


 上げる戦。


     ◆


 その報告は。


 岐阜へ届いた。


 天下鎮護職。


 織田信長。


 最初の海の報告。


 敵船撃沈。


 なし。


 大勝利。


 なし。


 本願寺への輸送。


 一部成功。


 信長は。


 最後まで読む。


「で」


 宗一郎が。


 少し身構える。


「はい」


「九鬼は」


「何と言った」


「負けだと」


「そうか」


「怒らないんですか」


「何故だ」


「天下鎮護職になって」


「最初の報告が」


「負けですよ」


 信長は。


 宗一郎を見る。


「名が付けば」


「勝てるのか」


「……いいえ」


「なら」


「どうでもよい」


 信長は。


 次の紙を見る。


 船賃。


 水夫賃。


 修理費。


 危険手当。


 石山へ荷を入れる費用。


 少しずつ。


 上がっている。


「これだ」


「はい」


「もっと上げろ」


「ただ」


 宗一郎が言う。


「上げすぎると」


「普通の商いまで死にます」


「分かっておる」


「本願寺と取引しただけで」


「全部敵扱いもしない」


「ああ」


 信長が。


 宗一郎を見る。


「だから」


「港を数える」


 宗一郎は。


 そこで。


 最初の命令へ。


 戻った。


 港。


 船。


 水。


 修理。


 人。


 それを知らなければ。


 戦と。


 商いを。


 分けられない。


「長秀」


「は」


「港の調べ」


「急げ」


「ただし」


「取り上げると思わせるな」


「承知」


「九鬼へ」


「はい」


「三月は変えぬ」


「勝てとは言わぬ」


「何が足りぬか」


「数字で出せ」


「伝えます」


 そこで。


 光秀が。


 一通の書状を出した。


「殿」


「何だ」


「安芸より」


 信長の手が。


 止まった。


「毛利か」


「はい」


「天下鎮護職の件が」


「届いたようです」


 宗一郎が。


 光秀を見る。


「反応は?」


「まだ」


「ただ」


「小早川隆景殿が」


「評定を開いたとのこと」


 信長は。


 少しだけ。


 笑った。


「来たか」


 宗一郎には。


 笑えなかった。


     ◆


 安芸。


 吉田郡山。


「天下鎮護職」


 毛利輝元が。


 その名を。


 ゆっくり読んだ。


 吉川元春。


 小早川隆景。


 重臣たち。


「将軍ではない」


 元春が言う。


「だが」


「武家をまとめる役だという」


 輝元が。


 隆景を見る。


「叔父上」


「どう見ます」


 隆景は。


 すぐには答えなかった。


 文を読む。


 朝廷が。


 織田信長を。


 新しい武家の役へ任じた。


 天下鎮護職。


 世襲ではない。


 朝廷との関係を持つ。


 大規模な私戦を抑える。


 外敵への軍事をまとめる。


 京。


 街道。


 兵糧。


 そして。


 海。


「面白い」


 隆景が言った。


 元春が見る。


「何が」


「信長は」


「将軍にならなかった」


「それは知っている」


「違います」


 隆景が。


 文を置く。


「将軍を捨てて」


「将軍より」


「厄介なものを」


「作り始めた」


 部屋が。


 静かになる。


「何故」


 輝元が尋ねる。


「将軍なら」


 隆景は答えた。


「幕府を見ればよい」


「家を見る」


「家臣を見る」


「領地を見る」


「だが」


「これは違う」


 指で。


 天下鎮護職の文字を叩く。


「役だ」


「人が死んでも」


「残すつもりでいる」


 輝元の顔が。


 少し変わった。


「信長が死んでも?」


「それを」


「考えて作っている」


 隆景は。


 そこを。


 最も警戒していた。


 強い男。


 怖くないとは言わない。


 だが。


 強い男は。


 いつか死ぬ。


 仕組みは。


 死なないことがある。


「毛利は」


「従うのですか」


 輝元が尋ねる。


「今は」


 隆景は。


 即答した。


「従いませぬ」


 元春が頷く。


「当然だ」


「ですが」


 隆景は続けた。


「否定もしません」


 元春が。


 眉を寄せる。


「何故だ」


「今」


『そんな役は認めぬ』


「と申せば」


「何が起きます」


 元春が。


 黙る。


 朝廷が任じた役。


 それを。


 正面から否定する。


 毛利に。


 その必要はない。


「なら」


 輝元が聞く。


「どうする」


「見ます」


「何を」


「信長が」


「その役で」


「何をするか」


 隆景は。


 瀬戸内の地図を見る。


「特に」


「海で」


 輝元も。


 地図を見る。


「本願寺への船を」


「止めると思いますか」


「止めたいでしょう」


「できる?」


「今は」


 隆景は。


 少し笑った。


「できませぬ」


「九鬼がいても?」


「九鬼がいるから」


「少しずつ」


「できるようになる」


 そこが。


 問題だった。


「織田が」


「港を調べ始めたとの報もございます」


 家臣の一人が言う。


 隆景の表情が。


 僅かに変わった。


「どこまで」


「畿内」


「尾張」


「美濃」


「近江」


「伊勢」


「堺」


「紀伊へは」


「命令ではなく」


「協力を求めていると」


 隆景が。


 ゆっくり頷いた。


「なるほど」


「何がです」


「最初から」


「瀬戸内へ命じなかった」


「はい」


「信長は」


「分かっている」


 輝元が尋ねる。


「何を」


「紙の上の天下と」


「実際に命が届く天下は」


「違うということを」


 隆景は。


 地図の上。


 安芸から。


 瀬戸内。


 堺。


 紀伊。


 志摩。


 そして。


 尾張へ。


 指を動かした。


「だから」


「怖いのです」


 無理に。


 天下人のふりをしない。


 できるところから。


 広げる。


「我らも」


 隆景が言った。


「港を数えましょう」


 輝元が。


 驚く。


「毛利も?」


「はい」


「織田に渡すためではありません」


「我ら自身が」


「瀬戸内に」


「何を持っているか」


「知るためです」


 元春が。


 豪快に笑った。


「信長に」


「教えられたようで」


「気に入らんな」


「私もです」


 隆景も笑った。


「ですが」


「使える考えは」


「敵のものでも」


「使えばよい」


 こうして。


 織田が。


 港を数え始めた。


 同じ頃。


 毛利も。


 港を数え始めた。


     ◆


 数日後。


 高槻。


 宗一郎の机へ。


 二つの報告が。


 同時に置かれた。


 一つ。


 毛利が。


 瀬戸内の港と船を。


 調べ始めた。


「真似された……」


 半兵衛が笑う。


「良いものは」


「真似されます」


「嬉しくないなあ」


「もう一つは?」


 宗一郎が。


 二枚目を開く。


 九鬼から。


 短い。


 ――船載大筒、砲架改良。


 ――次の試験を行う。


 ――今度は船を動かす。


「来た……」


 宗一郎が。


 嫌そうな顔をする。


「乗られるので?」


「乗りますよ」


「やめてもいいのですよ」


「失敗する時だけ」


「他人に乗せるのは嫌です」


 半兵衛が。


 小さく息を吐く。


「前にも」


「同じことを言われましたな」


「はい」


「では」


「生きて戻ってください」


「努力します」


「努力では困ります」


 そこへ。


 もう一人。


 走ってきた。


「高槻様!」


「何!」


「伊勢屋より!」


 宗一郎の顔が変わる。


「庄三郎さん?」


「はい!」


「蔵へ」


「また荷が入りました!」


「いつ」


「昨夜!」


「何が違った」


 宗一郎が。


 すぐ聞く。


 使者が。


 息を整える。


「人ではございません」


「では」


「箱です」


「箱?」


「はい」


「今までと違う印が」


「一つだけ」


「何の印」


 使者は。


 紙を出した。


 庄三郎が。


 記憶だけで。


 描かせたもの。


 二本の横線。


 その下に丸。


 十二使徒の印。


 ではない。


 宗一郎は。


 その図を見る。


 円。


 その中に。


 一本の十字。


 そして。


 円の外側に。


 三つの小さな点。


「ロレンソは」


 宗一郎が聞く。


「まだ京に?」


「はい」


 宗一郎は。


 紙を掴んだ。


「呼んで」


「すぐに」


「はい!」


 半兵衛が。


 印を見る。


「新しいものですな」


「はい」


「十二使徒の?」


「分かりません」


 宗一郎は。


 首を振った。


「だから」


「ロレンソに聞く」


 そして。


 数刻後。


 紙を見たロレンソは。


 十二使徒の印を見た時とは。


 まるで違う反応をした。


「これは」


 宗一郎が。


 身を乗り出す。


「知ってる?」


「はい」


「十二使徒?」


「違います」


 ロレンソは。


 即答した。


「では」


 ロレンソの顔から。


 血の気が。


 少しずつ。


 引いていく。


「これは」


「私が」


「庄兵衛殿へ」


「預けた印です」


 宗一郎は。


 何も言えなかった。


「何のための?」


 半兵衛が尋ねる。


 ロレンソは。


 紙から。


 目を離さない。


「十二使徒が」


「まだ」


「十二使徒と呼ばれる前」


「その中に」


「危険な考えを持つ者がいると」


「気づいた時」


「庄兵衛殿と」


「決めました」


「何を」


 ロレンソが。


 宗一郎を見る。


「もし」


「私が死ぬか」


「日本を離れるか」


「自由に動けなくなった時」


「ある物を」


「守ってほしいと」


 宗一郎の目が。


 箱の印へ戻る。


「ある物?」


「はい」


「何です」


 ロレンソは。


 ゆっくり答えた。


「名前です」


「名前?」


「五年前」


「最初の集まりにいた者たち」


 宗一郎の呼吸が。


 止まる。


「十二人?」


「いいえ」


 ロレンソは首を振った。


「十二ではありません」


「九人です」


 十二使徒。


 その名に。


 宗一郎たちは。


 ずっと引きずられていた。


 だが。


 始まりは。


 十二人ではなかった。


「その九人の中に」


 宗一郎が聞く。


「ディオゴは?」


「おります」


「他は?」


「私は」


 ロレンソが言った。


「全部は覚えておりません」


「ですが」


 箱の中には。


 残っている。


 五年前。


 まだ。


 暗殺も。


 偽書も。


 帝の婚姻を壊す企ても。


 始まる前。


 十二使徒になる前の。


 最初の名前。


「蔵を」


 宗一郎が立ち上がる。


「開けます」


 半兵衛も。


 立つ。


「庄三郎殿には?」


「聞きます」


「本人の蔵です」


「それと」


 宗一郎は。


 十二使徒の印と。


 新しい印。


 二枚の紙を見る。


「誰にも」


「まだ」


「十二使徒の名簿だなんて」


「言わない」


「はい」


「九人のうち」


「今の十二使徒になった人間が」


「何人いるか」


「まだ」


「一人も分からない」


 半兵衛が。


 満足そうに頷いた。


「分からぬものは」


「分からぬまま」


「はい」


 宗一郎は。


 刀を取った。


 外では。


 海の戦が。


 始まろうとしている。


 毛利が動き。


 本願寺が動き。


 天下鎮護職となった信長が。


 国の海を。


 数え始めた。


 そして。


 尾張の。


 一つの古い蔵では。


 五年間。


 誰にも開けられなかった箱が。


 今。


 開こうとしていた。

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