第百十一章 折り目の先
第百十一章 折り目の先
明智光秀が見覚えを感じた「折り方」の正体は、三日で判明した。
思い出したのではない。
記録から見つけた。
京の役所に保管されていた古い書状を、光秀が片端から調べさせたのである。
大名からの書状ではない。
寺社でもない。
堺の商人でもなかった。
「これだ」
光秀が取り出したのは、四年前の書状だった。
織田家へ薬種を売り込んだ商人の添え状。
内容そのものに不審なところはない。
薬。
香辛料。
硝石。
南蛮渡来の品。
そして、仲介者として記された名。
――宗玄。
光秀は二枚の紙を並べた。
四年前の書状。
本願寺が押さえた、十二使徒の印を持つ書状。
「ここだ」
端を合わせる。
一度。
二度。
さらに片側だけを内へ折る。
封をした時、紙の角が僅かに内側へ隠れる。
同じだった。
光秀の側にいた記録役が息を呑んだ。
「宗玄が書いたのでしょうか」
「決めるな」
光秀は即座に止めた。
「折った者が同じとは限らぬ。書いた者とも限らぬ」
「では」
「四年前の書状を持ってきた者を調べる」
記録には残っていた。
宗玄本人ではない。
堺の薬種商。
名は――弥兵衛。
現在も生きている。
店もある。
光秀は立ち上がった。
「捕らえますか」
「まだだ」
部下が顔を上げる。
「会う」
「明智様ご自身が?」
「普通に薬を買いにな」
光秀の顔には、僅かな笑みがあった。
翌日。
堺。
弥兵衛の店には、異国の匂いが満ちていた。
乾燥させた薬草。
香木。
香辛料。
油。
見慣れぬ瓶。
光秀は供を二人だけ連れ、表から入った。
「いらっしゃいませ」
弥兵衛は五十を少し越えた男だった。
光秀の顔を知っていたらしい。
すぐに姿勢を正す。
「明智様」
「薬を見せてもらいたい」
「もちろんにございます」
普通に話す。
普通に買う。
宗玄の名は出さない。
光秀は店を見る。
帳面。
荷札。
包み紙。
文。
そして気づいた。
店の奥で。
若い手代が書状を畳んでいる。
一度。
二度。
片側を内へ。
同じ折り方だった。
「その畳み方は」
手代が顔を上げる。
「はい?」
「この店では皆そうするのか」
弥兵衛が笑った。
「昔からでございます」
「昔から?」
「いえ」
少し考える。
「十年ほどでしょうか」
光秀の目が細くなる。
「誰から習った」
「さて……」
弥兵衛は本当に思い出しているようだった。
「宗玄殿だったかと」
光秀は表情を変えなかった。
「宗玄?」
「薬種の仲買をしていた男でございます。紙はこう折れば封が剥がれにくいと」
「今は?」
「ここ二年ほどは、ほとんど」
「どこにいる」
「府内や平戸ではないかと」
「最後に会ったのは」
「去年の春頃でございます」
「何を買った」
弥兵衛が答える。
「紙を」
光秀の目が止まった。
「どれほど」
「かなりの量でした」
「どこから仕入れた」
「美濃でございます」
そこで。
線が一本繋がった。
紙そのものが異国から来たのではない。
日本の紙。
美濃。
宗玄がまとめて買った。
だから府内でも同じ紙が出る。
石山へ送り込まれた書状にも使われる。
「売った記録は」
「ございます」
弥兵衛が帳面を出そうとした。
光秀は止めなかった。
帳面が開かれる。
紙。
薬。
香辛料。
硝石。
銀。
十年近い取引。
そして。
宗玄の名の横に、何度も別の名前が現れる。
――善右衛門。
府内の倉を管理していた男。
もう一つ。
――道順。
「これは?」
光秀が指した。
「どうじゅん、と申す僧でございます」
「僧?」
「はい。宗玄殿の使いで何度か」
「どこの寺だ」
弥兵衛は首を振った。
「存じませぬ。ただ」
「何だ」
「京へ来た時は」
弥兵衛は答えた。
「東山の小さな庵を使っておりました」
光秀の目が変わった。
十二使徒の網が。
府内から。
初めて京へ戻ってきた。
◆
光秀は弥兵衛を捕らえなかった。
帳面も奪わない。
必要な箇所だけ、本人の前で写させた。
「明智様」
帰り際。
弥兵衛が恐る恐る尋ねた。
「宗玄殿は」
「何かしたのでございますか」
光秀は振り返った。
「まだ」
「調べている」
「私は……」
「商いをしただけです」
「今のところ」
光秀は答えた。
「それ以上のものは見つかっておらぬ」
弥兵衛の肩から力が抜ける。
「ただし」
「はい」
「道順が来たら」
「普段通りにせよ」
弥兵衛が固まった。
「捕らえようとするな」
「逃げるな」
「問い詰めるな」
「知らせだけ寄越せ」
「……承知いたしました」
光秀は店を出た。
供の一人が尋ねる。
「信用できますか」
「分からぬ」
「では何故」
「信用せぬから見る」
それだけだった。
高槻へ知らせが届いた時、宗一郎は小型砲の試験場にいた。
「宗玄から教わった折り方?」
「はい」
使者の報告を聞きながら、宗一郎は砲身から目を離さない。
以前の船砲より、明らかに小さい。
砲身も短い。
砲弾も軽い。
城壁を壊すには足りない。
だが。
最初から城壁を壊すつもりはない。
「道順という僧が京に?」
「東山の庵を使っていたとのことです」
半兵衛が尋ねる。
「光秀殿は?」
「庵を見張っております」
「なら任せよう」
宗一郎は即答した。
使者が少し驚く。
「高槻から人を出されないので?」
「京は光秀殿の方が詳しい」
何でも自分でやる必要はない。
むしろ。
やらない方がいい。
「源八郎には平戸を見てもらう」
「京は光秀殿」
「海は嘉隆殿」
宗一郎は小型砲を見る。
「俺は」
「これ」
九鬼嘉隆が横から言った。
「お前も海だ」
「分かってます」
「なら早く乗れ」
「今日は俺も?」
「お前が造らせたんだろう」
「そうですけど」
「失敗した時だけ他人を乗せるのは嫌なんだろ」
宗一郎は黙った。
以前、自分で言った言葉だった。
「覚えてたんですか」
「都合のいいことだけ忘れるな」
与吉が笑っている。
「与吉も乗るんだからな」
「え?」
「お前が砲を造ったんだろ」
「……はい」
笑みが消えた。
試験は岸から近い静かな海で行われた。
狙うのは船ではない。
海上に固定した古い板。
距離も短い。
火薬量も抑えた。
目的は命中ではない。
船がどう揺れるか。
砲台がどれだけ動くか。
縄が反動を受けられるか。
甲板が耐えるか。
火薬を安全に扱えるか。
それを見る。
「用意」
与吉が砲を確認する。
宗一郎は船の中央付近。
嘉隆は舵の近く。
「波」
嘉隆が言う。
「待て」
与吉は火縄を近づけない。
一つ。
二つ。
波を越える。
「今」
「撃て!」
轟音。
船が震えた。
宗一郎の身体が揺れる。
砲が後ろへ動く。
だが。
縄が張る。
止まった。
甲板。
割れない。
「確認!」
与吉たちがすぐ動く。
砲台。
ずれている。
右へ僅かに。
縄。
一本が強く伸びている。
船体。
異常なし。
火薬。
飛散なし。
「板は?」
宗一郎が聞く。
水夫が目を凝らす。
「外れ!」
「どれくらい」
「かなり!」
「そこは正直じゃなくていい!」
「記録するんでしょう!」
「そうだった!」
嘉隆が大笑いした。
「お前らは何をしに来たんだ」
「試験です!」
「なら外れも書け!」
宗一郎は渋々書いた。
一射目。
船体損傷なし。
砲台小移動。
右側固定縄に負荷集中。
命中せず。
「二射目」
嘉隆が言う。
「やります」
今度は。
砲台の固定を調整する。
縄を一本増やす。
砲そのものを僅かに内側へ。
そして。
待つ。
波。
風。
船の傾き。
「今だ」
嘉隆。
「撃て!」
二度目の轟音。
水柱。
板のすぐ横。
「惜しい!」
与吉が叫ぶ。
「惜しいは命中じゃない!」
宗一郎が叫び返す。
「高槻様が言いますか!」
「記録するから!」
三射目。
今度は火薬を増やさない。
角度だけを変える。
そして。
撃つ。
板が。
砕けた。
一瞬。
誰も声を出さなかった。
次の瞬間。
「当たった!」
与吉が飛び上がった。
「動くな!」
嘉隆が怒鳴る。
「船の上だ!」
与吉が慌ててしゃがむ。
宗一郎は。
砕けた板を見ていた。
命中した。
たった一発。
止まった板。
短い距離。
穏やかな海。
実戦とは比べものにならない。
それでも。
前回。
甲板を割ったところから。
一歩。
進んだ。
「嘉隆殿」
「何だ」
「どうです」
「使えん」
宗一郎の顔が固まる。
「そこは少しくらい褒めても」
「止まっている板に三発だ」
「……はい」
「敵船は動く」
「はい」
「こちらも動く」
「はい」
「人も撃ってくる」
「はい」
「煙で見えなくなる」
「はい」
「火も出る」
「はい……」
「だが」
嘉隆は。
小型砲を見る。
「船は壊れなかった」
宗一郎が顔を上げる。
「そこからだ」
「はい」
「次は二十発撃つ」
「二十?」
「一発撃てる物と」
「二十発撃って壊れぬ物は」
「別物だ」
宗一郎は。
ゆっくり頷いた。
「分かりました」
量産。
まだしない。
実戦配備。
まだしない。
まず壊す。
壊れるまで試す。
どこが壊れるかを見る。
直す。
もう一度。
高槻が今まで積み上げてきた方法だった。
◆
京。
東山。
道順は。
本当に現れた。
弥兵衛の店を調べてから五日目。
夕刻。
僧衣の男が、小さな庵へ入った。
年は四十ほど。
頭を剃っている。
荷物は小さな包み一つ。
光秀の者は動かなかった。
一刻。
男は出ない。
二刻。
灯が点く。
夜。
別の男が来た。
商人風。
包みを渡す。
帰る。
まだ動かない。
翌朝。
道順が庵を出る。
市へ。
紙を買う。
墨を買う。
油を買う。
寺へ参る。
普通だ。
昼。
別の宿へ。
そこで。
一人の侍と会った。
家紋なし。
短い会話。
別れる。
侍を別の者が追う。
道順は庵へ戻る。
光秀のところへ報告が集まる。
「侍は?」
「近江方面へ」
「追え」
「道順は」
「まだ」
光秀は待った。
欲しいのは道順一人ではない。
その先。
だが。
その日の夜。
状況が変わった。
庵から。
煙が出た。
「火!」
見張りが動く。
光秀の命令は。
庵が燃えれば消せ。
証拠を焼かせるな。
数人が踏み込んだ。
道順は。
書状を火鉢へ投げ込んでいた。
「動くな!」
道順が振り返る。
驚かなかった。
袖から。
短刀。
だが。
抜ききる前に。
腕を押さえられた。
倒される。
短刀が床へ落ちる。
「放せ!」
火鉢。
燃え始めた紙。
一人が水をかける。
別の者が。
燃えていない紙を集める。
道順が暴れる。
「離せ!」
「殺すな!」
光秀の声だった。
自ら庵へ入る。
道順の動きが止まった。
「明智……」
「知っておるか」
道順は答えない。
「なら話が早い」
光秀は。
焼けかけた紙を見る。
「道順」
「宗玄はどこだ」
男の目が。
ほんの僅かに動いた。
それだけで。
十分だった。
「知らぬ」
「そうか」
光秀は。
追及しなかった。
「連れて行け」
「待て!」
「話は後で聞く」
道順が連れ出される。
光秀は庵に残った。
紙。
墨。
封。
帳面。
銀。
それらを一つずつ確認する。
十二使徒の印は。
ない。
「明智様」
部下が呼ぶ。
「これを」
小さな木箱。
底。
二重になっていた。
外す。
中には。
紙ではなく。
細い木札が入っていた。
十二枚。
光秀が一枚を取る。
文字。
名前ではない。
地名だった。
堺。
府内。
平戸。
紀伊。
京。
石山。
博多。
五島。
そして。
残り四枚。
光秀の手が止まった。
安芸。
甲斐。
三河。
尾張。
「……」
部下が息を呑む。
「毛利」
「武田」
「徳川」
「織田……」
「違う」
光秀が鋭く言った。
「地名だ」
「家ではない」
部下が口を閉じる。
「安芸と書いてあるから毛利ではない」
「甲斐とあるから武田でもない」
「三河とあるから徳川でもない」
「尾張とあるから」
光秀は木札を見る。
「織田でもない」
また。
同じだ。
敵を。
勝手に作るな。
「ただし」
十二の地名。
十二使徒。
偶然か。
光秀は。
そこも決めなかった。
「全部写せ」
「木目まで」
「は」
「道順には」
「この箱を見つけたことを知らせるな」
「承知」
光秀は。
最後の一枚を手に取った。
尾張。
信長の国。
もし。
そこにも十二使徒の人間がいるなら。
宗玄は。
数年前から織田へ出入りしていた。
織田の中に。
何かを残した可能性がある。
だが。
まだ可能性。
光秀は箱を閉じた。
翌朝。
道順の取り調べが始まった。
拷問はしない。
最初に聞いたのは。
宗玄ではなかった。
「名は」
「道順」
「生国」
「伊勢」
「寺は」
「持たぬ」
「僧ではないのか」
「僧形をしているだけだ」
光秀の筆が止まる。
最初の一つ。
嘘か。
事実か。
まだ分からない。
「誰に雇われた」
「商人だ」
「名は」
「知らぬ」
「仕事は」
「文を運ぶ」
「どこへ」
「頼まれたところへ」
「宗玄を知っているか」
「知らぬ」
昨日。
名前を聞いた時。
反応した。
だが。
それを指摘しない。
「善右衛門」
一瞬。
道順の呼吸が変わる。
光秀は。
記録役を見る。
「今のを記せ」
道順が初めて。
光秀を睨んだ。
「何を」
「呼吸が変わった」
「そんなものが証になるか」
「ならぬ」
光秀は平然と答えた。
「だから」
「事実としてだけ残す」
道順が。
黙った。
光秀は。
次の紙を出した。
「弥兵衛」
今度は。
反応がない。
「府内」
ない。
「平戸」
ない。
「五島」
僅かに。
指が動いた。
光秀は。
それも記録させた。
「終わりだ」
道順が驚く。
「もうか」
「今日はな」
「……何がしたい」
光秀は立ち上がった。
「そなたが」
「何に反応するかを」
「知りたかった」
道順の顔から。
初めて。
余裕が消えた。
光秀は部屋を出た。
廊下で待っていた使者へ。
一枚の紙を渡す。
「高槻へ」
「急ぎで?」
「ああ」
「宗一郎へ伝えよ」
光秀は。
少し考えてから言った。
「宗玄を追うな」
「はい」
「五島を見ろ」
「それと」
「尾張を」
「尾張?」
「理由は書いてある」
使者が走り去る。
光秀は。
道順がいる部屋を振り返った。
ようやく。
一人。
捕まえた。
だが。
十二使徒の網が。
縮んだとは思わなかった。
逆だった。
捕まえたからこそ。
広さが見えた。
◆
その頃。
石山本願寺でも。
同じ紙について。
答えが出ていた。
「美濃紙にございます」
商人が顕如へ頭を下げる。
「間違いないか」
「少なくとも」
「この紙は南蛮渡来ではございませぬ」
「美濃から堺へ流れたものと見てよろしいかと」
「売った者は」
「そこまでは」
顕如は頷いた。
「よい」
分からないことを。
無理に答えさせない。
「織田へ伝えますか」
教如が尋ねた。
「伝える」
「敵に?」
「この件では」
顕如は言った。
「同じ嘘を追っている」
「だが」
教如を見る。
「戦は別だ」
「第三陣は」
「予定通り出せ」
「はい」
「何石」
「前回より減らします」
「何故」
「船をさらに分散させるために」
「よい」
顕如は海図を見る。
光秀とは。
証拠を交換する。
九鬼とは。
海で戦う。
信長とは。
天下を争う。
矛盾ではない。
それぞれ。
別の話だ。
「それと」
顕如が言った。
「毛利からの港を」
「使いすぎるな」
教如が驚く。
「何故です」
「頼れば」
「首を握られる」
顕如は。
静かに答えた。
「織田の下にも」
「毛利の下にも」
「入るつもりはない」
本願寺は。
本願寺として。
生き残る。
顕如の戦も。
まだ終わっていなかった。
◆
高槻。
光秀から届いた文を読み終えた宗一郎は、しばらく無言だった。
半兵衛も。
官兵衛も。
今回は同席していた秀吉も。
十二枚の地名を書き写した紙を見る。
安芸。
甲斐。
三河。
尾張。
官兵衛が最初に口を開いた。
「面白い」
「何が」
秀吉が尋ねる。
「選び方です」
「大名の名ではない」
「国名や土地」
「だから何だ」
「組織が」
官兵衛は紙を見る。
「大名家を単位にしていない可能性があります」
宗一郎も。
同じことを考えていた。
毛利の中に一人。
武田の中に一人。
徳川の中に一人。
織田の中に一人。
そんな単純な話ではないかもしれない。
港。
商人。
寺。
街道。
交易。
人が集まる場所。
「十二枚だから」
秀吉が言う。
「十二使徒か?」
「分かりません」
宗一郎は即答した。
「十二枚見つかった」
「それだけです」
官兵衛が宗一郎を見る。
「随分慎重ですな」
「慎重じゃないと」
「味方を敵にします」
尾張。
特に。
この一枚は危険だった。
織田家中に裏切り者がいる。
そう決めつければ。
疑心暗鬼が始まる。
「信長様には?」
秀吉が聞く。
「光秀殿からもう届いてると思います」
「なら」
「荒れるぞ」
宗一郎は。
首を振った。
「たぶん」
「荒れません」
「何故だ」
「信長様なら」
その時。
廊下から。
声。
「誰が荒れぬと言った」
宗一郎が顔をしかめる。
「……来ると思った」
信長が入ってきた。
紙を見る。
「尾張か」
「はい」
「誰だ」
「まだ分かりません」
「探せ」
「探します」
「家臣を全部調べるか」
「しません」
信長が宗一郎を見る。
「何故だ」
「尾張としか書いてないからです」
「家臣とは限らない」
「商人かもしれない」
「寺かもしれない」
「港かもしれない」
「ただの連絡場所かもしれない」
信長は。
少しだけ。
笑った。
「それでよい」
秀吉が信長を見る。
「殿」
「何だ」
「意外でございます」
「何が」
「もっと」
「誰だ、首を出せ」
「と申されるかと」
「猿」
「は」
「儂を何だと思っておる」
秀吉が困る。
宗一郎が小さく言った。
「俺もちょっと思いました」
「宗一郎」
「はい」
「貴様も後で残れ」
「何で俺まで」
半兵衛が笑う。
信長は。
もう一度。
十二の地名を見る。
「宗玄は」
「海の向こうか」
「その可能性が高いです」
「なら」
信長は。
尾張の文字を指で叩いた。
「こちらを先にやれ」
宗一郎が顔を上げる。
「海外より?」
「当たり前だ」
信長は言った。
「海の向こうの敵より」
「家の裏にいる鼠の方が」
「先だ」
宗一郎は。
頷いた。
「分かりました」
海外は。
逃げない。
マカオも。
ゴアも。
そこにある。
だが。
今。
日本に残っている者は。
動く。
証拠を消す。
逃げる。
次の人間を使う。
「源八郎を」
「平戸から戻すか?」
半兵衛が尋ねる。
「戻さない」
宗一郎は答えた。
「尾張には」
「尾張の目を使う」
信長が頷く。
「丹羽へ話せ」
「はい」
「ただし」
「家中へは広げるな」
「承知」
信長が部屋を出ようとする。
そこで。
宗一郎が呼び止めた。
「信長様」
「何だ」
「新しい役の話」
「どうなりました?」
信長が振り返る。
「今それを聞くか」
「気になって」
「主上から」
「次の問いが来た」
「何です?」
信長は。
面倒そうな顔をした。
「誰が」
「次の者を選ぶか」
宗一郎は。
天井を見た。
「……一番面倒なのが来た」
「そうだ」
「海と十二使徒と本願寺が終わってからにしません?」
「主上に言ってみろ」
「嫌です」
「儂も嫌だ」
二人とも。
しばらく黙った。
そして。
半兵衛が。
笑った。
「天下は」
「待ってくれませんな」
宗一郎は。
深く息を吐いた。
本当に。
その通りだった。
海では。
本願寺の第三陣が動き始める。
京では。
道順を捕らえた。
尾張には。
何かが残っている。
五島の西では。
宗玄らしき船が南蛮船と接触した。
そして御所では。
将軍のいない国を。
誰が。
どう治めるのか。
その答えを求められている。
一つ終わってから。
次へ。
そんな都合よく。
歴史は動いてくれない。
だが。
宗一郎は。
もう知っていた。
全部を。
一人で解く必要はない。
京には光秀がいる。
海には嘉隆がいる。
制度には半兵衛がいる。
物流には長秀がいる。
戦には信長がいる。
そして。
自分がいなくなっても。
それが動くようにする。
それこそが。
宗一郎が。
この時代で作ろうとしているものだった。




