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『天下布武、その先へ』―転生者と織田信長が拓いた、誰も知らない日本史―  作者: みなみ


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第百八章 見えない道

第百八章 見えない道


 海にも、道がある。


 宗一郎は九鬼嘉隆からそう聞かされていた。


 だが、実際に船へ乗ってみると、その意味はまるで分からなかった。


「……どこです?」


「何がだ」


「道」


「見えておる」


「俺には海しか見えません」


「だからお前は陸者なんだ」


 嘉隆は呆れたように言った。


 紀伊沖。


 宗一郎の目の前には、ただ海が広がっている。


 波。


 島影。


 遠くを進む漁船。


 空を飛ぶ鳥。


 それだけだった。


 嘉隆が船縁を指した。


「水を見ろ」


「水?」


「色が違うだろう」


 宗一郎は目を凝らした。


「……分かりません」


「風は」


「吹いてます」


「阿呆」


「ひどくないですか?」


「どちらからだ」


 宗一郎は黙った。


 嘉隆がため息をつく。


「潮の向き。風。島の陰。浅瀬。暗礁。船の腹がどれほど水へ沈んでいるか。帆をどちらへ張っているか」


 そして、遠くの船を指した。


「あれは米を積んでいる」


「何で分かるんです」


「沈み方だ」


「……」


「あれは軽い」


「……」


「向こうは急いでいる」


「……」


「何か言え」


「俺、海では役に立ちませんね」


「ようやく分かったか」


 宗一郎は本気で落ち込んだ。


 陸なら。


 道を見れば分かる。


 橋。


 坂。


 川。


 城。


 村。


 兵站路。


 地図に線を引ける。


 だが海には線がない。


 嘉隆には見えている。


 宗一郎には見えない。


「だから記録する」


 宗一郎は帳面を開いた。


 嘉隆が嫌そうな顔をした。


「またそれか」


「分からないなら覚えます」


「潮を紙だけで覚えられると思うな」


「じゃあ乗ります」


「吐くぞ」


「吐いても乗ります」


「面倒な男だな」


 宗一郎は笑った。


「よく言われます」


 今回は遊びではない。


 本願寺の第二船団が動き始めている。


 第一陣のように四十艘以上をまとめて動かさない。


 紀伊。


 淡路。


 播磨。


 複数の場所から少数ずつ出航し、時間もずらす。


 海上で合流するもの。


 そのまま単独で石山へ向かうもの。


 漁船に紛れるもの。


 商船として動くもの。


 顕如はやり方を変えてきた。


 織田も変わらなければならない。


「全部止めるのは無理なんですよね」


「無理だ」


「じゃあ、何艘止めれば勝ちです?」


 嘉隆が宗一郎を見る。


「その聞き方は悪くない」


「褒められた」


「一度だけだ」


 嘉隆は海を見る。


「兵糧を全部止める必要はない。運ぶ側に、次も同じように運べると思わせなければいい」


「損をさせる?」


「それだけではない」


「怖がらせる?」


「それもある」


 嘉隆は指を折った。


「船を失う」


「水夫を失う」


「港を使えなくなる」


「案内人が逃げる」


「商人が値を上げる」


「護衛を増やさねばならなくなる」


「一度運ぶだけなら簡単だ」


 嘉隆は宗一郎を見る。


「戦は続く」


「……なるほど」


 宗一郎には馴染みのある話だった。


 兵站。


 継続。


 費用。


 海でも同じなのだ。


「じゃあ」


 宗一郎は言った。


「船を沈めることが目的じゃない」


「ああ」


「本願寺が海を使うために払う代価を上げる」


 嘉隆が初めて満足そうに頷いた。


「少しは海が見えてきたな」


「まだ水しか見えませんけど」


「それでいい」


 その日の夕刻。


 第一報が入った。


 紀伊から六艘。


 淡路西方から四艘。


 播磨方面から七艘。


 確認できただけで十七艘。


 すべてが本願寺向けとは限らない。


 宗一郎が紙を見る。


「どうやって見分ける?」


「見分けん」


 嘉隆が答えた。


「え?」


「疑わしいから沈めるのか」


 宗一郎は口を閉じた。


「……駄目ですね」


「陸では分かっていたことだろう」


 その通りだった。


 十二使徒。


 本願寺。


 南蛮商人。


 宣教師。


 全部を混ぜるな。


 自分で何度も言ってきた。


 海へ出た途端、それを忘れかけた。


「積荷を確認する方法は?」


「寄せる」


「逃げたら?」


「追う」


「撃ってきたら?」


「撃つ」


「分かりやすい」


「海では迷っている間に死ぬ」


 嘉隆の声から笑いが消えた。


「だが、先に斬るな」


 宗一郎が嘉隆を見る。


「商人を全部敵に回したら、海は持てん」


 宗一郎は。


 また一つ。


 帳面へ書いた。


 嘉隆が覗く。


「何と書いた」


「海でも敵を増やすな」


「当たり前だ」


「その当たり前を残すんです」


 嘉隆は何も言わなかった。


 少しだけ。


 宗一郎を見る目が変わった。


     ◆


 石山本願寺。


 顕如の前にも海図があった。


 こちらもまた、第一船団から学んでいる。


「織田が九鬼を使い始めた?」


「はい」


 教如が答えた。


「志摩の九鬼嘉隆。まだ織田へ正式に臣従したわけではないようですが、高槻宗一郎と行動を共にしております」


「厄介だな」


 顕如は素直に認めた。


「高槻の大筒でしょうか」


「違う」


 教如が父を見る。


「大筒より九鬼だ」


「何故です」


「高槻は海を知らぬ」


 顕如は海図を見る。


「九鬼は知っている」


「ならば高槻に海を教える者の方が恐ろしい」


 教如は黙った。


「第二陣は予定通り出す」


「織田に狙われます」


「当然だ」


「では――」


「だから分けた」


 顕如の指が海図をなぞる。


「米を運ぶ船」


「塩を運ぶ船」


「火薬を運ぶ船」


「空の船」


 教如が顔を上げる。


「空?」


「何も積んでいない船も混ぜる」


「囮ですか」


「囮と決めるな」


 顕如が言った。


「織田が何を見るかを見る船だ」


 第一船団で。


 本願寺は織田を見た。


 第二船団では。


 さらに見る。


 どこで待つ。


 何艘動かす。


 どの船を止める。


 誰が指揮する。


 どこまで追う。


「戦とは」


 顕如が静かに言う。


「相手に教えることでもある」


「こちらの手を、ですか」


「そうだ」


「ならば」


「一度見せた手は」


「次には変えねばならぬ」


 そして。


 もう一つ。


 顕如は命じた。


「十二使徒の件は、海の戦とは別だ」


 教如が僅かに眉を寄せる。


「ですが、奴らは我らを利用しようとしました」


「だからだ」


「織田との戦は我らの戦」


「奴らの戦ではない」


 顕如の声が低くなる。


「本願寺の旗を」


「他人の謀に使わせるな」


 教如は。


 深く頭を下げた。


     ◆


 第二船団との最初の接触は、淡路東方で起きた。


 朝。


 霧が残っていた。


 織田側。


 九鬼の船四艘。


 滝川一益が手配した船三艘。


 高槻の試験船一艘。


 八艘。


 宗一郎は試験船に乗っていた。


 嘉隆には止められた。


 信長にも、


「貴様が乗る必要があるのか」


 と言われた。


 だが。


「失敗した時だけ他人を乗せるのは嫌です」


 そう答えた。


 信長は。


 少し黙ってから、


「死ぬな」


 それだけ言った。


 前方。


 霧の向こうから。


 三艘。


 帆が現れた。


「来た!」


 水夫が叫ぶ。


 宗一郎が身を乗り出す。


「まだ動くな!」


 嘉隆の声が別船から飛ぶ。


 三艘。


 こちらを見る。


 一艘が進路を変えた。


 二艘はそのまま。


「逃げた!」


「追う?」


「待て!」


 宗一郎は。


 嘉隆を見る。


 嘉隆は。


 逃げた一艘ではなく。


 残った二艘を見ていた。


「寄せろ!」


 九鬼船が動く。


 速い。


 宗一郎の船とは。


 動きが違う。


「積荷を改める!」


 声が飛ぶ。


 一艘。


 止まる。


 もう一艘も。


 帆を落とした。


 武器は出さない。


 九鬼の水夫が乗り移る。


 しばらくして。


 合図。


「空だ!」


 宗一郎が顔をしかめた。


 二艘とも。


 ほとんど何も積んでいない。


「囮?」


 その瞬間。


 嘉隆が怒鳴った。


「西を見ろ!」


 宗一郎が振り返る。


 霧。


 その奥。


 影。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 四つ。


 五つ。


「まずい」


 嘉隆の顔が変わった。


 空船を調べている間に。


 本命が。


 別の水路を通っていた。


「追え!」


 船が動く。


 だが。


 遅い。


 風向きが悪い。


 宗一郎は焦る。


「櫂を!」


「全部出してる!」


「もっと――」


「人間の腕は増えん!」


 怒鳴られた。


 本命らしき五艘。


 距離が開く。


「大筒!」


 宗一郎が言う。


 与吉が砲を見る。


「届きます!」


「撃て!」


「待て!」


 嘉隆の声。


 だが。


 宗一郎は。


 一瞬。


 迷った。


 届く。


 ここで一艘でも止めれば。


「宗一郎!」


 嘉隆の怒声。


 宗一郎は。


 我に返った。


「撃つな!」


 与吉が火縄を止める。


 直後。


 船が大きく揺れた。


 波。


 砲口が。


 大きく逸れる。


 もし。


 今。


 撃っていたら。


 どこへ飛んだ。


 宗一郎の背中に。


 冷たい汗が流れた。


「海で」


 嘉隆が。


 別船から怒鳴る。


「止まっている地面のつもりで撃つな!」


「……はい!」


 悔しい。


 だが。


 その通りだった。


 本命の五艘は。


 逃げた。


 その日の結果。


 確認した船。


 七艘。


 拿捕。


 なし。


 積荷確認。


 二艘。


 空。


 本願寺向けと推定される五艘。


 突破。


 完全な失敗だった。


 宗一郎は。


 船を降りてから。


 しばらく何も言わなかった。


 嘉隆が横へ来る。


「どうした」


「負けました」


「ああ」


「慰めてくれないんですね」


「戦だぞ」


「ですよね」


 宗一郎は。


 海を見る。


「俺」


「撃とうとしました」


「ああ」


「止めてくれて」


「ありがとうございました」


 嘉隆は。


 宗一郎を見る。


「何故撃とうとした」


「逃したくなかった」


「それだけか」


 宗一郎は考える。


「……結果が欲しかった」


「それだ」


 嘉隆が言った。


「海は」


「焦った奴から殺す」


 宗一郎は。


 その言葉を。


 黙って聞いた。


「明日は?」


「また見る」


「戦わない?」


「必要なら戦う」


「でも」


 嘉隆は。


 海を見る。


「今日」


「本願寺もこちらを見た」


 宗一郎が顔を上げる。


「空船」


「ああ」


「俺たちが止めた」


「つまり」


「何を調べるか」


「どこで待っているか」


「どれくらい追えるか」


「見られた」


 宗一郎の表情が変わる。


「こっちだけが調べてるんじゃない」


「戦ってのは」


 嘉隆が笑った。


「そういうもんだ」


 翌日。


 石山へ。


 報告が届く。


 空船二艘。


 織田が検査。


 本命五艘。


 突破。


 教如が笑みを見せた。


「成功です」


「半分だ」


 顕如は言った。


「何故です」


「九鬼が追ってきた」


「はい」


「高槻の船もいた」


「はい」


「大筒を撃たなかった」


 教如が。


 少し考える。


「撃てなかった?」


「それならよい」


「違えば?」


「撃たない判断をした」


 顕如は。


 窓の外を見る。


「ならば」


「次はもっと厄介になる」


     ◆


 三度目。


 今度は。


 宗一郎が策を出した。


「船を追わない」


 嘉隆が見る。


「続けろ」


「港を見る」


「前にも言った」


「違う」


 宗一郎は地図を指した。


「船がどこから出るかじゃない」


「どこで水を積んでいるか」


「どこで米を積んでいるか」


「誰が縄を売っているか」


「誰が船を直しているか」


「出航する前を見る」


 嘉隆が。


 少し笑う。


「陸者らしくなったな」


「褒めてます?」


「半分」


 高槻の網が動いた。


 堺。


 紀伊。


 淡路。


 播磨。


 港。


 宿。


 商人。


 船大工。


 漁師。


 ただ見る。


 船そのものではない。


 船を動かすものを見る。


 数日後。


 淡路の小さな浦で。


 奇妙な報告が上がった。


 普段。


 漁船しか使わない場所。


 そこで。


 大量の水樽が買われた。


 縄。


 油。


 干魚。


 さらに。


 夜。


 米俵。


 量は。


 船三、四艘分。


「ここだ」


 宗一郎が言った。


 嘉隆は。


 すぐには頷かなかった。


「まだだ」


「でも」


「事実は?」


 宗一郎が止まる。


 大量の水。


 縄。


 油。


 干魚。


 米。


 それだけ。


「本願寺だという証拠はない」


 嘉隆が言った。


 宗一郎は。


 ゆっくり頷く。


「……そうですね」


 また。


 同じところだった。


 疑い。


 事実。


 判断。


「見る」


 宗一郎が言う。


「それでいい」


 二日後。


 船が来た。


 四艘。


 夜。


 米を積む。


 そのうち一艘。


 船頭が。


 小さな札を受け取った。


 高槻の目が。


 それを見た。


 札には。


 蓮。


 ただ一字。


 本願寺の証ではない。


 まだ。


 足りない。


 さらに追う。


 翌朝。


 船は出た。


 西へ。


 そして。


 沖で。


 別の三艘と合流した。


 その三艘のうち一艘に。


 石山側で使われている船頭が乗っていることを。


 九鬼の者が確認した。


「ここまで」


 宗一郎が言う。


「なら動ける?」


 嘉隆が頷いた。


「動ける」


 七艘。


 対して。


 こちらは六艘。


 数では不利ではない。


 だが。


 目的は。


 沈めることではない。


「拿捕できるなら拿捕」


「無理なら?」


「帰れなくする」


「殺す?」


「違う」


 嘉隆は。


 地図の一点を指した。


「水を取れなくする」


 宗一郎が理解する。


「港?」


「ああ」


「船は」


「海だけでは生きられん」


 海の戦。


 宗一郎は。


 ようやく。


 その入口へ。


 足をかけ始めていた。


 そして。


 三日後。


 第二船団の一部。


 七艘が。


 大阪湾へ入った。


 九鬼嘉隆は。


 正面にいなかった。


 本願寺側の船頭が。


 周囲を見る。


「織田がおらん」


 誰かが笑った。


「諦めたか」


 だが。


 船団が。


 いつもの補給場所へ近づいた時。


 異変に気づいた。


 水を積む小舟が。


 いない。


 港にも。


 人がいない。


「どうした」


「分からん!」


 さらに。


 風が落ちる。


 帆が弱くなる。


 船団の速度が。


 落ちた。


 その時。


 島陰から。


 帆が上がった。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 九鬼。


 さらに。


 反対側。


 滝川の船。


 本願寺側の船頭の顔色が変わる。


「囲まれた!」


 違う。


 完全には囲んでいない。


 一方向だけ。


 開いている。


 嘉隆が。


 わざと。


 逃げ道を残していた。


「来るぞ!」


 鉄砲。


 最初に撃ったのは。


 本願寺側だった。


 海上に。


 乾いた音が響く。


「撃ってきた!」


「なら」


 嘉隆が叫ぶ。


「返せ!」


 九鬼船から。


 一斉に。


 火縄銃。


 船縁に。


 木片が飛ぶ。


 人が伏せる。


 本願寺側も撃つ。


 船が揺れる。


 煙。


 叫び。


 波。


 陸とは。


 何もかも違う。


 宗一郎は。


 高槻の試験船で。


 大筒の横にいた。


「距離!」


「まだ!」


「角度!」


「波で変わります!」


「分かってる!」


 前回とは違う。


 撃てるから。


 撃たない。


 待つ。


 嘉隆からの旗。


 まだ。


 次。


 まだ。


 本願寺船の一艘が。


 逃げ道へ向かう。


 続いて。


 二艘。


 船団が。


 縦へ伸びる。


 嘉隆が。


 旗を振った。


「今!」


「撃て!」


 轟音。


 高槻の大筒。


 砲弾は。


 先頭船を外した。


「外れた!」


「次!」


 宗一郎は叫ばない。


 与吉たちが。


 決めた手順で動く。


 砲身。


 確認。


 台。


 確認。


 甲板。


 確認。


 火薬。


 装填。


 焦らない。


 二射目。


 轟音。


 今度は。


 船ではなく。


 その横。


 水柱。


 本願寺側が怯む。


「当たってない!」


 与吉が言う。


「いい!」


 宗一郎は答えた。


「進路が変わった!」


 一艘が。


 砲撃を避けようとして。


 舵を切った。


 その先。


 浅い。


 嘉隆が。


 最初から見ていた場所。


「止まれ!」


 本願寺側の船頭が叫ぶ。


 間に合わない。


 船底。


 鈍い音。


 座礁。


「一艘止まった!」


「追うな!」


 宗一郎が叫ぶ。


 以前なら。


 止まった船へ。


 全員で向かったかもしれない。


 だが。


 嘉隆から教えられた。


 船ではなく。


 全体を見る。


 残り六艘。


 そのうち。


 三艘は逃げ道へ。


 二艘は散開。


 一艘は。


 座礁船を助けようとしている。


「嘉隆さん!」


 九鬼船。


 動く。


 助けに向かった一艘を。


 横から押さえる。


 鉄砲。


 矢。


 鉤縄。


 船同士が。


 ぶつかる。


 海上での白兵戦。


 九鬼の者たちは。


 速かった。


 揺れる甲板を。


 陸のように走る。


 本願寺側も。


 弱くない。


 槍。


 刀。


 船縁。


 一人が海へ落ちる。


 別の男が。


 縄を投げる。


 敵味方。


 入り乱れる。


 宗一郎は。


 それを見て。


 拳を握った。


 大筒を撃てない。


 味方に当たる。


 鉄砲も。


 迂闊には撃てない。


 最後は。


 人が。


 人と戦う。


 技術だけでは。


 戦は終わらない。


 やがて。


 嘉隆の船から。


 旗。


 一艘。


 拿捕。


 座礁。


 一艘。


 残る五艘。


 四艘が突破。


 一艘は損傷して引き返した。


 完全勝利ではない。


 だが。


 第一船団とは違う。


 止めた。


 二艘。


 さらに。


 一艘を退かせた。


 そして。


 捕らえた船には。


 米。


 塩。


 火薬。


 石山へ運ぶ予定だった物資が。


 確かに積まれていた。


 宗一郎が。


 拿捕船へ移る。


 捕虜たちが。


 睨んでいる。


 嘉隆が尋ねた。


「どうする」


 宗一郎は。


 捕虜を見る。


「怪我人から治療」


 本願寺側の男が。


 驚いた。


「敵だぞ」


「知ってます」


「何故」


「聞きたいことがあるから」


 嘉隆が笑う。


「それだけか」


 宗一郎は。


 少し考えた。


「それと」


「戦が終わったら」


「生きて帰る人間が」


「一人でも多い方がいい」


 嘉隆は。


 何も言わなかった。


 ただ。


「甘い」


 と言った。


「よく言われます」


「だが」


 嘉隆は。


 海を見る。


「嫌いではない」


 その夜。


 石山。


 顕如は。


 結果を聞いた。


 七艘。


 四艘到着。


 一艘帰還。


 一艘拿捕。


 一艘座礁。


 物資の一部。


 喪失。


 教如が悔しそうに拳を握る。


「九鬼です」


「分かっておる」


「次は護衛を増やします」


「待て」


 顕如が止めた。


「増やせば」


「それだけ兵糧を食う」


 教如が黙る。


「大船を使えば」


「見つかる」


「小船にすれば」


「運べる量が減る」


「護衛をつければ」


「銭がかかる」


 顕如は。


 静かに息を吐いた。


「なるほど」


 教如が見る。


「何がでございます」


「織田は」


「船を沈めようとしておらぬ」


 顕如は。


 九鬼の意図を。


 理解した。


「我らに」


「海を使う銭を」


「払わせるつもりだ」


 教如の顔が変わった。


「では」


「どうします」


 顕如は。


 海図を見る。


 長い沈黙。


 そして。


「毛利へ」


 教如が顔を上げた。


「使者を?」


「いや」


 顕如は首を振る。


「まず」


「もう一度」


「問え」


 以前とは違う。


 助けてくれ。


 ではない。


「海を」


「誰のものと考えるか」


 その問いを。


 毛利へ送る。


 同じ頃。


 岐阜。


 信長は。


 戦果報告を読んでいた。


「二艘だけか」


 宗一郎の顔が引きつる。


「だけって……」


「七艘のうち二艘」


「一艘も沈めてません」


「だから何だ」


「嘉隆殿の狙い通りです」


「四艘は入った」


「はい」


「なら負けだ」


 宗一郎が。


 言い返そうとする。


 だが。


 嘉隆が先に言った。


「そうだ」


 信長が嘉隆を見る。


「負けだ」


 嘉隆は平然としている。


「だが」


「前よりは」


「ましな負けだ」


 信長の口元が。


 僅かに上がる。


「次は」


「勝てるか」


「知らん」


「言い切らぬのか」


「海に絶対を言う奴は」


「海で死ぬ」


 信長が。


 笑った。


「気に入った」


「俺はまだお前を気に入ってない」


「そのうち気に入る」


「自信家め」


 宗一郎が。


 二人を見る。


「仲いいですね」


「どこがだ!」


 二人の声が。


 重なった。


 だが。


 その場にいた明智光秀だけは。


 笑っていなかった。


「殿」


「何だ」


「海の話とは別に」


 光秀が。


 一通の書状を出した。


「帝より」


 信長の顔から。


 笑みが消える。


「何と」


「先に申し上げます」


 光秀は。


 宗一郎と半兵衛を見る。


「例の」


「新たな武家の役目についてです」


 部屋が。


 静かになった。


 征夷大将軍ではない。


 将軍なき天下で。


 武士を束ねる。


 新しい役目。


 以前。


 帝が信長へ。


 示したもの。


「主上は」


 光秀が続ける。


「名を決める前に」


「権を決めたいと」


 宗一郎が。


 ゆっくり。


 顔を上げた。


 信長は。


 面白そうに。


 笑った。


「ようやくか」


 宗一郎は。


 逆に。


 嫌な予感がした。


「信長様」


「何だ」


「これ」


「海戦より難しいかもしれませんよ」


「なら」


 信長は。


 即答した。


「なお面白い」


 宗一郎は。


 深く。


 ため息をついた。


 海では。


 見えない道を学び始めた。


 そして。


 陸では。


 まだ誰も歩いたことのない道を。


 作らなければならなくなった。

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